書簡集

 『国立』という街をご存知だろうか。国分寺と立川の間にあるからと付けられた名前だそうでクニタチと読む。コクリツではない。安易な名前だと笑ってはいけない。一橋大学に代表される学校と閑静な住宅街が広がる静かで落ち着いた街で、都下でも格調の高い雰囲気がある。ちなみに三浦友和&山口百恵夫妻のお宅もここにある。そういうわけで、駅前には古くから営業している有名な喫茶店が多い。ただしおぜき家からすると、実家からも現住所からも遠いその街は、僕らがわざわざ珈琲を飲みに行くようなロケーションではなかった。

 僕らが結婚して小田急相模原に住み始めた頃のこと。二人の実家に行った帰り道、たまたま国立の駅近くを車で走っていた。家に帰るには多少遠回りであったが、同じ道を何度も通るのが嫌いな性格ゆえ、多少の遠回りは厭わなかったのだ。その時、ふと入り口が気になるお店に目が留まった。蔵のような白壁に小さな入り口。目立った看板はなかったと思う。正直な話、最初は店なのかどうか分からなかった。しかしどうしても気になったので、興味津々わざわざ車をUターンさせて確認してみた。そこが「書簡集」という小さな喫茶店だった。

 見た目通り入り口は小さかった。扉の高さ自体も低いが、厚みのある木で床を上げているので、大抵の人はかがんで出入りすることになる。そして店の中も外観にあってこじんまりとしていた。入って左側にはカウンターがあり、その周りに3人がやっと座れる程度の長イスが3脚並んでいる。その他に4人座ったらきつそうなテーブルが1つ。狭いカウンターの中ではマスターがきびきびと働いている。メニューは珈琲の他にカレーライスなどの軽食やお酒も並ぶ。この小さな店のどこにそれだけの物を準備できるのかと思うが、それはマスターの几帳面な性格から、様々な物が機能的に整理されて置かれているのだ。豆は自家焙煎。店の奥に仕舞ってある使い込まれた小さな焙煎機を使って焙煎しているのだろう。珈琲は一杯ずつ、ネルドリップで淹れる。カップ代わりにそば猪口を使うのも珍しい。深煎りで苦味の効いた、美味しい珈琲であった。

 何回目かにその店に寄ったときのこと。カウンターに座った我々は、どういうきっかけからか、マスターにおださがに帰る途中だという話をした。マスターは学生時代、相模原に住んでいたことがあるそうだ。偶然ってあるものだねとその時はそれで話が終わった。

 それからしばらくして、おださがを歩いている時に、ふと入り口が気になるお店に目が留まった。蔵のような白壁に小さな入り口。暗い店内の様子はバーのようでもあったが、どうしても気になったので、興味津々わざわざ後戻りして確認してみた。そこが「雑記帳」という小さな喫茶店だった。店に入った瞬間、何となく「書簡集」と似ているとおぼろげに感じていた。

 ふと「書簡集」のマスターの言葉がよみがえった。相模原に住んでいたことがあると。こりゃ、おださがの「雑記帳」と国立の「書簡集」は何か関係がありそうだ。

 次に国立に行ったとき、勇気を出してマスターに聞いてみた。「小田急相模原の雑記帳ってご存知ですか?」「ええ、でも何で」「この前相模原に住んでいたと聞いたから」「実はあの店で修業してたんです」なるほど。どうりで店の雰囲気が似ているはずだ。それにしてもこういう偶然があったものだ。たまたま入った二つの喫茶店が繋がっていたのだから。しかも遠く離れた場所で。少し話を聞くと、二つの店の間に今は特に交流はないらしい。書簡集のマスターからは雑記帳の昔の様子を聞いた。雑記帳のすずきさんは昔からほとんど休み無く働いていたそうだ。逆にすずきさんに書簡集の様子を話すと、それは昔の雑記帳に似ているなあと、懐かしそうに話してくれた。

 僕から見れば、雑記帳も書簡集もそれぞれにいい喫茶店だ。書簡集は雑記帳の面影を残しながらも、それ以上に地元に根づいているような感じを受けた。しかし、それ以上に雑記帳も変化してきている。ふとしたきっかけで入った店。自分の足で見つけた店。それらがこのように繋がっていたという経験も珍しい。

[すすむ] [もどる] [珈琲トップ]