1999.09.25.SAT.【その1】
<ベルリン・晴れ>


初めてのベルリンの朝は良い天気でした。モーニングコールで起こされる前に起きて、なんせ睡眠時間が短かったので、眠気覚ましにシャワーを浴びて朝食へ!

 ちゃんと入り口にホテルマンがいて、部屋番号を確認するんだよね。でもって朝食はバイキング。ソーセージとスモークサーモンとチーズがメチャ美味しかった!(なんか酒のつまみ系だが/笑)。コーンフレークも食べちゃったりして、朝はほとんど食べない方なのに、こういうホテルへ来ると異様に食べてしまう奴であった。




9:10にホテルのロビーに集合して専用バスで、ベルリン市内を観光するのが本日の予定。ちなみに、朝になって気が付いたんだけど、ホテルの前は出来立てのショッピングモールになっているし、隣りは映画館だし(日本円で約\300だよ。安いよなぁ〜)、斜め向かいは劇場だし(『ノートルダムの鐘』をやっていた)、その先は銀行だし、立地条件がメチャクチャ良いのだ。最寄り駅は「Potsdamer Platz(ポツダマー・プラッツ)」で、昔で言うと、東と西の境界線の辺りです。ブランデングルグ門まで徒歩15分弱という距離、という所にあるのでお散歩に最適でした。

 で、まずバスで向かったのは、明日のコンサート会場になるブランデングルグ門。近場にバスを停めて、そこから徒歩という感じでした。丁度、通りがお土産ショップが並んでいて誘惑にかられた・・・。




ブランデングルグ門周辺
 ステージ正面のショット。照明とスピーカー以外はほとんどないというシンプルなセット。それもそのはず、本物のブランデングルグ門が真後ろにありますからね〜。これ以上豪華なセットはないでしょう〜!実際に見たブランデングルグ門は、想像していたより大きかった。ちなみに、旧東ドイツ方面から見たブランデングルグ門です。


←そのブランデングルグ門。高さは26mもあるのだ。ベルリンの壁が崩壊した時は、このてっぺんに多くの市民が登っていましたよね〜。
 ベルリンのシンボル的存在ですけど、見てお判りの通りアテネ神殿の門を元に作られたそうです。だから、一番上にいるのは勝利の女神像なのだ。しかし、これが建設されたのは1791年。3年掛けて作られたそうだけど、200年以上も前からあるんだよね。それこそ、この勝利の女神像はいろんな歴史を見てきたんだろうなぁ。




旧西ドイツ側からの風景
 ブランデングルグ門をくぐって左側に見えるのが「帝国議会議事堂」です。一見古そうに見えますが、1933年にナチスの謀略により放火され全焼しており、その後もソ連との戦争によって崩壊されてしまいました。現在は復元された姿なんですね。
 ちなみに、「ドイツにおける日本年」の他にもこの時期はベルリンでイベントが多くて、私達のようなツアー以外の観光客も多かったのであった。様々な民族が大集合していたのかもしれない。


←西側の道路にはベルリンの壁の跡が残されています。丁度グレーになっている線がそうです。
 グリーンの服を着ていらっしゃる人の後方に見える十字架は、ベルリンの壁があった当時、東側から西側へ脱出しようとして、撃ち殺されてしまった人達の記念碑でもあります。この存在が、戦争の悲劇を現在も物語っていますね。
←上のグレーの線のように見える「ベルリンの壁」の跡のアップです。思っていたよりも厚くなかったのが、ちょっとショックでしたね・・・。
 「BERKINER MAUER 1961-1989」と刻まれています。

 これは西側から見たブランデングルグ門です。自由の女神像が背を向けているように見えます。
 当時は、この車の後方にベルリンの壁があったんですよね。

 上の位置から正反対を向くと見える景色です。中央に金色に光っているのは、『ベルリン天使の詩』でも有名な「ジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)」です。
 「ベルリンにおける日本年」のイベント期間中は交通規制されていて、観光バスが近づけないようになっていたのでした。残念。歩いて行けば良いんだけどね、気力なかったのさ(笑)。


 続いては旧東ベルリン市街の観光です〜っ!




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