1999.09.25.SAT.【その5】



ツェツィーリエンホフ宮殿

←この宮殿とは思えぬような可愛い建物の中で、当時アメリカ大統領のトュルーマン氏を中心に「ポツダム宣言」が出された会議が開かれました。つまり、ここで広島や長崎に原爆を落とすことが決定されたのです。

←後ろの屋根が顔のように見えると有名だそうです。こんなユニークな作りなのになぁ〜、ここで決まってしまったのね・・・。

←中庭には妙な彫刻と、これでも樹齢200年というアヒル型の植木があります。ココの場所は人気で、ココで結婚式を挙げるカップルもいるとか・・・。

←植木の一つ、一つが可愛くカットされているのです。こんな微笑ましい庭なのに、この植木の左側にある部屋で「ポツダム宣言」が出されたのでした。やはり、日本人としては複雑です。

 個人的に、ここの観光はかなりショックでしたね。だって、こんな可愛い宮殿で「日本の広島と長崎に原爆を落とそう」なんてことが話し合われたんですよ。今では、そんなことがあっただなんて嘘のように、穏やかな宮殿ですけどね・・・。ここの風景がとでも穏やかな分、「ポツダム宣言」がここであったという歴史的事実が重く感じます。
 正直、「もっと宮殿らしい宮殿で話合ってくれば良かったのに!」て思ってしまった。こんな可愛らしい場所ですら、戦争という状況下におかれてしまえば、勝つ為にどんな残酷な考えでも思いついてしまうんでしょうね。そういう現実があったということが、ショックというか悲しかった。


 宮殿から見える風景は、とても穏やかな湖の姿。しかし、第二次世界大戦の頃は、ここにベルリンの壁があり、おろらく湖を見ることはできなかったはずです。→

←冷戦時代に作られていたソ連産のプラスチック自動車。今でもこの車の人気は高く、注文する人が後を絶たないんだとか・・・。しかし、くどいようだけどプラスチック製である。この自動車でアウトバーンを走って、ちょっとどこかにぶつけたらサヨナラである。
 ベルリンとポツダムを結ぶ橋から見える、トュルーマン元アメリカ大統領の別荘。ポツダム観光後に、この人の別荘を見ると複雑な気持ちになる・・・。→




 ポツダムでの宮殿観光は予想以上に良かったです。もちろん、悲しい事実の再確認をしてショックだったことは確かだけど、ちゃんと自分の眼で歴史を見ることができて良かったと思っています。自分の眼で見て感じなくては、わからない事ですからね。

 個人的感想としては、ベルリンよりもポツダムの方が衝撃的でした。芸術的に加工された「ベルリンの壁」と違って、ポツダムにはまだ戦争の爪痕が生々しく残っていました。街は可愛い建物が多いんだけど、古い建物はどれも破損していて、どんなに綺麗な作りの建物でも落書きされていたり、銃弾の痕があったり、ついこの間までここで戦争があったことを物語っていました。それでいて、そういう古い建物の隣りに新しい建物があったりして、かなり複雑な気持ちになりました。
 本当はデジカメで撮ろうかと思ったけど、なんか撮れなかった。撮りたい・・・という気分にはなれませんでしたね。戦争というものに無縁の世代ですけど、ほんのちょっとだけ、戦争の悲惨さを垣間見たような気がしました。この経験は、決して損なことになるとは思っていません。




 以上でオプショナルツアーは終了しました。
←添乗員さんが着ていらした、今回のツアーのスタッフジャンパー。すごくカッコ良かったのだぁ!今回は個人、個人に配られた長袖Tシャツといい、カッコよいデザインでした(^^)


 その後はホテルへ戻って自由行動でしたが、既に18時をまわっていたし(実は19時ぐらいに、ブランデングルグ門で明日のリハーサルがあったそうだけど)、なんせ昨日ロクに寝てないので、明日の備えてとっとと寝たかったので、近場のマクドナルドで夕飯を済ませました。やっぱ、パンやお肉が日本と全然違いますね。美味しかった!密かにポテトの美味しさに感激しました。

 そして今晩も、ベットに入ったと同時に記憶を無くしたのであった(笑)。




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