宿泊先のホテルの部屋にインターネットがついていたのでどうせ眠れないので記憶が薄れないうちにレポします。といっても既に定かではないので内容は「だったと思う」を省略します。窓からライトアップされた大阪城が見えます。 個人的なことですが、そもそも今回悩んだ末大阪は申し込んでいませんでした。でも、当落で横浜以下ホールコンサートが撃沈、横アリ2日間を現地調達で観た関西の友人がチケ無しでは来られないだろうと自分の分を私に譲ってくれると言ってくれて、それでも状況を考えて一度は断念しかけたけど今回初めての「地元関西」でのステージを一度は観たいと大阪行きの準備をしたのは4,5日前。(ちなみに友人は横浜、大阪全公演現地調達に成功しました)開演前のあわただしい時間、城ホール近くにあるホテルニューオータニへ寄りました。ここはその昔、マイケル・ジャクソンが初のソロコンをした時の関西での宿で追っかけをしていた私はよくここを利用して一度は大枚はたいて宿泊もした。ファン仲間数人と協力した千羽鶴とみんなの手紙を預かってここのロビーで彼のマネージャーに渡したり、追っかけの最前線で裏切りの序章でもあったり思い出の場所だから寄らずにはいられなかった。現在は思い出だけになったけど20年近くたって当時大嫌いだったジャニーズのライブを観る為にここへ再び来るとは思いも寄らなかったから人生ってわからないものですね。 さて個人的感傷はここまでにして、大阪城ホール。私の席はスタンド前の方だけど、ENDLI像が邪魔でステージが見えないのではないか心配になるくらい本当にステージ横で開演前は鹿象の角が見えなかった。(始まったら見えるようになっていた。)BBでセット後方から登場。衣装は赤のキャップ、横縞パーカーの上にギンガムチェックのベスト(背中は黒)赤のパンツ。オープニングからポップな感じでスピーカー(?)の上を歩き、ステップも一段と冴えていた。やはりタンク常連はまばらだし、いわゆる「ジャニファン」もいた。幸い、私の右は一人で来た、左は長野から母娘(ここしか当たらず初日とのこと)、娘はオープニングから「剛チャチャチャ」をやったファン。もう、私も齢も忘れて率先して踊りました。(ダンススタジオの常連みたいな気分)最初のMCでサングラスを外し、「大使の」と挨拶。 *髭面に黒のぴかぴかスーツで授賞式に出席した。 * 粉もん(うどん)食べた、のあと、「食いだおれ太郎」の人形借りてきたのアップがTOMOさん。 相変わらず非難中傷する人達がいるという話をいつになく話したような気がして、また何か障害と闘っているのかなと思った。「リアルにシリアスに」といった後「そしてキュートに」と付け加えた。さらに「キュートは意識しなくても滲み出る。昨日もご飯粒口元につけて怒られた」とか。でちゅまちゅ調もなめらか。 「Say Anything」でBBでもそうだったけどファルセットのパート低く歌って最初はしばらく観ないうちに歌い方変えたのねと思ったけど「Yellow」でも。やはり声も荒れている。(友人に確認したところ前日も何度かトライしたけどうまくいかなかったのでそれ以降はファルセット使わなかったとのこと)これはツアー後半のアーチストの宿命。でも、伸びのあるパワフルなヴォーカルに変わりはない。「Yellow」のイントロ、西川先生が(わざと?)間違えると「ススム」と叱った。「Love is the key」の前、tomoさんと両サイドに別れてドラム缶をドラム代わりに、tomoさんのやるように繰り返す。アフリカ語まがいの変な歌も笑いながら見事にリピート。冒頭のMCや体調のこともあって私が感じただけかもしれないが「Help me Help me」では魂が叫び、「oh Lord! 」では魂が泣いた。本当に涙を流しているのではないかとモニターを見てしまったくらい。それに曲の移行の合図を十川さんに送った時の一瞥!私に向けられたものではもちろんないが、ぞくっとした。その後の「春涙」ではこっちが泣いた。「kurikaes春」で黒のジャケットに着替えて登場、(ブラインドみたいなサングラスもここだったかな)SPACE KISSのラスト花道に気をとらえていたら間近で火花!みんなそこで興奮しているので私、横の長野の母娘に次はリフタ―だと教えてあげた。するとまだライトが当たる前から娘さんが指差して絶叫。降りてからいつの間にかベレーを被ってた。 アンコールでは黒の上下、スニーカーは既に絵の具でカラフルになっていた。スリッパの話とマネージャーのスニーカーを子供が振り回した話(どこかで既にやったかな)それにお姉さんがカフェで隣り合わせたいかにも業界人の会話「次の特集号なに?」「XX」 「で、その前のページは?」「堂本剛」「堂本剛か、なんかにじんでるよな」(笑)と小噺みたいなMCをしてCCK。今夜も自ら長いと宣言。mihoさんが速報で書かれた西川先生のパフォーマンスはここで。ダンサーさん、ホーン隊が次々と煙の輪砲?を客席や自分たちへ発射。私もおこぼれ頂戴した。(最初にやったのは244くん)最後のパレードでステージに戻った時244くんを探したらドラムセットにかくれんぼ、みんなで耳打ちとハプニングも満載。そこには名越さんではないけど「根源的なところ」があって、本能というか、アフリカやかつての奈良でも祈りや祭りで人々はこうして歌って踊ったのではという感じがした。ホーン隊だけでセッションした時244くんが本当に嬉しそうに生き生きとした表情だったのが印象的で本当にこの人音楽が好きなのだなって改めて感じた。最後のボディペイントはきれいなIの字。絵の具を飲んでしまったと言ったし、混ざり合った絵の具がまるで血のようにどす黒く右目を滴った。目に入るとあまり開けてもいられないようだったけどそこには光があった。まるで戦い抜いて傷だらけになったボクサーみたいだったけどでも間違いなく彼はチャンピォン、勇者だった。
とりとめもなく、長々と書き綴ってしまい、失礼しました。まだ全部伝えきってないような部分もある気もしたり、混乱したりして朝目覚めた時削除したくなるような気もします。いつのまにか大阪城のライトアップも消えていました。
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