月が欲しいと彼女は泣いた

 

        三 月が欲しいと彼女は泣いた

 

 あれ以来、登紀子はちょっとしたことですぐに発熱しては寝込むようになった。それに時々「痛い痛い」と唸ることがあった。登紀子は病院を嫌がったが、無理矢理に病院へ連れて行った。ところが、何度か精密検査をした後、医者から早急に手術をしなければあと半年しか生きられないと言われた。美袋は強い衝撃を受けたが、幸い、ターミナル・ケアの先駆的病院であり、ホスピス等の設備も整っていた。しかし、手術をしようがしまいが、最期は痛みのせいで心を壊すか、モルヒネ漬けで終わるかに違いなかった。登紀子の精神崩壊も、これに依って仕上がることになるのであろう。

 美袋はそのように冷静に分析したが、家に帰ると、悲しくて三日三晩哭きつづけた。しかし、それっきりで、その翌日からはけろっとした顔で登紀子の許に見舞いに通うようになった。

 この時、はじめて登紀子の両親と対面することになった。美袋は自己紹介をした。どうやら登紀子から話は聞いていたようだ。登紀子は眠っていた。手術の準備の為、朝から色々と処置をしていたらしい。美袋は両親と話をしておこうと思っていたが、父親の方は、仕事があるからと、すぐに出て行ってしまった。

 部屋には、美袋と夫人と、すやすやと寝息を立てている登紀子だけになった。美袋はぼうっと突っ立っていた。暫く静寂が流れたが、夫人は椅子から立ち上がって、美袋と対峙した。

「あの子は、もともとああじゃなかったのですよ。本当はとても大人しくておしとやかで笑顔の映えるいい子だったんです」

 夫人は時々嗚咽を漏らしながらも、話を続けた。

「あの子は、義母にとてもよく懐いていましてね。まぁ、世間でよく言うおばぁちゃん子という奴ですよ…義母もよくあの子を可愛がっていました。もう溺愛というくらいに。何しろ、自分のトキという名前を、そのままあの子に附けたくらいですからね…えぇ、でも、その義母が、あの子が中学生の頃、えぇ、もう十年も前のことですが、亡くなってしまいましてね。その時、あの子、大変哀しみましてね。それはもう毎日泣き出すような有様で、塞いでしまいましてね、あまり仲の良い友達も居なかったのでしょうか、慰めてあげられる人が居なかったのかもしれません。その頃の私達ときたら、あぁ、お恥ずかしい話ですがね、離婚寸前のところまでいってましてね。自分達のことで精一杯で、とてもあの子のことまで看てやる余裕がなかったんですよ。ある日、義母が大事にしていた『ぼろぼろの人形』を遺品の中から見つけましてね、それ以来、あの子、気が変になってしまってね。口にすることはてんで現実的じゃないし、何ですか、『死者との対話』とか何とか…もう、わけがわからないでしょう? それに、あの――あれですよ、えぇ、魔術とかいうのに、凝ってしまってねぇ。精神病院にでも入れようかと思っていたのですが、その矢先に家を飛び出してしまって…。連絡はあることにはあったのですが、あの子ったら、心配無いというばっかりでろくに話もせずに電話を切ってしまって。でもね、私は信じていましたよ。きっとあの子はあの子なりの幸福というものを手にすると。根拠なんてありませんよ。でも、そう信じるよるほかに無いじゃありませんか。だって、私の大切な娘ですよ。なのに、こんなことになってしまって…あぁ、でも、あの子はいい子なのですよ。どうか見捨てないでやってください」

 夫人は、雪崩れのように喋ってしまうと、その場にくずおれてしまった。美袋は相変わらずぼうっとしていた。

 

 

 遂に手術が行われることになった。手術そのものは成功したものの、絶望的だと医者は述べた。即ち、助かるための手術ではなく、延命するための手術だったのだ。

 しかし、それでも、美袋と登紀子にとっては必要なものだった。二人にとっては、一日一日が貴重な時間だった。登紀子が病気で死ぬというのは、ある意味美袋にとって救いであった。ある日突然居なくなるわけではない。もしも不意に何かの事故で登紀子を失おうものなら、美袋は発狂してしまいかねなかっただろう。しかし、死期が近いことを察知した登紀子の計らいと、時間という緩衝材が、美袋にある種のドグマを与え、ゆっくりと育んだ。

 

 数週間が過ぎ、術後の経過が良好だったので、外泊許可が下りた。これは、痛みで身動きも取れないくらいになるまでの、恩赦のようなものだ。つまり、登紀子は、もう僅かしか生きられないということだった。

 登紀子は強い希望により、美袋の部屋に泊まることとなった。美袋が何かやりたいことはあるかと問うと、登紀子は薄笑いを浮かべた。美袋は厭な予感がした。

 美袋の予感は当たった。登紀子が望んだのは、呪いの儀式であった。用意するものは、術者自身が作った人形と、術者本人の髪の毛と血である。

「これで、私はこの人形と一心同体なんですね…」

 呪いの力が本物ならば――例えば、この人形を引き千切ったりすると、登紀子の体も引き千切られてしまうはずである。無論そんなことは現実には無いが、要は気持ちの問題である。

「この呪法は、おばあ祖母さまから教わったの…」

 この一言は、美袋を凍らせるのに充分だった。登紀子の祖母は『ぼろぼろの人形』を大切にしていた。それ以来、登紀子は心を壊してしまったという…。美袋は登紀子に『死者との対話』について問おうとしたが、どうしても第一声を紡ぐことができなかった。

「この人形は私そのものですから、大事にしてくださいましね…」

 と、登紀子は、その人形を美袋に手渡した。美袋は兢々としながらも、大切にすると約束をし、枕許にそれを置いた。

 そのまま、美袋と登紀子は、最後の夜を共にした。行為が終わった頃になると、窓から満月の明かりが差し込んでいた。部屋が青白く染まっていた。

「空気が綺麗なのですね…。知ってました? 月が赤いと空気は汚れていて、蒼ければ蒼いほど澄んでいるのです…」

 登紀子は外を見て言った。

「ねぇ、少し、歩きませんか?」

 行為が終わった後である。そのまま眠りにつきたいところであったが、美袋は登紀子の申し出を受け入れた。後どの程度、彼女の我侭を聞いて上げられるだろうか。

 二人は厚着をして外へ出た。晩秋の風は予想以上に冷たかった。美袋は登紀子に寒くないようにと付け加えた。登紀子は聞いているのか聞いていないのか、全く別の話し始めた。

「月の裏側って見たことがあります? 月はいつも決まった方向を向いているんです。裏側には何があるんでしょうね」

 月は、どちらが表か裏かは知らないが、兎に角、一方しか地球には向けないという。ならば、地球にあって、裏側など見たことがある筈は無い。

「私はあるんですよ。ある時、くるりと振り向いて、私を見て、哀しく微笑んだのです」

 なんてことだろうか。そんな訳は無い。見たとすれば、それは気が違っていたのだ。狂気が、本来あり得ないものを見せたのだ。

「そして、『私を忘れないで』と言ったのです。確かに言ったのです」

 登紀子の眼は真剣そのものだった。言い切る唇も、この時はきゅっと引き締まって、蒼い月の光を反射していた。まるで別人のようだった。美袋は登紀子のこんな顔ははじめて見た。こんなに真剣な顔ができるのかと、度肝を抜かれた。或いは、先ほどの登紀子の話しの月のようなもので、本来の登紀子の顔は、普段は裏側に隠れて見えないのではあるまいか。

「どこまで歩いても、月は私達の後を附いて来るでしょう? 月はきっと寂しいのですよ…だから、ずっと人の後をついて歩くのです。皆んな、大人になれば、忘れ去ってしまうから…」

 詩的な科白だったが、しかし、月は逆に追われる立場にもなるだろう。単なる現象としては、我々が反対に方向転換をすれば良い。また、譬喩的な意味でも、人類は遠い月に降り立つ日を夢見て幾度にも渡って、ロケットを飛ばした。

「また、理窟で考えてますわね? えぇ、もうそれを止めろとは言いませんわ。でも、忘れないでくださいましね。直観以外の方法で真実を見ることはできないと。下手をすれば理窟に合わないからと、事実を捻じ曲げることにもなってしまいますわ」

 なるほどそれには確かに一理ある。しかし、美袋は、登紀子が死ぬことによって、ある種の呪縛から逃れられるような気がして、少し複雑な心境であった。登紀子のことは嫌いではないし、言っていることも人として看過してはならないことだと認識している。しかし、どうしても煩わしいという気持ちを抑えることが出来なかった。これまでだって、何度も疑心に駆られたことはある。人には人それぞれの生き方がある…何もそれを他人に矯正されることは無いだろう…結局、美袋の結論はこうだった。それを知ってか知らずか、登紀子は、哀し気な眼差しを美袋に送っていた。

 

 登紀子が逝去したのは、初冬に差し掛かる頃であった。予想よりも圧倒的に早かった。もっと登紀子は生きても良かったはずなのに、それを待てなかったのか、晩秋に散り切らなかった枯葉と一緒に登紀子は旅立ってしまった。。

 登紀子の両親は哀哭していた。哀哭という言葉は古く中国の慣習によるのだが、顔を伏せ、声を上げてむせび泣くというのが、しきたりであった。何も古い慣習と言わずとも、哀しみを表現するのであれば、こうなってしまうだろう。

 しかし、美袋はそんな姿を見て心の裡で思った。こいつらは死体を前に何をやっているだろうか。死んでしまっては何をされても嬉しくも悲しくも無いのだ。そんなことをするくらいなら、生きている内にもっとしてやれることがあっただろう!

 登紀子の亡骸を目の前にする。もうこうなってしまっては、物体と違いは無いのですね。『これ』には、『これ』が横たわっている、ベッドほどの存在価値も無い。そう口走ると、同室に居た遺族から、追い出されてしまった。当然である。死者を冒涜することは人道に反することであるから。しかし、これは美袋の本質そのものをよく顕していた。

第四章へ