絵俐素はいつも通り家を出た。紺のブレザーに、腿が半分隠れるくらいのフレアスカートの制服に身を包み、革の鞄を右手にぶら下げながら、いつもの通学路を歩いていく。
空は抜けるように青く、所々アクセントのように雲がちりばめられていた。周りには同じく登校途中の生徒たちが、グループを作ってなにやら楽しげに会話をしている。
「平和だなあ……」
絵俐素は口に出して感想を述べた。
「ほんと、平和……」
一週間前とは打って変わっての平和な光景に、絵俐素はため息をつくばかり。
「いったい何だったんだろ……」
今でも、なぜ自分が転校生の双子のマンションに寝っ転がっていたのか、よく分かっていない。みどり達は学校の外をふらふら歩いているのを保護したと言っているが、なぜ校外をふらふらと歩いていたのか、なぜわざわざ双子のマンションまで連れていかれたのか、その他にも腑に落ちない点が山のようにあった。
だが結局の所、倒れるまでの記憶が混乱しているために、自分でも納得できるストーリー立てができず、いらだちながらも、曖昧な説明で納得するしかなかった。
だが、少なくとも自分が危険な状態であったことだけは確かなようで、それはみどりのあの喜びようからも明らかだった(しかし、それならばなぜ医者に見せようとしなかったのかは、大きな疑問であるのだが……)。
そんな疑問をのぞけば、とにもかくにも世の中は平和だった。あの、全校生徒を震え上がらせた連続(?)突然死事件も全く起っていない。まるで何事もなかったかのように思えるほどだ。
「……ま、いっか」
絵俐素は頭をかきながらつぶやいた。
結局、あの物語を引き渡すことはなかった。第一気がついた時点で既に時間オーバーだったし、たとえ時間が間に合ったにしても、その時には渡そうとする気が完全に失われていたのだ。
……大体……自分が満足できないものを渡したところで、納得できないしねえ……。
そんな風に思っていると、校門へと続く坂道にさしかかった。
その時、前の方で不思議な動きをしている女生徒の姿が見えた。彼女は絵俐素と同じく紺のブレザーにグレーのフレアスカートを着ている。短いスカートの中からスタイルのいい足がすらっと伸びて見えた。
彼女はお尻あたりを気にしているようで、しきりとスカートのすそを下に伸ばそう伸ばそうと手を動かしていた。そのたびに、腰近くまで伸びた髪が揺れていた。
絵俐素はしばらくその後ろ姿を見つめていたが、にやっと口元を歪めると、小走りにその女生徒の背後に近づき、そして……いきなり彼女のスカートをまくり上げた。
「きゃ!!」
女生徒は跳び上がって驚くと、慌ててスカートをおさえた。しかしその甲斐もなく、坂の下にいる人間全員にその中を披露することになってしまった。
「な、な、なにすんのよ!?」
その女生徒は振り返って絵俐素を睨みつけ、そしてぽかんと口を開けて硬直した。
「あ……ああ……」
「あんたこそ、なにもじもじしてんの、みどりちゃん?」
「あ、あんた!?……ス、スカート、め、めくって……なんで!?」
その女生徒……滝沢みどりはひどく動揺してた。そんな彼女を、にこやかに見つめながら絵俐素は言った。
「だって、あんまり可愛いかったもんだからさぁ……でもいったいどういう風の吹き回し?あらら、ルーズソックスまで……それにその短いスカート!あんた、足長いから目立ちまくりだよん?」
「そ、そ、それは……」
みどりが口ごもってうつむいた時、絵俐素の後ろから声がかかった。
「なんか……朝っぱらからえらいもん見せられちまったなあ」
「ひぃっ!お、お兄ちゃん!?」
みどりが悲鳴を上げて見るその先に、将介の姿があった。そしてその隣には啓吾の姿もあった……。
「さ、さ、さ、さ……」
「ゴキブリか、お前は……まったく、なんか早く家を出てったと思ったら……」
「ま、ま、ま、まさか……ささ、さっきの……み、見た!?見たの?!」
「ああ、ばっちり……なあ、啓吾?」
将介がにやついた顔で同意を求めると、啓吾はいつも通りの微笑を浮かべて首をふりながら言った。
「いや、僕は何も見てないけど……」
その言葉に、大げさすぎるほどのリアクションでみどりは息を吐いた。
「ああ、よかったぁ……」
「でもさ、ほんとなんで?嫌いだっていってなかったけ、そういうの?」
そう絵俐素が尋ねると、みどりはえらく動揺して叫んだ。
「べ、べつにいいでしょ!た、たまにはこういうのもいいかって思っただけよ!」
「似合いもしないのにな……」
ぼそっと言った将介の言葉に、みどりはむっとなって将介に詰め寄った。
「なんですってえええ!?」
「うわ!」
みどりに何かをされる前に、将介は絵俐素の後ろに隠れる。
「まったくもう……」
腰に手を当てて仁王立ちするみどりに向かって、啓介が声をかけた。
「ちゃんと似合ってるよ、みどりちゃん」
「え!?……ほ、本当ですか?」
みどりは啓介に向き合いながら、頬を上気させて聞き返す。
「うん、本当だよ」
「ああ……ありがとうございます……」
うっとりとなって啓介を見つめるみどりを、絵俐素と将介はにやにやしながら見ていた。
「ふうん……そういうことかい」
「知っててあんな意地悪言ってるでしょ?まあ、気持ちわかりますけどね」
「だろう?まあ、だからおもしろいっていうのもあるんだけど」
「わるいお兄さんですねぇ……」
「スカートめくりはだれの仕業だ?」
「それは……」
しばしにらみ合った後、絵俐素と将介は声をたてて笑い出した。
なにはともあれ、四人はしあわせだった。
なにがしあわせかの基準はそれぞれ違ってはいたが、それでも彼らはしあわせだった。
こうしてみんなが顔をあわせて、語り合うことができるのだから。
教室の窓枠に腰かけながら、木島隆は校庭を見下ろしていた。その傍らには、由莉と由魅が寄り添うように立っている。
「……それで本部はなんて言ってるの?」
由莉が詰問調で隆に尋ねる。
「今回の出動に関しては……任務終了ということだった」
双子に背を向けたまま、彼は答えた。
「それだけ!?たったそれだけ?これからはどうすりゃいいのよ!?まだ問題が解決したわけじゃ……」
「だからさ」
隆は由莉の怒りをそらすように優しげに言った。
「しばらくはここにいろということさ。休暇配置だと思えばいい、学園生活を楽しみたまえ……というのが教授のお言葉だ」
「それはまた……寛大なことで」
由莉は冷たいものを含んだ口調で言った。
「で?あのばか女の件はどうなのよ?まさか放っておけってんじゃないでしょうね?」
「僕はなにも聞いてないし、なにも命じられていない……」
隆は平板な口調で言った。
「そんな!?ちゃんと報告したの!?あとで絶対にトラブルの元に……」
「いいじゃない……楽しませてもらいましょうよ」
由魅は窓に近寄りながら嬉しそうな口調で言った。その見下ろす先に、みどり達の一行が歩いてくるのが見える。
「退屈しないですみそうだし、それに……」
「それに?」
由莉の問いに、由魅は微笑みを浮かべながら言った。
「もっと知りたいの、この世界を……これはそのきっかけになりそうな気がする……」
「由魅……」
由魅に気がついたみどりが軽く手を振る。それに手を振り返す由魅を見つめながら、隆はつぶやくように言った。
「世は全てこともなし、か……まあ、なにが天にいるかわかったもんじゃないが……」
どこからともなく鳥のさえずりが聞こえてきた。滅びではなく、夏を告げる鳥のさえずりが。
今日は一日、暑くなりそうだった。