「ふう……どう、後始末の状況は?」
あたしはタオルで頭を拭きながらラッキーに聞いた。ああ、今は現実空間よ。ちゃんと服も着てるし……って、ガウンの下は裸なんだけど。
「ええ……やっと落ち着きましたよ」
ラッキーはげっそりとした表情でそう言った。
「幸いデータ破壊とかは無いみたいです。でもどこに木馬やらいないとも限らないですからねえ……スクリーニングには時間がかかりますよ」
「それは大丈夫だと思うわよ。余裕無かったろうしねえ……あ、ありがと」
リックが持ってきてくれたジュースを受けとる。
「それに話してみた限りでは、"正統派"のハッカーみたいだったしね」
「"正統派"ねえ……絶滅品種ですね、そりゃ……ふうん、確かに途中経路以外のシステムにはブロッカーを配置しただけで、それ以上の動きはしてませんね……データはコピーしても破壊はしない、まさしく正統派だ、こりゃ」
「そして、真性のアナーキスト……いや、リベラリストですかね?」
リックの言葉に、あたしは笑いを含んだ声で答えた。
「あたしのものはあたしのもの、他人のものもあたしのもの?」
「そりゃまた、ずいぶんと欲張りですな」
「そうね……あ、で、相手突き止めた?」
そうラッキーに尋ねる。
「ええ、確認できましたよ。アクセス元はトーキョーでした。ほんとかどうかは今現地の調査員に指示を出しましたが……とんでもない相手ですよ、ほんとだとしたら」
「へー、どれどれ?」
モニターをのぞき込んで、そのパーソナルデータを眺めた……おやまあ。
あたしは手を叩いて大げさに驚いてみせた。
「Wow!ごっつい話だねえ……どう思う、ラッキー?」
「別にこんくらいの話は珍しくなんかありませんがね」
ラッキーは悔しそうな顔で言った。
「こんな小娘にひっかき回されたなんて、ショックですよ……」
「まあまあ、落ち込むのはこのプロファイルが本当かどうか確認してからでもいいでしょ?どっちにしてもこれくらいの能力者は滅多にいないけどね……」
「ま、まさか会長?こいつを引っ張るつもりじゃないでしょうね!?」
「さ、どうかしらね」
変に動揺するラッキーに、あたしは意味深な視線をくれた。
「ラッキーより使えそうだしね」
「ひでー!」
「さ、首になりたくなかったら作業に戻りなさい!スケジュールの遅延は一切認めませんからね!」
「おにー!!」
あたしはラッキーの抗議を無視してその場を離れた。後にリックがついてくる。
「"TOWER"のテスト結果は出た?」
「ええ。予想以上ですよ。安定性には問題は見られませんでしたし、それよりもデータ交換が高レベルで行われ、なおかつエラーが無かった事が最大の収穫でした」
「ふうん……」
「なにか、うれしそうじゃありませんね」
「まあね」
あたしは腕組みをしながら言った。
「フィルター無しでアクセスしてた感じだったしね……感覚変換システムも交換可能だったでしょ?」
「はい、それも確認しています……でもそれが確かだとしたら、ひどいことになっていると思いますよ、向こうは」
「ま、それは自業自得って奴でしょ……そういえば、変換システムを開発したのはポイニクスだったわね?」
「はい、すでにうちの資本傘下です」
「……もう一度、調査して。特に開発メンバーの洗い直しを」
「わかりました」
「じゃ、あたしは自分の部屋に戻るわ。あとよろしく」
「はい」
リックが小走りに去っていく。
あたしはガウンのポケットから端末を取り出すと、エリオットに電話をした。
「あたし……ええ、うまくいったわ。それでね、相談したいことが……」
はあ……この"EE"様ともあろうものが……ここまでずたぼろにされるとは……とほほほ。
あの日……そう、インフィニットのシステムに侵入し、好き勝手し放題だったあの日から、もう二週間が過ぎた。その間世間では大したことは起きてはいない。
でもあたしは……身動きできずにずっと部屋にいた。別にやり返されて腐ってたわけじゃない……動きたくても動けなかったんだい!
感覚変換が完璧過ぎるほど効いたおかげで、もうほっぺた腫れちゃって、もう痛くて痛くて……おまけに頭はがんがんするわ、身体はだるくて思うように動かないわと……ご飯食べるのも億劫なくらい気持ち悪かった……うええ。
レイン姉様の宣伝文句は過小評価もいいとこ!マジで張り倒されたかと思ったわよ、あん時は……くそー、動けるようになったら文句言いに行かなくちゃ……。
しかし、あそこまで完成されているとは思わなかったな。
"TOWER"か……感覚変換システムを供えたフルレンダリング環境……楽なんだろうなあ……あのレスポンスの良さ、感覚変換やレンダリングの細やかさ……どれくらいマシンパワーつぎ込んでるのかなあ……あそこまで作り上げられたシステム……ああ、でも……あたしには到底手に届かない世界だわね……あたしには頭と手だけがいいとこか……。
それにしても……"Rapunzel"ねえ。まさかそんなのが出てくるなんて思わなかった。
伝説の魔術師か……もういい年のはずよね……あのペルソナじゃ、相当さば読んでるんじゃないのかな?ははは……って、完璧に負かされたあたしが言えるようなことないけどさ……。
でも……大丈夫かな?ダミーもガーディアンも役立たず……もうこっちの事はばればれ……でもまあ、二週間何も音沙汰も無かったし、なんでもないんだろう、うん。そうでも思わなきゃやってられないよ……あたしなんて、所詮その程度の腕しかないってことか……。
その時……ぴんぽ〜んとドアのチャイムが鳴った。なんだろう?
重い身体を引きずって起き上がると、壁面のモニタを見る。そこにはマンションの入り口が映し出されていて、チャイムを鳴らした人物が映されている……運送屋?
「なあに?」
インターフォン越しに声をかけると、そのあんちゃんは帽子を取って丁寧な口調で答えた。
『お届けものに上がったのですが……』
「誰から?」
『インフィニット社様からです』
「インフィニット!?」
げげ、一体なにを送ってくる!?なにも頼んでないぞ……まさか爆弾とかじゃないでしょうね……!?
『あの……伺ってもよろしいですか?』
「へ!?……あ、ああ、うん、そうね」
ええい、今更逃げようったって無駄だわ。なんとでもなれ!
「いいわよ、今開けるから……で、どのくらいの荷物?」
『かなり……大きいですけど』
かなりねえ……まあ、二部屋空いてるから……。
入り口のロックを解除すると、あんちゃんは一礼して画面から消えた。取りにいったんだろうな……って、なんだありゃ!?
モニター画面の中を横切ったもの……それは大勢のあんちゃんに運ばれる大きな荷物の山……おいおいおいおいおい、あんなもの運び込むつもり!?どう見たっておっきなソファが三つや四つは……。
そうこうするうちに、玄関側のチャイムが鳴った。うう、どうしようどうしよう……ああ、もう!
どたどたと玄関に急ぐ。そして思い切りドアを開け放った。その向こうには……。
「いま、お運びしますので!」
と、実にさわやかな笑顔の運送屋のあんちゃん……教育がいいんだろうなあ……って、見とれてる場合じゃない!
「そ、それはいいけど、どのくらい荷物あるの?」
「ええと……」
そう言ってあんちゃんは胸ポケットから送達状を取り出した。
「奥の部屋になら入ると言われているのですが……」
「え?」
渡された送達状を見ると、そこには部屋の見取り図があって、なんか空き部屋のマークがしてあった。こいつは……ここに置くつもり?一体いつの間に間取りなんか調べてるのよ!?うわ……これだったら爆弾しかけられる方がまだましだわ。
しかし、このままにしておくわけにもいかないしなあ……ええ、ままよ!
「わかったわ、運びこんで!」
「はい!」
かくして搬入が開始される。指定されていた部屋は八畳くらいの部屋で、コンクリートの打ちっ放しという殺風景な部屋。どうしようかを悩んでいたとこだったんだけど……こりゃあ、なんだ?
運送屋はあたしのサインを要求した後、さっさとゴミを持って部屋から出て行っていた。考えてみれば、こんな変なものを組み立ててていったということは、インフィニットの社員かなんかだったのかな?
だとしたら……ううん、だとしても、これは一体なんなのよ?
それは太くしたバナナみたいな形状で床におかれた台座の上に据えつけられている。人一人が楽に入れるような大きさ。金属製で、表面はメッキ処理されていた。そしてそのトップにはハッチがついていて、今は開け放たれている。
中をのぞくと……中は空っぽだった。ここに入るのかなあ……でもこの大きさだと寝ないとおさまんない……そういや、マニュアルがあったっけ。
バインダを開くと、インフィニットの社章が真っ先に飛び込んできた。無限を現すメビウスの環とウロボロスの蛇をあしらったもの……。
更にページをめくると、手書きのメモが見えた。
なになに……
『親愛なる"EE"へ』……親愛なるぅ?"EE"?これって……まさか!?
『あの日以来心配で心配で仕方ありませんでした。もうお体の具合はよろしいでしょうか?そこでお見舞いと言ってはなんですが、贈り物をお届けいたします。これを見ればきっと元気になると信じております。貴女の方でご確認いただけましたら、必ずや気に入ることでしょう。それではお会いできることを楽しみにしています』
丁寧な文章だけど、なんかしゃくにさわる。この感じ、やっぱり……。
そして最後に記された署名……それは、流暢な筆記体でこう記されていた。
『Felicia Sibelius』
……それはインフィニット社の会長の名前……そうか……そう言うことなのね……うううう……馬鹿にして〜!!
ええい、文句言っちゃる!絶対文句言いに行っちゃる!
ああっ!こいつを使えばいいのね!?くそー!こんな装置反則だぁ!これなら全身の感覚変換が容易に……。
よし、電源接続……タンク注水……データ注入開始……ソフトウェアセットアップ……。
そして……生体スキャンか……なんで裸にならないといけないのよ、まったく。誰も見てないけど……恥ずかしいじゃないのよ、もうっ!
……でも……ああ、なんだか気持ちいい……ふわふわ浮いてる……なにも感じない……外からはなにも聞こえない……自分が広がっていく……広がる、外へ……意識が、限りなく広がっていく……あたしが無くなって、別のあたしになっていく……でも、あたしはあたし……あたし以外の何者ではない……。
我は、ありてある者なり。
あたしはゆっくりと目を開けた。うーん、なんか変な感じだ。これまでは手と頭の感覚しかなかったのに……以前とは比べほどにならないほど感度が上がってる!まあ全体的にはまだぼやけているけど、確かに全身を感じる……って、げげ、あたしすっ裸じゃないの!?
そっか……今まで頭と手だけしかなかったから他の部分がなおざりに……ええい、服だ服!あー、制服のデータしかないや。ええい、しょうがない、これで行こう!
……あー、やっと落ち着いたぞ。さてとここは……あたしの部屋?ああ、違う。あたしのホームディレクトリだ……見慣れた風景……そうよ。それだけのためにどれくらい時間とマシンパワーをつぎ込んだことか。それがまあ……インタフェースとレンダリングエンジンを変更しただけで、速度稼ぎのためのワイヤーフレームレンダリングがいとも簡単にフルレンダリングできて、それでいてレスポンス低下がないなんて……なんてパワーなの?!
体が軽い……なんでも出来ちゃうような気がする……あはは、すごいすごい!これがあればあんなドジは踏まなかったのになぁ……。
でも……なんでこんなものを送ってきたの?盗みに入ったあたしに?
……ふう。どうやらアクセスしにいくしかないようね。
とその時、どんどん、と部屋のドアが叩かれた。
へ?ドアなんて作った覚えは……でもあるな。あ、また叩かれた。そして、がちゃ。
……なんだ、あれ?
ドアの向こうから現れたのは……ハムスターだよねえ、やっぱり。でも普通のじゃないな。あたしと似たような大きさだもの。
そのハムスターは手に何か持っていた……封筒?
そいつはあたしに近付くと、立ち止まって封筒を差し出した。そして愛くるしい目であたしをじっと見つめる。うーむ……かわいい……。
ちょっと迷ったけど、あたしはその封筒を手に取った。するとハムスターは嬉しそうにちーっと一鳴きして、そして元来たようにドアをくぐって消えていった。とたん、ドアも消え失せる……って、どこでもドアかいな。
ん?なんかどこかで見たような……。
そういや昔ああいうのが流行ったそうだけど……人間大だとちょっと退くなあ……でも可愛かったから、いいか。
あらためて封筒を見た。白の何の変哲もない封筒。宛名には……"EE"へ、とある。ああ、やっぱりね。差出人名はないけど、誰から来たか考えるまでもない。
封筒を開けると、二つ折りになったカードが出てきた。招待状ってやつね。それを開くと、中から鍵が出てくる。
……来いって事か。ふん、わかったわよ。こっちの動きはお見通しって訳ね。わかったわよ、会いに行ってやろうじゃないの!
あたしは鍵を宙に突き出して開けるまねをした。すると目の前に扉が出現する。ほんとにどこでもドアだね……じゃ、行きますか。
ノブに手をかけて扉を開けると、向こう側に見たことのある光景があった。ああ、あのアーカイブかぁ。中に入ってきょろきょろ辺りを見回す。うーん、全然変わってない。たたみいわしが一杯……。
「ずいぶんと遅かったのねぇ」
いきなり頭上から声をかけられた。見上げると、むちゃくちゃ長い金髪を身体にまとわりつかせた十五、六の少女が、宙に浮きながら腕組みしてあたしを見下ろしていた……"Rapunzel"だ。
「もっと早く来るかと思ってたのに……待ちくたびれちゃったわ」
「せっかく来てあげたのに、なんて言いぐさよ!」
あたしは舐められないように気張って言った。
「それにしても、"Rapunzel"がインフィニットの会長とは恐れ入ったわね」
「それはどうも」
天使の微笑みを浮かべながら彼女は言った。
「これでさばは読んでないし、ちゃんと女だってことがわかった?エミリー・アイダさん?」
「わー!その名前で呼ぶなあ〜!!」
「え?どうして?」
「ど、どうしてって……リアルスペースとサイバースペースで使い分けてるのよ!だからここではあたしは"EE"なの!わかった!?」
あたしの剣幕にきょとんとしながらも、彼女はわかったと言ってくれた。
ふう……ま、一応けじめつけとかないとね。無茶がきく世界と無茶のきかない世界を隔てるための、あたしの中の境界線……。
「それで"SHELL"の使い心地はどお?」
「しぇるぅ?……あの日焼け機みたいな奴?」
「そうよ。あたしからの贈り物……気に入ってくれた?」
「そりゃあまあ……最初は裸で不安だったけど、前使ってたハードとは格段の違いね。気に入ったわ」
「そう。それはよかったわ」
本当に嬉しそうに彼女は笑った。でもなあ……。
「でもなんで?あたしみたいなのにそんなもの送ってきたの?あんたも使ってる奴なんでしょう、これ?むちゃくちゃ重要なハードを、なんでまた侵入したあたしに?」
すると彼女は悲しそうな顔をした。
「あらあら……わかってくれなかったの?」
「へ!?そ、そう言われても……」
「あなたのことを認めたってことじゃない」
「え?」
「あなたには"TOWER"のシステムにアクセスする資格があるってことよ」
「"TOWER"?このシステムの名前?」
「そう!」
彼女は両手を大げさに広げながら叫ぶように言った。
「かつて大勢の人間が夢見た電脳空間の再現!すべての人が全く平等な条件の元にコミュニケート可能なインタフェース!望めば全てが手に入る世界……それが"TOWER"!!どう、素敵だと思わない?」
金色の目がきらきら輝く。自信に満ちあふれた表情……天才ってこういう人間のことを言うんだろうか?
あたしにはそこまでの自信はない……最初は大した動機じゃなかったんだ。昔から開発されてきたヴァーチャルリアリティ……それをあたしもやってみたかっただけなんだ。それに人間の感覚をフィードバックする……そんなシステムのことを知った時も、ただあたしもやってみたかっただけなんだ……あたしにはなんの計画性も目的も持ち合わせていなかった。人もやってるから自分も……ただそれだけだったんだ。
でも……。
「あら?ねえどうしたの?なに黙っちゃったのよ?」
"Rapunzel"があたしの所まで降りて来て、顔をのぞき込んだ。
「なんか調子が狂っちゃうなあ……ねえ、なんとか言ってよ?」
「……ほんとにここにアクセスしていいの?」
「え?ああ、まあ、条件が無いこともないけど……」
「いじり倒していいのね」
あたしは顔を上げて"Rapunzel"を見つめた。一瞬たじろぐ彼女。
まあ、無理もない。あたしは……そう、あたしは、それこそ逝っちゃったような目で彼女を見つめていた。
「なにもかも"ハック"してかまわないのね?全てが明らかにされても、かまわないのね?なにもかも……」
そう……あたしは知りたいんだ。きっとそれは自分が何者であるかという不安から来るものなのだろうけど……コンピュータの世界には、必ず答えがある。必ずデータという形で存在している。全てがそこにあるわけではないにしても……真実のかけらくらいはあるんじゃないだろうか?
だからあたしは……せめてそこでだけでも、確かなものを掴みたい……そう思っているから、あたしは世界を"ハック"する……。
すこし狂喜を含んだその視線に、さしもの彼女も……いや。
笑っている……彼女は笑っていた。あたし以上に狂喜に満ちた目で。
「そうね……出来るものならハックしてみなさいな。出来るものならね……」
「……」
「ま、せいぜいこのまえみたいにならないように気をつけるのね。まず無理だろうけど」
「くう……」
そうだよ……絶対おかしいわよ!!
「あんた、裏技か反則使ってるでしょ!?」
「なんのこと?」
「とぼけんじゃないわよ!なんでルート握ってたあたしが自由を奪われるのよ!?OSになにか細工してあるんでしょ?まったく、OSの開発元だからってそんな機能つけといていいと思ってるの!?」
「あらあら、おっしゃいますわねえ……」
おもしろそうな表情を浮かべながら、"Rapunzel"。
「不法に侵入しておいてよくもそんな大口が……」
「なによ!穴が開いてたのはどっちの責任なのよ?大した管理者いなのねえ、インフィニットって!」
さすがにむっとした表情を浮かべる彼女。
「ふん。確かにあたしの眼鏡違いかもね。でもいくら穴が開いてたって、あたしにかかればどうってことないのよ?なんだったらまたロックしてあげようか?」
ぐぐ……やばい。対処方法もまだわかってないのに喧嘩売るわけにはいかない!今回は全身あるからなあ……何されるかわかったもんじゃないし……。
「け、結構です!ごめんなさい!許してください!」
「まあ謝るんだったら……」
ほっ……。
「ああ、あやうく本来の目的を忘れるところだったわ」
彼女はぽんと手を叩く。
「目的?」
「そうよ。ただあなたをおしゃべりしたいから"SHELL"を送ったわけじゃないの」
「まあ、そりゃあ……で、なにが目的なわけ?」
「スカウトよ」
「スカウトぉ?」
「さっき言ったでしょ?"TOWER"にアクセスする資格があるって」
「ええ、まあ。で?あたしになにをさせようって言うの?」
「もうわかってると思うけど……あたしはあなたのことは調べたわ」
「……そりゃ、部屋の間取りも知ってるくらいだもんね」
「そういうこと」
にこやかに笑うなぁ〜。
「ま、ハッキングの証拠は一杯あるわけで、いつでも告発できる状況にあるわけ。だから……」
「もういいわよそんな説明!わかってるからさっさと用件言ってよ!」
「あ、そう?いやね、これからこのシステムをコンシューマー用に改造しなくちゃいけないんだけど、人手足りなくてね……」
「手伝えって……?」
「そう、そうなのよ!」
予想通りか……あんまり嬉しくないなあ。
「コアシステムを理解できるのってそんなにいなくてね。まだまだ調整が必要で……スケジュールも押しててね……いいでしょ?」
「……どうせ拒否できないんでしょ?」
ふてくされたようにあたしが言うと、彼女は満面の笑みを浮かべて断言した。
「ええ、その通りよ」
まったく……最初っからそのつもりだったなぁ?それにまんまと引っかかって……でも自爆だから文句も言えやしない……。
「はいはい、わかりましたよ……」
「なあに、そのなげやりな態度は!?」
"Rapunzel"は憤慨して言った。
「これだけのシステムを切り回せるのよ?それを鼻でくくったような態度とられると、あたしもちょっと考え直さないといけないかもね……」
「か、考え直すって……!?」
「たとえは御手当てとか……」
「え?なんかくれるの!?」
あたしは"Rapunzel"に詰め寄った。
「な、なによ!?現金ねえ……」
「もらえるモノはもらっとかないとね……楽してるわけじゃないし」
「はいはい……わかってるわよ。そのかわり、仕事はきついから覚悟しておいてね」
って……ウインクされてもなあ。
「あ〜あ……やっぱり来るんじゃなかった」
「ほらほら、腐ってんじゃないわよ!」
"Rapunzel"は明るく言って、あたりを指差した。
「これだけのものをぶんまわせるのよ?こんなのそうそうあるもんじゃないわ!」
ま……確かにそうだわよね。
なにしろ現実世界をそっくりそのまま再現しようなんてプロジェクト、あるわけないわよねえ……それをぶん回せるってのも、ごっつい話だわよね。
そんなに悪い話でも無いのかもしれない……とりあえず、今悲観する必要はないんじゃないかな?
ま、やるだけやってみるわ!
「そうね……ごっつい話だよねえ」
「と、ご理解頂いたところで……早速いってみましょうか」
「え!?今から!?」
「あたりまえよ!スケジュール押してるんだから……」
「だ、だって!この……"SHELL"だっけ?まだ慣れてないし微調整終わってないし……」
「そんなものは習うより慣れろよ!さあ、来なさい!」
うわ、首根っこ掴まれた!引きずられる〜!
「ちょ、ちょっと待ってよ〜!?心の準備が〜」
「問答無用!きりきりいくわよっ!」
しかし抗議は認められることは無く、あたしはなす術無く引き回されてしまった……。
あ〜あ……これから一体どうなるんだろうねえ……?
それから二ヶ月ほどたった頃……あたしはリビングで座椅子に座りながらテレビを見ていた。
モニター画面にはなにやら記者会見のような光景が映し出されている。というよりは、なにかの発表会みたいだな。そう、これから発表があるのだけれど……お、始まるな。
シャッターのたかれる中、幾筋ものスポットライトがステージを照らす。その光の中を一人の男が歩いてくる。とっても背が高くてハンサムなおじさま風な人……なんかいいかも。
彼は並んで演壇に立つと、会場のざわめきを手で押さえた。
『本日はお集まり頂き、ありがとうございます』
その男、インフィニット社長、エリオット・レヴィンスキーはにこやかな表情で言った。
『このたび当社では、新たなネットワークサービスを世界同時展開することになりました』
会場にどよめきが走る。新製品か何かの発表があるとは聞かされていたが、すこし話が大きかったらしい。
『全く新しいインターフェースを備え、全く新しいコミュニケーションを提案する、その名も"TOWER"!』
演壇の背後にあるカーテンが開き、そこから……リクライニングシートみたいな装置が現れた。そしてその後ろには巨大モニター。
『この"TOWER"はここにある"SHELL"インタフェースを介することにより、ネットワーク上に再現された三次元空間内を自由に行動することが出来る……そう、まさに自由な行動が可能なのです!そこには現実世界とはなんら変わらない世界が実現されています。これは、新たな現実、新世界の誕生なのです!』
会場は声を失っていた。どういうものだか想像がつかないんだろう。
『えー、後ほど皆さんには実際に体験していただきますが、その前に会長のご挨拶をお聞きください』
すると、巨大モニターに画像が現れた。中には如何にも3D画像な人間が映っている。メッシュも荒いし、かくかくしている。テクスチャマッピングもずさんだ。
が、次第にそれはレンダリング精度をあげていった。メッシュは細かく、マッピングも精密になっていく。背景のレンダリングも始まった。どこかの研究所みたいだけど……。
そうして人体モデルは明確な姿を現し始める。それは真っ赤なスーツ姿の、ブロンドの長い髪の女性だった。それはまるで本当の人間のような質感を持っていた。まあ、今どき珍しくもない技術だ。
"彼女"は目を開けてぱちくりさせると、会場の中を見回した。
『皆さん、こんにちわ』
それがインフィニット会長兼CEO、フェリシア・シベリウスだった。とはいっても、明らかにデジタル画像ではある……。
『本日はお集まり頂き、感謝の意を表したいと思います。今皆さんがご覧なさっている映像は事前に収録したものではありません。そして、単なるアニメーションでもありません。私の行動をリアルタイム収集してリアルタイムレンダリングを行っていますが、それは身体中に光学センサや磁気センサをつけた、古くさいスタイルではありません。あたしたちはただ、そこにあるシートに座るだけで、この、あらゆることが可能な世界へと旅立ついことが出来るのです』
彼女の指し示す先に、リクライニングシートがある。
『お疑いは後ほど実際に体験なさって晴らしていただきますが……この映像をご覧下さい』
モニター内に子ウィンドウが開き、その中には……シートに座るフェリシア・シベリウスの姿が映し出されていた。
『このように……私は会場内で実際システムを実演しております。近年の医学の進歩がこのようなインタフェースを可能にしたのです。我々はこれを、全世界で一斉に展開いたします。全ての人々に平等な世界を提供する"TOWER"……これこそ次世代のネットワークシステムなのです!』
一瞬の静寂の後、会場内は万雷の拍手で覆われた。
それを自信満々に見つめるフェリシア。
……いいわよねえ、晴れ舞台で意気揚々と。
あたしはせんべいを口にくわえながら心の中で呟く。
そのせいであたしはひどい目に遭ったんだから……ただ働き同然にこき使われてさ。さっきのレンダリングエンジンだってあたしが手を入れた奴なんだから……。
でもまあ……こんな大舞台で公開されるのは、なかなか嬉しいものがある。あたしが作り上げたものが、確かにそこにある。そして今世界中で見られている……こんなに気分がいいのは久しぶりだ。
その点ではまあ……感謝してる。
だからいつか……何らかの形でお返ししてあげたいんだけど……当分無理だろうな。
何はともあれ、これからが大変だ!サービスイン直前が一番忙しいんだから……。
その時、隣の部屋への入り口の上に設けたランプがチカチカ光った。
ほらやっぱり!
あーあ、呼び出しだよ……人使い荒いよねえ……一体なのよ!
はあ……いつか自由の身になるために……今日の労苦に耐えなくちゃね。
それでは、いきましょうかね……。
新世界へ。