のぢしゃ工房 Novels

e.e.e.

Layer01:Constructors

ふああ……むにゃむにゃ。

ああ、どうしてこう眠たいんだろう……春先ってわけでもないのにさぁ。

授業は相変わらずつまんない。受験数学には興味ないしなぁ。

じゃあなんでいるのかって?暇つぶしよ、暇つぶし。出席日数稼ぐには好都合。

それにしても下手な先生。これじゃ上手くなるものも上手くならないわね。ま、それを期待してこの教室にいるのは誰もいないだろうけど。

あともう少し……ふああ。

あ、チャイム。

「きり〜つ」

気のない号令で一堂、起立、礼。

これでこの時間は終わった。しかし、次の時間が待っている。

「ねえ、エミリ〜」

眠ったような声が後ろからする。ミキだ。今じゃさすがに言わなくなったけど、コギャルだのといった典型的なスタイルをしてる。短いスカート、わけわかめなアクセサリー類、そしてどこ人だってくらいに日焼けというよりは真っ黒な肌……おえ。

「なに?」

つっけんどんにいうと、甘えたような声でミキが言う。

「ひまだったねえ」

うあ……そんなこというだけで声かけてきたのか、こいつ?

「そうだねえ……」

適当に返事をする。あたしは暇だったわけじゃない。睡眠時間を稼いでいたのだ。

でもそんな事は言わない。関係ないもんね。

その時ページャーが振動した。ブレザーの胸ポケットから出して発信元を確認する。

……にや。

あたしはやおら立ち上がると机の上を片づけ始めた。それを不思議そうにミキが見つめる。荷物はちゃちゃっと鞄につめて、あたしは教室の出口向かって歩き出す。

「ちょっとぉ、ふける気ぃ?」

相変わらずの甘ったれ声でミキが聞くけど、適当に手をふって、適当に答える。

「身体弱いのよね、あたしってさ……じゃ、そゆことで」

ミキはさらに何か言ってたようだけど、もうあたしは聞く耳は持たない。

あたしの居場所は、ここじゃぁない。


今の高校を選んだ理由ってのは単純な話で、ロケーションが良かったことだ。歩けばものの十分でアキバに行けるなんてのは他にはなかったから。ちなみにあたしの歩く速度は人の倍はあるので、時間は参考にはならないけど。

そうそう、自己紹介がまだだった。お約束は忘れちゃ駄目よね。

あたしの名前はエミリー・アイダ、15才。高校二年。ん、年の計算が合わない?ああ、それは飛び級してるから。頭いいのよ、あたしってさ。ま、それはそれとして。

見栄えはまあ、自分で言うのも何だけどけっこう可愛いと思うけどなあ。背は160ちょっと、まあ高い方じゃない。プロポーションは……発展途上かな?髪は白がかったブロンドのショートで、耳の下でばさっと切りそろえてる。今着てるのは学校の標準服って奴。意外とかわいいので気に入ってる。緑の紋章付ブレザーに白のカッターシャツ(首元にフリル付)、スカートはタータンチェックのフレアスカートで長さは膝のちょっと上ってとこ。靴は茶色の革靴で、白のソックスをくるぶしあたりで折り返してる。ルーズは試しに履いてみたけど、ありゃだめだね、めんどすぎる。なんであんなのがスタンダードなんだか……ま、いいか。

坂道をくだってガード下をくぐる。目の前に現れる雑多なビル群。行き交う大勢の人達。ここ何年も変わらない風景……アキハバラだ。

21世紀に入っても役割自体はあんまり変わってない。依然として、ありとあらゆるメディアの先端を走る街だ。多少小綺麗にはなっているけど、雑然としているのは今まで通り……って、半分はパパからの受け売りだ。第一、20世紀のアキハバラなんてあたし知らないし〜。

さて、あたしの目的地は中心地からは離れた、棒みたいな雑居ビルの並ぶ界隈だ。この辺りには未だ小さなショップやパーツ屋が店を開いている。まっとうな店ばかりじゃないけどね……。

とと、ここだここだ。

あたしの目の前には、ビルとビルとの間の隙間があった。人一人がなんとか通れそうな隙間だ。あたしは蟹が歩くみたいに横になってその隙間に入ろうとした。

……ぐ……む、むねが……つかえるぅ〜。

背中はびったりとビルの壁にくっついててこれ以上は無理。かといって前の方は……胸の先が壁をこすって……ああん……う、き、気分出してる暇はないのよぉ〜。

はあはあ……なんとか抜け出せた。うーむ、先週はうまくいったんだけどなあ……うむ、順調に発育中ってことね。でもこの分だと……今度来るときは通れないかも。

抜けた先は中庭みたいにぽっかりとスペースが空いている。そこに一か所だけドアのある壁があった。あたしは胸のほこりを払いながら、そのドアに向かう。ドアには"Hancock"とかかれたプレートがかけられていた。

あたしはそのドアは無造作に開ける。ぎぎぎぃっと耳障りな音をたてながらドアが開くと、ささっと中に入った。

中は薄ぼんやりとしててよく見えない。いかにもジャンク屋といった感じで、得体のしれない機械類が無造作におかれている。道らしいところを奥に進んでいくと、明かりのついた一角があった。そこで大きな何かが動いている。

エミリーとレイン

「おばちゃーん、来たよ〜」

あたしがそう声をかけると、それはくるりと向きを変えてこっちを見た。同時に部屋の明かりがついてそれは明らかに……うげぇえ。

「おばちゃんじゃないよ!失敬な!!」

その肉の塊……この店のオーナー、レイン・ハーン……はそう言って怒った。

そうねえ……KONISHIKIの女版って感じかなあ……体重は優に二百キロは越えてる。そんなもんだからろくに動かないで、日がな一日店の中の回転椅子に座ってなにやらやっているのだ。

「お姉さんとお言い」

……うーむ、言い方が既におばちゃんなんだけど……まだ30前だって言うだけど、どうだか……。

「はいはい……レインお姉様、お呼びになったのはどういうご用件で?」

「とげのある言い方するんじゃないよ……ほら、お前さんが探してたものが見つかったんだよ」

「わお」

一応驚いてみせるけど、もちろんそれが分かっててあたしは来たんだよん。

「まったくこの子は……」

レインはリモコンを手にしてスイッチを押した。するとうぃーんって音がして、天井のレールが動いてきた。それは彼女の上で止まり、上からなにか降りてくる。それを手にとってあたしの方に差し出してきた。

「ほら、こいつさ……苦労したよ。研究所の試作品流れを捕まえてね……」

「ええ〜、それってやばいんじゃない?性能的にさあ?」

あたしは差し出されたそれをじっと見つめる。そうねえ、いわゆるヘッドギアって奴かな。頭にかぶれるやつ。

「大丈夫さ。試作流れといっても試験データやなんかは折り紙つきだよ。取説まであるんだ……大判振る舞いだよ」

「はあ……」

取説まであるんだったら……ま、いっか。

「じゃあいいけど……確認してからね」

「あたしが信用できないってのかい?!」

「念のため、だよ」

あたしはウインクして言った。

「今日中に確認するから、できたらすぐ振り込むわよ」

ブツを奪うようにして手に取ると、あたしはそこから離れた。

「じゃあね!」

「あ、ちょいと!」

とにかく、逃げる。長々といると何手伝わされるか分かったもんじゃないもんね。

「またね!」

ばたん!

有無を言わずドアを閉じる。なかからまだどなり声が聞こえてくるけど、無視無視!

さあ、家帰ってセッティングだぁ!


あたしの家は中央線沿線の、駅から歩いて10分といったロケーションにある。ま、あたしの足で10分だから、結構遠いかもね。

家はマンションだ。ワンルームじゃないぞ。5LDKの高級マンションだったりする……もちろんあたしの個人持ちじゃない。パパのをあずかってるってところ……。

パパ、パパいっても変な意味じゃないぞ……はあまったく……なんでんなこと説明しなきゃならんのだ……これだから馬鹿な奴はどこまで言っても馬鹿な奴だと……。

ああ、いかんいかん。そんなことで頭を使ってる暇はない。さっさと入ろう。

でも……一人暮らしをするにはいくらなんでも広すぎるわねえ〜。リビングは12畳もあるのにソファが一つとテレビが一台……うーん、寒い風景だ。でもしょうがないのよね〜、普段はここにいないから……。

五部屋の内、3部屋はほとんど使ってない。あとはあたし用のベッドルームと、マシンルームだ。とりあえずベッドルームかな。

広さは10畳ほど……ダブルベッドに勉強机、本棚、作り付けのクロゼットと、取り立ててどうということの内容だね、こりゃ。とりあえず鞄を置いてと。それから服も着替えて……よいしょっと……ごそごそ……ふう。タンクトップにジーンズ地のショートパンツだ。これからいろいろごちゃごちゃやるから、楽な格好じゃないとね。

さて、さっきもらったパーツを持ってと……隣の部屋に行くとしよう。

隣の部屋はマシンルームになっている。マシンルームというと……別にミシンが並んでいるわけじゃない……うーん、寒いなあ……要するにコンピュータが一杯あるところってこと。で、その内容はと言いますと……。

がちゃ。……うう、ちと寒い。なんせエアコン寒い方に入ってるしなあ……お、動いてる動いてる。

中はエアコンと冷却ファンの作動音で一杯だった。壁面にはずらりとタワー型の筐体が並んでLEDをぴこぴこ光らせている……なにをやっているのかはまだ秘密だ。

部屋の広さは10畳程。壁にはさっき言ったようにマシンが埋め尽くしている。部屋の真ん中には座椅子があって、その前に小さなテーブルが置いてあって、その上にはキーボードとプラズマディスプレーが鎮座している。あと、工具やら雑誌やらが床に散らばってるけど……出るとき片付けよう。天井には無数のワイヤーが張り巡らしてある。LANケーブルとか、電力線とか、通信線とか……もうちょい整理しないとなぁ。

ヘッドギヤをテーブルの済隅において、座椅子にどっかと座り込む。キーボードを叩くと、待機状態だったディスプレーが光だし、何かを写し始めた。いわゆるGUIだね。

今の時代、パーソナル用OSは実質的に共通化されている。インフィニット社のインフィニットOSがそれだ。こいつはAPIセットを公開していて、それが標準化されているので誰でも互換OSを作ることができる。で、互換OSを出してる所もあるにはあるんだけど、シェアの大半をインフィニットが握っているのだ。

昔ならここで独占禁止法の餌食になっている所なんだろうけど、そういう話は一度もない。というのも、インフィニット社自体はOSの開発とソフトウェア研究だけで成り立っているので、昔あった会社のようにOSを盾にアプリを売って儲けるなんて真似はしてないし、APIセットそのものはインフィニットを含めた標準化団体で決められているので、独占的な活動はできないようになってる。それでいてシェアのほとんどを握っているというのは信じ難いことなんだけれど……インフィニットOSがインフィニットが開発したOSだってこと、OS絡みの最近の特許を握っていること、そして……これが一番重要なことなんだけど……どこのものよりも、高速で安定しててどんなプラットホームでも使用可能ということが理由だと言われている。

問題は……なんでそんなことができるかって言うことなんだよねえ……実際、インストールメディアの中には一個しかファイル無いのに、大抵のハードに対応しているし……アーカイブされているのかと思って解析しても、これがまたかなりの難物で、誰一人として解析できた人はいないらしいのだ。ハッカー仲間に聞いてみても、だれも成功したとは言ってない。もし嘘ついてるんだとしても……海賊版が一つも出てこないってのは、金もうけ主義の連中が大勢いるこの世の中では考えにくいしね。あと、一旦インストールされた後のバイナリデータを解析するって方法もあるんだけど、これまたどうにも上手くいかない。どうしてもコードが破壊されてしまうのだ。なんらかのしかけがリバースエンジニアリングを阻止しているのは間違いないんだけど……。

そんなわけで、今のところインフィニットOSを使うのはやぶさかじゃないってことになっている……いいOSだしね。ハッカーとしては悔しいけど。

さて、作業始めますか。

まずはっと。さっきもらってきたヘッドギアの測定データの解析からだ。あとで現物とすり合わせないとね……って、これは解析ソフトに喰わせちゃえばいいから……こいつバラさないとね。

工具を引き寄せると、ヘッドギアを分解し始める。重要なのは……おっと、これこれ……ギアの中で頭を環状に取り囲んでいるセンサー群……慎重に慎重に……おし、外れた!これさえあれば他はいらないや。

「ふふん、ふうんふーん……」

今度はテーブルの下から黒のヘルメットを取り出す。バイクのメットみたいだけど、口の所には何も無い。バイザー部分も真っ黒だ。このメットの頂辺をかぽっと外すと、同じく薄い円筒みたいなユニットがある。それを引き出して、内側に着いている四角くて平たいものを一枚一枚剥がしていく。おっと、配線を切らないようにしなくちゃね……よし、できた。で、さっきあいつからはがしたのをっと……はんだこてはんだこて……ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ……ちゃっ、ちゃっ……おし、できた!

でき上がった円筒を再びメットの中に納めて蓋をする。……これで完成だ!

画面を見ると、解析終了のメッセージが出ている。……これで、両方とも準備ができたはずだ……さて、これから微調整……。

ヘルメットから出ているケーブルを床に置いたボックスに突っ込み、そして頭にかぶる。視界は0。かすかに光が漏れてくるだけ。内側にヘッドセットのマイクがあるので、それを口元に引き出す。それから手探りでテーブルの下を漁って、手袋みたいなのを取り出して履く。昔はやったデータグローブと同じものだ。もっともワイヤレスだけど。

そうしてキーボードを探り当ててコマンドを打ち込み、メットの横についているスイッチを押す。軽い発信音があって、目の前がぼんやりを明るくなってきた。

そこにはぼやけた映像ながらも、さっき見た画面と同じものが見えていた。でも、バイザー越しに画面を見ているわけじゃない。バイザー自身に直接表示しているのだ。なんどかコマンドを打ち込むと、視界がはっきりとしてきた。

次は操作の方の調整だ。画面に手が表示される。自分の手を動かしてみると、それにつれて画面の手も動く。ただずれがかなりあるので、これまた合うように調整をかける……うん、良くなってきたぞ……これでよし。一応これで準備は終了した……さて。

あたしは座椅子の背もたれを倒してその場に寝ころがった。そして何度か深呼吸をして身体と精神をリラックスさせる。

……ふー、ふー、ふー……はー、はー、はー……。

……はあ……眠たくなってきた……でも意識ははっきりしている……眠たいのに意識はある……一種のトランス状態に、あたしは落ちていく……。

目の前に広がる画面がどんどん大きくなっていく……どんどん、どんどん……そしてそれは……やがって……あたしを飲み込まんばかりに広がっていき……そして……そして……。


月影が、天井の硝子越しに水面に落ちてきた……雲が晴れたのね。

あたしは水に身体を浮かべながらそれを見上げた。

青白い月……三日月だ。

あたりは静寂に包まれている。プールにはあたし一人しかいない。聞こえるのは、ときどき起こる水の音だけだ。

……ああ、いい気持ち……気温も水温もこの上ない……管理システムはいい仕事をしてるわ……。

ちょっとだけ腕を動かしてみる。それにあわせてすーっと身体が動き、髪が揺らぐ。……はあ……ずっとこのままでいられたらいいんだけどなぁ……。

そんな風に思っていると、自動ドアが動く音がした。……ちぃ。

「会長!いるのは分かってますよ!」

ちょいと渋めの男の声がプールに響く。すばらしい余韻だ……でも、あたしにしてみれば、現実に引き戻された感じで、実に不愉快である。

「会長〜……っと、うわ!!」

水面に浮かぶあたしを見つけて、わけの分からない悲鳴を上げる。年の頃は50才くらいの、映画俳優みたいにスマートで渋いおじさまといった感じ。

彼は顔を手で半分隠しながら言った。

「また……そんな格好で、困りますよ!」

「なぜ?」

「な、なぜって……その、分かってて言うのは止めてください!」

そうして彼はあたしに背を向けてしまう。

「分かってて言うのはって……ああ」

とぼけて、いまさら分かったように言う。

今あたしは全裸で水の中に漂っていた。水着がまとわりつく感触が嫌いなのだ。だからいつも裸で泳ぐ。でまあ……彼は毎回出くわすわけね。いい加減学習してもよさそうなものだけど……ま、それが彼のいいとこなのよね。一生懸命になると他に頭がまわらなくなると言うか……。

あたしは縁に泳ぎ着くと、上に上がって髪の水気を払い落とす。二の腕まで伸びちゃってるから結構面倒。でも、ブロンドの髪が月明かりに煌めいて綺麗……。

ちょっと自分の身体を眺めてみる。自分で言うのもなんだけど、かなりよくなってきたかなって感じ。背も伸びてきたし……プロポーションも……うふふ……ようし。

あたしは背中を向けて直立不動の姿勢の彼の背中に、ぴたっと張りついてやった。

「わわ!!」

見事なまでのうろたえよう。それ、えいえい……。

「や、やめてください!」

「あらぁ、美女に抱きつかれてそんなに嫌がることないんじゃない?」

「つめた!そ、そんなことしてる場合じゃないんですってば!」

「あら、そんなことってどんなことかしら?」

「だから、会長が背中に抱きついてるんでしょうが!それもはだ……裸で!!」

「どうして裸だって分かるの?そっちから見えないじゃない」

「そ、それは……さっきまで水の中で裸だったから……」

「いままで後ろ向いててどうしてそんなことがわかるのよぉ?」

「引っかかりませんよ。どうして私の背中がこんなに濡れるんですか?」

……ちい。さすがに何度も引っかからないか。振り返って驚くところがおもしろいのに……。仕方なく彼から離れると、そばのデッキチェアにかけてあったガウンをまとう。

「で、用はなに?」

「ラッキー・スミスからの報告で、例のシステムのテストをするそうです」

「なにぃ!?なんでさっさとそれを言わないのよ!!」

「ご自分が遊んでいたのを棚に上げるおつもりで?」

こちらを振り返りながら、インフィニット社社長エリオット・レヴィンスキーは言った。さっきまでのうろたえ方とは打って変わって、堂々とした物腰だ。ま、そりゃそうよね……いまやOSを支配するインフィニットの社長なんだから。

「わかったわ、すぐ行きます」

そう来られては、あたしもいいかげんな対応するわけにはいかない。

「何か他に聞いてる?」

「いいえ。ただテストをするので会長を呼んできてほしいと」

「そう」

「私は例の計画の練り直しをします。意外に早まりそうですから……」

「そうね、そうしてちょうだい」

あたしはそう言って、ガウンのポケットに手を突っ込みながら出口の方に向かう。

遊びの時間はこれでおしまい。これからはビジネスの時間だ。


あたしは赤のスーツを身にまとってエレベータの中にいた。仕事場に向かう時はいつもこの格好だ。あ、靴はパンプスね。ヒールは健康に悪いし……。

目指すは地下五階にある研究所だ。我が社の最新技術の実験場……今はあるプロジェクトのためだけに占有されている。さっき入った伝言は、その成果を見せるという意味だ。もちろんそれはちょっと動いた程度の出来じゃ駄目だ。製品レベルまでに完成されて初めてあたしの出番となる。ということは……よほど自信があるみたいだけね。

エレベータが止まる。地下五階。ドアから出ると、そこは一本道になっている。先に進むと、三メートルほどでドアで行き着く。

ここはセキュリティゾーンだ。早速スキャンが始まる。まずは体格の測定だ。レーザ3Dスキャンと体重の測定、それが事前のデータと合わないとそれでアウトだ。これはクリア。次は音声認識。

『声紋チェック、どうぞ』

「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」

『チェック……クリア』

続いて掌紋照合……よし、クリア。更に網膜照合……おっけー。

『オールチェック・グリーン……フェリシア・シベリウスと確認。進入許可』

ごーんとドアが開く。ちょっと古くさいが、メガトン級の核攻撃にも耐えられる隔壁も兼ねているので、開くのがすっごく遅い……なんとかしなきゃ。

こうして、やっとのことで中に入れる。まったく、会長がこの有り様じゃ他の社員は大変だわよ、まったく……でも昔からそういう決まりだからどうしようもない。

そう言えば自己紹介がまだだったわね。名前は……もう出たか……フェリシア・シベリウス。ここの会長兼CEOだ。会長というからには、さっき会った社長のエリーよりもえらいのだ、えっへん……って、いばることもないだろう。まあでもあたしまだ16だし……MITの大学院生でもあるんだけど……ま、その辺りの事情は追々話していくことにして……とにかく先に進もう。

研究所の中は雑然としている。試作中の機械類もそこら中におかれているからだ。そして辺りを研究員が右往左往している。あたしのことなど見向きもしない。うんうん、一心不乱って言うのはあたしは好きだな。

さて……ええ、ラッキーはっと……お、いたわね。

研究所の中央付近、DJルームみたいに一段高くなった所にガラス張りのかなり大きな円筒があって、その中で二人ほどの技術者がせっせと作業をしていた。

あたしはそれに近づくと、外からコンコンと叩く。すると中の一人が気づいてなにやら機械を操作した。するとガラスの壁面の一部がドアみたくスライドして入り口が現れる。

「待ってましたよ、会長!」

ちょっといかれた格好した若い男が顔を出す。ラッキー・スミスだ。このふざけた名前はさすがに本名じゃない。仮名だ。何で仮名かというと……表には名前を出すことができないってこと。こんなの雇うのはリスク以外の何者でもないけど、彼にしかできないこともあるので致し方なしってとこね。

「準備は済んでますよ!」

「でなきゃ怒るわよ」

あたしはそう言って円筒に入った。円筒の壁面沿いにはコンソールやモニターが並んでいる。このシステムの制御装置だ。そして円筒の中央には、リクライニングシートが据えつけられている。シートからはうねうねをケーブルがはい回っていて、床や壁の機械に接続されていた。

「ふうん……外観は前と変わらないのね」

「中身は一新しましたよ。ソフトも一から書き直したし……ささ、座ってください」

進められるままにシートに身を横たえる。かなり姿勢が寝ているなぁ……ん?なんだあれは……カメラ?……ふうん。

「……あのカメラはなに?」

「え?ど、どこのですか?」

「あれよ、あたしの目の前の」

「あ、ああ、あれですか……なんでもありませんよ、ただの記録用で……」

……思ったとおり、怪しい反応だ。ふうん。

「嘘言いなさい。……知ってるのよ」

「へ?な、なにをですか?」

あからさまにうろたえるラッキー。

「女子更衣室……」

ぼそっと呟くと、ラッキーの顔が青ざめる。

そう、奴は監視カメラ系に侵入してその手の映像を集めているのが最近分かったのだ。ばれてないつもりだろうが、そうは行くか。

「すぐに外しなさいね……それとも……」

「わ、わかりました!!」

ラッキーは慌ててカメラを外すと愛想笑いをする。

「こ、これでよろしいですか?」

「よろしい……ところでそっちはどう、リック?」

もう一人の方に声をかけると、彼は機械の影から顔を出した。彼、リック・ヘイワードはこのプロジェクトの実行責任者だ。年は39。会社で一番の古株だ。眼鏡とひげがトレードマーク。父のことを知るただ一人の人物……。

「あともう少しさ……よし、できた。ラッキー、いいぞ」

リックがそう言うと、ラッキーがバイザーを渡してくる。目の所がサングラスみたいに黒くなっている。

「あら、無線にしたの?」

「ええ、その方が軽くなりますしね」

かぽっとかぶる。確かに軽量化されてるわね。そしてそのまま頭をヘッドレストに預けて、身体をシートに沈める……気持ちが落ち着く。

「いいですか、始めますよ?」

ラッキーの陽気な声にあたしは静かに肯いた。外でなにをやっているかは見えないけど、機械類が一斉に作動し始めたのは分かる。シートの方もなにやら振動し始めた。

「脳波リンク、チェック。神経パルス正常レベル……心拍、血圧共数問題なし」

「同期取れましたよ〜。全て正常〜」

「会長、それじゃ始めます……リラックスしてください」

リックの言葉と同時に、目の前が明るくなった。バイザーに付けられたスクリーンに何かが映し出される。昔風のワイヤーフレームで表現された三次元空間……それが目の前に迫ってくる……いや、違う、ダブってる……重なる……二つの像が重なって……そして……そして……。





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