製造業にグローバルスタンダードはあるか
5月12日付け日経新聞で、オリンパス光学の一面広告が出され、そこで唐津 一氏とオリンパス会長の山下 敏郎氏が「製造業にグローバルスタンダードはあるか」と題した対談形式の論議がされていた。その中で「ISO9000」規格が大きく取りあげられれている。両氏の論調をそれぞれに分けて転載する。
唐津氏「グローバルスタンダードとは何か。技術的に圧倒的に強いというだけではない。いま「ISO9000」の認証取得が問題になっていますが、あれは品質の保証には必ずしも役に立たない。ただ形式を整えるだけです。形式とは道具です。道具がいくらそろっても使い方がまずければ、ろくなものはできないのです。
申し上げたいのは、経済が国際化した中で、日本はどうやって生き抜くかということで、それには世界のスタンダードになるものを造ることです。デファクトスタンダードは実力でスタンダードになったものですが、もう一つISOのような国際規格で決められたものと2種類あり、両方考えなければならない。その点、日本の役所はいつもおくればせで平成8年7月にようやく通産省に標準担当審議官が設けられたところですから、困ります。いずれにしろ日本の企業はスタンダードとはどういう意味を持っているか、正しく理解する必要があると思います。(途中略)
実は「ISO9000」は英国を中心に10年、20年携わっている人々が集まって決めた、いわば仲間内のスタンダードです。しかし、今度改訂されるので、いま工業技術院が中心になって巻き返しの案を作っているところです。(途中略)
米国は何をやるにも日本の部品や材料、生産設備がないとできないのです。自動車のボディは全部日本製の金型です。ジャガーやベンツも日本製の金型を使っている。米国では赤字が出ると社長の地位が危ないので、ROE(株主資本利益率)を重視して、赤字の出る半導体のシリコンの製造をやめてしまった。日本でROEで経営をやったら、会社をつぶしますよ。日本の特徴は長期的な見通しにたった経営なのです。」
1987年版「ISO9000」規格の制定には、日本を代表する専門家も送りもせず、「日本にはTQCがあるから、ISOなどいらない」と言っていた主犯格の唐津さんのいいわけは、「仲間内のスタンダード」ですか。これは責任回避の典型で、山一証券の社長が、涙を流して誤ったのと次元は同じである。せいぜいその程度しか言えないから、日本型経営と経営者の責任の取り方が馬鹿にされるのだと気が付かないのだろうか。「巻き返し案」の作製をしているのは、先刻承知である。この表現は、まるで右翼の「ソ連反対」と同じ感覚である。まだまだ、日本を外から見たらどうかを言えないほど日本中心主義の考えだ。では、日産自動車がベンツと提携することをどのように説明するのだろうか。まさか「日本人の恥だ」と言うのではないでしょうね。
ROEは、経営内容を判断するほんの一つの指標であって、国際企業が、これだけで経営分析などやってはいない。たとえば、世界のどこで戦争が起こる可能性があるか、政治上の安定性をどう評価するか、企業買収には土地の汚染状況を50年前まで遡って危機管理上の評価を行うなどが実際に行われていることなど一切しらない「バブルで浮かれた日本人ぼけ」である。日本企業の長期的経営は、ある日突然倒産させたり、リストラしたり、年金受け取り額を下げるとかをすることですか。大きな米国企業は、リストラをするときには、他部門への移動をまず最初に提示し、新しい仕事が本人の希望にあわないと、他社への推薦状まで用意することをご存じですか。しかも、ペンション(企業年金に近いが、悠々と暮らせるだけの額になる。日本企業は、退職金だけ、それもなんと2千万円程度しかない。)は、日本と比べようがないほど恵まれている。日本企業の利益率など低くて、社員をここまで面倒をみることなどできないことをご存じですか。最後に、唐津さんへの質問。「いまの米国の経済復活は、日本が支えているということですか?」。世界中から材料や部品はもちろん、人材を含め技術そのものも調達するのは、いまや世界の常識である。まして、企業の競争力は、国境を越えた提携・合併などの高度な経営戦略がなければ強化できない時代が、今来ている自覚すらないの発言としか思えない。まったく現実を無視した意見であることをこんな方が言うとは、ただむなしさが残るだけだ。「日本の技術が無ければ、米国はなにもできない」のだそうですから、答えが知りたい。では、オリンパス会長の談話を転載する。
「私は製造業にグローバルスタンダードはないと思っています。メーカーにとって米国の圧力以上に厳しいのは、市場における競争です。商品の質が悪ければ市場から駆逐される。人工的な国際標準よりはるかに厳しい標準が市場にはあるのです。
デジューレスタンダードの「ISO 14000」は地球環境という人類の未来がかかっていますから全力をあげて取り組むべきと思っています。しかし、「ISO9000」についてはまったく納得できません。(途中略)
金融システムにはBIS規制のような共通のルール、暗黙のルールがあり、これを無視すると日本から資金が逃げていくし、日本の金融システムもおかしくなる。一方製造では、ネジやフイルムの感度などはISOとしてやれば造る側も消費する側も便利です。問題は、モノづくりの工程管理の手法であり、もともと建設業やエンジニアリングのためにつくられた「ISO9000」は、コンセプトからして違うということで、これはリールではないのです。カネを使って工場を監視し、マニュアル化が進んでいるかどうかをチェックして認定書を出すというのは一種の強制的なもので、ルールではない。だから反対しているのです。しかも思想がおかしい。私どもの工場にはマシニングセンターがあり、大きな自動機が3台ほど連なって、顕微鏡の鏡体を自動的に削ったりするのですが、こうした大きな設備投資をすれば、3直フル稼働しないと償却できない。しかし、彼らは検査に来て、プログラムを組んだら、カギは工場長か係長がもっていなければならないという。ワーカーが壊したり山猫ストをやるからだ、という発想なのです。それでは、夜中に故障したらだれが直すのか。当然、ワーカーが直さなければならないわけです。このようにすべてにおいて発想に違いがある。だから、私は「文明の衝突だ」と言っているわけです。
もうこうなると、なにをかいわんやだ。マシニングセンターなどは、世界中で使われていて、「ISO9000」認証取得している会社は必ずある。そこでは、この審査員のいうとうりカギを工場長や係長に預けていると信じたのだろうか。大体、そんな工場にカギを使ってセキュリティを確保しているのだろうか。本当なら、その方がよほどの馬鹿者しか思えない。それを「文化の衝突だ」というなら、早くやめればよい。ほかの人は、そんな馬鹿げたことをしないからだ。
「ワーカーが壊したり山猫ストをやる」というのは、30年以上前のことで、いまやそんな労働者を使って、世界の一流企業が事業をやっているところはどこにもない。それぐらいのことを知らないのかとつくずく情けなくなってしまう。海外出張もあるのだろうから、本人で確かめたらいいではないか。そう信じるのは勝手だが、その下で働いている社員に、きっと同じように情けなくなることを言って困らせているだろう。可哀想に。
信じたくないが、もしこんなことを言う監査員がいるならば、ゆゆしきことである。規格のどこから、そんな「カギは工場長に」の発想が出てきたのだろうか。確かに、規格では多くの要求項目に「確保」(assurance)の言葉が出てくるが、こんなことを言っているのではない。まさに、「重箱の隅をほじくる」監査員である。信じる方もほうだが、監査員の質は大きな問題だ。少なくとも、オリンパスに監査員を送った監査機関は、直ちに、監査員の資格剥奪を含む是正処置を講じるべきである。このようなことが、経営者自信によって紙面を通じて報道されたのであるからだ。ISO10011規格に沿って、監査機関は、監査員の能力を見直す義務が課せられていることを認識すべきである。さもなくば、多くの日本企業で行われている認証取得活動を阻害することになると警告したい。