国際企業のバイエルが人材育成のためにどのような手法を採用しているか知ることができる新聞広告(8月30日)に掲載されていた。在日バイエルグループ代表、K.クレデーン氏の話を転載する。
「社員のキャリアアップに研修は不可欠です。技術系社員のための研修、マネージメント能力を開発するための研修、セールスやマーケティング研修など様々な機械を通じて社員の質を高めることに取り組んでいます。
そうした中で、大変クリエイティブな資質を備え、上昇志向が強く、管理能力が優れているといった人材が見つかったときには、社外のセミナーに参加させたり、2,3年の期間でドイツ本社や米国に派遣します。そこで特定の管理的な職務に就かせるなど経験を積ませ、才能を伸ばし、日本に帰ってからそれを生かしてもらうというやり方もとっています。
また、バイエルグループ内で2年に1度開くアジアセミナーのは、社内の優秀な人材に参加させ、その後はできればアジア地域で働いてもらうというシステムもあります。バイエルでは能力のある人材にはグローバルな土壌でいろいろな課題に取り組む機械を与えており、昇進は能力と業績にのみに夜モノであって、国籍や性別などは関係ありません。」
ーそのような人材をグローバル土壌で活用していくための評価方法などがあるのですか?
「社員の評価の基準は全世界のバイエルグループで同等です。現在日本のバイエルグループのほとんどで採用している『社員の業績に応じた評価と給与システム』がそれです。これは、各社員との合意に基づいて年間の達成目標を設定し、これに従ってその社員の実績を評価するものです。賞与では20%から30%差がつきますから、社員の意欲ははっきり変わりました。
(途中略)
ー最後にグローバルな競争が激化する中でキャリアを積んでいこうと考えている日本の、特に若い人にクレデーンさんの体験からにじみ出たアドバイスを。
「献身というのでしょうか、職業人として専心して仕事に打ち込むことが第一。二番目には非常に若いときから『自分はこうなりたい』という明確なキャリアプランニングを立てること。さらに、一つのポジションでも会社でも、あまり若いときから一カ所にむくむくしてしまわないこと。というのも、一つのところに安住すると、後になってさらに自分の能力を発展させねばならないとき、活力を失ってしまっている恐れがあるからです。
(以下省略)
私自身も外資系企業に長くいたが、ほとんど同じ経験をした。学習環境としては、シンガポールに世界中の同じ企業からいつでも参加できるように、中心街の真ん中にあるホテルに研修センターが設けられていた。ここで研修をいくら受けたかは数えられない。また、ある慶応大学卒の新入社員にマネージメント能力に優れていると報告し、上部が確認したので直ちに米国に派遣した。これも将来の高級幹部を育成する手段である。このように、国際企業は人材育成に強力な仕組みを持ち、実施しているが、日本企業はどうだろうか。国際競争力の強化には、価格や情報収集だけでなく、長期的な人材育成と学習環境の整備も欠かせないのである。
経営品質賞の審査基準から始めたい。「戦略および重点施策に沿った社員の教育・訓練、自己啓発は、どのように計画され、実施されていますか。またそれらは社員ひとりひとりの成長とどのように結びつけられているかもあわせて記述してください」となっている。 ここで、日本企業の人材育成に関して声を大きくして主張したいことがある。それは、どう見ても日本企業の従業員一人当たりの教育費は外資系企業のそれと比べと、大幅に低い。これは、現役時代に行ったベンチマーキングではっきりした。また、それ以外にも、まったく日本企業は人材教育に費用を使わないことを知った。海外生活をしているときのことだが、日本からのお客様を食事に招待すると大部分の人は本音を出す。海外で何かを学んでくるなどの曖昧な理由では、海外出張などは余程の事がない限り考えられなかったそうだ。それが、バブルで浮かれていたときには、どんどん海外出張に出したので、引き受ける方はお守りにたいへんだった。一体、日本企業は人材教育のための原則は何なのか、またどのような教育計画があるのかさっぱり実感できなかったことだけはいまだに覚えている。この際、日本企業は社員一人当たり教育費を算出して、他社のそれと比較すべきである。「勝てば官軍」などの感覚では、本当に企業に役立つ人材は育たないことに気づいていただきたい。 今日(2月28日)の夜のNHK番組で、日本の経済回復はどうしたらできるかの課題で日本企業のトップが数時間も討論した。その中で、外資系人材斡旋企業の女性経営者が言っていたことが、印象的だった。「NEC会長は、日本企業は社員にやさしいと言うが、そうとは思えない。なぜなら、日本企業で育った社員は自分の会社以外で自立できるようには教育されていない。一歩外に出ると何もできない人が多い。いままでは、日本企業は一生面倒を見ると言いながら、いざ苦しくなると、社員を退職させている。人材はストックではなくなり、フローの時代にもう入っている。すなわち、労働市場は流動化された。だから、よその会社でも能力を発揮できるように教育・訓練することが本当の優しさだ。事実、そのような訓練ができていない人を外資系会社に斡旋しょうとしても、自分の能力は何かを明確にできない人が多い。」と言っていた。やはり日本企業は人に優しいなどの発言は、まやかしとしか思えない。それにしても、NEC会長ももう時代おくれの経営者になっている。「俺は、アメリカでも経営をやってきたから、日本企業が、アメリカのやり方などをまねる必要はない。なぜなら、日本人は農耕民族だから、米国のような狩猟民族とは違うのだ。」と言って、多くの企業トップにせせら笑いをされていた。他の経営トップは、アメリカであろうがどの国でも、現代の日本経済の回復に役立つなら取り入れるべきだの意見に対し、NEC会長がそんなことを言ったからだ。こんな人がいまだに権力をふるえる日本に不安を感じた。また、どの経営者からも顧客に軸足を置いた経営が重要との発言がなかったのは、がっかりした。花王会長が、それに近いことをコメントしていただけだった。中小企業が日本経済をになっているし、その中には世界でも通用する優れた力をもっているのがある。そして、これからは、中小企業同士のM&Aが活路を見いだすとの発言には説得力があった。 本論に戻る。何を、どのようにすればよいのかを具体例で示したい。週末の朝日新聞には、ウイークエンド経済という欄がある。そのタイトル名は、このページと同じ「ゼミナール」である。前々から、興味をもって読んでいた。今週(2月28日)は、「客と接する社員どう活性化」が副題だった。その記事を抜粋したい。
「ここで思い出したのは、日本の様々な産業が米国の後ろを追いかけていることだ。実は米国のホテル産業も80年代後半から90年代前半にかけて、大きな変革期を迎えた。多くのホテル不動産が淘汰、処分され、株式市場でのホテル会社の株価は低迷、名門ホテルチェーンは日本を含む世界の投資家に身売りされた。
(注:ホームページ・オーナーのコメント:コロダド州のロッキーマウンテンで一週間、そしてユタ州を経てグランドキャニオン。帰路はニューメキシコ州を経てデンバーまで約5000キロを車で旅したが、このチェーンホテルを利用すれば、宿のことで困ったことは一切なかった。日が暮れるころになると、そろそろ宿を決めようかと言って電話をすれば予約なしでも万事オーケーだった。国内中に張り巡らされたチェーンホテルシステムの恩恵を満喫した。レストランなどまったく必要ない。電話帳で近くのレストランを決めて、電話で予約すればすむことだ。私は、三日間お米を食べないと飢餓感を覚えるので中華料理店を探すことが、ホテルの部屋に入った後のまず最初の仕事だった。ドイツ国内をドライブしたときも、全く同じであった。チェーンホテルは、贅沢をしなくてもすむ人にはまことに便利なシステムである。あっと!まだ話は終わってないのだった。もとに戻す。)
『しかし、従業員がいきいきし、顧客がリピーターになり、その高収益力の機関・投資家の資金が集まる以上、正しいビジネスと認めざるをえない』
町で回転すし屋をよく見かける。先日出かけた店では昼食時にパート女性数人、男性二人で60席強を三回転させていた。食通の通う店よりひとけた少ないが、満足度に値段ほどの差はない。また近所のコンビニでは客がレジに二人以上並ぶと、即座に在庫チェックや床掃除をしていた若者が別のレジを開けて『お待ちのお客様どうぞ』 と声を掛ける。顧客に対して躍動感あふれる、均一なサービスを提供できないようなサービスは廃止し、その分、損益分岐点と値段を下げた方がいい。 日本の製造業は厳しい国際競争に身をさらし、グローバル化に先行した。しかし、サービス産業では『日本人・中年・既婚・大卒・男性』の日本的価値観を単に具現化したものが企業文化だといってきた。しかし、今後、サービス産業が発展するためには、若手をはじめ中高年の女性や高齢者、近隣アジア人やブラジル人を活用する必要が出てくることは目に見えている。 『お客さんより重要な社内会議はあり得ない』『ご指名があるうちは、サービス水準の均一性に問題がある』。いずれもグローバルなホテルビジネスマンの言葉である。国内のホテル業界の厳しい状況は続きそうだ。しかし、考えてみれば90年前後の米国のように、未来のビジネスチャンスが見え隠れする時でもあるのだ。」 少し余分なところもあったが、原忠之氏の観察力には感銘したので、あえて記載した。社員の質が悪いなどと愚痴を言う人がいるが、教育・訓練もしないでいることを忘れているのかもしれない。日本人ほど高い資質を持っている人達が集まっている国はどこにもないとあえて言いたい。ただ、それに頼ってきた自分の姿が見えないだけであろう。だが、もうそんな贅沢は言えない時代に入っていることに早く気づくべきと警告したい。自己啓発については別の機会に譲る。 |