顧客満足「顧客満足は競合他社と比較してもすぐれているか」 「マルコム・ボールドリッチ賞」の審査基準では、「顧客満足を向上するために、顧客・市場をどのように理解し、信頼関係をどのように維持し向上しているか、その仕組みを審査します」としている。そこで、まず考えたいのは終戦以来日本の企業の行為だ。日本企業はモノを作り、市場に供給することに徹して大量生産方式を極限まで発達させた。しかし、これは結果的にサプライアーの考えで顧客を理解してきたにすぎないのが事実ではなかっただろうか。ところが、ここに来て供給者側から考え出して、モノを提供しても顧客が反応しなくなっている。それは当然のなりゆきで、顧客が望んでもいない製品やサービスを押しつけることをしているからだ。「お客さま、お客さま」と声高らかに叫んでも、成熟した買い手市場ではサプライアーの論理は相手にしてくれない。ことさように、本当に顧客が望んでいるモノは何かを見直す時がきている。 日経新聞に資生堂の事例が掲載されていたので、ここで求められている顧客側に視点を置いた経営の変革を紹介しよう。
「資生堂は95年に、価格維持行為に対する公正取引委員会による独占禁止法に基づく排除勧告を受け入れたのをきっかけに、発想を一新した。『今や顧客との競争が最大の課題』(弦間明社長)という。販売法を見直した結果、一人一人の顧客に合わせた売り方をしなければニーズをつかめないことが分かったからだ。 先日、あるところで「顧客満足ってなーに?」と題して30分ほどの話をした。この話のポイントは、サービス経済が主体となると、従来のように経営者が組織のヒエラルキーの最高位に立つのではなく、顧客がトップに位置する逆ピラミット階層になるであった。そのときに日本の自動車はこのままなら売れなくなると言ったところ、ほとんどの人は信じていなかった。ところがどうだろう、日経新聞で同じ事が掲載された。これも「顧客満足」の理解に役立つものである。 「高額商品の代表である自動車についても、消費者はビールとおなじような感覚で選択するようになった。開発者が消費者と同じ目線でこんなクルマが欲しいという発想でつくらないと、潜在需要をつかめない。「安いクルマから車格の高いクルマに順に乗り換えるヒエラルキー(階層)型消費は既に崩れた」〔本田技研工業)との認識が広がっている。」 この社説では、最後に日本の銀行のことを同じ視点から述べているのでついでに転載したい。 「銀行は、顧客ではなくて大蔵省に顔を向けてきたために、競争力を失いグローバル化に対応できなくなってしまった。市場に軸足を置いて需要を創造できる体質に、多くの企業がどこまで変われるか、そこに日本経済の再活性化がかかっている。」 このように、顧客満足は「顧客に顔を向けているかいないかによって定まってしまう」と考えればよかろう。経営者が自ら顧客に向かわなくては、この競争には勝てないとしるべきである。そうすれば社員の心構えも、自ずと変わる。上司の顔色ばかりを気にする社員を、まっすぐに「お客様」に向かわせるのだ。それは、経営者の率先垂範がなければあり得ない。「良いモノをつくれば、儲かる」といまも言っている方は、早く退場願いたい。 |