ISO 9000 語録集


「顧客要求が変わった」

 「高額商品の代表である自動車についても、消費者はビールとおなじような感覚で選択するようになった。開発者が消費者と同じ目線でこんなクルマが欲しいという発想でつくらないと、潜在需要をつかめない。「安いクルマか ら車格の高いクルマに順に乗り換えるヒエラルキー(階層)型消費は既に崩れた」〔本田技研工業)との認識が広がっている。」「銀行は、顧客ではなくて大蔵省に顔を向けてきたために、競争力を失いグローバル化に対応できなくなってしまった。市場に軸足を置いて需要を創造できる体質に、多くの企業がどこまで変われるか、そこに日本経済の再活性化がかかっている。」(出典:日経新聞の社説)

 このように、顧客満足は「顧客に顔を向けているかいないかによって定まってしまう」と考えればよかろう。経営者が自ら顧客に向かわなくては、この競争には勝てないとしるべきである。そうすれば社員の心構えも、自ずと変わる。上司の顔色ばかりを気にする社員を、まっすぐに「お客様」に向かわせるのだ。それは、経営者の率先垂範がなければあり得ない。「良いモノをつくれば、儲かる」といまも言っている方は、早く退場願いたい。<戻る>  

JIS規格との整合性

 閣議決定という官主導でJISのISOへの整合化が進められた。WTO/TBT、世界貿易機構の貿易に関する技術的傷害の除去が必要で、国家規格であるJISが貿易上の傷害にならないよう、ISO規格に整合させるのが目的である。争論では正しい。だが製品規格ではISO規格とJISに不一致が見られることが多く、その整合化は一部関係者の抵抗を呼んでいる。輸出入の少ない分野ではその必要性が疑問であるからだ。(途中略)  その上に問題になったのは、ISOと完全に整合していないJISの取り扱いである。その処理の仕方は単純ではないが、ISO規格を正として、JISを付属書として付けることや、JISの中にISOを取り込む方法が指導された。したがって、ISO規格に完全に一致した、いわゆる翻訳規格と従来のJISの併存は許されない。ダブルスタンダードは不可とされた。(以下省略)(出典:標準化と品質管理、Vol.50 N0.11)<戻る>    

古代の規格

 アッシリア人、マヤ人、アスカテ人、エジプト人、ギリシャ人、そしてローマ人たちは、寺院、船、そして水道橋の建設に規格を用い、その多くが現存している。これら古代の創造物が持つ秘訣は、設計構造と測定に関する共通で一貫した方法や規格にある。規格は、また生産性を保証し高めるためにさくせいされたのである。(出典:Greg Hutchin著「企業戦略としてのISO9000」)<戻る>

「ディベートができない日本人」

私は典型的な日本人として、ともすれば感情的なしこりが残りがちな体質を持っている。私自身が論争の当事者であったならば、論争の前にそこから逃れていたであろう。ディベートの訓練の場は日本社会になかった。教育の場では、欧米には「ディベート」の授業がある。国際的な生き方の前提である異論の承認、それを論争で決着させることは常識に属するのが欧米の社会だ。これがグローバルスタンダードなのだ。日本は、このスタンダードを満たしていない。  ローカル、すなわち地域、国の違いや意見の相違を認めること、これはまた個人の個性を認めることである。これが国際人の資格であり、私を含めた日本人の獲得しなければならない資格である。という平凡な結論に落ち着く。だが平凡であるために、かえって難しい課題である。 (出典:標準化と品質管理 Vol.50 No.11 )

横並び指向の監査員ならば、「ISO9000」規格のとうりいっぺんな解釈を盾に、小規模企業の「軽い」品質システムに対してなにを言い出すかわからないリスクがある。インターネットでの多くの質問から判断するに、このような事態が起こる可能性は高い。それに対しては「ディベート」すべきである。監査の過程で、結局改善要求を押しつけられ納得いかないなら、この中小企業へのガイドラインを差し出すことも一手である。それでもだめなら、監査機関の上層部に対して審査員の罷免を申し入れればよい。監査機関との契約書には「監査員の罷免権」の条項がある。この権利を大いに利用するべきである。文書で理由を説明し、罷免を申し入れればよい。それもいやなら、口頭で監査機関に申し入れれば大抵は、受け入れてくれる。<戻る>

品質マニュアルだけで認証取得

過度の詳細な文書化は、かならずしも管理の強化にならない。むしろ、できる限り避けるべきである。適切 な訓練とその記録によって、詳細な作業指示書の作成を不要とすることができる。もし、書類の混乱をさけるため、あるいは社員が仕事を正確に行う情報をもっているなら、品質マニュアル、管理規定、作業標準書という文書階層にこだわる必要はない。

 基本となる文書類のモデルは、企業の助けとなるが、企業の特徴を満たすような設計または修正がされない硬直した文書サンプルを用いることは、無駄な文書を増殖させ、その文書の作成と維持のために、必要のない余分な仕事と、利益の少ない出費が増加する。「ISO9000シリーズ」の文書についての柔軟性を十分利用することにより、真の管理と文書の減少がもたらされるべきである。これは、規模にかかわらず言えることであるが、特に、文書を減らす必要がある小企業では、特徴的なことであ。

 アーテック社(従業員19名)は、品質マニュアルだけで、管理規定はゼロであり、工程設計だけでISO9001を取得している。簡素化しているので、継続コストも低い。しかし、知恵を内外から集めて設計している。  アーテック社は、ISO9000シリーズの発想をよく理解し、真のプロを選択し、有効なシステムを設計している。(出典:イギリスIQAの「小企業と品質システム」ガイドライン)<戻る>

文書化での注意事項

 あなたが品質システムを文書化するにあたっては、決して「すべての」または「決して・・・ない」といった言葉を使ってはならない。たとえば、もし「すべての研究室の設備は、目盛りを正しく調整されていなければならない」と記述した場合、あなたは、その実施を確約してしまったことを本当に理解していますか。すべてのとはすべてのガラス器、すべての定規、すべてのストップ・ウォッチの目盛りが正しく調整されていなくてはならないことを意味するのです。

 電気タイマーの目盛りを正しく調整するのは、電気の交流が安定的であるため明らかに簡単です。しかし、古い手持ち式ストップ・ウォッチの目盛りを正しく調整をするには、スイスの原子時計にさかのぼらなければならないかもしれない。もし、「適切な研究室の機械は、文書化された計画に従って目盛りを正しく調整されなければならない」と記述 した場合、あなたは同じことを言っているのだが、墓穴を掘るようなことにはならないのです。     一方、もし何々を「決して・・・ない」と記述した場合には、監査の当日あなたはそれを実施してしまうことになるでしょう。そして、マーフィーが健在なので、監査人がそれを発見するでしょう。 (出典:Greg Hutchin著「企業戦略としてのISO9000」)<戻る>

システム中心型経営

 システム中心型経営は、マネジャーが自分たちがその中で働いているシステムを積極的に改善することを要求する。ここでの経営管理者の新しい職務は、仕事が達成されるプロセスを研究し改革することである。こうした考え方はアメリカのマネジャーにとっては、まことに忌まわしいものである。というのは、大抵のマネジャーは、自分の職務は、仕事が確立されたプロセスに従ってきちんと達成されるようにすることだと思い込んでいるからである。だから自分たちの役割は、部下をせわしく働かせ、書類をせっせと処理することだと思いこんでいる。  たしかに経営管理者の仕事のかなりの部分は、部下を動機づけ、規律を維持し、よい人を雇い、事務作業を上手にこなすことである。しかし、自分たちが今、その中にいるシステムの基本的構造やプロセスを固定化して考え、それがいつまでも正しく通用すると思ったら大間違いである。マネジャーのもっとも重要な職務はじつはシステム改善そのものなのである。

 このような古くさい態度では、いつまでたってもその時そのときに舞い込んでくる雑務の処理に追われ、キーキーいう組織という車に油を注し、些事にいつまでも足をとられ、一歩退いて全プロセスや全システムを見直すことなどとうていできない。しかし、このようにして日々些末なことに、いつまでもかからわっていては、結局のところ自分がその中で息づいている組織システムそのままが老朽陳腐化し、新しい現代的基準にそって業績を高度化することはできない。(出典:ダニエル・ハント著「超品質」)<戻る>

文書のKISS原則

 良い品質システム文書は、品質監査に合格するための主要な要素の一つである。主任監査員は、しばしば、直接品質マニュアルをもとに作業を行ったり、そのマニュアルに基づき質問票を作成したりする。  だから、文書のKISS原則(Keep it sweet and simple)に従うべきだ。品質文書を作りあげる際のヒントを以下に掲げておく:

 ヲ マニュアルの文書を、「ISO9000」の個別の章に合わせること
 ヲ 現在行っていることを記述して、それを実施すること
 ヲ ISO規格の要求と業務の品質を確実なものにするため、文書を作り上げる
 ヲ 標準的な文書フォームを、できうる限り広範に用いる
 ヲ 文書の階層はできうる限り単純化されるように文書を作成する、たとえば、
   最上位に品質マニュアル、ついで品質手順書、作業指示書等々と言った具合に
   である
 ヲ 既存の手順書を可能な限り活用すること
 ヲ 手順書と文書を、簡潔、正確、完全、理解しやすい、そして役立つものになる
   よう記載する

(出典:Greg Hutchin著「企業戦略としてのISO9000」ただし、一部訳文を理解易くするため変更をした)<戻る>

継続的な改善

   クオリティをよくするには、たえずよい仕事をする方法を考えだすことが必要である。不断の改善とは、「いますぐに直せ(即時処理主義)」とか、「問題は起きる前に発生を防げ(事前予防主義)」、「顧客側の要求を満たす新しい方法を見いだせ(創造的確信主義)」ということである。
 従来の「壊れていないならば直すな」という理論はクオリティ組織では通用しない。かわりに、「壊れていなくても、もっとよくしろ」というアプローチをとるのである。(出典:ダニエル・ハント著「超品質」)
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手順書を記述する過程から学んだこと

 W-Rが学んだ一つの重要な教訓は、物事が実際に行われていることを反映するよう手順書を記述するということである。もし外部の請負業者に記述してもらう場合、その担当者は業務を完璧に理解していなければならない。もしその担当者がある作業のニュアンスを理解もしくは気づいておらず、不正確な手順書を作成したとしたら、問題が発生する。
 (途中略)
 もう一つの警告サインは、過度の手順書をしてしまったために、かえって、品質の向上を妨げる結果に終わらないように品質システムを開発するということである。明らかに、人がすべての手順書に従うことができても、製品の品質もしくは顧客満足を達成し得ない場合がある。
 方針および手順書を開発するにあたっては、それらを願望リストとしてはならない。手順書は、現行の業務指針に対して記述されなければならない。(出典:Greg Hutchin著「企業戦略としてのISO9000」)
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「ゆりかごから墓場までの」品質

 「ISO9000」は、MIL-Q9858Aから発展し、そして今もなおMIL-Q9858Aの特徴、目標および全体像を残している。確かに「ISO9000」は、品質の最前線に立つものではない。それは、ある技術委員会がコンセンサスを通じて作成したものであり、多くの企業にとって達成可能な品質システムを表す一つの文章なのである。

 MIL-Q 規格は、文書化された内部品質システムと手順に焦点を置いていた「ゆりかごから墓場までの」品質がすべて文書化されているというのがMIL-Qの、そして「ISO9000」にも適応される見解である。ここでの問題は、品質システムは導入され適切に運用されているかもしれないが、しかし、その品質システムと作業が、顧客を満足させるような美しく、低コストで、高品質の製品とサービスを生産しないかもしれないというおそれがあるという点にある。(出典:Greg Hutchin著「企業戦略としてのISO9000」)<戻る>

社内・社外の利用客を満足させよ

   クオリティは利用客相手で始まり、利用客相手で終わる。顧客側(利用者)はどのようにして欲しいかを告げ、会社側はそれに応じるための正しい方法を見いださなければならない。サービスの提供者として、フェデラル・エクプレス(FE)社は顧客を満足させるのにどうするかについてを工夫する会社としてよく知られている。FEのチームは、最終的な客は誰であるかを正しく認識し、その客の要求を満たすことがいかにたいせつかを承知している。チームの各員は社内の客、つまり、情報や製品やサービスなどを毎日のように交換しあっている他のFE 従業員の要求もよく知って、それを満たすことも必要であることを認識している。人は誰でも製品やサービスがうまく機能することを相手に頼り、お互いにそのような関係を有しているからである。(出典:ダニエル・ハント著「超品質」)<戻る>

個人が会社を変える

 読者がどんな立場にいるにせよ、どうせ自分一人の行動によって動かせることはたかがしれており、会社全体などという大きなものを動かすことなどできないと思いこみがちである。こうした見方はどこでも存在し、また人の気持ちをくじくものではあるが、幸いなことに、この考え方は間違っているのだ。個人個人のメンバーの努力が全体として結集されることによってのみ会社はかわるのであり、会社というものはそれ自身だけでは変化することはできない。(出典:ダニエル・ハント著「超品質」)<戻る>

供給者との長期的WIN-WINの関係

 これまで日本企業の系列、外部サプライヤーとの関係は、長期的な取引きを約束する代わりに、コストやその他の圧力をかけ、親会社および自企業の利益体質を維持するためのしわ寄せ、バッファー(緩衝帯)として利用された向きを否定できない。しかし、これからは自企業の価値づくりのパートナーとしての認識に切り替え、一方的な収奪意識(下請け泣かせ)から両者にとって利益の長期的WIN-WINの関係を構築すべきである。米国の企業が日本に学びサプライヤー との関係に目覚めたのだから、日本企業はグローバルなサプライヤーとさらに良い関係をつくり、維持していくことが、日本企業の国際的競争力の優位性を確保する近道であろう。(出典:味方守信著「日本経営品質賞」評価基準)<戻る>

残念だが今日は辞退しなければならない

 「ISO9000」の認証取得に関するもっとも一般的な障害の一つとして、従業員の皮肉な性向があげられる。過去10年間、従業員たちはQCサークルから始まり、統計的工程管理、権限の委譲(Employee Empowerment) トータル・クオリティ・マネージメント、そして現在は「ISO9000」に至るまでの様々な品質の化身を経験しているのである。人々は、しばしば意味が分からないため「残念だが今日は辞退しなければならない」的な態度を取るものである。それはあたかも、毎年新たなプログラムを生じるようにも思われる。W・エドワーズ・デミングはこれを「今日のお勧め品」プログラムと呼んでいる。従業員は、「このプログラムがあなた達の生活えをやりやすくし、そしてより生産的にさせるであろう」ということに対して冷笑的になるのである。

 この従業員の皮肉な性向を解決する唯一の方法は、管理者が継続的な行動とコミュニケーションとの間の歩調を合わせることである。コミュニケーションと行動が食い違ったときに、皮肉な性向が頭をもたげてくるのである。(出典:Greg Hutchin著「企業戦略としてのISO9000」)<戻る>

規格の危機

 アルゼンチンのISOコンサルタントでありTC176のメンバーの一人であるホラシオ・マティリナ博士は、グローバルな標準化に向けての挑戦や障害を次のように考えている。

 「ISO9000」は、上辺だけはグローバルな規格である。しかし、それはほんとうだろうか。次の要素によって、この規格の「グローバル」特徴は危機に瀕しているのである。

 ヲ TC176事務局の管理
 ヲ 参加を躊躇させる経済上、動機上の要素
 ヲ 討議に当たっての言語の難しさ
 ヲ 翻訳に当たっての言語の問題
 ヲ 技術発展のさまざまな水準

  (出典:Greg Hutchin著「企業戦略としてのISO9000」)<戻る>    

「管理図管理」から「自動制御」へ

      従来プロセスのばらつきを管理するには、管理図を用いてウェスタン・エレクトロリック・ルールにより異常事態を顕著化させ、アクションをとるのが一般的であった。鉛筆で管理図にデータを記入することにより問題に対する「痛み」がわかることが大切とされてきた時代から、データのコンピューター化が進み、自動的にプロセスの異常を統計処理の結果をしることができるようになった。コンピューターの性能が飛躍的によくなったこれからは、プロセスのばらつきに異常が発生した場合には機械を強制的にとめたり、自動制御によりばらつきそのものを押さえ込んでしまうやり方(フィード・フォワード・フィード・バック)が採用されはじめている。 (出典:社会経済生産性本部「日本経営品質賞」)<戻る>    

自分のクオリティ改善プロセスを各自が関係する
     サプライヤーにも適用せよ

 会社のプロセスを改善できる能力は、ある程度、こうしたプロセスへの入力データによって決定される。資料やサービスを他の会社から購入すればするほど、継続的改善努力はサプライヤー(仕入先や供給業者)に依存することになる。改善への風土づくりをサプライヤー全社にまで拡張・適用すれば、プロセス用のインプットのクオリティが十分に改善目的を満たしていることを確かめる助けになる。継続的改善の考え方と運動を拡張するには、サプライヤーともっと密接に協力したり、サプライヤー自信の改善努力の進行を助けたり、相互に信頼と敬意を伸ばしあうなど、一般には、相手のよりよい顧客になろうとすることが役立つ。(出典:ダニエル・ハント著「超品質」)<戻る>    

なぜ「ISO9000」を実施する必要があるのか

 「われわれはなぜ「ISO9000」の認証取得を必要としているのだろうか。われわれはすでに「ISO9000」よりもはるかに進んだTQMプログラムを持っている。そんなことなど、時間のむだではないか」  おそらくこのような話を耳にしたことがあるであろうし、取得運動中であれば、なおさらであろう。成功させるためには、ほとんど全員ー上級経営者からラインの担当者までーが、「ISO9000」の価値を理解し確信しなければならない。それには時間と忍耐が要求される。だがその見返りは大きなものがある。理解と協力がなければ、人々は取得活動を妨害し、積極的な参加を怠りまたはまったく支援しなくなるものである。もし従業員の積極的な参加がなかったらば、「ISO9000」は、経営者による「有為転変は世の習い」型の押しつけの一種として理解されていまうであろう。したがって、全員が「ISO9000」の妥当性を理解できるよう、ゆっくりかつ確実に事を進めるべきである。(出典:Greg Hutchin著「企業戦略としてのISO9000」)<戻る>    

恒常的活動として

 「クオリティ・ファースト」活動には一定の終わりとか始まりがない。一時的あるいは時限的活動とは異なり、一度開始したならば将来の事業活動全般にわたって遂行すべきものなのである。さまざまな変革をもたらすことがたとえ困難であり、時間がかかり、投資効果がすぐには現れないとしても、腰を据え腹を決めて長期的な取り組みをすべき筋合いのものである。(出典:ダニエル・ハント著「超品質」)<戻る>    

マイナス情報も積極的に活用

 いろいろな経路から入ってくる情報のうち、製品やサービスに関連するものは、すべて一カ所にまとめられる仕組みがあるだろうか。その中には苦情や不満といったマイナスの情報も当然含まれていなければならない。多くの企業で、顧客から寄せられた苦情や不満が、何らかの方法で「改善」に結びつけられていることは否定しないが、それは、役員や社長への直訴に及んだ時とか、苦情の主が大手の顧客か、他への影響力が大きい時とかに限定されていないだろうか。これでは「問題対応型」の域を出ず、企業プロセスの理想とする「予防型」「先取り型」とは言い難い。またマイナスの情報が企業内で円滑に伝達されるような企業風土と、仕組み作りにも力を入れる必要がある。顧客の苦情を第一線の担当者が聞き、それを報告した際に上司が叱りつけたり、いい顔をしないようでは、二度とそのような報告はされず、対応も遅れ、顧客はますます苛立つ結果になる。組織の取り組みがなされなければ、その苦情の原因となった問題がくりかえされることにもなり、企業としての損失は計りしれない。発想を変えてマイナスの情報を積極的に活用しなければ「宝の持ち腐れれ」と言ってもよい。(出典:社会経済生産性本部「日本経営品質賞」)<戻る>    

従業員を参画させる

 「ISO9000」の文書および教育・訓練は、全員が自らの仕事を知ることを確実にする。W-R社において、品質コスト・データは、工程現場の人々の間で共有されている。また、人々が参画している。もし、ライン上で何か異常が発生した場合、従業員は生産プロセスを中止することができる。問題は、それが発生したレベルで解決されるのである。問題は、諸資源が提供されなければならないか、もしくは上位の解決を必要とする場合には、スーパーバイザリー・チェーンまで上申される。ラインの監督は、プロセスのまとめ役およびガイド役が進化しており、このことは、監督が例外管理を行うことを可能にしている。  同様に、従業員が責任を持っている。生産と品質の報告書は、従業員の間で共有されている。スクラップと再加工による直接労務費データは、全員に共有されている。(出典:Greg Hutchin著「企業戦略としてのISO9000」)<戻る>    

参入障壁のなさ

 「ISO9000」の認証取得に関する主要な問題点は、監査員の質である。品質システム監査員となるための障壁がほとんどないのである。認証取得を目指す会社から広く出される苦情に、監査員の業界知識、工程そして製品固有の経験の欠如がある。複雑な作業に対する品質監査の実施には、しばしば、業務、技術そして製品に関する専門的知識が要求される。これに対して、監査機関側は、監査待ち時間がすでに相当長くなってきている理由で、監査員の教育訓練すべき人材を見つけることができないと回答している。ある事例では、会社が監査員の技術的無能さについて苦情を申し立てた。その監査員は、2ヶ月前に認定のための教育訓練を受け、そしていま、複雑な技術工程と品質システムの評価を求められていたのである。(出典:Greg Hutchin著「企業戦略としてのISO9000」)<戻る>    

実証手段としての文書化

 外部品質保証のためにどの程度の文書化をすればよいかは、実は「ISO9000シリーズ」を審議しているTC176でも大きな議論となっている。文書化にはいくつかの役割がある。一つは、コミュニケーションの道具としてであり、もう一つは実証の手段としての役割である。第一の点に関しては後述するとして、問題なのは第二の役割を担う文書・記録がどの程度あれば、外部品質保証の能力を実証できるかである。内部目的のためにも必要な記録・文書は、これまでもずいぶん作成」し管理してきた。外部品質保証という新しい概念は、外部に対して、自分たちがきちんとやっていることを示すの文書・記録をも要求する。  TQCは、こうした外部目的の文書化の意義を、外部品質保証をその一部として取り込むことの一貫として、十分に認識する必要がある。同時に、「ISO9000」の側でも模索中であるこの課題に対して、一つの見解を示していくべきである。それは「ISO9000」のためだけでなく、TQCを世界に通用する汎用的な経営アプローチとするために有用なことである。(出典:飯塚悦功著「ISO9000と TQC再構築」)<戻る>    

審査の効率化

 まったく同じ目的を達成するために現在のこの制度の運用は合理的、効率的なのだろうか。たとえば審査日数はいまのままでよいのだろうか。外部品質保証の能力を審査するために、現在の審査日数で本当にいいのだろうか。それぞれの企業は内部で総合的な品質管理体制を構築しているとの前提の話だが、そのときに、外部品質保証の体制を調べるのに、似たようなことについて詳細に調べる必要があるのだろうか。現在では審査対象の組織を構成する人数に応じて審査日数と審査員数を決めているようだが、実はそうすべきでなく、その組織が果たすべき機能の数、部門数、外部とのインターフェース数など、機能上の複雑さに応じて審査工数の計画をたてるべきではなかろうか。  審査準備にかかる工数は合理的であろうか。品質マニュアルの本質的でない部分に多くの時間を使っているように思うが、どうだろうか。形式が重要な場合があるのはわかる。だが、たかが品質マニュアルで、法律のような形式的完全性を求めてどうしようとというのだろう。外部品質保証の能力を審査するという観点から、品質マニュアルは、どのような記述の方法、詳細さで書くべきか、検討しなければならない。(出典:飯塚悦功著「ISO9000と TQC再構築」)<戻る>    

教育・訓練

 品質管理において教育・訓練の重要なことはいうまでもない。日本においては、技能の訓練、技術教育とともに、品質の意義、品質管理体系、問題解決法など広範な教育・訓練を行うが、ここで要求されていることは、主に特定の技能が要求される業務に従事する要因に対する技能訓練および資格認定である。  第一文は、品質に影響を与える業務に従事するすべての人々に必要な教育・訓練がなんであるかを明らかにする手順を文書に定め、そこで明らかにされた教育・訓練を実施することである。「品質に影響する業務に従事するすべての要員」とは、考えようによっては「すべての要員」となろうが、その判断は供給者に任されている。「教育・訓練のニーズ」すなわち必要な教育・訓練内容についても、考え方によってはかなり広範囲になるはずだが、これも供給者の判断に任されている。そのニーズを明確にする手順を定めるというのも、真面目に考えれば、いわゆる人材マップ、能力マップのようなものを作成して、これに基づいてだれにいつなにを教え訓練するかを定める手順を意味するとなるが、どの程度きちんと行うかは供給者しだいである。(出典:飯塚悦功著「ISO9000と TQC再構築」)<戻る>    

無 題

 顧客との関係も、個人的な信頼関係から顧客満足プログラムへと変わる。@顧客の満足度が継続的にチェックされる体制が作られるA顧客満足度が営業業績の評価の重要な基準になるB営業担当も、それに合わせて購買後の顧客へのフォローを重視するようになるCかけがえのない信頼関係で結ばれた場合には簡単でなかった顧客担当者のローテーションも、それほど抵抗もなくできるようになる。  新しい営業体制において、情報機器・システムが重要な役割を果たしていることは改めて言うまでもないが、一つの特徴は、そこで流れる情報が、得意先との新たな関係づくりに利用されている点である。  具体的には、「得意先と在庫情報を共有する」「得意先に対して製品やそれ以外の情報を積極的に提供する」「営業の中で、得意先から意見を聞くために費やす時間を取る」「得意先と共同で問題解決にあたる」などの試みを挙げることができる。(出典:神戸大学教授、石井淳蔵氏)

効果の評価

 ISO 9000による品質管理の効果を評価するために、何か点数をつけられないかという問題提起がありました。以下はその評価法の一つです。

 評価は品質システムの改善活動とその成果の両方から行うのがよいと思います。品質システムの改善活動の良さを品質活動指数で表し、その成果を品質改善指数で表して、両者を合わせた総合評価を品質システム運営指数で表します。

 まず、品質活動指数は、a1,a2,a3の要素で構成されています。a1は不適合の発生状況とその損失がマネージメントによって把握されている状況を示す数字で、不良の発生状況とそれによる損失がきちんと把握されている場合は20点を、全く行われていない場合は0点の評価をします。a2は不適合の原因の分析の状況を示す数字で、主要なものに関して分析できている場合を20点とします。a3は是正処置に関するもので、これは基本的には標準の制定あるいは改訂、それから教育訓練ですが、その結果として、不適合が発生しない状況になっていれば20点です。以上を合計して60点を取れば、ISO 9000をフルに活用しているといえると思います。

 このような状況になれば成果も出てくるはずで、これを合わせて評価します。しかし、これはあまり簡単ではない。というのは、ISO 9000で不良が減るのは、品質管理のレベルの低い企業ではないかという意見があります。しょっちゅうトラブルを出しているところは、きちんと標準を作って不良を抑え込めば、大きな成果が出ますが、あまりトラブルがない組織では、ISO 9000をやってもよくならないのではないかというわけです。(出典:標準化と品質管理 Vol.51 1998 No.1 「ISO 9000を越えて」久米 均氏の講演録より )

審査への疑問

 まったく同じ目的を達成するために現在のこの制度の運用は合理的、効率的なのだろうか。たとえば審査日数はいまのままでよいのだろうか。外部品質保証の能力を審査するために、現在の審査日数で本当にいいのだろうか。それぞれの企業は内部で総合的な品質管理体制を構築しているとの前提の話だが、そのときに、外部品質保証の体制を調べるのに、似たようなことについて詳細に調べる必要があるのだろうか。現在では審査対象の組織を構成する人数に応じて審査日数と審査員数を決めているようだが、実はそうすべきでなく、その組織が果たすべき機能の数、部門数、外部とのインターフェース数など、機能上の複雑さに応じて審査工数の計画をたてるべきではなかろうか。

 審査準備にかかる工数は合理的であろうか。品質マニュアルの本質的でない部分に多くの時間を使っているように思うが、どうだろうか。形式が重要な場合があるのはわかる。だが、たかが品質マニュアルで、法律のような形式的完全性を求めてどうしようとというのだろう。外部品質保証の能力を審査するという観点から、品質マニュアルは、どのような記述の方法、詳細さで書くべきか、検討しなければならない。(出典:飯塚悦功著「ISO9000と TQC再構築」)

 飯塚先生が疑問に思われている審査の内容と少し異なるが、以下に示す審査の実例は、審査員の「質」の低さを如実に表している。このような審査員の言語がISO 規格を性格をゆがめ、被監査側の不信感を高めている。まことにゆゆしきことではある。審査員の自己研鑽を強く望む。

   実例1.審査員「ホテル代立て替えると、決済に時間がかかるのでそちらで払っ      ておくのが普通だよ!」

  事例2.審査員:「マークはななに使ってるの?」
      被監査者:「名刺だけです。」
      審査員:「スケールッ」
      被監査者の独り言 (スケール貸してくださいくらい言え!)

  実例3.審査員:「部品置場は?」
      被監査者:「ここです。客先名と部品名を表示してます」
      審査員:「部品置場と書いてない!私がわからないから不適合!」

  実例4.審査員:「発注書は?」
      審査員:「最新版管理してるの?」
      被監査:「記録として管理してます」
      審査員::「発注伝票は品質文書ですよ。やってないとメジャーだ
            よ!」
      被監査者:「伝票がですか?オーダーは記録として管理してます。」
      審査員:「あんた!勘違いしてんじゃない?」
      被監査者(ココロのなかで:「うるせーな、じじー」)
      審査員:「今は議論してる時間がない」
      クロージングにて
      審査員:「あの人が納得しないようなので 注文書の最新版管理が
          されてない と書いておきます。」
      被監査者の工場長:「ハイ!」
      被監査者審査機関に問い合わせ:「記録の最新版管理ってどうやる
                      の?」
       監査機関:「審査員と話し合ってくれ」

  実例5.審査員 :「***の文書を見せて下さい。」
      被監査者 :「これです。」といって、***手順書を審査員に渡す。
      審査員 :文書を手にとって
           「ふむふむふ・・・・・。 ここの”と”が一文字多いです
            ね。」
      被監査者 :「え!」
      審査員 :何食わぬ顔でページをめくる。しばらくして、
          「実作業と文書はあっていますね。」
           「では、次に・・・・・」       

  実例6.審査員:「文書を記録としてるんだからMajorにするぞ!」とおどさ
            れました。
      審査機関に問い合わせした。
      審査機関:「審査機関は審査員と話し合ってください」
      被監査者 は 正式に文書での異議申し立てをするか悩んでいる。

ISO 9000規格の基本的な目的

「ISO9000」規格は、すでに品質プログラムを持っている企業とっては使いやすいものである。ISOの品質用語と概念は、基礎的なものであり、品質の分野において広く受け入れられているものである。またこの規格は簡素化されている。たとえば、ISO9001品質規格は、ほんの7ページである。しかしながら、これは基本的に「万能型(one size fits all)」の問題を抱えている。この規格は、包括的でほとんどの産業セクターに属する企業で適用できるよう開発されている。その結果として、この規格を、ある特定のプロセス、システムまたは産業に導入または適用しようとした場合に困難をともなう場合がしばしば生ずる。しかしながら、努力と工夫によって、「ISO9000」品質規格は広範囲にわたって適用することが可能であり、固有のアプリケーション、工程または製品向けに調整することができる。この規格の基本的な目的は、会社が品質システムを確立し、製品の安全性を維持し、顧客を満足させることができるようになることにある。(出典:Greg Hutchin著「企業戦略としてのISO9000」)


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