ナレッジ・マネージメント

 日経新聞は、「経営変革の新戦略ーナレッジ・マネージメント」と題する連載が始めた。すでに当ホームページでもその一部を紹介しているが、三回目のころから分かってきたのは、ナレッジ・マネージメントとは、このページで提唱している「マルコム・ボールドリッチ賞」そのものであることだ。なぜわざわざナレッジ・マネージメントと名を変えるのかが今のところ分からないが、「マルコム・ボールドリッチ賞」と比較したオーナー注をつけながら記事をそのまま転載することにした。

 日本システムの国際競争力の低下

 ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれた八十年代の日本の高生産性体制がバブル経済崩壊以降の九十年代に入って様変わりを見せている。スイスの国際経済開発研究所の企業競争力比較によると、1998年の日本企業の順位は18位であり、八つの評価項目の一つ「経営カテゴリー」では24位に凋落している。

 この調査結果は、今までの日本経済の飛躍的な発展の立役者であった、従来の日本の生産システムや日本式経営システムだけでは国際競争力を維持することが難しいことを裏づけている。

 日本の生産システムを代表する品質管理(QC)や全社的品質管理(TQC)は、製造工程を中心にした考え方であり、統計的手法を駆使して、三無(ムリ、ムダ、ムラ)などをなくす現場の改善策をアイデアを結集して作る方法であった。しかし「良いものを作れば売れる」という少品種大量生産(プロダクトアウト)的な考え方を、「顧客が好むものを作る」という多品種少量生産志向(マーケットイン)に転換することをマーケットは求めている。

 価格破壊が進展し、競争がますます激しくなってくると、経営全体の品質向上、コストの削減、サイクルタイム(企業活動の各業務に要する時間)の短縮を目指した経営品質の向上も重要となる。

 人間関係論などとの違い

 経営品質の向上のためには1 顧客や市場の理解 2 環境の変化に対応したリーダーシップの発揮 3 顧客満足を目指した経営戦略 4 戦略の実行に必要な人材開発と学習組織の構築 5 戦略を具体化したプロセスの編成とマネージメント 6 上記すべてに関わる情報の収集・分析・共有・活用などを、知識を最大限に活用しているかどうかの視点から徹底して実行することが求められる。これがまさに、ナレッジ・マネージメントなのである。(オーナー注:「マルコム・ボールドリッチ賞」とどこが違うのかと大きな疑問がある。特に、1999年版と比較すると全く同じである。)

 もちろん、経営品質向上のための経営理論はほかにもある。

 作業効率を目指した科学的管理や、組織を活動の有機システムと考える管理過程論などは、業務の仕組みに焦点を置いた考え方である。さらに人間を機械の歯車と見る考え方に反発して出てきた手法が、モラールによって生産性を管理しようとする人間関係論や、モチベーションやリーダーシップなどを考慮した行動科学論である。マズローの欲求五段階説で重視された自己実現は、今でも広く支持されている。

 個人の知識を組織の知識に

 しかし、人間の気持ちを中心にした考え方や経営理論であっても、現在のような環境では業績を飛躍的に向上させるような抜本的な変革はも望めない。

 ナレッジ・マネージメントは、個人の経験・知識・知恵を結集し、企業にとって最適な基幹業務プロセスなどを構築するという面で、他の経営理論と異なる。経営管理の対象を、機械の改良や人を働かせることから、人間の意識の中身である「知識」に焦点を当てた経営手法である。知識を共有することにより生産性を向上しようとしている。(オーナー注:「マルコム・ボールドリッチ賞」では、「社員が所有する知識を組織の知識として開発し、涵養し、共有する。そして、人的資源を戦略的変革プロセスにかみ合わせる。」となっているから、ここでいうナレッジ・マネージメントと何ら変わらない)

 個人の知識の八割が、組織の知識になっていないといわれているように、知識共有の効果は計り知れない。デルファイ・グループのユーザー調査によれば、従来の品質管理活動と違って、ナレッジ・マネージメントによる技術革新や知識の範囲に限界はないという頼もしい調査結果が出ている。

 結果かプロセスか

 日本人は結果をすぐ欲しがるのに対して、アメリカ人は結果も、それをもたらすに至ったプロセスも重視する。プロセスが正しければ、かならず正しい結果がもたらされるという信念が考え方の基礎にある。したがって、プロセスを作るにあたっては十分な時間と人を投入し徹底的に議論し、いったんプロセスが出来上がれば、だれでも実施できるようにマニュアル化する。(オーナー注:米国ベル研究所に短期研究員として赴任してきた筑波大学の先生がやっていたことは、まさにこれだった。結果を出そう出そうと週末もただ研究所に行っていた。結果を出したいという思いは、だれでも同じだ。しかし、米国人も米国に来ている海外の研究者が知りたいのは、結果を出すにはどんな風にやったかである。彼らは、他人のやったことや結果を真似することは大嫌いだからだ。だから、「どうやったかを他の研究者に知ってもらうことも大切ですよ。」と助言したが先生は理解しようとしなかった。彼の美人の奥さんは、先生がいかに忙しく働いているかを我々夫婦に自慢するしかしなかった。そのときの気持ち、「空」だけが残ったことを思い出す。本論に戻そう。必ずしも、アメリカ人がプロセスを重視するとは限らない。むしろ、結果を重視するのは、経営者に近い中間管理職である。彼らは言う、「What's the bottomline, by the way?」。これが現実である。でなければ、人工衛星で人間を月にまで送れない。プロセスが正しければ、人間が死んでもよいとは決して思わない。どのような論拠で簡単に「いったんプロセスが出来上がれば、だれでも実施できるようにマニュアル化する」と結論づけられるのか理解に苦しむ。)

 マニュアル化できない個人の有する知識や知恵もアメリカ人は移転しようとする。知識はマニュアルや本、セミナーなどを通じて教育やトレーニングできると考えているためだ。だから、ゼネラル・エレクトリックやゼロックスが大成功したように、多くの企業がベストプラクティス(卓越した事例)を他から学ぶベンチマーキング(ベストに学ぶ変革手法)によってイノベーションを起こせると考える。

 チームワークの精神

 しかし、欧米で今ブームになっているナレッジ・マネージメントは、従来のプロセス重視やマニュアル化と視点と性格が異なる。変革のためには、ベストプラクティスという仕組みだけでなく、それを実際に動かしている人の意識や知恵の共有が重要であることに気付いている。ナレッジ・マネージメント・シンポジウムで多くの欧米企業が強調していたのは「コミュニティー」という言葉である。

 最も賞賛される知識企業の十九位にランクされたシェブロンは、マネージメント委員会、エネルギー効率、競合情報ネットワーク、顧客満足ネットワーク、多角化フォーラム、認知と表彰ネットワークなどの研究グループを「プラクティスのコミュニティー」と名付けている。その定義は「企業の成功に付与することを目的として、知識共有、経験の活用、個人およびその集合的な能力を向上させるために集まった、共通の業務機能を持ったインフォーマルな人のネットワーク」である。

 ジョンソン・エンド・ジョンソンは、地球規模に分散した企業内の知識をグローバルに共有するため、同じような「プラクティスのコミュニティー」を活用している。同社のイントラネットは、ナレッジ・ネットワークと称される。それは「ビジネスに好インパクトを与えるためにナレッジをシステムにとらえ、共有し、さらにそのネットワークを拡大させる組織能力」を意味している。このネットワーキングを通して、人、業務プロセス、技術の三つの構成要素を統合して、問題解決や意志決定を行っている。(オーナー注:あのエクソン・バルテージ号の濾油事故のときだが、原油を分解させるための技術で個人的にアイデアがあれば、なんでもよいから会社に提案してほしいと社内テレビで訴えていた経営幹部の姿がここにある。個人の知識には、企業が立ち入れない領域があると気付かせる出来事だった。事実、ある個人のアイデアが取り上げられ、アラスカの海を救ったことを知ったのは、帰国後のことだった。)

 個の重視と情報公開

   このコミュニティーの概念は、もともと日本のお家芸でもあるチームワークや相助の精神に通じるものである。それはチームとしての仲間が協力し合うことからきている。しかし、日本のチームワークはどちらかというとチーム内の協力に限られている。極端な例では、村八分というような外の人間を排除したり、異端者を抹殺するようなことが起こりうる。

 一方、欧米企業が取り入れているコミュニティーは協力する人間を拒まないし、少数意見を尊重する。日本のチームワークの本質、すなわち協力する精神のみを取り入れた。そして、欧米独特の個の重視と情報公開という考え方を付け加え、公平なプロセスを作り上げた。(オーナー注:この精神を理解するには、宗教の背景があることを考えに入れなくてはならない。キリスト教だけでなく、イスラム教、ユダヤ教には、共に助け合うという精神が仏教より強し、神の前ではみな同じの精神が根底にある。)

 この欧米が確立したコミュニティーの考え方は、密室主義や暗黙の了解という世界標準からかけ離れた日本の旧態依然とした意志決定システムに風穴をあけようとしている。(オーナー注:同感である。) (つづく)


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