自殺者が出るほど苛酷な学習環境を共有した者たちの連帯意識は強力で、その世界中に広がるネットワークは俗に「ハーバード・マフィア」と呼ばれ、MBAおよびエクゼクティブ・コースを合わせると6万人以上を誇っている。応募総数7千人の中から選ばれた、約70カ国800人の精鋭達が、くる日もくる日も知的戦闘を繰り広げている。それがこの1年間の苛酷なサバイバルゲームを通じて得た私のHBSに対する印象である。
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私のセクションメイトも弁護士、公認会計士、軍人、コンサルタント、バンカーなど多岐にわたっており、特筆すべき人物もいる。例えば、最年少の21歳で入学したジョシュアは、飛び級を重ねて17歳でハーバード大学を卒業したが、14歳でコンピューターソフトの事業を始めており、入学前にそのビジネスを売却し数億円の金を手に入れているし、私と同年輩のロビンはシリコンバレーでベンチャービジネスのCEOを務め、ジョシュア同様、入学前に売却して40億ほど儲けている。そのほか、ジャガーの御曹司や証券会社リーマンブラザーズ関連のロエブ家のご令嬢、また変わり種では、優秀さゆえ大学卒業と同時に2年の職務経験を条件に入学を許可され、その期間を利用してイスラエルのプロバスケットボールチームでプレーした2メートルを超える大男のジョッシュがいる。
こうした多様な経験と知識を持つ連中が様々な角度から意見をぶつけ合い、お互いの知的向上を図る。すなわちディスカッションをベースに全ての授業が繰り広げられる。それが有名なハーバードのケースメソッドである。
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一つのケースは平均13ー14ページの細かい文字でびっしり書かれた文章部分と、10ページ程度の財務データや製品写真の資料部分から成っている。2年間で読破するケースの総数は八百件におよぶので、単純に計算しても一万ページ以上の英文を読むはめになる。ケースの多くは、意志決定者が誰で、どのような問題に直面しているかの短いサマリーで始まる。そして、会社の歴史、事業環境、競争会社の分析等と続いていく。ケーススタディーで最も大切な点は、いったい何が論点なのか、そしてそのプライオリティはどうなっているか、そしてその問題を取り巻く状況を分析し、アクションプランまで絞り込んでいくことにある。つまり、常に経営者の視点に立って状況を把握し、分析からアクションプランに至るまで、明解なロジックを持って意志決定をしていくことを、繰り返し繰り返したたきこまれる。
しかし、この方法では80人いれば80通りの解答が可能となり、教官の舵取りがよほどしっかりしていていないと議論が混乱することもあり、知識を伝えていく手段としてのケースメソッドにも、短所が多い点は否定できない。しかし、経営者養成を教育目的とすることにおいてより良い代替手段がないことは、有能な経営者を輩出し続けるHBSの実績が何よりの証拠となっており、講議中心であった他のビジネススクールでもこの方法を取り入れ始めている。
ケースは全て実在の企業を取り扱っており、最新のケースでは現在その企業が抱える問題に焦点を当てている。したがって、MARKETINGのある授業では、化粧品会社のロレアル社の社長が同席し、新規市場参入に関するMARKETING戦略立案の我々のディスカッションに熱心に耳を傾けていた。また、ケースに登場する主人公が実際に講演にくる機会も多く、インテル、コンパック、クライスラー、GE等のCEOや、世界投資家として有名なワーレン・バフェエット氏等、多くの財界人の経験談や哲学を聞けるのもハーバードならではである。
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HBSでは発言時間を「エアタイム」と呼ぶが、各生徒が発言を求めて一斉に手を挙げる姿は、日本の大学教育しか知らない者にとっては正に圧倒される光景である。そんな中で自分の言いたいことを議論の流れに合わせてタイミング良く発言することは、本当に骨の折れる作業である。前日にどれだけ手間ひまかけて夜遅くまで頑張ったとしても、発言できなければ何の意味も無く、大変な脱力感とフラストレーションにさいなまれることになる。つまり、HBSでは毎日が試験の場であり、戦場であり、相当な緊張感と気合で挑むことになる。
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学生間の競争を必然的に煽るこのシステムには昔から学生の反発も強く、学長との食事会で露骨に批判する学生もいた。しかし、学生のそんな意見に対して学長は頑として受け付けず、Harvard Brand Equityを維持するための必要なシステム、すなわち、ある一定の基準、品質をクリアした者だけを世に送り出すことによって、世界最強のブランドを保つことができるのだ、という強い信念を披露して一歩も譲らなかった。
あるHBSの卒業生がこんなことを語っていた。あの苛酷な2年間のHBSでの生活を通じて得た最大の財産、それはあの苦難を乗り切ったことによる自信である。すなわち、HBSでの苦労を思い起こせば、どんな辛い仕事に遭遇しても自信を持って対処できるようになるのだという。その自信をつかみとれるよう、残り1年を気合いを入れ、全力で疾走したいと思っている。