年頭に思うこと

 お正月の年頭所感でもないが、12月29日付け日経新聞の二三の記事を引用しながら「日本経営品質賞」のサブモヂュールについて生の事例を紹介し、日頃感じていることを述べたい。

 「リーダーシップ発揮の仕組み」では、ノベル会長エリック・シュミット氏のコメントである。「正しいと思ったことを自信を持ってやり抜くこと。不人気だろうと、嫌われようとも、断固としてやり道す。もちろん社員や株主と徹底的に話し合うことは大切だが。レーガン元大統領やサッチャー元英国首相が一番苦しいときに就任したが、強い意志で改革をやり遂げた。」このコメントをどう受け取るかは、個人の自由だが、米国にしろイギリスにしろアングロサクソン系の民族は、日本人から見ても保守的な考えを持っている。にもかかわらず、変革をやり遂げたリーダーの功績は計り知れないほど偉大だとわたしは思っている。日本の歴史が教えているように、外国の文化を見境もなく取り込むのが日本だ。これは、戦後の日本だけを見てもすぐ分かることだ。しかし、アメリカは、日本人が思っているほど開放的な社会でもなく、人々も変化を嫌う国と見た。だからこそ、ここで取り上げられている人たちの偉業が尊ばれているととらえるべきだ。「パス・ファインダー」(道無きみちを見つけながら進むリーダー)はいつの時代でも大変な苦悩と戦わねばならない。

 「戦略の策定と展開」の「取り組みのポイント」では、やはり同氏の「成功の条件は事業の焦点を絞り込み、顧客の声に耳を傾け、顧客の問題を解決するための製品やサービスを提供すること。再生のカギは絞り込みと顧客への密着だ。」はどうだろうか。顧客志向の経営が、米国でここまできていることに驚嘆する。15年年ほどまえのことだが、私が所属していた部門の世界会議の席で日本の自動車会社が要求している油の性能のことを議論していたときに、米国のセールスマンが、大きな声で叫んだ。「日本の顧客が求めている薄い油の色や臭いを研究開発者は真剣に考えるべきだ。」「自分が勝手によい性能だと思って開発した製品が、顧客に受け入れられると考えるのは思い上がりもいいところだ!!」と。しかし、それが本当に理解されて、日本人の研究員を受け入れたのは、そのあと数年後だった。

 「基幹業務のプロセスのマネージメント」の好例は、直販・受注生産の「デル」モデルだ。「デルはインターネットや電話を通じて消費者から注文に応じて一つ一つ手作りで製品化する。一日におよそ一万四千台を越える製品を仕様別に組み立て。直ちに消費者に送り届けるのだ。(途中省略)十二月に入り、デルのインターネット経由の一日の平均販売額は六百万ドルと前年の倍の水準に急拡大した。ネットワーク効果で直販の普及に加速度がついてきたこともあるが、マイケル・デル会長の掲げる「ビロシティー」(高速力経営)を合言葉に、受注から生産、直販までのリードタイムを極限まで絞り込む社内運動の成果でもある。」
 この事実は、もはや従来型生産システムは崩壊し、ネットワーク型に変わりつつあることを示している。研究、購買、製造、販売、そして顧客へと直線的に流れるシステムは従来型であり、ネットワーク型は違う。研究・開発はアメリカで行い、エンジニアリングは日本、製造はベトナム、技術サービスと情報センターはシンガポール、受注管理は香港、そしてマーケティングは各国の事業所と「The Best-of-Everything」を追求するシステムだ。もうすでにこの新しいシステムを日本でも実施するべく準備を進めている企業もあるやに聞いている。この使命を果たすべく、シンガポールに赴任した知人はいまどうしているのだろうか。年賀状が待ちどうしいと同時に、日本の中小企業の行く末に不安を感じる。

 「サプライヤーの能力向上」と「情報・データの共有化」としては、やはりデルが確立したサプライヤーとの長期的「WIN-WIN」の強い同盟関係が好例である。」
 「オースティン工場から約15分。工場を包囲するかのような小型物流センターが点在する。通称「リボルバーウエアハウス」(回転式倉庫)。デルの”離れ業”を支えるカギだ。デルと取り引きする部品メーカーは前もってここに部品をストックし、顧客からデルに(パソコンの)注文が入り次第、(部品を)小口で(デルの工場に)スピード搬入する。」

 「実際の搬入作業は、物流の専門会社カリバー・ロジスティックに委託した。「工場での効率的な組み立て作業は、部品の搬入段階で勝負が決まる。発注データをもとに膨大な数の部品を仕分けし、順序よくトラックに積載して運行する方法は専門家の知恵を借りるのが一番」と、発想は柔軟だ。」
 回転倉庫を導入したデルには、ふたつの狙いがあった。ひとつは部品メーカーの絞り込み。もうひとつは残った部品メーカーと、戦略的で強固な同盟関係を築くことだ。92年当時、204社あった取引先はおよそ22社に激減。この結果、95年秋に40日だった平均在庫日数が、11日になった。」
 「シーゲート、ウェスタン・デジタルなど残った22社の部品メーカーはデルの無理難題にやむなく付き合ったのではない。デルと同盟会社の関係はあくまで「互恵主義」。デルの契約部品会社は、業界の三倍のスピード成長を続けるデルと一緒に、高成長路線にひた走る切符を手に入れたといえる。」

 「社員の教育・訓練、自己開発」には、日立造船の例を取り上げたい。「日立造船の主力の有明工場で女性作業員の雇用を拡大、2000年までに20人増やして約50人とする。船舶や船舶用大型エンジンの建造は、従来熟練工に依存してきたが、ロボット化の進展を受けて力仕事が減り、短期の研修で収得できる分野が増えているためだ。経験の浅い女性の活用で製造コストを低減し、ウオン安で受注量を増やしている韓国各社に対抗する。」

 中小企業が人手不足を嘆くのは、止めた方がよい。足下に立派な人材がいるのに、教育・訓練を怠っているだけだ。海外では、文字も読めない労働者を使ってちゃんと工場を動かしている。昨日まで、中国に住んでいた人が工場建設に携わっていたことも経験した。それに比べれば、相対的に「良質な」労働者を入手できるにもかかわらず、日本の経営者は、この事情を恵まれていると感じていない。山一証券の社員2000人を米国メルリリンチ社が雇用すると報じられたのが、その事実を物語っている。使いたくない言葉だが、「低質な」労働者を使えない経営者はこれからはやっていけないだろう。誰でも働ける標準化されたシステムを作らないで、「あうん」の気持ちで通じる人で仕事をする仕組みに頼っている。そのような時代は終わっている事実に早く気づくべきだ。
   こうしてみると、多くの企業は、特に米国企業は「マルコム・ボルドリッチ賞」の枠組みを実践しているとしか思えない。日本企業の発憤を望む。 

ハーバード・ビジネス・スクールでの経営学教育

現役時代に短期間であったが、共に仕事をした社員の一人がいまハーバード・ビジネス・スクールで経営学を学んでいる。彼は、少林寺剣法を趣味とする変わったタイプの化学系東大出身者である。入社時に、MBAの取得を目標としていた。その彼が、「まさに戦場、ハーバード・ビジネス・スクール」と題した体験談を社内報に寄稿している。なかなか興味のある内容なので一部を転載したい。 

 自殺者が出るほど苛酷な学習環境を共有した者たちの連帯意識は強力で、その世界中に広がるネットワークは俗に「ハーバード・マフィア」と呼ばれ、MBAおよびエクゼクティブ・コースを合わせると6万人以上を誇っている。応募総数7千人の中から選ばれた、約70カ国800人の精鋭達が、くる日もくる日も知的戦闘を繰り広げている。それがこの1年間の苛酷なサバイバルゲームを通じて得た私のHBSに対する印象である。

(途中略)

 私のセクションメイトも弁護士、公認会計士、軍人、コンサルタント、バンカーなど多岐にわたっており、特筆すべき人物もいる。例えば、最年少の21歳で入学したジョシュアは、飛び級を重ねて17歳でハーバード大学を卒業したが、14歳でコンピューターソフトの事業を始めており、入学前にそのビジネスを売却し数億円の金を手に入れているし、私と同年輩のロビンはシリコンバレーでベンチャービジネスのCEOを務め、ジョシュア同様、入学前に売却して40億ほど儲けている。そのほか、ジャガーの御曹司や証券会社リーマンブラザーズ関連のロエブ家のご令嬢、また変わり種では、優秀さゆえ大学卒業と同時に2年の職務経験を条件に入学を許可され、その期間を利用してイスラエルのプロバスケットボールチームでプレーした2メートルを超える大男のジョッシュがいる。

 こうした多様な経験と知識を持つ連中が様々な角度から意見をぶつけ合い、お互いの知的向上を図る。すなわちディスカッションをベースに全ての授業が繰り広げられる。それが有名なハーバードのケースメソッドである。

(途中略)

 一つのケースは平均13ー14ページの細かい文字でびっしり書かれた文章部分と、10ページ程度の財務データや製品写真の資料部分から成っている。2年間で読破するケースの総数は八百件におよぶので、単純に計算しても一万ページ以上の英文を読むはめになる。ケースの多くは、意志決定者が誰で、どのような問題に直面しているかの短いサマリーで始まる。そして、会社の歴史、事業環境、競争会社の分析等と続いていく。ケーススタディーで最も大切な点は、いったい何が論点なのか、そしてそのプライオリティはどうなっているか、そしてその問題を取り巻く状況を分析し、アクションプランまで絞り込んでいくことにある。つまり、常に経営者の視点に立って状況を把握し、分析からアクションプランに至るまで、明解なロジックを持って意志決定をしていくことを、繰り返し繰り返したたきこまれる。

 しかし、この方法では80人いれば80通りの解答が可能となり、教官の舵取りがよほどしっかりしていていないと議論が混乱することもあり、知識を伝えていく手段としてのケースメソッドにも、短所が多い点は否定できない。しかし、経営者養成を教育目的とすることにおいてより良い代替手段がないことは、有能な経営者を輩出し続けるHBSの実績が何よりの証拠となっており、講議中心であった他のビジネススクールでもこの方法を取り入れ始めている。

 ケースは全て実在の企業を取り扱っており、最新のケースでは現在その企業が抱える問題に焦点を当てている。したがって、MARKETINGのある授業では、化粧品会社のロレアル社の社長が同席し、新規市場参入に関するMARKETING戦略立案の我々のディスカッションに熱心に耳を傾けていた。また、ケースに登場する主人公が実際に講演にくる機会も多く、インテル、コンパック、クライスラー、GE等のCEOや、世界投資家として有名なワーレン・バフェエット氏等、多くの財界人の経験談や哲学を聞けるのもハーバードならではである。

(途中略)

 HBSでは発言時間を「エアタイム」と呼ぶが、各生徒が発言を求めて一斉に手を挙げる姿は、日本の大学教育しか知らない者にとっては正に圧倒される光景である。そんな中で自分の言いたいことを議論の流れに合わせてタイミング良く発言することは、本当に骨の折れる作業である。前日にどれだけ手間ひまかけて夜遅くまで頑張ったとしても、発言できなければ何の意味も無く、大変な脱力感とフラストレーションにさいなまれることになる。つまり、HBSでは毎日が試験の場であり、戦場であり、相当な緊張感と気合で挑むことになる。

(途中略)

 学生間の競争を必然的に煽るこのシステムには昔から学生の反発も強く、学長との食事会で露骨に批判する学生もいた。しかし、学生のそんな意見に対して学長は頑として受け付けず、Harvard Brand Equityを維持するための必要なシステム、すなわち、ある一定の基準、品質をクリアした者だけを世に送り出すことによって、世界最強のブランドを保つことができるのだ、という強い信念を披露して一歩も譲らなかった。

 あるHBSの卒業生がこんなことを語っていた。あの苛酷な2年間のHBSでの生活を通じて得た最大の財産、それはあの苦難を乗り切ったことによる自信である。すなわち、HBSでの苦労を思い起こせば、どんな辛い仕事に遭遇しても自信を持って対処できるようになるのだという。その自信をつかみとれるよう、残り1年を気合いを入れ、全力で疾走したいと思っている。

 日本では、慶應ハーバード・ビジネス・スクールがあり、私も2週間コースに出席したことがある。ケーススタディーのために長時間の予習がいり、毎日夜中までやったことを思い出す。本物のスクールは、想像するだに恐ろしい。特に、日本人の発言能力の無さがための苦しさは、体験しないと分かるまい。ただ、一度その抵抗感をブレークスルーすると、あとは自然にできるようになる。これはアメリカで学んだ一つである。会話は、頭でするのではなく、目と耳と舌と手ぶりとでする感覚をおぼえるしかなさそうだ。だから、いまでも私は講演は立ってまま、大きく手をふりながらするので、2時間もするとさすがに疲れを覚える。

日本人よ、自信を取り戻せ

   昨夜、宮沢大蔵大臣などが出席した討論会がNHKの番組で放映された。その中で、ポール・ボルカー前FRB議長が日本人出席者に呼びかけていた。「たった10年前のことだが、アメリカを始め多くの国は日本の経営を学ぶことに熱心であった。それは、優れていたからだ。いまでも多くのことで優れた面が残っている。特に、産業界では顕著である。その産業界が利益を上げられないのは、効率の悪いところがあるからだ。世界のビジネスは、急速な勢いで変革している。日本人が自信を取り戻し、非効率な面を正せば、また蘇ると信じている」と。それに対し、宮沢大臣は「仲間うちで仲良く、ハーモニーを保ちながら進めていく日本人の体質がもう古く、変えざるを得ない時代に入ったのでしょうねー」と情けなく呟いていた。「しっかりしてください!」と言いたくなったのは、わたしだけだろうか。

ところで、以下の文章は、一度ぼつにしていたのだが、「日本人よ、自信を取り戻せ」を言いたいために再度掲載した。

「1980年代初めのアメリカの経営者のもう一つの傾向は日本的経営の実際、とくに企業文化についての鋭い関心であった。なぜアメリカは経済的の低落とそれからくる不快感に悩んでいるのか対して答えを得るためにアメリカ人は日本に注目し、そこでは国家と企業と個人の目標が明らかに調和していることを見いだした。アメリカ人の目から見ると、日本の従業員は、アメリカの従業員よりもはるかに企業と一体感を持ち、経済や社会における企業の役割に共鳴しているように見える。」

 この一文は、1984年に発刊されたスタンレイ・M・デービス氏の「Management Corporate Culture」の序文から引用した。これから分かるように、当時日本的経営はアメリカ人にとって理想とするものであった。しかし、いまはもうその威力は陰も形もなくなった。しかも日本企業は自信喪失の態を示しているとしか思えない。デービス氏は、アメリカの主要な企業のコンサルタントとしての経験を通じてアメリカ企業の建て直しを行った。現在のアメリカ経済を創生したと言っても過言ではなかろうと思っている。古い本を読み返すと今の日本企業に必要なことを彼は言っているように思えた。

バンク・オブ・アメリカ最高経営者であったサミュエル・H・アーマコストの言葉「経営には魔術のような方式はない。形式は決して実質にとって代わるものではない。成功は、人々の質、製品の優秀性、サービスへの献身の中にある。」

また、J.C.ペニー会長, J.オエストロイカーは「変化するお客さまのニーズを満足 させてこそビジネスの成長がある。これはビジネスの永遠の真理だ。そしてその真理は数年ごとに繰り返して何度も学ばざるを得ない真理だ」と言っている。

速報ー98年度「日本経営品質賞」決定

   (財)社会経済生産性本部は、'98年度「日本経営品質賞」受賞企業を発表した。受賞企業は、(株)日本総合研究所、および(株)吉田オリジナルの2社である。新聞発表のみで詳細はこれから調査するが、表彰企業の横顔、および表彰理由は以下の通りである。

 
会社名日本総合研究所吉田オリジナル
企業の横顔総合情報サービス企業。リサーチ、コンサル、システム分野で知識エンジニアリング活動を通じ、新たな価値実現のためのパートナーとして、お客さま、社会に貢献します革の風合いを大切にして手作りハンドバッグ「イビサ」ブランド。母から娘への生涯保証でお客様との永いおつきあいよいう理念を実践している会社。社員120名
表彰理由・個人尊重とコラボレーションを基本とした経営ビジョン
・顧客ニーズ優先で現場の”ゆらぎ”をつくる柔軟な組織体制
・一貫した顧客志向の「知識エンジニアリング活動」
・高付加価値製品・サービスの提供による経営効率向上
・シンクタンクの特性を活かした社会貢献への使命感
・情報の共鳴化を目指した自己創発型経営の推進
・「強い個人集団」による自立自己完結型経営の推進
・「永いお客さまとのおつきあい」の経営理念とリーダーシップ
・「顧客と接することで学習する」を基盤とする経営のしくみ
・全社員の学習機会である「イビサ・バッグ・コンテスト」
・職人のバッグ作りから準社員作業への転換による高生産性
・顧客重視と経営改革による極めて高い顧客満足度と業績
・バッグの永久使用によるロイヤリティ向上とシェアの拡大
・ベンチマークキングなどを通じて得られた大きな改善効果

 表彰理由をざっと見ただけでも、経営の「質」向上を実践していると感じさせる内容である。特に、吉田オリジナルでの「職人のバッグ作りから準社員作業への転換による高生産性」、「顧客重視と経営改革による極めて高い顧客満足度と業績」は注目すべき実績である。「日本経営品質賞」の実践だけでなく、品質マネージメント・システムの導入効果の一つは、これである。作業や業務の標準化は、「職人の仕事」を誰にでもできる作業に変える。職人仕事の範囲は大きく、近代的な工場でも「彼は、昔から働いてもらっている人で、任せている」という社員がときには見られる。これも「職人の仕事」である。標準化ができた作業による生産性の向上が企業の実績として反映される。この結果を生む循環を求めることが経営者の役割でもある。

 今日新しい言葉をおぼえた。『ひとり一人については成立することでも、全員が同じことをすると成り立たない』という『合成の誤謬(びゆう)』である。「職人の仕事」を合成の誤謬にすることが標準化なのかもしれない。

ISO 9000認証取得は「経営の品質」向上への出発

 私はテレビで映画を見るのが大好きだ。映画には、かならず「THE END」がある。そのときにどうしてか分からないが、「そうか、これからだ!」と思うことがある。ISO 9000認証取得は「THE END」ではないというのが今回の話。認証取得と同時に、出発しなければならないのは、さらに経営の「質」を高めることである。そのひな形は、「マルコム・ボールドリッチ賞」のフレームワークである。このページは、そのフレームワークを主題としているが、下図の示すようにISO 9000品質システムとは決して懸け離れた概念ではない。「マルコム・ボールドリッチ賞」の骨格となる八つのクライテリァとISO 9000の要求事項との関連を示すマトリックスである。

 

 赤色の印は、ISO 9000の要求事項と「マルコム・ボールドリッチ賞」との関連付けが強いということをしめし、単なる丸印は、多少ではあるが何らかの関連があることを明示している。明らかに以下のことが言える。すなわち、

 1。経営者の責任に関しては、ISO 9000も「マルコム・ボールドリッチ賞」    
   も強い リーダーシップが求められている。
 2。ISO 9000品質システムで事業が運営されているならば、    
   「マルコム・ボールドリッチ賞」にも耐えられる。
 3。「マルコム・ボールドリッチ賞」でいうプロセス指向の事業運営とは、    
   ISO 9000品質システムである。

 ISO 9000品質システムを構築できたならば、直ちに次の目標である「マルコム・ボールドリッチ賞」のフレームワークに挑戦することで、企業の体質は強化できる。

 企業経営の観点から「マルコム・ボールドリッチ賞」をISO 9000規格と比較すると、以下のようにまとめることができる。これで理解できるように、マルコム・ボールドリッチ賞」は、ISO 9000より遥かに高い基準に基づいたトータル・クオリティ・マネージメント(総合「質」経営)である。事業業績(ボトムライン)が評価されず、従業員の「質」向上を重視しないマネージメント・システムは、経営者の一種の自己満足にしか過ぎないとも言える。

「マルコム・ボールドリッチ賞」ISO 9000
顧客に対しよりよい価値を与えるためにクオリティの高い企業を構築するためのテンプレートがある顧客の求める仕様に対し一定の製品とサービスを提供できるレシピがある
すべての業務効率を向上させ、マーケットと競争を理解し、変革を奨励し、最善のプロセスを創造することにより競争力を高める文書化されたプロセスを遵守し、一定の平準化されたアウトプットを得る
全ての部門の業務実績を重視する姿勢を保ち、企業業績を最重要とする事業運営結果の向上、もしくは効率についての要求はない
社内秘密以外のクオリティに関連する情報を他社と共有する全く要求されていない
文書化に関する特別な要求はないが、データによる証拠、もしくはデータに基づく決断を重視する文書化に重きをおくシステムである
教育・訓練を通じてすべての従業員にクオリティの価値を理解させる業務についての教育・訓練のみである
企業のすべての部門は、トータル・クオリティの観点から評価されるISO 9000は、「マルコム・ボールドリッチ賞」の28項目にのぼるクライテリァの10%以下しか要求事項となっていない
米国企業にとって大きな名誉となる国際取引上の最低基準である
受賞企業は、顧客の要求を満たす事業運営のトータル・クオリティの面で世界最高の栄誉を得ることになる最高のクオリティを保証するものでもなければ、認証取得企業間でのクオリティは同等であると保証するものでもない


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