経営幹部のリーダーシップ

 動物行動学者、日高敏隆が、10月31日付け朝日新聞で動物の群れのリーダーの条件は、「力だけでなく、群れの中のいさかいをうまく仲裁することができる別の要素が必要です。これは動物でも人間の社会でも同じです。」と語っている。では、 「日本経営品質賞」の審査基準書は、経営幹部のリーダーシップについてなにを求めているのだろうか。次のごとく述べている。

「経営幹部は、顧客指向に立脚した経営理念やビジネスを明確にし、長期視点での方針と、企業目標として期待するものがなにかを打ち出すことが求められている。」

 動物のように諍いをさばいたり、他を押し退けて出世をするような経営者は明確に否定されている。ましておや、群れの中にいることで、身の安全をもとめたり、情報の収集に役立てたりするリーダーではない。また、日本の大企業がさらけだした横並び指向による経営理念などは、当然否定されている。ここで求められているのは、毎日のように大きく変化しているビジネス環境をみすえて、企業の長期方針と企業目標を明確にし、目標に到達するための正しい方向を示すことである。特に、日本では、早急に建て直さなければならないのは企業倫理と社会的責任ではなかろうか。
大学の同級生が、『日本企業の行動基準には、明治時代の考え方が半分以上残っている。』と云っていた。これだと、日本企業は国際企業としての資格はないのが大半だと他国の人たちから云われても仕方がない。まず、経営者の意識変革がなされるべきと考える。その際に、忘れてはならないことは、企業のステークホルダー(企業に関わる利害関係者である株主、顧客、社会と社員のこと)の期待に答えることが、企業経営者の責任であることだ。企業責任を追求することが、本来の意図ではないので、これ以上は述べない。

 つぎに、リーダーは人々を組織化して動かすことが出来なくてはならい。ここでの組織化とは、ピラミット型組織の頂点に立って、一段下の経営幹部に指示をするようなことではない。ビジネス環境が日々大きく変化する今の時代に、官僚的なピラミット型組織は対応できない。経営者のビジョンを即時に伝達できる水平型で、アメーバのように時々の状況によって自ら変化する組織が求められる。審査基準書では、「改善は、日常業務とかけ離れた特別のプロジェクトと考えるべきではありません。日常業務そのものを、絶えずどうしたらより改められるかを考えながら行っていくことが大切なのです。」と述べている。企業の業務改善は、日本でも発達したが、ここでの発想は、「継続的改善とは、社員が絶えずプロセスやシステム、あるいは方針や方法に目をつけ、そこに問題意識を持ち、行動することを意味しています。」とある。すなわち、部門間の壁と称せられる縦型の部門優先(利益)主義を排している。部門内での改善には限界があり、組織横断のプロセスと云う概念で、事業活動を見直すことが肝要となる。リーダーは、いくらすばらしい目標を立てても社員による支持が得られなければ、成功の果実は得られないことを認識する必要がある。また、このような考え方が、アメリカ生まれの「マルコム・ボールドリッチ賞」に取り入れられていることに注目すべきである。在職時代に感じたのは、経営者が全世界の社員に、ビジネスの現況と方針を伝達するのに多大な努力と費用を払っていることであった。この「日本経営品質賞」の書類審査で候補に選ばれると、審査員が社員食堂で食事中の社員に話しかけるなどの方法で社員に直接接触し、経営者の方針や目標の徹底がどの程度浸透しているかが調べられる。このようなことまで審査されることを意識することになると、縦型の組織の欠点を理解できるであろう。審査の合否を決めるためではなく、経営者の意志伝達の効率化が調べられるのだ。

 最後に述べたいのは、企業のリーダーと云えども現地現場主義を実行することである。組織の下部から吸い上げられた情報には、脚色されているとまで云わないが、何らかのフィルターがかけられていると考えるべきだ。従って、真の情報は自ら顧客に出かけて把握するべきである。退職した会社の日本人社長の例を挙げてみたい。彼は、日本の会社の社長であると同時に、ある化学品販売部門の東南アジヤ地区総責任者でもある。日本で社長としての重責を果たしながらも、東南アジヤ地区の顧客をしばしば訪問する激務をこなしている。直接顧客に接することで、品質に関わる顧客の痛みを理解したり、競争相手の動向を正確に把握できるからだと彼は云う。この点でも日本社会では困難を伴う。なぜならば、たてまえと本音を使い分ける日本人社会では、社長のような経営幹部となると、顧客も苦情の真の中身を云ってくれない。こうなると、自社の本当の問題点を改善することが出来なくなってしまう。長年このような状態を是認している経営幹部と、そうでない人との違いが大きくなる。顧客が本音で話をしてくれるように、顧客との接触を日常的に行うことを実践している経営幹部が得る情報量は多く、さらに情報の正確度は高くなるのは当然の決着だろう。かくのごとく、「日本経営品質賞」で云う顧客指向とは、顧客を自社のパートナー(協力者)として位置づけることである。「お客様は神様」として奉る以上の意味があることを理解する必要がある。神様と奉られてよろこぶ企業は少なくなっている現実にはやく目覚めることが求められている。

結びとして、企業戦略の見直しがいま必要で、顧客指向の重要性をよく理解できる日経新聞の記事を紹介したい。

「住友生命総合研究所の霧島和孝主任研究員は『表面的な価格や流行に左右されず、自分なりの物指しで商品価値を評価する「自分消費」が強まっている」と話す。自分消費に目覚めた消費者が値ごろと感じる価格の『スイートスポット』はますます狭くなっており、今の消費低迷はこうした構造変化を反映している。企業が既存の商品・価格政策を見直し、『ポストバブル後』の価格と商品価値の均衡点を追求することが、消費回復の大きなカギを握っている。」

特報ー日本企業と経営倫理

11月28日付け日経新聞の記事にこんなことが書かれていた。

「外国人の目に日本企業はマーメード(人魚)に映っている。上半身は国際競争力を誇る近代企業でも、下半身は株主や市場のチェックを受けない前近代経営の意味だ」

この10日間ほどの間に起こった金融界の不祥事や倒産を見ていると、指摘されているような前近代経営をさらけ出してしまったとしか思えない。また、同日付けの日経新聞の「経済教室」では、経営倫理を取り上げている。ここでも、日本企業は、国際時代にふさわしい経営倫理を再構築することが早急に求められているとしている。国際企業の倫理規定はどんなものかを具体例をもって示したい。なにか衝動的かもしれないが、在職時代に経験したことを思いつくままに述べる。

 シンガポールでの海外勤務は、日本がバブル経済に酔って、日本企業は経費を湯水のよう使っていた時代だった。日本からの訪問者が絶えず、その接待に時間を多くとられていた。そんなある日、日本のある自動車会社からの訪問者を、関係部門の責任者に会わせるためにシンガポール本社に案内した。訪問者は、手土産をこの責任者に渡そうとした。すると、責任者は手土産の中身の価値は20米ドル以下かと質問した。訪問者は、会社名の入った品物で高価なものではないと説明した。 そこで責任者は、「誰であっても20ドル以上のものは受け取ってはならない倫理規定があるので、確かめたのだ。」と言って、開封して中身をしらべた。

 アメリカ勤務のときの例を挙げよう。友達だったフィリッピン系のアメリカ人の話である。ある日彼は、冷蔵庫をショッピング・センターで買った。ところが、業務に必要な費用を支払うためとして会社が社員に貸与したアメリカン・エクスプレスのクレジットカードを彼は使ってしまった。その後しばらくして、彼が郊外で開催されていた会議に出席していたときのことだった。本社の監査部員に会場から呼び出された。そこで、彼は解雇通知を受け取った。これに類した話はもっとあるが、ここではこの一件だけとする。

 私自身の話もしよう。下請け業者(と言っても関西では大きな企業)がISO9000の認証取得活動開始に当たって、管理職向けの説明会をもった。その日の講義をしてほしいとの依頼がわたしにきた。断る理由などないので、半日の時間を使って「ISO9000 A-to-Z」の話をした。その夜の夕食の席で謝礼金の入った袋を手渡された。これは受け取れないと、強行に説明したが聞き入れていただけなかった。翌日会社に戻った私は、さっそくマネージメントに謝礼を受け取ったむねを報告し、処置策の指示を依頼した。結局、雑収入として会社の入金扱いとなった。これと同じ話がある。今の社長が就任したときに、ある日本の会社がお祝い金を彼に送った。彼は、わたしと同じように会社に報告し、適切に処置した。

 社員全員がこのような経営倫理にしたがって行動させるために、経営者は努力を惜しまない。ではどんなことをするのかだ。会社は、2年に一回倫理規定や独禁法に触れるような行動を会社は許していないことを、社長みずから全事業所にいる社員に説明し、管理職にあるものは文書に署名をさせる。この文書に署名すると言うことは、上で説明したような行動を絶対しないと会社に確約したことになる。とは言うものの、社員もそうするのが当然と考える風土を育てることは並大抵ではない。事実、多くの社員の中には規定に違反する人も出てきたこともある。違反が発覚したために、日本人でも解雇された事例を知っている。このように、国際企業は、高い価値観を倫理規定に当てている。もし、守れなかった場合には、多大な損害を個人にも会社にももたらすことを彼ら経営者は周知しているからだ。

 日本企業も、このような経営倫理に基づいた行動をとらないと世界から「のけ者扱い」される可能性があることに、強い危機感を持つべきと考える。また、「日本経営品質賞」は、経営倫理に関しては社会的責任として大きなウエイトをおいている。したがって、経営倫理に高い価値観をおいた経営理念を貫く企業でなければ達成できない賞であることは間違いない。

 日本道路公団の汚職事件が日本の社会問題となっている。それとともに、日本企業の接待の仕方が多くの人々によって議論されるようになった。外資系会社の倫理規定もテレビで紹介されるまでに至った。そんなとき、2月10日付け朝日新聞に、豊田経団連会長が「接待は自分の金でやるのが原則だ。」と語り、ニューヨークでの体験を紹介している。「向こうでは、経済界のお偉方でも、自分の車でレストランに行き、自分の財布から金を出して払っている。」と言うが、これは間違いだ。まず絶対に「財布」から現金を出さない。もし、現金で払うなどを店員に言えば、まじまじと顔を見られ、「もう来てくれるな。」ぐらいの態度をする。なぜなら、クレジット・カードも使えないほど信用がないとなるからだ。本論に戻る。「向こうでも」(こんな言葉を本当に豊田会長が使ったのだろうか?気になる。)民間会社同士なら日本と同じで、ある程度の交際費は認められている。レストランでの食事なら一人当たり30−60ドル程度ではあるが、問題なく接待費として計上できる。それどころか、自宅にお客を招待することが多いが、これらの費用は全部交際費である。スーパーマーケットやリッカーショップでの買い物の領収書を添付して会社に請求する。さすがに光熱費はできない。この場合に、私用に買ったものが入っていることがはっきりしたら、ほとんどの場合、解雇となる。やはり、常識はどの国でも通用するのである。今回の汚職事件のように、誰が考えても非常識なことをすれば世間は許さない。バブル経済で日本人はこんな常識までも失ってしまったことを声を大きくして訴えたい。

日本企業と経営の透明性

 最近の金融業界の不祥事を聞くにつけ、経営の透明性、すなわち情報開示を高めなければ日本企業は世界で経済活動を進めることは困難になるのではないかとの不安感が強くなってきた。そこで、急遽この文章をページに加えた。「日本経営品質賞」では、社会的責任の審査基準を次のようにしている。

 社会に対する責任の考え方は、どのように明確にされ、具体的に経営の中にとりこまれていますか。またそれは、どのような方策で達成しようとしているのかもあわせて記述してください。

社会的責任には、以下のようなことが取り上げられていなければならない。すなわち、

  
企業における経営の透明性   
環境問題への取り組み   
企業倫理   
経営の国際性   
企業市民としての社会への貢献

 では、企業の透明性はどうすれば確保できるのか。米国企業が一般に採用している方策は、社外重役の採用による経営の社会的健全性と透明性の確保である。米国エクソン社の場合、たえず数人の社外重役が企業の財務状態、投資計画、環境問題などの意志決定に加わっている。社外重役は、現役の大学教授、銀行を含む大手企業の役員などが選ばれている。断っておくが、社外重役は日本企業の監査役のような発言権のない飾りものではない。大変な権限が与えられている。この社外重役の一人が、元勤めていた研究所に来所され研究所活動の内容を説明させられた経験がる。彼女が関心を示したのは、研究所の業務ではなく、エクソン社の日本での行動の中で市民社会に問題を起こしていないかだった。こんな質問を受けるとは思ってもいなかったので、とまどったことを思い出した。日本では、ソニーが社外重役の採用を発表したことが新聞報道として取り上げられた。そのようなことは米国では当たり前のことだ。この点でも日本企業の経営がまだまだ遅れているとしか言えない。

 なぜ社外重役制度が企業の社会的責任を果たす役割を持っているのか。彼らは、企業内のすべての情報を入手する権限が与えられいるので、国内国外を問わず全世界の事業所の書類を調べることが出来る。このような大きな権限をもった最高幹部が重役会議に出席することが分かっている経営幹部が、事業活動や投資計画の説明に不透明なものを入れ込むことはほとんど不可能になる。もし出来たとしても、後でその不透明部分が表面化すれば、その経営幹部の将来は完全に消滅することになる。少なくとも、今回日本で問題化した山一証券のような事態には絶対ならない仕組みを国際企業はすでに組み入れている。でなければ、二百年近くもの歴史を持つ企業存立はなっかただろう。

 最後に、株主や社員への透明性について述べておく。エクソン社本社では株価と一株当たりの配当性を毎日公表している。その発表には単に株価だけでなく、世界の事業所で起こった火災、死亡事故などの問題はもちろん投資計画の発表などが含まれている。日本の企業のように、株主総会で業績を年一回発表し、それもせいぜい2時間程度で終わるなどは米国では考えられない。それぐらいのことしかできない経営者は、さっさと退陣した方がよいと思っていたら日経新聞で似たような記事が出ていたので、その一部を掲載する。

 企画部長に起用されたものの、『理屈が多い』という否定的なレッテルを張られるのに時間はかからなかった。思えば、経営会議の席上、トップの意見に異論を唱えたにがまずかった。
 『日本企業では、自分の意見や個性はない方がいい。』
三年前に外資系企業の社長に転じた。
 『現場は別だが、トップ経営者の能力は、米国などと比べ著しく見劣りする』。HOYAの鈴木哲夫会長は仕事を通じて実感しているという。これが日米経済の活力の差となって表れているとみる。『長期戦略を考えている経営者は少ない。本当の仕事をしていない』と疑問を呈する。

 『取締役は大部長であってはならない』(福原義春資生堂会長)と言われるのも、経営者であるべき取締役の多くがミドルの延長にすぎないからだろう。その代表が大企業に多い調整型のトップ経営者である。
 それでも務まるのは、理由がある。『今の日本の経営者が米国のそれと違うのは、株主との緊張感を欠いている点だ。経営者に自己規律を持たせるには株主の復権が必要だ』。経営史が専門の東京経済大学の中村青志助教授は指摘する。

 高度成長期に進めた株式の持ち合いによって、企業はお互いに物言わぬ株主になっている。怖いのはせいぜい総会屋と万が一の時の株主代表訴訟だけというのが実態だ。

 さらに、2月15日付け産経新聞の掲載された米国最大の州年金で、行動する株主のリーダー格と知られるカルフォルニア州公務員退職年金基金理事長ウィリアム・クリスト氏のコメントを転載したい。

 日本で金融機関などの不祥事が相次いでいる原因は何だと思うか。

 「経営者が株主の方を向いてこなかったことに尽きる。企業には株主、債権者、従業員などさまざまなステークホルダー(利害関係者)がいるが、株式会社として、株主を重視しない経営は失格だ。」
 「日本の企業経営ではこれまで、外部から見えない部分が多すぎた。経営者は企業の持ち主である株主の負託を受けている以上、常にアカウンタブルな、つまり委託者への説明責任を果たせるような行動をとらなくてはならない。こうした緊張感の欠如が独善的な行動に走った一因ではないか。」 (途中略) 「ソニーは昨年、すばらしい取締役会改革をした。あらうる日本企業が見習うべきだ。株主への情報開示の拡大を含め、社外に門戸を開くことも重要だ。たとえば、社外取締役を積極的に導入すれば、社内の人材だけでは期待できない専門的な知識などを経営に取り込むことができる。」

 ついでながら、このクリフト氏は、IBMのエイカーズ氏、ゼネラル・モーターズのステンペル氏、アメリカン・エキスプレスのロビンソン氏を退任に追いやったすごい方だ。このような方がこれから株主代表者として、日本企業に透明性を要求してくることは、日本版ビッグバン後に起こってくることは明確だ。経営者の革新がいま求められていると強く主張したい。

コア・コンピタンスとは?

 「トップ物語」と題した連載ものが朝日新聞の夕刊にある。その一つにリコー会長、浜田広氏が最近講演で強く主張しているのは、トップが旗を振るべき四つのこととして「RRCC」を挙げているそうだ。最初の「R」はリストラ、次の「R」はリエンジニアリングで、「C」はコア・コンピタンス、そして最後の「C」はカストマー・サティスファクションを意味しているとのこと。この四つの旗はすべて「日本経営品質賞」の中に取り込まれている経営理念である。そこで、理解するにはやや困難さを伴う「コア・コンピタンス」とは何かをトピックとして取り上げたい。

 簡単な言葉を選ぶならば、「競争戦略を考える決め手として業界の中での自社の強み、弱み、そしてどこにどんな機会と脅威があるかを分析して、自社のとれる戦略を決定すること」となる。孫引きではあるが、この手法を唱えたのはM.E.ポーターで、彼の「競争の戦略」で明らかにしたようだ。そこで、思い出したのがエクソン・ケミカル社の副社長が1987年ごろに来日し、我々に説明した長期戦略だった。競争相手の財務諸表分析から始まりコンサルタントによる競争力調査結果などなどだった。この説明には軽いショックを受けた。なぜなら、世界の化学業界の動向と大手化学企業の強みと弱みを分析した結果、撤退するのが最善である部門、また、まだ結論は出せないが撤退する可能性のある部門が明示されていたからである。その中には、日本企業と合弁で設立された化学会社も撤退リストに入っていた。これ以上を記載すると支障が出る可能性があるので、ここまでにしたい。

 話を「コア・コンピタンス」に戻そう。このような分析と戦略決定は一見後ろ向きのように見えるが、決してそうではない。なぜなら、撤退しなければならない部門の中には優れた人材もいるのだから、いつまでも将来性のない部門に張り付けて置くことは、企業にとって非効率な人材活用となるからだ。日本で「リエンジニアリング」と言う言葉がはやり、多くの日本企業も真剣に取り組んだところもあるやに聞いている。しかし、結局失敗したようだ。その真因は定かでないが、社員の配置転換をドラスチックに実施することに対する抵抗が日本企業では大きかったのではなかろうか。しかし、今から考えると、あのバブル経済の華やかなときにこそ「コア・コンピタンス」に基づくリエンジニアリングを実行していれば、多くの企業が今日のような事態にはなっていなかったと考える。もしそうならば、経営者の重大な判断ミスと言われても仕方がなかろう。やはり、リコー会長、浜田広氏の主張する競争戦略の明確化は確実に実施すべきものである。

速報ー97年度「日本経営品質賞」決定。

  社会経済生産性本部の日本経営品質賞委員会は、97年度日本経営品質賞を中小部門ではグリーンクラブ(本社東京)のゴルフ場部門である千葉夷隅ゴルフクラブ(千葉県大多喜町)、また製造部門ではアサヒビールの二社に授与すると発表した。

それぞれの受賞理由の概要を経済生産性本部のページより転載した。

千葉夷隅ゴルフクラブ

バブル経済の破綻とゴルフ産業の成熟期入りという困難な環境下において、「企業を取り巻く全ての人々に愛され信頼される企業作り」の経営理念が、トップの強いリーダーシップのもとに日常業務の隅々にまで浸透し、立地条件の悪さを顧客サービスで克服し顧客評価の向上・シェアの拡大および財務実績の改善へと結びついている。

アサヒビール

消費者の嗜好の多様化、規制緩和に伴う流通構造の変化、輸入ビールを始め発泡酒などによる新たな競争要因によって大きな変化が見られるビール業界にあって、顧客のニーズの的確な把握と、それにいち早く応えることによって、着実に市場での評価と業績を向上してきている。以下が今回の審査で高く評価された主な点である。

 今回受賞した企業に拍手を送りたい。いずれそれぞれの企業は何らかの方法で活動内容を公表していただけるものと期待する。それまでは、この速報より詳細な内容が日本経済生産性本部のページに掲載されているので、ぜひ参照していただきたい。また、98年度の審査基準も同じページに掲載されている。来年の受賞に向けて挑戦されることを期待したい。


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