※この感想はblogからの転載になります。


佐賀のがばいばあちゃん

 お笑い芸人の島田洋七さん原作による作品で、原作である『佐賀のがばいばあちゃん』と、その続編の『がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい!』は親戚に進められたこともあって既に読んでいまして、逆に言えば、ここまで原作をしっかり読んで映画を観たというのは久しぶりだったかも。

 内容は書くまでもないかもしれませんが、広島で母と兄と暮らしていた少年が、居酒屋を営む母を恋しさから仕事場まで尋ねてきてしまうので、教育によくないと思った母は、その幼い息子を佐賀の祖母の所へ預けることを決意する。ひょんなことから佐賀のド田舎に住む祖母の下へ一人預けられた少年は、母と別れた寂しさを感じる暇もなく祖母のパワフルな生活に振り回され、次第に祖母を尊敬していくようになっていく…
 という話で、貧乏ながらも逞しさと知恵で楽しく生活していく祖母の素晴らしさと、母と離れて寂しいながらも祖母に感化されて逞しく成長していく少年の姿が、佐賀の素朴な風景と共に描写されていくという、ほのぼの作品です。

がばいばあちゃん おばあちゃん役の吉行和子さんが本当にハマリ役でしたね。貧乏なんだけど、どことなく品があって、それでいて逞しいところなんてピッタリでした。あと、野球部の顧問の先生役の山本太郎さんも、情に厚い熱血先生ぶりがぴったりでしたね。後半の先生と少年のやりとりなんて、既に原作読んでて知っていてもジーンときてしまいましたよ。

 今は文明も発達して「便利な生活が当たり前」になっているから、ちょっとでも不自由すると「面倒だ」とか「大変だ」とか思っちゃうけど、「不便な生活が当たり前」だったら、面倒とか大変とかイチイチ思っている場合でもなくなる。何より「どう生きていくか」というのを、しっかりとおばあちゃんが少年に教えていくというか、少年がおばあちゃんから学んでいく姿がいい!今の時代、こういう関係が一番欠けているんじゃないかな。


 少年が広島で母と暮らしていた頃も貧しかったんだけど、佐賀に来てからはもっと貧しくて、今日食べる物にすら苦労するほど。例えば、学校から「ばあちゃん、腹減った!」と言って少年が帰って来ると、ばあちゃんは釜を焚きながら「気のせい」と返すだけ(笑)。だけど、「今日食べる物なんて無いよ」と言われるよりもマシに聞こえてしまう不思議さ。少年もすっかり慣れて、「母ちゃん〜、俺前から貧乏だったけど、こっちに来てもっと貧乏になった〜」と明るく広島方面に向かって叫んだりしていて、超前向き。
 こういう姿を見ると、「お金が無い」、「不景気だ」ってと言って暗くなっている今の時代がバカバカしく思えてしまう。

 それに、この物語の良さは「貧乏生活を逞しく明るく生きる」というだけではなく、少年を取り巻く佐賀での環境というか人間関係がすごく良いのだ。少しでも豆腐を安く買おうと、いつも崩れた豆腐を買っていた少年に対して、たまたま崩れた豆腐が無かった日に自分から豆腐を崩して「はい(半額の)5円」と言って渡す豆腐屋さん。運動会の日くらい豪勢なお弁当を食べさせてあげたいと、わざとお腹が痛くなった振りをして少年とお弁当を換えて貰う先生たち。作文で父親のことを書かないといけない時、父親を知らなかった少年はばあちゃんのアドバイス通り「知らん」と原稿用紙に書いたら、100点満点をあげた先生。
 ばあちゃんが「人に気付かれない親切が本当の優しさ」という言葉の重さが、じんわりと伝わってくるエピソードが散りばめられているのです。その「心得」は少年にもちゃんと伝わり、老眼鏡を壊してしまったばあちゃんの為に、密かにバイトをしてさり気なく新しい老眼鏡をプレゼントしたりして微笑ましい。


 少年の成人後の設定以外は原作通りなんだけど、細かい部分で違うところももちろんあります。印象的なのはラスト。広島の高校へ進学決まった少年は中学を卒業と同時に佐賀を離れることになりますが、おばあちゃんとの別れのシーンで少年が去って行く瞬間に「行くなーっ!」て泣き叫ぶんだよね。このシーンは原作にはなくて、なんか妙にグッときてしまいました。

 


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