Big Fish〜ビック・フィッシュ

 大好きなティム・バートン監督が原作ありの作品を得意のファンタージーをベースに、現実的な家族関係を描いたヒューマンドラマ。その題材を知った時から「観たい!」という気持ちが強かったですが、主演のユアン・マクレガーがスーツ姿で黄色の花畑の中に一人佇む告知ポスターを見たら、更に「観たい!」という気持ちが強まり、劇場で観た予告のティム・バートンならではの幻想的な美しい映像+「あなたが大きいんじゃない、この街が小さ過ぎるんだ」という台詞にKOされ、「絶対に観に行ってやる!」という気持ちなったわけです。

 物語り好きな父エドワード・ブルームは、自分はとんでもなく大きな魚に大事な結婚指輪を盗まれたことがあるだの、魔女に会っただの、巨大な男と旅をしただの、自分のことを話すのは全て御伽話のような内容ばかり。でも、そんなお話好きのエドワードは誰からも好かれる人物だった…たった一人の息子を除いて。息子のウィルは、父の空想話に辟易していて、自分の結婚式でも空想話をされ激怒。以来、父とは絶縁状態が続いていたが、常に近況を伝えてくれる母のサンドラから父の容態が悪化したと聞き、妻のジョセフィーンと共にパリから実家へ向った。久しぶりに再会した父親は衰弱しつつも空想話しかしないところは変わらず、話の真意を理解できないウィルは父と擦れ違いっぱなしの状態が続いたが、「もしかして父の話していることは本当のこだったのか?」と思うようになっていき…。
 という話です。父親のエドワードが若かりし頃の話を語る度に、幻想的な映像に画面が切り替わりとてもワクワクする。ユアン・マクレガー演じる若き日のエドワードの話と、病床に就く現在のエドワード(アルバート・フィニー)と看病する息子ウィル(ビリー・クラダップ)の父子のやり取りが同時進行していくという展開なんですが、過去と幻想と現実が交差する割には、話の展開に付いていけずに混乱するということはなく、どちらかというと淡々と話しが進んで行くという印象が受けました。絶縁状態だった父子も、別に感情をぶつけ合うような険悪な関係ではなく、飽くまで父親の空想話に付いていけない息子が、「一体、父は何者なんだ?」と理解できずに受け入れないでいるという状態。ただ、もう父が余命間もないということや、もうすぐ自分が父になるということもあり、「出来ることなら、父が一体どういう人物なのか理解したい」という気持ちが出てきます。でも、「父の半生を真面目に(現実的に)知りたい」という気持ちが強く、尋ねれば全て空想話で返してくる父親がどうしてもホラ吹きに見えてしまって、ウィルは対等に語り合うことができない。でも、母や妻は父をとても好いていて、その空想話にもちゃんと耳を傾けている。「間違っているのは自分か?」と、父の空想話を間接的に知るにつれウィルも少しずつ変わっていき、父の書斎を整理している時にある書類を見つけ、それを目にしたウィルは「もしかして、父の話した御伽話は現実なのか?」と思うようになり、ある女性に会うことでウィルは自分の知らなかった父の一面を知ることになる。

 エドワードとティムの親子関係を見ると、普通の話というか現実的かもしれない。妙な感情のぶつかり合いもなく、ただ避け合っている感じで、そのまま淡々と時間が過ぎていき、父の余命がいくばくもないと知ったことで、多少の疑念はあるものの家族で最期の時間までを穏やかに過ごそうとしている。ティム・バートンにしては珍しく現実的というか、本当に静かな描写が多い。対照的に、ユアン・マクレガー演じる若き日のティムが登場する場面は、「これぞティム・バートンワールド!」とも言うくらい幻想的な世界、非現実的な展開になる。でも、そこに妙なギャップを感じないのは、その話が主人公であるエドワードが物語っていることだから、どんどん惹き込まれる。面白い話を聞かせることが出来る人間は好きだ、それが例え現実の話ではないとしても、面白くてワクワクできればそれでいいじゃないかと思う。そういう気持ちにさせてくれます。

 物語の後半で息子のウィルは、父が話していたことが現実だったということを知ることになります。もちろん、父がずっと話続けてきたような特異な光景はほとんど無いけれど、父が聞かせてくれた過程は嘘じゃなかった。ただ、モノの捉え方(見方)の違いに過ぎないと気付くようになるんです。「嘘でもないけど本当でもないわけじゃない」という微妙なニュアンスなんですが、そこがイイんだな〜。
 父の主治医が、ウィルが産まれた時の話をしてくれたシーンが印象に残っています。父は「自分の結婚指輪を盗んだ大きな魚から指輪を取り返して急いで病院に向うと、分娩室に横たわる妻の胎内からウィルが勢いよく飛び出してきて、廊下に駆けつけた自分の足元まで滑ってきた」と語っていましたが、「本当は、君は1週間早く産まれただけで安産だった。エドワードは仕事でその場には居なかった。でもあの時代、分娩室に男性は入れなかったからどちらでも同じことだった。こっちが現実だけど、別にどちらだっていいだろ?私ならエドワードの話の方を選ぶね」と言うんです。なんか、このやり取りに妙にジーンときてしまいました。
 もし、目の前に一つのリンゴがあるとするなら、このウィルという人物は「そこに、赤くて美味しそうなリンゴが1個ある」と言うだろうけど、エドワードなら「美しい天使の手の平に赤い果実が一つあって、上から妖精達が黄金のシロップを上からかけている」みたいな表現をするだろう。どっちも同じことを言っているし、別にどっち事が正しいかなんてことは問題じゃない。ただ、リンゴを見たときに「感じた」ことを、どう表現するかの違いに過ぎない。

 父の最期を看取るのはウィルなんですが、その時、ウィルはエドワードが望んだ死(魔女に予言された死に方)を父に語ってあげます。それはまるで現実に起きているかのようにリアルに、父が過去に自分に話してくれたように楽し気に語ります。そして、エドワードはその息子のウィルの話を今自分の身に起きていることと感じ、「魔女に予言された通りの死に方だ!」と満足して息を引き取ります。現実にはエドワードは病室で息を引き取ったんですが、ウィルは父は魔女の予言通りの死に方をしたという話の方を選びました。そしてウィルは現実に戻り、病院から母へ父が亡くなったことを電話する…その展開に涙が止まりませんでした。
 そして、父の葬儀が行われたんですが、そこに集まった人々の中に、父が御伽話のように話していた登場人物達が次々とやって来ます。ただその姿は、「5mもある巨人ではなく、2m以上ある大男」だったり、「身体が繋がっている双子ではなく、本当の双子」だったり、ちゃんと現実的な姿をしていました。でも、彼らがエドワードが話していた御伽話のような体験の中に存在していたのは事実だったことウィルは知ることになります。それだけでも泣けるのに、葬儀の後、彼らと共にエドワードとの思い出話をずーっと語り合うんです。これって、理想的な死ですよね。エドワードが死んでも、彼のことを語り続けてくれる人は残り、その話が語り継がれることでエドワードの心は生き続ける。

 エドワードが死んでいくシーンから葬儀まで、悲しい場面はほとんどありません。エドワードが望んだその望んだ死の光景は森の中のパーティーのようで、とっても楽しい雰囲気なんです。葬儀後のシーンも、「あの時のエドワードはこうだったんだぜ!」と、誰もがエドワードとの思いで話しを楽しげに語ります。だけど、涙がボロボロ出てきてしまうんですよね。すごくエドワードが羨ましく感じたし、エドワードを想う家族や仲間たちの温かさに感動しました。



 …で、本来だと、ここからミーハーな偏見感想になるんだけど、どう書いたらいいのか判らないのがこの作品(笑)。個人的に、心の奥底にズキュ〜ン!ときてしまったので、ミーハーぽく書けないというものがある。だから、ちょっと、ここは、登場人物別に感想を書いてみることにします。

■エドワード・ブルーム
 ユアン・マクレガー演じる若き日のエドワードは、とにかく優しくて一生懸命で情熱的!例えお金が無くたって、誰からも愛される存在。決して相手を悪く言わないというのが、彼の良いところ。誰もが恐れる魔女に礼儀正しく挨拶したり、町の人から嫌われた余所者の巨人を、「君は大きすぎるんじゃない、この街が小さいだけなんだ」と言って、一緒に町を出て旅立つことを説得するシーンは好きです。あと、一目惚れしたサンドラに婚約者がいると知っても、ありったけの情熱をぶつけまくってプロポーズする姿はすっごくキュート。せっかくサンドラと添い遂げたのに徴収命令が下り、敵地に迷い込んだものの、サンドラへの愛を1時間も語って逃走を双子の歌姫に手助けしてもらったり、とにかく一途さがたまらなく魅力的です。
 そして、アルバート・フィニー演じる現在のエドワードもいい。病に蝕まれほぼ寝たきりの状態になっても、空想話は大好き。その優しい語り口がなんともいえない。最後の最期まで、自分の想いを貫いたところに涙。

■ウィル・ブルーム
 ビリー・クラダップ演じるウィルは、生真面目過ぎるところを除けば妻想いの優しい男性。父と絶縁状態になっても、母とはマメに連絡取り合ったりよい息子です。別に彼は父が嫌いなんじゃなくて、いつも嘘かホントか判らない空想話しかしてくれない父の反動で現実的な人間になってしまっただけ。その証拠に、母から父に飲ませるように頼まれた栄養ドリンクを手渡したとき、父があまりにも嫌がったので、、「お父さんが半分飲んでくれたら、全部飲んだようにするから」と言って、陰で栄養ドリンクを半分飲んだあげたりする優しさもしっかりある。あと、エドワードとしっかり面と向って話そうと思った理由が、「僕ももうすぐ父親になる。子供に理解されない父親にはなりたくない。だから、ちゃんと父さんのことも理解しておきたい」というのが可愛いと思った。最後は父と空想の世界を共有することができるようになり、父亡き後も自分の子供達にその話を語ってあげている姿がすっごく良かった。

■サンドラ・ブルーム
 アリソン・マーロンが演じる若き日のサンドラは、エドワードの一目惚れの相手であり、その後の妻となる女性。情熱的なエドワードのプロポーズを受け入れ、そんな彼の想いと同等の愛を返すところが非常に魅力的。大好きな水仙の花畑でエドワードが告白するシーンは凄く好き。日本人だと「100万本のバラ」の歌詞を思い出してしまいそうになるけど、すっごくイイのだ!
 そして、ジェシカ・ラング演じる現在のサンドラが凄くイイのだっ!多くの時を過ごしてもエドワードへの一途な想いは変わらず、彼の話の世界ももちろん理解し、病に伏してしまったエドワードを陰で嘆いている。特に、すぐに渇きを覚えてしまうエドワードが服のまま浴槽に浸かっている中に、サンドラも洋服のまま一緒に浸かってしまうシーンがあるんだけど、エドワードが「どんどん渇いていく」みたいなことを呟くと、サンドラが「私の涙は一生渇きそうにないわ」て言ってエドワードに縋る姿に涙ボロボロ。いかに彼女がエドワードのことを愛しているかが、その言葉と仕草でグッと伝わってくる印象的なシーンです。

■ジョセフィーン
 マリオン・ジティヤール演じるウィルの妻のジョセフィーンは、フランス人女性らしくエドワードのロマンチックな物語に心酔する。でも、「父や空想と現実の区別が付いてないんだ」と言うウィルのことを責めることはせず、彼の主張もちゃんと受け入れる優しき女性。サンドラといい、この物語に登場する女性はとても優しく、特にジョセフィーンはエドワードとウィルのクッション役になっていて、非常に魅力的な女性でした。

 他にも、ヘレナ・ボトム・カーターは魔女(?)の役や、エドワードが後に救うことになる街の市長の娘役などで登場しているんですが、凄い存在感です。魔女の時はエドワードに人生の指南をし、市長の娘の時はエドワードととても緊密でプラトニックな関係になり、物語に奥行きを与えている。特に魔女の方は特殊メイクが凄いんですが、個性的だけど「素敵な女性だよな〜」と思わずにはいられませんでした。
 あと、スティーヴ・ブシェミ演じる元詩人のノザー・ウィンズローの存在もいい!たった400ドルとはいえ、エドワード巻き込んで銀行強盗までしでかしたダメ人間なのに、エドワードにビジネスのいろはを教えてもらい、一気に実業家まで成り上がってしまうだなんて…!しかも、その恩を忘れないでいたというところが憎い!

 とにかく、この『ビック・フィッシュ』に登場する人々は、一癖も二癖もあるようなキャラクターがほとんどで、その全てが魅力的でした。嫌悪感を覚えるキャラクターがいないというのも、ファンタジーとしてとても成功しているんじゃないかな。



 最後に、『ビック・フィッシュ』とは、この物語の中でいろんな意味合いを含めている。一つは、エドワードが生まれ育ったスペクターという街の中の川に住む伝説の魚のこと。エドワード曰く、「伝説の泥棒が溺死して化身となった魚だから、どんな餌よりも金を好む」らしく、エドワードは結婚指輪で釣り上げたことがあると何度も自慢話をした魚。もう一つは、「小さい場所で育つ魚は小さい。大きい場所で育つ魚は大きい」という、「井の中の蛙大海を知らず」に近い意味合いを持っている。そしてもう一つ、大きな川(物語)に生きるエドワードそのものなんです。
 だから、物語を語り終えた(人生を終えた)エドワードが、みんなと別れを告げ大きな魚となって川に戻っていくというラストは凄く好きです。

 ただ、病床に就くエドワードの姿が昨年亡くなった祖父の姿と重なって、色々と思い出してしまったということもあり、必要以上に涙がボロボロ出てしまったかも。別に、「悲しい」て感情じゃないんだけどね。なんか、ハッとさせられました。
 


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