#811 ORIENTAL EXPRESS
KOJI MASUDA のプロフィール
■生年月日 : 昭和23年10月 (1948年)
■出身地 : 岡山県
■家族 : 妻、(子供二人は独立)
■趣味 : モトクロス、モーターサイクルスポーツ、パソコン組立、ジョギング、筋トレ
■音楽 : JAZZ、(ジャニス・ジョプリン、秋吉敏子)ビートルズ、イーグルス、
■嗜好品 : コーヒー、酒は飲めません、たばこは禁煙です。
■好きな食物: ステーキ、干もの(あじ、サンマ、鯖)、ヨーグルト(21)
■職業 : フリーライダー、(定年退職後自由人)
■資格 : 四級小型船舶、アマチュア四級無線
■ベスト友人: 岡山 石原さん(CDA)、槌田さん(槌田スピードショップ)
板谷さん(倉敷でバイクSHOP経営)
浜松 大村さん(浜松、神戸ステーキ)
池田さん(スズキ元全日本MXの監督)、齋藤さん
いわき 阿部さん(モトスポーツランドしどき=モト企画)
長野 室田さん(レイドカムロ、三宅島ツーリング以来のバイク仲間)
米国 AKI GOTO、SHOJI TANAKA、HIDE SEZAKI、SAM Yamazaki
TOSH KOYAMA、CHUCK De RAN
■バイク友人: 東京 森さん (ロシアンラリー主宰者)
横川さん('86パリダカ、モーリタニアで出会って以来の友人)
吉村さん(ご存じタイムトンネルレース主催)
横浜 永吉さん(戸塚にアルファスリー、バイク店)
埼玉 平松さん(某メーカーの優秀な設計技術者)
モトクロス仲間(ダートディギングクラブ)
■モトクロス経歴
○1964年 16歳 第3回モトクロス日本GPを香川県五色台にて初めてモトクロス
レ−スを観る。場内アナウンスにて小島選手(京都・KE社長)
久保和夫選手がヨーロッパのレースに参加したと流れた。海外へ
行きたいと夢を抱く。バイクを乗り始める,MXのまねごとを仲
間とする。
○1965年 17歳 岡山 槌田さんやバイク仲間、友人と岡山市岡山港の埋め立て地で
モトクロスごっこや学校の校庭で逆ハン走行の遊びを始めるアルバ
イトで貯めたお金でホンダCS90を買って街を乗りまわししてい
たが、そのCS90をモトクロス用に改造してレ−スに参加する。
(岡山市内の旭川・大原橋付近の河川敷特設コ−ス)
○1966年 18歳 カワサキオートバイ販売岡山営業所(当時)の皆さんや槌田さんの
バックアップによりカワサキB8M125(125cc)を購入で
きてモトクロスレースに参加する。神戸木の実レ−シング岡山支部
の準メンバーになる。兵庫県加古川市や広島県西条で行われたモト
クロスレースへ遠征する。当時のカワサキMXワ−クスライダ−歳
森さんのバックアップによりカワサキモトクロスワークスチームと
つながりができる同じくじくワークスライダーの星野一義氏(現イ
ンパル・四輪レース会社)からモトクロスライダーのプロフェッシ
ョナルの心構えやレースへの執念等たたき込まれ、後輩として可愛
がって頂く。
○1967年 19歳 全日本アマチュアクラスに初参加カワサキよりマシンG1M90(
90cc)を貸与され福島県郡山市で行われたグランプリに参加す
る。戦績
◆日本GP福島県郡山 90ccクラス 2位
◆年間ランキング 90ccクラス 2位
☆ジュニアクラスへ昇格
○1968年 20歳 ★ジュニアクラス
ワークスライダー歳森氏の助言やアマチュアクラスでの好成績もあ
り、カワサキよりC2SS(125cc)ワ−クスマシンを貸与さ
れる。カワサキF21Mモトクロス市販レ−サ−(250cc)購
入する。カワサキMXワークスチームの支援でマシンを運搬しても
らい東京サマ−ランド特設コ−スにおけるMFJ全日本MXレース
に参戦し、関東エリアに初参戦する。その後、浜松天竜川特設コ−
スにて行われた全日本MXで125・250クラスでダブル優勝す
る。MXシ−ズン途中の夏場、W1で交通事故を起こし負傷入院し
全日本MXの後半戦レ−スを断念する。日本GPは北海道手稲オリ
ンピアで行われた。戦績
◆全日本MX 浜松市 125ccクラス 優勝
250ccクラス 優勝
◆年間ランキング 250ccクラス 3位
☆セニアクラス昇格 (セニアクラス創設 第2期生)
○1969年 21歳 ★セニアクラス(現 国際A級)
怪我の回復後プライベ−タ−でモトクロス活動を再開する。友人の
石原さんや板谷さんの遠征時バックアップにより全日本MXへ参加
する事が出来た。当時働いていた倉敷市水島の川崎輪業(株)の社長
高橋さんも強力な支援と理解を得てレースをすることが出来た。遠
くは九州の久留米で行われた日本GP、広島県や三重県の鈴鹿サー
キットの全日本MXに遠征する。マシンはカワサキF21MとC2
SSでした。
戦績
◆年間ランキング 125ccクラス 10位
250ccクラス 10位
○1970年 22歳 ★セニアクラス(2年目)
川崎輪業(株)の高橋さんの理解を得て円満に退社、スズキ岡山販売
に転籍する。モトクロスレースへの情熱は消えず継続して参戦する
スズキハスラー250にMXキットパーツを装着にてセニアクラス
に参戦する。スズキからTM125ワークスバイクを貸与される。
9月浜松市に移住、スズキのMXマシンテストライダ−の傍ら全日
MXセニアクラスへ従業員として参戦する。スズキモトクロス全国
大会が朝霧高原で行われる。世界GPライダーのJ.ロベール、S.
ゲボース等が来日しエキシビションレースで一緒に走る。
戦績
◆年間ランキング 125ccクラス 6位
250ccクラス 6位
◇ゼッケン #6 を獲得する。
○1971年 23歳 ★セニアクラス(3年目)
スズキの従業員としてモトクロスマシンの開発を引き続き行いなが
ら全日本MXレースへ参戦する。シーズン後スズキモトクロス全国
大会が浜松近郊の白須賀MXテストコース(現在はない)で行われ
た。前年同様J.ロベール、S.ゲボース、R.デコスターが来日し
世界GPライダーの走りを見ようと約1万人以上のファンが詰めか
けた。 戦績
◆年間ランキング 125ccクラス 7位
250ccクラス 9位
◇ゼッケン #7 を獲得する。
○1972年 24歳 ★セニアクラス(4年目)
スズキ従業員としてスズキワ−クスライダーの責務を負い全日本モ
トクロスレースへ参戦する。スズキはヨーロッパよりベルギー人G
PライダーG.ライエーを招聘し良き手本としてプロライダーの生
活や考えを教わる。
◆年間ランキング 125ccクラス 3位
250ccクラス 6位
◇ゼッケン #9 を獲得する。
○1973年 25歳 ★セニアクラス(5年目)
スズキワークスライダー(従業員)として全日本モトクロスレース
へ参戦する。シーズン前(1月初〜3月)にベルギーのG.ライエ
ーのところにモトクロスの修行に行く。生まれて初めての海外渡航
、ローカルのインターナショナルレースに参戦する。16歳の時に
モトクロスを初めて見た時心に抱いた夢が8年目にしてかなった。
戦績
◆スズキモトクロス全国大会 優勝
WGPライダーJ.ロベール、R.デコスター、S.ゲボース、G.
ライエーの世界トップのGPライダーを負かす快挙を達成
◆海外レース
全日本MXレースのシ−ズン後、初めてアメリカのレースに参戦す
るため渡米する。主に西海岸のレースにスポット参戦する。
★TRANS-AMAシリ−ズ(500ccクラス)
◎R−10 シアトル(ワシントン州) 5位/5位 総合6位
◎R−11 リバモァ(カルフォルニア州)12位/DNF)
◎R−12 サドルバック(カルフォルニア州) 総合 8位
◆年間ランキング 125ccクラス 2位
250ccクラス 4位
◇ゼッケン #3を獲得する。
○1974年 26歳 ★セニアクラス(6年目)
スズキワ−クスライダー(従業員)として全日本モトクロスレース
に参戦する。チャンピオンを奪回する気持ちを強く持ってレースに
臨む。レースでは単発的に優勝するもシーズンを通じては不本意な
結果に終わる。しかしながら、MFJ日本GPでは両クラスで優勝
を獲得し、最優秀選手に選ばれる。
戦績
◆日本GP富山大会 125ccクラス 優勝
250ccクラス 優勝
◆年間ランキング 125ccクラス 5位
250ccクラス 8位
◆海外レース
アメリカのTRANS−AMAモトクロスシリーズに参戦する。
◇ゼッケン #3を獲得する。
○1975年 27歳 ★セニアクラス(7年目)
スズキワ−クスライダー(従業員)として全日本モトクロスレース
へ参戦する。持久力の向上や筋力をアップするためフィジカル面を
強化する。スズキ陸上部のコーチからトレーニング方法ののアドバ
イスを受たり、指導をしてもらう。体力面は飛躍的に向上出来た。
戦績
◆MFJモトクロス日本GP 鈴鹿 125ccクラス 優勝
250ccクラス 優勝
◆年間ランキング 125ccクラス 3位
250ccクラス 1位
★250ccクラスのチャンピオンを獲得する。
◆海外レース
アメリカのTRANS−AMAモトクロスシリーズに参戦する。
◇ゼッケン #2を獲得する
○1976年 28歳 ★セニアクラス(8年目)
スズキワ−クスライダー(従業員)として全日本モトクロスレース
へ参戦する。シーズン前にテストコースでアクシデント、負傷した
ため、前半戦は欠場する。浅間高原テストコースで行われたMFJ
モトクロス日本GPで125ccクラスでは渡辺選手(1位)と共
に表彰台に挙がる。250ccクラスは7位のみの結果に終わる。
戦績
◆MFJモトクロス日本GP浅間 125ccクラス 2位
250ccクラス 7位
◆年間ランキング 125ccクラス11位
250ccクラス19位
◇翌年 アメリカのAMAモトクロスレースに挑戦することを決心
○1977年 29歳 ★AMA モトクロス全米選手権出場のためアメリカへ移住する。
3月に渡米し、ダッジバンにマシンを積み自ら運転しアメリカ国内
各地を転戦する。ナショナルレース第1戦サクラメント(ハングタ
ウン)大会が挑戦の初戦である。カルフォルニア州、フロリダ州、
ニュヨーク州、マサチューセッツ州、オハイオ州、インデアナ州な
どを廻る。当時はスポーツ国籍が容易でなく2年間は無ポイントで
実績を創り上げるしかなく、毎レースにて予選レースを戦い予選通
過を果たし本レースに臨むしかなかった。
★AMAよりゼッケンナンバーをもらう。
#811は私のモトクロスを始めた16才のときの夢であり、スピリ
ッツでもあり。モトクロス生涯現役のシンボルとする。
戦績
◆WGP125 アメリカ戦 総合2位 (2位/2位)
・このとき1位は同じくスズキに乗るG.ライエー
○1978年 30歳 ★USAにとどまりAMAモトクロス全米選手権レースを続行する。
転戦は前年同様ダッジバンにマシンを積み自ら運転し各地を廻った。
思い出の強いコースは、カルフォルニア州ではサドルバック、カール
スバッド、ハングタウン、マサチューセッツ州ボストン、オハイオ州
レキシントン、等でスピード、雄大でありテクニックが必要である。
戦績
◆AMA SXレース ヒューストン戦(アストロドーム球場)5位
○1979年 31歳 ★更にアメリカでのレース活動を続ける。
AMA スーパークロス及び全米選手権 125、250に参戦する。
◆ランキング 89番(125ccクラスと250ccクラスを併せ
た総合順位)
◇ゼッケン #89を獲得する。
○1980年 32歳 ◆市販レ−サ− スズキRM開発に重点を置いた活動へ転向するためレ
ースは西海岸のAMA全米選手権のレースに活動を絞る。スズキのRM
モトクロスバイクはカルフォルニア州サンディエゴ近くのカールスバッ
ドMXコース(現在は閉鎖されている)で行われていました。テストの
時は毎日、数10周も周回してました。ここはWGPMX500ccク
ラスのアメリカ戦も行われました。B.グローバーやR.ジョンソンが
育ったホームコースでもあります。
○1981年 33歳 ◆市販レ−サ− スズキRMモトクロスバイクの開発に重点を置いた活
動を続ける。シ−ズン途中にてアメリカでのモトクロスレ−ス活動縮小
AMA公式戦の現役ライダーとしてのレ−ス参戦は取りやめる。
○1982年 34歳 ◆RMテストライダ−の職種を続けると共に米国スズキのモトクロスチ
−ムの技術コ−ディネ−タ−をアシストする。M.バーネットのスーパ
ークロス及び125ccクラスのモトクロス全米選手権レースのチャン
ピオン獲得に貢献する。
○1983年 35歳 ◆米国スズキのモトクロスワークスチームのコーディネーターに就任す
る。ワークスチームに帯同しハードの技術アドバイスを行い、M.バー
ネットのスーパークロスチャンピオン獲得に貢献する。
1984年に向けてスズキは内外モータースポーツ活動の縮小を検討す
る。これを受けて米国スズキもレース部門の見直しがされる。
10月 スズキを円満退社する。日本へ帰国
11月 HRC入社 テスト部門に配属される。
○1984年 36歳 ◆HRCワークスモトクロスチーム監督及びワークスレーサー開発テス
ト部門を担当する。HRC契約ライダー東福寺選手、杉尾選手他優秀な
モトクロスライダーをまとめ全日本チャンピオンの獲得に貢献する。
○1985年 37歳 ◆前年に引き続きHRCワークスモトクロスチーム監督を引き受けて、
MFJ全日本モトクロスで国内を転戦する。パリダカールラリーへ参戦
が企画されワークスラリーマシンの開発が発足する。テストライダーと
して1月初にアフリカ、ニジェール国にパリダカールラリーの現地視察
をするため出掛ける。パリダカールラリーでかってモトクロスを教わっ
たG.ライエーと再会する。MFJ全日本モトクロスレースシーズンの
後半では本格的にラリーマシンの開発テストを行う。アフリカ現的テス
トでテネレ砂漠に出掛ける。
○1986年 38歳 ★1月 パリダカールラリーがセネガルのダカールにゴールする。フラ
ンス人ライダーC.ヌブーがNXR750でデビューWINを飾る。引
き続きパリダカマシン NXR750の開発テストライダーを担当する
その後連続して3年間優勝を果たした。トータル4年連続優勝しラリー
マシンの開発は終了した。
◆アフリカ ニジェールのテレネ砂漠にて約1ヶ月テストに参加する。
◆その後
1986年 アルジェリア、南フランスでNXR750をテスト
1987年 モロッコにてNXR750をテスト
1988年 チェニジアにてテスト(私は不参加)
◆このころエンデューロレースが盛んになり山形県金山町にてレイドカム
ロというエンデューロイベントが行われ、国内各地にエンデューロのイベ
ントが広がる。福島県羽鳥、長野県池の平等のイベントに個人参加する。
○1989年 41歳 ◆HRCモトクロスマシンの開発LPLとしてヨーロッパWGPへ視察に
出掛ける。イギリス人D.ソープ、ベルギー人E.ゲボースのチーム運
営を指揮する。
○1990年 42歳 ◆HRC国内ワークスモトクロスの監督に復帰しオートマチックモトクロ
スマシンの開発テストを本田朝霞研究所のHFT開発チームと連携し行い
レースに参戦させる。
○1991年 43歳 ◆HRC国内ワークスモトクロスの監督を引き続き就任しオートマチック
モトクロスマシンの熟成を計り参戦2年目で宮内選手によりチャンピオン
を獲得できた。
○1992年 44歳 ◆HRC国内ワークスモトクロスの監督は若手に任せる。運営を側面より
バックアップする。職責は市販ロードマシンの開発テストを支援する。
○1997年 49歳 ★11月1日〜11月2日 アメリカ、カルフォルニア州グレンヘレンで
行われたワールドベテランモトクロス大会に日本から出場する。50歳を
期に、かって、アメリカの現役時代に戦っていたライダーと競走したい
思いが自分の内に持ち上がり参戦する決心した。
戦績
◆40才エキスパートクラス 総合 8位
○1998年 50歳 ★アメリカで行われるワールドベテランモトクロス大会に再挑戦した。
結果
◆50才エキスパートクラス(土) 総合 2位
(日) 総合 4位
○1999年 51歳 ★ワールドベテランモトクロス大会に出場する。
戦績
◆50才エキスパートクラス(土) 総合 2位
(日) 総合 3位
○2000年 52歳 ◆2月末よりインターネット上にてモトクロス生涯現役のHPを開設する。
全日本モトクロス第6戦スゴー大会にてオールドタイマーモトクロス実行
委員会を立ち上げ、昼休みにオールドタイマーモトクロスレースを開催す
る。1970年代・1980年代のワークスライダー、チャンピオンの参
加を呼びかけた結果、多くの有名ライダーが集合しモトクロスファンの方
々に喜んで頂いた。
○2001年 53歳 ◆9月11日 NY 同時多発テロ発生 全世界が悲劇を悲しむ。
・11月に行われるワールドベテランモトクロス大会の出場を断念する。
○2002年 54歳 ◆アメリカで行われるワールドベテランモトクロスレースは全日本ロード
レースと日程が重なり職責の関係もあり渡米、出場を断念する。
○2003年 55歳 ◆オールドタイマーモトクロスはマスターズオブモトクロスと開催名称を
変更し、より多少権威のあるイベントに成長させたい。
・今年は4回目 マスターズオブモトクロスはこれまで以上に1970年代
1980年代のチャンピオン、ワークスライダーに集まって頂き盛大にベ
テランのレースを開催する事が出来た。
○2007年 59歳 ★アメリカで行われるワールドベテランモトクロスレースに参戦する。こ
の年はアメリカ在住のサム山崎氏の段取りで7年ぶりに渡米出来ました。
マシンはアメリカ人の知人ウィリー・アマラデオさん所有のヤマハYZ2
50の2サイクルマシンを借用することが出来ました。これまでヤマハの
バイク乗ったことがないので若干戸惑いを感じました。それも直ぐ慣れて
ました。レースは50歳代の最後ということもあり勝敗は気にする事なく
楽しく乗ることができました。
●競技とはちょっと違いますが岡山の知人石原さんと岡山モトクロスOB会
のオフ会を企画しました。場所は福井県東尋坊の温泉宿ということでバイク
で関東・岡山の双方から集合となりました。私はバイクで東名・名神・北陸
高速道を約500km一気乗りで向かいました。もちろん往路も同じ高速道
走って帰ってきました。夏場だったら富山、長野と抜けて帰ってくることが
可能でした。
○2008年 60歳 ◆10月定年退職でHRC・本田朝霞研究所の若い技術者の皆さんが福島
県いわき市のモトスポーツランドしどきで退職記念の走行会を開催してく
れました。
○2009年5月 ★2009年ロシアンラリーに参加しました。まるまる1週間約1000
kmをウラジオストク近郊のダート路、林道、川渡り、市街地の舗装路を
走破しました。コマ図を使っての走行は初めての経験でした。