2009 ロシアンラリー 奮戦記
5月3日(日)、2009年のゴールデンウィークの真っ只中、午前8時半少し早めに新潟に向けて家を 出る。私はこれまで訪問したことのない国の一つであるロシア共和国に出掛けて行きます。東京駅から上 越新幹線とき号に乗車しているロシアンラリーの主宰者の森さん、サポートスタッフの宮田さん、そして 、ジャーナリストでカメラマンの『ジョッパーさん』こと鈴木さんの三人のグループに合流するため大宮 駅に向かった。余裕の大宮駅到着でしたが、連休でごった返す駅の新幹線のホームで待つことにする。打 ち合わせた新幹線のとき号に乗車しみんなと合流する。もちろん車中の会話はやはりロシアンラリーが中 心となった。そうこうしているとウラジオストク在住の通訳マキシムさんから新潟空港行きのウラジオス トク航空の飛行機は、まだウラジオストク空港を出発してないと連絡が入ったのである。心配しながらも 昼過ぎに新潟空港に着きました。既にロシアンラリーに参加する国内エントラントの方々が空港ロビーに 集合していました。航空会社にも何時ウラジオストクから飛行機が新潟に飛んで来るか詳細はないそうだ 。森さんによると『このような事は初めてで予測が立たない』とのこと若干心配してます。それでもこの 間を利用して空港ロビーで出発前のミーティングが行われ、渡航前の各書類の確認、注意事項とコマ図が 配布された。エントラントの皆さんは早速コマ図を連結する作業を始めている。皆さん慣れた手つきで繋 いでいく。定刻を1時間過ぎてもロシアからの飛行機はやってこない。ロシアでは情報があまりない時、 予定が突然キャンセルになる場合も有るそうだ『本当に今日飛べるのかな』という会話まで飛び交う。暇 を持て余すこと2時間、航空会社の情報で午後5時過ぎに日本行きの飛行機がウラジオストク空港を飛び 立ったという事を受けて手荷物検査が始まった。ロシアンラリーのエントラントは誰もが巨大な防具バッ クとスペアパーツ、工具を詰め込んだ大荷物である、中にはオフロードブーツを履いて手荷物の重量を少 しでも減らそうと努力しているエントラントもいて他の旅人から見たら異様な光景だろう。我々ロシアン ラリーグループの大きな荷物の検査のため、手荷物チェック場はてんやわんやの状態になりちょっとした 手荷物検査待ち渋滞を起こすハプニングとなった。私もライダー防具、工具のバッグがあり手荷物オーバ ー料金を払わされることになりました。こんな事もありましたが何とか全員無事にチェックインを済ませ 、後は搭乗するのみとなった。2階の出発ロビーでは手荷物検査やラリーの会話が弾み、心はロシアのウ ラジオストクへ。やっと飛行機が到着し定刻から約3時間遅れで新潟空港を飛び立つ事が出来た。ウラジ オストク空港まで約2時間弱飛行しありウラジオストク空港に到着したのは午後11時を回っていた。ロ シア共和国沿海州と日本の時差は二時間である。(ロシア共和国沿海州が進んでいる)初めてのロシア共 和国の入国審査はちょっぴり緊張した。直立不動でじっと待つこと5分、パスポートに入国許可のはんこ が押されたことを見て安堵する。この後、再び簡単な審査があり晴れて手荷物引き取りエリアに出る事が 出来た。エリアはかなり狭い。荷物を受け取った後、手荷物タグをお姉さんがしっかりチェックするので 狭い出口が混雑して大変でした。共産国?の効率の悪さのイメージは拭えない。大荷物を担いで外のロビ ーに出るとロシア人の通訳マキシムさんが待機していた。既に午前12時を過ぎていました。全員マイク ロバスに乗り込み空港から約60km離れたウラジオストク市街のホテルへ向かう。深夜の国道というこ ともあり何故か運転手さんは時々ある検問所の付近で室内灯を消して中を暗くし検問を受けない様にして いるらしい。自宅を出てから約15時間余り長かった移動は午前1時過ぎやっとホテルにチェックイン出 来ました。初めての訪問国ロシア共和国入りした旅の疲れも有りあっという間に睡魔が襲ってきました。
5月4日(月)天候は晴れ、ホテルのバイキング様式の朝食を済ませバイクに乗るスタイルでホテルのロ ビーに集合する。昨夜チェックインが遅かったことで今直ぐやらねばならないことが有った。新潟空港で 配布された1日目のラリーのコマ図を繋がなくてはならない。シートのままではマップケースに収められ ない。みんなが集合する前にホテルのロビーに座り込み大急ぎで貼り合わせた。何とか集合時間に間に合 いコマ図を巻くことが出来た。皆が揃ったところで富山県伏木港から船便で送ったロシアンラリーに使う バイクをウラジオストク港の税関まで引き取りに行く。昨夜と同様マイクロバスに乗車して移動だ。車窓 から見る街は日本車が溢れていることに大変驚きました。また日本と雰囲気の異なる街並みが初めて訪問 した異国ロシアを意識させる。今回は通訳のマキシムさんの手腕が発揮され昼過ぎにバイクを引き取るこ とが出来ました。ウラジオストクのストリートを緊張しながら、ロシアンラリーのスタート会場に向てけ 12台のコンボイでバイクを走らせる。15分程街中を走っただろうか既にロシアの人達がたくさん集ま っている会場に到着した。スタートまでしばらく時間がある様だ。大急ぎでコマ図をマップケースにセッ トしラリー走行に備える。ラリー用のバイクは本田技研工業(株)様のご好意でXR230を貸し出して頂 きました。コマ図のセットアップも終わり準備は整った。地元テレビ局の取材も受け、何年ぶりのインタ ビューで舞い上がる気持ちだ。この様な事も要因で後にひやひや体験をすることになる。若干舞い上がり 気味と緊張のため、ガソリンの確認を怠ってしまった。ウラジオストクモーターサイクル連盟の会長のブ リーフィングが始まりスタートの気運が高まる。説明のロシア語はさっぱり分からない。通訳のマキシム さんの日本語は流ちょうで内容は把握できた。スタート前の記念撮影も終わりスタート時間となりスター トゲートの下にマシンを並べた。私のゼッケンは17番である。午後3時過ぎゼッケン1番のロシア人ラ イダーから順次スタートして行く。いよいよ私の番が来た、レースのスタートはどんな時も緊張するもの です。3台一組で気持ちを抑えながらスタートする。わくわく、どきどきのロシアンラリーが始まった。 スタートして直ぐウラジオストク郊外の山の中を走るルートだ。一緒にスタートした相方は既に先行し姿 が見えなくなった。2分間隔というものは意外と他車と離ればなれになり孤独な雰囲気になるもんだと思 いながら走っていく。この後いきなりラリーの洗礼を受けることになった。1.9km地点での分岐が現 れ、先行した日本人グループはまっ直ぐ行ってしまった。コマ図は左を図示している、しばし止まって後 続を待つことに。ロシア人ライダーは左に曲がっていった。日本人ライダーが登ってきた、一言声を掛け て状況を話す。先の道を確認すると言って真っ直ぐ行ってしまい戻ってこない。私も後を追った。『ラリ ーは自分を信じることから挑戦が始まる』を失った瞬間である。果たせるかな、スタート後まもなく私を 含めて10台が山の中を右往左往することとなった。林道で四輪ラリー車とすれ違いコースを修正するこ とが出来た。私のバイクはトリップメーターのみのため、山の中をさ迷った距離を修正できない、コマ図 と正確な位置を探し出せなくてグループの最後尾を走らざる得なくなってしまった。ウラジオストック半 島の東側の舗装路に出る前にチェックポイントが表れた。内心ホットした。この後舗装路を北上Shko tovoを目指す。国道を80km程走ったところ突然ガス欠症状になり唖然とする。日本から送り出すとき ガソリンは満タンにしておりここでガソリンが無くなるなんて信じられない。スタート前チェックをしな かった事が悔やまれる。ガソリンスタンドが無い。気持ちがかなり焦る。いつガス欠になっても良い様に 最後尾から1台前に出て不安な気持ちのまま次のSSを目指す。と先頭の平澤車がガソリンスタンドに入 る一斉に他の者も付いていく。もうほとんどガス欠寸前状態の私は内心ホットし『これでガス欠は免れた 』と安堵した。ロシアのガソリンスタンドは料金前払いなので10台ものバイクを各人個々にガスを入れ るのは言葉の問題もあり大変だ。幸いKTM車の平澤君がロシア語を話せるので何とか10台まとめて続 けて給油できた。ラリーの教訓『出発する前にガソリンは必ず確認すべし』初めてのロシアンラリーで気 持ちが少々舞い上がっていた、反省。コマ地図はShkotovoの町の中を避け外れの地道を図示して いるようだ。その後国道に出て南下 Пристаньという町にたどり着いた。コマ図は国道を外れて 直進となってる。踏切だ列車が通過するまでしばし待機。踏切の両側の鉄板が起きており絶対横断できな い。町外れに第2SSのCPが有った。ここからゴールまであとわずか、轍や凸凹地道に対処し土埃を浴 びながら約7〜8km、古い飛行場の跡地滑走路を走り海岸に出て午後5時半にゴールした。砂浜で走行会の 予定だったが雨が降り出し中止となった。森さんのスタッフ車輌のランクルを先導にバイクコンボイで本 日の宿へ向かった。 本日の走行は117.0 km(SSは76.66km)
5月5日(火)天候は晴れ、山小屋風のロッジは快適とまでいかないが前夜の睡眠不足もありよく寝られ た。昨夜の夕食、今日の朝食は簡素だったが日本人の口に合ったもので、中でも蜂蜜は濃厚で絶品だった 。今日も天気良く暖かくなりそうだ。ロッジを午前9時に後にする。ロッジからダート路を5km程戻って スタート地点が設けられていた。今日のスタートは午前10時と聞いていたがずれにずれて午前11時と なった。スタートまでしばらく時間がありここでもロシア人ライダーと親交を深め記念撮影が行われる。 わいわいやった後2台づつスタートです。ダートロードを1.0km戻り右折して山に入る。いきなり小 石が混じる登り坂、更に濡れた路面だ、中腰姿勢を保ちながらトコトコと攻略していく。登り切ったとこ ろは平坦でいくつものトラックの轍が交差しており気を抜くと迷い込む。グループの後尾を走る私は埃を まともに浴びるも遅れてはならじとモトクロス走行で走る。ところどころ大きな水たまりが有り、すでに 泥水化して全く深さは分からない。やはり水たまりの脇をすり抜けるのが得策だ、大きな深い水たまりは 回り道して水没するトラブルを避ける。山の中約1.0時間走りコースは下って行き村の入口にSS終了 のチェックポイントが現れた、埃が口の中にこびりつきフガフガして声が出ない。リエゾン区間を走ると 昨日の最終SSのチェックポイント地点に到着、本日はここからSSの始まりだ。午後12過ぎスタートす る。しばらく舗装路が続き長い列になり走っていく。先頭車が突然ストップ、道端にバイクを寄せ何事か と尋ねると『ここらでお昼にしましょう』と眺めの良いところに移動しバイクを留めた。スタート前配布 されたランチとりんごを食べて休憩を取る。SSを走り始めて差ほど経ってないのでこの休憩にチョット 戸惑った。焦らずゆっくり行きましょうということである。休憩後、線路を横切り、牧草地みたいな広い 地域を走り埃の中SSのチェックポイントに到着し水分の補給をする。ホンダXR230の燃費はすこぶ る良くガソリンは十分だがガソリンを入れられるときには必ず補給する。もちろんグループ全員が補給す る。舗装路から分かれ幅広いダートロードに入る。一昔前の日本の田舎道といった雰囲気、グレーダーを 駆けていて凸凹はない。スタートから40km地点の直線ダートロードを結構なスピードで走っていた、前車 の埃で気を抜いたその瞬間、前輪はクリアしたが後輪が衝撃を受けた。路面に突き出ていた小石の頭がタ イヤにヒットして後輪がパンクしてしまった。その瞬間後輪が左右にスライドしたが、何とかバイクをコ ントロールし路肩に止めた。思わず『えっ!パンクだ。やっちゃった!』と声を出てしまった。そして、 後を走っていた私はグループから取り残されてしまった。直ぐさまパンクの修理に取りかかる。程なくし て先頭を走っていた平澤さんや他の人達が戻ってきた。サポートの役目を担っている私なのでみんなに迷 惑を掛けられないと言うことで、早速チューブの交換を始める。汗だくだくになりながら、自分としては 10分以内を目標にしていたが16分も掛かってしまった。チョットパニクった事だった。冷静にならな ければと自分に言い聞かせた。グリップ重視でや空気圧を0.9Paが災いした。パンクは避けたいと思 い切って1.8Paに上げた。このことがまた後に災いとなる。小さな村を過ぎ浅い川渡りも過ぎグルー プは進んでいく。だがそのスピードはあまり上がってなく時間がどんどん過ぎていく。スタートから約7 0km地点で午後3時過ぎだ少々遅い。こんな状況の中84km地点で深さ60cmの川渡りが出現、水 没を恐れバイクから降りて押して渡る。モトクロス的に走れば問題無さそうだがタイヤの空気圧を思った 以上に上げているので不安定だ。向こう側で先行していたXR250に乗るの鈴木さんや他のライダーが バイクを止めており、川渡りの途中で転倒しバイクが水没した様だ。第3チェックポイントを過ぎ第4チ ェックポイントのSS入口にたどり着いたのは午後5時過ぎになっていた。ここで私はコマ図の取り替え を行わなくては前に進めない。マップケースが小さくてコマ図の全てが巻けなくて、コマ図を半分づつに して巻き装着していたのです。グループに迷惑を掛けず素早くコマ図の交換が出来た。SSに入るもグル ープは平均速度30km/hのペースで山道を走っていく。このSSは林道が主で深い川渡りはない。ほぼ1 0kmでSSの出口CPに到達した。ここで何と、XR250に乗る鈴木さんがパンク修理をしているで はないか。見たら悪戦苦闘している。聞くとタイヤをなかなかはめられないとのこと、ここで、これまで 追走してきたグループと別れ、XR250のパンク修理を手伝うことを決めました。バイクサポートの役 目を発揮するしかない。後輪用チューブが無いということでフロントの21インチチューブをはめ込むこと にした。何とか15分程で修理は完了してコースに復帰、KTM車の水谷君、XR250の鈴木君、CR M250の松村さん、そして私の4台で次のチェックポイントへ向かう。本日最後のSSチェックポイン トにたどり着いたのが夕暮れ1時間位前で、これから山には入るとSSを抜けるのはとっぷり日が暮れる 見込みとなり、ゴールまで厳しい状況になるなと認識した。このSSの山は結構厳しく川の横断有り、大 きなギャップ有りで思ったより速度を上げられない。かなり走って登りが下り坂に変わったころXR25 0が突然ストップ、ガソリンが少なくなり調子の悪い症状が出た。予備コックで走るも更に調子が悪くな ってしまった。私がバックの中に携行していた1L予備携行缶からガソリンを足し何とか調子は戻すこと が出来た。山の中でガス欠に見舞われるのは不安だ。辺りは暗くなりつつ、どんどん下っていきほぼ平地 になったとき、最後の川渡りでサポートスタッフの四輪駆動車を見つけた。ここで我々が通過するのを待 っていたそうである。もちろんすでに最終のSSチェックポイントは閉鎖され誰もいなかった。夜もどっ ぷり暮れた、山裾を四輪駆動車に導かれハバロスクの宿泊地まで35km走りで宿泊地に到着したのは午 後10時30分を過ぎていた。 本日の走行は175.6km(SSの合計は83.12km)
5月6日(水)天候は晴れ、昨夜は到着が遅かった事もあり、簡単な夕食を取り、それからコマ図を準備 して就寝したのは午前2時を廻っていた。同室のCRM250の松村さんは毛布に入らず作業スタイルの まま寝てしまった様で部屋の明かりは点いたままだった。午前6時半に起床、7時に素早く朝食を済ませ 早めにバイクの準備に取りかかる。XR250の鈴木さんが朝早くからリヤータイヤの交換している。ま たまた修理に悪戦苦闘している。私のバイクのチェックは早々に済ませ、鈴木さんのバイクを手伝うこと にした。出発時間が迫っているのに食事をしてないらしいことやバイクに乗る防具を身につけてないので 、早く身支度をする様にと後は私が引き受ける旨を伝えた。彼のバイクのタイヤを装着しているとロシア のライダーが手伝ってくれました。日ロ親睦の精神が生きていると思いました。この様な事もありタイヤ 交換はスタート時間に間に合わせることが出来た。鈴木さんはまだやることが有ったらしく宿泊地のスタ ート地点には現れなかった。今日も午前9時スタートがずれて午前10時ということになった。スタート 前のブリーフィングは行われず通訳のマキシムさんが日本人エントラント個々に情報を伝えていた。第1 SSのスタート地点まではリエゾン区間としてナホトカの街の舗装路を通過し北上していく。宿泊地から 26.9kmの村にSSスタートは設定されていた。到着するとロシア人ライダーがスタート時間を調整 している。日本人ライダーは到着が遅かったためスタートが遅れることになった午前11時にSSをスタ ート、村から外れていき山間の林道を走る、土埃がすごい、いくつもの浅い川を渡り林道をどんどん進む 、ナホトカの北部の山道を走破している。少し開けたところで一休みを取る、午後2時半になっていた。 休憩後5km程走るとSSのチェックポイントが現れ走りの効率が悪かった。早々に出発。これからしば らくリエゾン区間として一般道を走っていく。交通事故と制限速度に気をつけロシア共和国沿海州の田舎 町を進む。Партизанскという街を通り抜け、景色が開け丘の向こうまで真っ直ぐな直線道路に 出た。一番低い橋のところでXR250の鈴木さんが待っていた。スタートに間に合わず先回りして我々 と合流するためスタッフ車の先導でここに連れて来てもらっていた。更にスタートから78.5kmのК азанкаという町を通過、Авангард、Залесьеという町を経て先に進む。既に道路は ダートに変わり土埃がすごい。126.4km地点のМолчановкаの町も過ぎ山の中に入ってい く川渡りが頻繁に出てくる。ダートに水が入り込み川となっている。何処が浅いか見極めなが慎重に進ん でいく。タイヤの空気圧が高めなので安定性は良くない。こうも悪いと自分のライディング技量がへたく そと思ってしまい自信を無くしてしまう様だ。更に山の中へ入りどんどんと登っていく道の両側に残雪が 積もっている。気温も低くなった。走っていると気がつかなかったが約1000mの標高があるらしい。 登りのガレ場、Wet路面で滑り易い状況も加えて一定に走るのを苦戦する。関西グループの人達は45 0で有り問題なく登っていく。あと少しで頂上というところで不覚にもフロントタイヤを滑らせ転倒、滑 りやすい路面に足を取られながらも何とかバイクを起こしエンジン再始動、登りで苦戦しながらも走り続 けて行き合流できた。先行したエントラントは残雪を楽しんでいた、本当は立ち止まって残雪の感触を楽 しみたかったが遅れている身、そうはできない。その後バイクがギャップでクッションが沈む度にガッガ ッと音がする様になった。差ほどたいしたことないと思いそのまま下りのダートを走り続けた。先程の転 倒で車体の携帯工具入れのステーが内側に曲がりタイヤと接触していたのでした。一気に下り狭い林道が 森林の切り出し木材を運ぶ幅の広い道路になった。それでも川は至る所に有り道路が川になっている場合 も有り、走る進路に神経を使ったり深みにはまらない様にバイクを進めていく。ロシア特有の巨大な6輪 トラックが走っていたりして、この林道は油断は出来ない。差ほど悪くないダートで突然エンジン回転が 吹き上がり『何だ!』一瞬ひやりとした。パニックは起こさなかったが直ぐさまドライブチェーンが外れ たことを悟った。スタートから193.6kmの林道のことだ。林道の路肩にバイクを寄せ状況を観察す る。単純にスプロケットの内側に外れており修理は簡単だと確認できた。今度も不幸中の幸いだった。こ のバイクにはラリー用の標準サイズがなかった為ワンサイズ大きなタイヤが装着されていた。スィングア ームとタイヤのクリアランスが狭くマッド条件では泥でロックし易いと判断したので、手持ちのコマ数の 長いドライブチェーンに入れ替えてきた。新品ではなかったので、これまでの水と泥でドライブチェーン が伸びきってしまった。簡単にドライブチェーンをはめ直し、チェーンを再調整し再スタートが切れた。 5km程走るとSSのチェックポイントが有り、グループのみんなが待っていた。Ясноеの村を過ぎ 本日最後のSSに到着した。もう一山越さねば最終SSチェックポイントに行き着かない。直ぐに出発す る。山に上がりいくつかの川を超えて走ると太陽は既に西に傾きかけている。34.3kmのSSが終了 しチェックポイントに着いた時は午後8時半になっていた。昨夜泊まった宿泊地に向けて約152km移 動だ。その前にガソリンを補給しなければならない。コマ図に従って近くのガソリンスタンドで給油が出 来た。移動し始めたところスタッフ車輌を発見、一時止まって現在の状況や情報を聞く。宿泊地までかな りの距離が有るスタッフ車輌の先導でコンボイで進むことになる。ダートなので四輪の後ろを走る二輪は 土埃がひどくバイクの間隔を50m位は開けなければ走れない。すっかり日も暮れ気温がどんどん下がっ ており寒さで身震いもしてきた。真っ暗闇と土埃のダートは何処を走っているのかさっぱり分からない。 途中の村でガソリンスタンドを見つけ給油し走る事、約2時間半やっと舗装路に出て見覚えのあるナホト カの街の通りが出てきた。午後10時過ぎ昨日と同じ宿泊地にゴール出来た。本日も埃と夜間走行時の寒 さもプラスされ疲労困憊で終わった。 本日の走行は395.6km(SSの合計は118.8km)
天候は晴れ、前夜と同じ状況で朝を迎えた、スタート前に必ずやることが有るため午前7時に素早く朝食 を取った。コマ図をセットアップし、本日はどうしてもドライブチェーンの交換をせねばならない。早速 バイクの整備に取りかかる。心配なのは雨でコースが泥と化することです。泥がスィングアームとタイヤ の隙間に詰まりタイヤがロックすることだけは避けねばならない。幸いラリー中は好天気が続いており今 日も雨の心配はなさそうだ。安心してオリジナルのドライブチェーンに交換する。XR230のオリジナ ルチェーンはカシメタイプでしたが、カシメ工具を持ってきてないためにクリップタイプのジョイントを 装着する。クリップをはめて、クリップジョイントにステンレスワイヤーを巻き付けクリップが外れない 様に細工をした。他の皆さんから不思議がられた。今時チェーンジョイントにこのような事をする必要は ないと思いますが、今日明日の2日間に何が起こるとも分からないと考えクリップにワイヤーを巻きまし た。このクリップ外れ防止策は私が40数年前モトクロスの駆け出しの頃、先輩より教わったのである。 これでドライブチェーンの問題はなくなった。前後タイヤのパンクを防ぐことに意識を集中できる。少し でもグリップ性能を確保をすることでタイヤの空気圧を前後1.4Paに調整した。グリップ性能、クッ ション性の不満は有るがパンク防止優先で決定した。空気圧についてはもう少しラリーの経験を得られれ ば適正な値が判断出来るであろう。或いはチューブの替わりにムースチューブを採用することも考えられ る。時間も迫り既にロシア人ライダー達は宿泊地ホテルの前からSSに向けて移動区間を出発している。 我々日本人エントラントは2日目・3日目と宿泊地にゴールはしているも最終SSは封鎖され記録が途絶 えており正式な順位は出ていない。本来のラリーレイドではリタイヤ扱いになってしまうが、ロシアンラ リーの良いところはマシンが動けば翌日もスタートできるのである。オフロードを思う存分に走れる事を 第一に、ライダーの心を満たすことに重点を置いてくれている。参加する事に喜びを感じる対応が取られ ている。午前9時に出発、リエゾン区間の舗装路を走りナホトカの街を後にする。途中ガソリンを補給し 本日の走行に備える。第1SSは昨日と同じ場所だ。水谷君のKTM車のヘッドライトが点いてないこと を教える。ヘッドライトのバルブのフィラメントが破損して点灯しない様だ。夜間走行を考えるとSSの チェックポイントで修復した方が良い。水谷君を残し我々は一足先に出発する。山に駆け上がる前に今日 も早めのランチとする。休憩していると近隣のロシア人のおじさんが通りかかり持っていた大きな松の実 をくれた。なかなか美味な味だったらしい。ラリーを通じてロシアの人との交流の場が出来た。走り出し て直ぐに『アレー、このコースは昨日と全く同じだ』と気がついた。50km余り走っても同じだぞ。林 道コースが終了しリエゾンとなる。Партизанскの街を抜け、昨日XR250鈴木君と合流した 舗装の直線路迄やってきた。スタートから79.3km地点の舗装路を進む。ここから新しいルートだ。 道なりに進むとБровничиへ左に曲がれという看板が出てきたコマ図通りに左折する。街の中は舗 装路だったが離れるとダートロードに変わった。村はずれの分岐を進むと107.2kmにSSの入口チ ェックポイントが設営されていた。何とこのチェックポイントでXR250の鈴木君がまたもやパンク修 理をしている。声を掛けたらやっぱりパンク修理に苦戦しているとのこと。これまで追走してきたグルー プに別れを告げ鈴木君にサポートをすることに。炎天下でパンク修理であったのでタイヤをはめ作業が終 わった時は汗だくだくであった。先行したグループから30〜40分遅れてしまった。この間にロシア人 ライダーと四輪バイクのグループがSSのコースに入っていった。二人で出発して、しばらく進むと見覚 えのある深い川が表れた。ここは2日目のコースの逆を走っているではないかと気がついた。そして川の 向こうを見ると先行したグループがなにやら1台のバイクを修理しているではないか。追いついたと思い ながら川を渡り状況を聞くと1台が水没してしまったとのこと。バイクを逆さまにしてマフラーから水を 抜いて、スパークプラグを外しチェックしたけどエンジンが掛からない。そうする内に最後尾をフォロー するロシア人のスタッフ車がやってきた。苦戦している我々日本人に手助けをしてくれ何とかエンジンを 掛けることが出来てコースに復帰できた。さあ再出発だ、遅れた時間を取り戻すべくどんどん進む、山の 中、ギャップを走り川を越え14.33kmでSSの出口チェックポイントに到達した。ここから移動区 間となり、舗装されてない村も通り更に進んでいくと、149.7kmのある村に行き着いた。ここにス タッフの森さんら、通訳のマキシムさん達が待機していてた。そして我々を停止させた。予定時間をかな り遅れている我々は近隣の住民に対し埃迷惑を掛けられないということと成り、これ以上コースを進める 事が出来なくなった。ロシアンラリーに対し心証を悪くしてまでダートを傍若無人に走る訳にはいかない 判断がされた。残り83.0kmのラリーコースの走行を断念することになった。もちろん予定時間の遅 れも影響は有ったかもしれない。4日目の宿泊地まで一般道をスタッフ車輌のランクルを先頭にバイクコ ンボイで向かうことになった。それでも昨日と違って明るい内に宿泊先に到着出来る見込みで内心『ほっ と』した。 本日は233.0km(SSの合計は118.8km)の予定で有ったが最終SSはキャンセル
天候は晴れ、昨日は早めに到着したことでコマ図や防具の手入れは比較的早く終了、久しぶりに普通に睡 眠を取ることが出来た。今日朝も素早く身支度して駐車場まで行き出発準備を始める。さて、これまで日 本人エントラントのサポートとしてグループの後尾を走行してきた。私は今回初めてのロシアンラリーと いうこともあり、バイク専門誌へのリポートをする役目も持っている。今日はグループから離れ単独で走 る事とする。延々続く幅広いダートロードではXR230のパンクに注意しながら、ハイペースで走行し ていく。私の後ろは土埃がもうもうと舞っている。バックミラーで後続は全く確認できない。ダートは5 7.6kmも続いていた。スタートから107.2km走った処の小さな村に着きコースは舗装路となっ た。当然村の中は人々が往来しているためスピードを落として注意して走る。村の外れにあるガソリンス タンドで給油する。ロシア共和国のガソリンスタンドは前払い制であり自分のガソリンタンクはどれくら い入るのか予測して料金を払い給油する。もし払ったお金より少ない額で満タンになっても返金はない。 私のXR230は走った距離を考え6リッター位は入るだろうと予測しガソリン代を138.54ルーブ ル支払った。95と表示されているポンプのノズルを持ちガソリンを入れると5リッターで満タンになっ てしまった。残り1リッターは次に並んでいたロシア人ライダーのバイクに入れてあげた。1リットル2 3.9ルーブルで日本円に換算するとリッター約71.5円だ。ロシア共和国沿海州のガソリン価格は地 域によって若干のばらつきがある。これでバイクはガソリン満タン、エンジンも快調で安心して進む、舗 装路を進みダートを走り村を過ぎてガソリンを入れた地点から約10kmで本道からそれコースは灌木が 生えている地域に入っていく。スタートから118.8kmでチェックポイント、その後林の中のいくつ もの深い轍を選び進んでいく。不覚にもこの林の中で轍にフロントタイヤを滑らせてしまいバランスを崩 し左側に転倒してしまった。幸いスピードを落としていたので大事に至らなかった。堅い路面でチェンジ ペダルを曲げてしまった。林を過ぎダート路を進んでいくと山の土砂を運び出す作業所が見えた大きなト ラックも走ってくる。トラックが走っていると土埃がひどいので注意をしながら更にダートをひたすら走 る。埃の中を約34km走ったところやっと舗装路になった。171.0kmコマ図では給油すべしとな っているが、XR230にガソリンは今入れる程減ってないだろうと、そのまま通りすぎて前へ前へ進む 。小さな村を過ぎたところ右折したところにチェックポイントが有った。その先はまた土埃のする地道と なる。ここは広大な畑の中に有る作業路の様だ。用水路を挟み右に左に畑の道が切れ進んでいく。突然舗 装路にぶつかった。ロシアにしては中途半端な道だと思いながら走る、バイクは良いが四輪車同士がすれ 違うのはチョット狭すぎ危なっかしい。ロシア人の四輪ドライバーはカッ飛んで走っている。2.2km 程走りこの危なっかしい舗装路に別れを告げて再びダートに入る。畑の中の作業道路らしきダート路を進 むと右折すると踏切にぶつかった。スタートから189.7kmの地点だ。ここで日本人エントラントと 合流をするため待機することに。4台の日本人エントラントがやってきて少し話をして激励して送り出し た。約4時間遅れで最後尾の関西グループが到着した。既に午後5時を回っている。このペースで残り1 89.7kmを走り続けるとゴールに到着するのは夜中の午前12時位になる推測がされた。ラリー主宰 スタッフの森さんが安全にラリーを終えることを優先することを判断を下し、このグループのこの後のラ リー区間をキャンセルすることになった。スタッフ車輌の先導により一路ウラジオストクに向け出発した 。途中先行した4台と合流し午後8時ごろホテルに到着した。ホテルの駐車場にバイクを止め5日間のロ シアンラリーは無事終了した。最後は少し残念な結果となりましたが、ロシア共和国沿海州ウラジオスト ク〜ナホトカ〜ウスリースク近郊の林道、ダート路、川渡り、移動区間の舗装路を含め約1、000km を走破した喜びを感じる。
本日の走行375.0km(SSの合計235.31km)の予定であったが残り二つのSSはキャンセル
まるまる一週間長かった様で終わってみれば短かった様な気もする。国内からのエントラント全員が無事 ウラジオストクに帰還できました。日本では味わえない様なオフロード走行を楽しめた経験は私のバイク 人生の一ページに追加されました。ロシアンラリーの表彰式は5月9日(土)午後6時ウラジオストク市 内のホテルで開催されました。ホテル迄はやはりマイクロバスに乗り込み出掛けていきました。ロシアン ラリーのスタートが行われた場所に近いホテルの会場には既にロシア人エントラントや関係者の人達が多 数集まり和やかな雰囲気でした。表彰式はウラジオストクモーターサイクル協会の会長の挨拶から始まり ました。トロフィー授与の前に立食スタイルのロシア料理とウォッカ、ワインでロシアンラリーを称え合 います。次第に和やかな雰囲気に成ると日本人エントラントとロシアの人達の間で乾杯の掛け声が起こり 盛り上がってきました。ウォッカでの乾杯はかなりテンションが上がります。手振り身振りで相手に気持 ちを伝え合ってます。いよいよ成績の発表とトロフィーの授与が行われる時に成りました。日本人は成績 を残すことが出来ませんでしたが、全員に敢闘賞の楯を授与されました。ロシアンラリーでロシアの人達 と親睦を深めるというコンセプトを最後に見ることが出来ました。明くる5月10日は帰国する日です。 泥だらけのバイクをきれいに洗車してウラジオストク港の税関に持ち込まなくては成りません。ウラジオ ストク港の近くの洗車場に入れ泥を落としてもらいました。高圧洗車設備を備え洗車商売をする会社が有 るとは驚きました。ロシアでの最後の昼食はウラジオストク駅近くのカフェテラスに行きました。ロシア とは思えない欧米スタイルのレスランでシチュー料理も悪くはなかったです。午後2時50分発の飛行機 でウラジオストック空港>を後にしました。
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