私は、走った。
 
息が続く限り、走り抜けようとして。
 
 
 …唐突に、光にたどり着いた。
 そして。
「イーリス!」
 見つけた…彼を。
 皆と同じように色を亡くして立ち尽くして…いや、誰かと話しているようにも見えるけれど。
「来たんですね…」
 そう言って微笑ってみせる彼があまりにも儚くて、私はその腕を捕まえた  思わず離してしまいそうなる程、その腕は冷たい。けれど、ここで離してはならない。、
「来て…くれたんですね。あんなことをしてしまったのに」
 彼が消える…そんな気がして、私はイーリスを抱き締めた。冷たい体は、まるで…。
「自惚れて…いいのですか? 貴方は、私のためだけにここにいると」
 私は、答えの代わりに彼に口接けた。その唇は、まるで雪を食べているかのように冷たく、甘い。
「行きましょう、イーリス。私と、共に」
 けれど、イーリスは頷かない。代わりに私の唇をねだって、再び口づけを交わす。
  思い出が、欲しかったんです」
 乾いた  けれど、澄んだ目が、私を見上げる。私は彼の独白に聞き入った。
「貴方に愛されたという思い出が、欲しかったんです。
 この世界に未練などないけれど…持って行くものも、何もない。それでは寂しいから。他の誰でもない、貴方の思い出が欲しかった。だから、彼女と約束したんです。貴方の思い出を手に入れたら、一緒に逝くと」
 そう言われて、私はようやく気が付いた。彼にしがみつく影に。恐ろしい目付きのそれは、きっと。
「私は、貴方にだけは忘れられたくなかったんです。憎まれてもいい、忘れずにいてもらえるなら。私には、愛された思い出だけが残るから。…そう思って、あんな真似をしたのに。…私は、幸せです。憎まれてもいいと想った相手に、愛してもらえる…」
 だから、とイーリスは言葉を切った。気のせいだろうか、彼の体が重いのは?
「さよなら、レオニス。私は自分から望んで逝くのだと…皆に伝えてください」
 彼のからだが、重くなっていく。いや、沈んでいくのだ。
 気が付けば、そこは沼…私の足元までもが、泥と化している。
「手を離して下さい…貴方も巻き込まれてしまう」
 私の体を離し、腕も外そうとして…けれど、私は離さない。
「駄目ですよ…私は彼女と約束したんです。ほら、彼女は私の死を嘆いてくれている」
 嘆いている?
 そう、それは確かに悲鳴を上げていた。けれどその瞳も、その表情も。
「それは嘆いてなどいない! 何故分からないんです!?」
「いいんですよ。これで彼女の報われない苦しみが終わるんです。  こんな余興も、いいでしょう」
 笑うようなその表情は、私が欲しくてたまらなかったもの。けれど、こんな…悲しい笑いなど、見たくもない!
「何がいいんですか? それは…その化け物は、喜んでいるだけなのに!」
「貴方には分からないかも知れませんね。化け物呼ばわりはかわいそうですよ。昔はかわいい少女だったそうですから」
「違う!」
 何故…何故分からない!?
「その化け物はバンシーなんかじゃない、人を闇へ引きずり込む、悪鬼に過ぎない!
 それにそれは、私も連れて行く気でいる。イーリス、それは約束を守る気など最初からない!」
「貴方が手を離さなければ、そういう結果になってしまうんですよ。さあ貴女、私を連れて逝きなさい。彼には手を出さないでくれますね」
 言い聞かせるかのように、彼は化け物にささやきかける。
「イーリス! あきらめないで…手を、手を出せ!」
 もう、体は腰まで沈んでいる。私は立っていることが出来なくて、膝をついた。
   その瞬間だった。イーリスが、私の手を振り払ったのは。
「駄目だ、イーリス!」
「さよなら、です」
 その一言を残して、彼は消えてしまった。私の腕に、二筋の傷を残して。
 
 私は…何も出来なかったのか…?
 
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