私はレオニス・クルニール。この国の騎士隊長だ。
 今日は町の哨戒に出ている。
 パートナーはシルフィス。
 …まぁシルフィスについては語る必要もないだろう。私などよりよほど詳しいだろうからな。
 今なら、町の外に一人で出しても何も問題はない。それくらいには腕も立つようになった、とだけ言っておこうか。
「……何だ、あの人だかりは?」
 町の広場から抜ける道筋。若い娘たちが群れを成している。
「ああ、たぶんイーリスですよ、吟遊詩人の。御存じないんですか?」
「ああ、そうか。春から来ているのだったな。話は聞いているが、会ったことはないな」
「じゃ、会いに行きましょう、紹介しますから」
 そう言ったシルフィスに手を引かれ、人込みの中へ連れて行かれた。
 そして、出会った。
 美しい装飾の竪琴を奏でる吟遊詩人に。
 息、が。
 止まる、かと思った。噴水の縁で竪琴を奏で、歌う姿はまるで、詩の女神…。
 シルフィスも、声をかけて演奏を中断するような無粋な真似はしない。
 やわらかい声。
 今までに幾人もの吟遊詩人や歌姫を見てきた。皆、それぞれに上手だったが、…彼のように私の息を止めはしなかった。
 誰一人…。
「ありがとうございました」
 歌い終えて、彼は優雅に礼をする。人々が、貨幣を投げ込んでいく。
 その微笑みが、…美しい。
「ああ、シルフィス。お久しぶりですね。…そちらの方は?」
「お久しぶりです。私の上司です。…隊長?」
 シルフィスにそう声をかけられて、ようやく私は我に返った。一呼吸して、ようやく息が整う。
「私はレオニス・クルニール。この国の騎士隊長を努めている」
「ああ、あなたが…。よくお嬢さま方から噂を聞きますよ。はじめまして、私はイーリスと申します。職業は、見ての通りの吟遊詩人です」
 彼はそう言って、微笑ってみせた。それは営業用のものであって、私だけのものではないのに…魅せられる。
「男性…です、ね」
 見れば分かることを聞いてしまうくらい、私は混乱している。…いや、それとも何か、別の答えを望んでいるのかもしれない。
「隊長!」
 シルフィスの抗議も当然だ。かなり礼を欠いたことを聞いている。…自覚があるのだ。
「ええ、男ですよ。気にしなくていいですよ、どちらにも見えるようにわざとやっていることもありますから」
 謝らなくては、と思うよりも先にそう言われて、私は謝るタイミングを逃してしまった。
 彼は…相当の修羅場をくぐってきたと見える。
「今日は、仕事ですか?」
「ええ、町の哨戒です。ゆっくり出来なくて、残念です」
 笑って会話出来るシルフィスが羨ましい。私には出来ない…何を言えばよいのか、わからない。
「あ、いけない」
「どうしました?」
 シルフィスが周りを見回すのに気づいて、私も見回してみる。
 ……殺気。
「ああ、お嬢さん方ですね」
 そう。そこにいるのはほとんどが若い娘たち。しかし。
 まさか、この私が。
 恐ろしいだのと、こんな年若い女性たちに対して思う日が来ようとは…。
 まだまだ私は世間知らずと言うことか…。
「隊長、固まってないで、行きましょう!」
 シルフィスが私の手を引いて走ろうとする。が、力の差はいかんともしがたく、私は動かない…動けない。
「隊長!」
 行った方がいいことは分かっている。このままいれば、私たちが騒動の目になってしまうであろうことも。
 けれど
「次、は
「はい?」
 また、見たい。その微笑みを。また聞きたい…あなたの声を。
「いつ…」
「ああ」
 くすくすと微笑む顔が、私を離さない。これは…彼の手なのか?
「すみませんねぇ、気まぐれなもので。天気が悪い日は出来ないんですけれどね」
「そう…ですか…」
 神とは気まぐれなもの…彼に宿る詩の神は彼までも気まぐれに仕上げたか…。
「隊長ってば! 行きますよ! イーリス、すみませんが今回は聞いていないんです」
「かまいませんよ、義理で入れられるよりね。また今度、ゆっくり聞きに来て下さい」
「はい」
 おや、とイーリスの顔が変わる。シルフィスへの言葉だったのに、私が答えてしまったせいだろうか?
「大体この辺りにいますから。…お待ちしてますよ」
 では、と一礼した彼に挨拶を返す間もなく、私はシルフィスに引っ張り出されてしまった。彼の姿はあっと言う間に囲まれて見えなくなる。
 そして、ようやく一息ついたのは、湖のほとりだった。
「ったく…」
 シルフィスのぼやきが聞こえる。何が言いたいのだろう?
「隊長は、無防備、すぎますよ」
 ……息を切らしながら言う台詞ではないと思うのだが。
「長距離疾走は苦手なんです」
 一言で切り捨てて、…私が睨まれてしまった。
「あなたは町中の憧れの的で、イーリスもお嬢さん方のアイドルなんですよ。自覚して行動して下さい、お願いですから」
「…そうか。すまない」
 だが、シルフィスも十分注目の的だったような気もするが…。
「私も確かに一因ですけど…お嬢さん方には女性扱いされてますし。でも、慣れてますから」
「そうか」
 そうだな。私をいとも簡単にあの包囲網から引っ張り出したしな。
シルフィス」
 私が声をかければシルフィスも身構える。
「気をつけろ、人間だ」
 シルフィスが剣を抜いたことに気づき、私は制した。彼は驚いたように手を放す。
 そして振り返れば、数は五人。手に武器をもって山賊を装っているが…
「一言もものを言わぬ山賊など、聞いたことがないな。どこの間者だ?」
 シルフィスの反応を確認する暇もなく、襲いかかってきた一人と剣を合わせる。
「シルフィス落ち着いて行け!」
「はい!」
 気負いがあるな。だが、まあいいだろう。この程度の輩なら問題ないし…何もわかるまい。
 剣を合わせること二、三合で、私は相手の剣を弾いて見せる。
「まて!」
 シルフィスの声に一瞬、気を取られた。その隙に剣を合わせていた片方が仲間を刺した!?
 止める間もなくその一人も自ら胸を刺して、その場に崩れ落ちる。残りは、とシルフィスを振り返れば…。
「すみません…手加減出来なくて…」
 既に倒れた三人…一人はやはり胸をついている。息はもうない。
「仕方がない、気にするな。…自殺するぐらいだ、捕らえたところで舌をかみ切られるのが落ちだろう」
 勝機がゼロではなかったあの時点で仲間を殺し、自らも命を絶った。捕らえられるのを恐れてのことだろう。…だが、詰めが甘い。死体が残っている以上、どこの国の者なのか、簡単にわかる。
 …もっとも、そこまでする必要もなさそうだが。あの剣の装飾はダリス独特のもの。最近は…隣国にもかかわらず、噂を聞かなくなってしまった。
「シルフィス、レオニス、無事か!」
「シオン様?」
「そのようだな。…どうやらあの方が詳しい事情を知っているようだ」
「そうですね」
 剣を拭い、鞘に収めるシルフィス。その間に来たシオンさまは引き連れていた魔道士の一団に指示を出し、死体を回収させた。その後で、ようやくこちらを向き直る。
「二人ともケガはないな。
 すまないな、王宮に忍び込んだ奴らだったんだが、逃げられちまってな。助かったぜ。
 しっかし、やっぱ王宮内部だからって、魔道士だけじゃ、ヤバイんかねぇ」
「…内部、ですか?」
「ああ」
「すみません、死なせてしまいました」
「いや、いいさ。見たところ自殺だろ? こっちも殺す気でいたからな」
 殺さなければならないほどのことを知られてしまったということだろうか?
いや、そうであれば誰か一人は確実に国外へ逃げようとするはず。足手まといになる仲間を殺したとしても、自分一人は生き延びなければならないはず…。
「シオンさま…では、まさか?」
「ああ、たぶんな。例の奴らだろう」
 例の奴ら?
 何のことだろう、とシルフィスに目で問いかけてみるが、困ったように答えを返さない。 彼に口止め出来るような相手は、せいぜい2、3人だろう。とすれば、その相手は。
「あ〜、まあ確かに俺が口止めしたんだが。…今ちょっと厄介なことになっててな。まあ正直なところちょっとなんてもんじゃないんだが、お前さんに動いてもらっちゃ困るんだ」
「は?」
 私が動いては困るようなこと…何が起きているのだ?


 その後で、ここじゃ難だから、といって連れて行かれたのは彼の執務室だった。シルフィスは彼と何かを話した後で帰って行った。何事かを頼まれたようなので、引き留めてはいない。だからここには、彼と私しかいない。
 私を入れてから何か呪文を唱えていたところを見ると、結界を張ったのだろうか。それほど重大な話があるというのだろうか。騎士隊長の私の与り知らぬところで?
「こないだ、セイルが襲われたことは知ってるな?」
「…はい、確か、市内で何者かに襲われたと…」
「ああ、それだ。ちょっとした手掛かりらしきことがあったんでな、犯人をつかまえようとしてる。で、まあシルフィスを巻き込んじまったのはオレとセイルなんだけどな。…他にメイも一枚噛んでる」
「あの少女も、ですか」
 異世界からの来訪者。最近は随分と魔法が上手くなったと評判だが、…あまり信用出来ない噂だ。何しろ私は何度か実験の後始末とやらに付き合わされているからな…。
「ああ、大丈夫、メイも随分使えるようになってるから。…で、だ。メイとシルフィスの二人が動いてる時点で既に目立ちまくってるんだな、これが」
「はい?」
「ま、この二人は元から牽制の意味で、ある程度派手に動いてもらってんだが、ここでお前さんまで動くと、尻尾がつかめなくなっちまう。お前さんの実力は国外でも有名なんでね」
「しかし、だからと言ってあの二人だけでは…」
シルフィスの実力は心配していない。メイも彼が認めるだけの力をつけたのなら大丈夫だろう。だが、あの二人はまだ若い。経験の問題ではない
「仕方ないんだよ。正確には尻尾がつかめないというより洗脳が怖いんだ。お前さん、精神に働きかける魔法なんて防げないだろ?」
「それは…そうですが…」
「シルフィスは何度か試したんだが、魔法耐性はあるんだ。アンヘル族の平均値よりも高いくらいでな。メイはあれだけの魔法が使えるうえに自我が強い。まず大丈夫だ。
で、言っちゃ悪いがこの二人はあちらさんからみりゃ大したもんじゃない。お前さんも、まさかこの二人がそんな仕事してるとは思わなかっただろ?」
「そう…ですね。確かに」
「直属のお前さんが知らないくらいだ、あちらさんの油断も誘えるってわけさ。な、わかるだろ?」
「ええ。…そこに騎士隊長である私が出てしまったら警戒されてしまう…」
「そういうこと。シルフィスを巻き込んじまったことは謝る。身の保証も出来る。だから、このまま知らないふり、してくれるな?」
仕方ないですね、そういう理由でしたら」
「悪いな。お前さんは楽で助かるぜ。姫さんなんか全然納得してくんねーもんな」
「まあ、無理でしょうね、ディアーナさまですし」
 その顔から相当疲れていることが推測出来る。が、一度事が成ってしまえば弱音など吐かないこの方のことだ、主因は姫君だろう。
 が、しかし。あの姫とメイだけは、引き受ける気にはなれない。まあ、締め出されていたことへのささやかな意趣返しということで、受け取ってもらうとしよう。
 …待て、たしか殿下を助けたのは流しの吟遊詩人と聞いているが…この城下に他に吟遊詩人はいないはず。
 あの時は忘れていたが…まさか、彼なのか?
 だとしたら、彼も狙われるかもしれない
一つ、お聞きしたいんですが」
「あ〜?」
「殿下を見つけたのは、イーリス殿ですか?」
「ああ、偶然な。知ってんのか」
「はい、つい先程ですが。彼は、何者ですか?」
「守銭奴」
「は?」
 あまりにも簡潔な物言いに私の目は・になる。…は、わ、私ともあろうものがなんという顔を!
 そこ、想像しないように!
「けっこうみんな騙されるんだよな。俺の幼なじみだから、知ってんだけどな」
「ああ、そうですか、あなたの」
「納得するなよ、そこで! お前、実は外されたこと根にもってねーか?」
「そんなことはありませんが」
 こく、と紅茶を一口。ああ、やはりこの方のお茶はおいしい。…これでもう少し真面目な方だったら、打ち解け………無理か、やはり。
「で、真面目な話なんだが。…お前さん、イーリスをどう見る?」
「…危険ですね。あれだけきれいな方では目立ち過ぎます」
「そう。こっちの人間と間違われる危険があるんだ。ってゆうか、既に護衛をつけておいたんだがな
 髪を掻き上げる仕草は苛立っているときの癖。…私にはいつもその姿しか見せていないことに、この方は気づいているのだろうか?
「やられた。そこそこ使える奴を二人、つけておいたんだがな。目立たないように魔道士をつけたのが、裏目に出ちまった。正直、もう裂ける人手はない。奴に護衛をつけるときでさえ、公私混同だと言われたくらいでな」
「既に仲間と見なされていると?」
「見るべきだろうな。ま、そんなわけであんたがファンの一人としてそばにいてくれると助かるんだが…どうだ?」
「それは…かまいませんが…」
 しかし、私には騎士団の統率と王宮の警備がある。そうそう彼のそばにいることはできない。
「騎士団の方はなんとかして見る。そうだな、明日、また俺の部屋に来てくれ」
「わかりました」
「大丈夫だとは思うが、誰にも言うなよ? シルフィスにもな」
「はい」


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