どう、満足してくれた?
そう、それは良かった。
じゃ、遠慮なくいただくね。
んー、おいしい。
やっぱり手作りって言うのはいいね。
あれ?
あ、リュミちゃんがいるみたい。そうだ、お菓子のお礼に釣れて来たげる!
ああ、何かと思ったら、あなたがたがいらしたんですね。
ああ、この道具一式ですか?
いえ、私も暇なものですから、散歩がてらスケッチでもしようかと思って。
そうですね、一枚スケッチさせていただけますか?
ああ、オリヴィエ。あなたも当然入ってくださいね。私をここへ引っ張り込んだのは貴方なんですから。
お陰で衣に土やら小枝やらがたくさんついてしまいましたよ。
ええ、最近言い返せるようになりましたから。女王候補たちのおかげですよ。
そうですね、軽いスケッチですから退屈でしたらお話しされても構いませんよ。
え?
私がですか?
そうですね…ああ、スケッチをするのにちょうどいい長さのものがありますよ。
それでしたら場所を変えましょうか。
いえ、ここだと日の光が強すぎて描きづらいのですよ。
聖殿の裏のカフェテラスで、おいしいお茶を差し上げますから。
さ、お茶が入りましたよ。ええ、ここは自由に使って良いのですよ。
そうですね…どこからお話ししましょうか。
あのころの私は水の守護聖となることに抵抗を感じているだけでした。
守護聖どころか、女王陛下の存在でさえも、おとぎ話のような……主星に余り近くない惑星で育ちましたから。
なのに、いきなり聖地へ連れて来られたものですから、戸惑いばかりが先に経っていたのです。
そんな中で、他の守護聖で最初にお会いしたのは、クラヴィスさまでした。あのころのあの方は、二十歳くらいだったでしょうか。
私がなかなか馴染めずにいるのを知って、何かと気にかけて下さいました。
だからと言うわけでもないのですが、今は私がそばにいるように気をつけております。
あの、無気力無関心なところが、どうも放っておけないのですよ。
私の竪琴を気に入って下さっていますしね。
ディアさまやルヴァさまのお話では、現女王陛下の即位の際に、何事かがあったということでしたが
、お二方ともそれ以上はお話し下さいませんし、何であれそれはクラヴィスさまから直接お聞きしなければ意味がないことでしたから、私は未だに存じません。
お聞きしたところで、お話し下さるような方ではありませんしね。
ああ、でも女王候補のお二人が来られてから、前よりも明るくなられたような気がしますね。よい傾向です。
いえ、このことをお話ししようと思ったのではなくて…そう、試験中ではお話しすることが出来ない、私がこの聖地にきたばかりのことをお話しするんでしたね。
私は、水の守護聖の執務室で、一日の大半を過ごしていました。
夜は、もうすぐ私が受け継ぐことになる屋敷で過ごしてもいいのですけれども、なかなか今の水の守護聖の方に打ち解けられないものですから、本来は女王候補が使うことになっている寮を、使わせていただいておりました。
ですが、それは執務が終わってからのことですので、普段は水の執務室に守護聖とともに過ごしております。
今日もまた、同じ日が繰り返されると思うと、気が重いのですが…。
もう執務の取り方は飲み込んだと言うことでしょうか、少しずつではありますが、重要な仕事も任されるようになりました。
そして一段落ついて、回りの書類を整理しようか、と思っていたときのことでした。
「いらっしゃいませ、ディア」
ドアが開く前から、水の守護聖が声をかけられました。この方は妙に鋭くて相手が見えなくても、それが誰か分かってしまうのです。
「あら、やはりわかってしまうのですね」
「どうなさいました?」
「いえね、今日はあまり仕事がないものだから、リュミエールを他の守護聖に紹介しておこうかと思ったのですけれど…よろしいかしら?」
最後の問いは、私と水の守護聖、両方に向けられている言葉でした。そういえば、私は他の守護聖の方のお名前を聞いたくらいで、まだお会いしていないのです。
水の守護聖の方をみると、いってらっしゃい、と言われましたので、私は軽く頷いてから、ディアさまについて行きました。
私とディアさまは取り留めもない会話をしながら、幾人かの守護聖さまの執務室を尋ねました。けれど皆様お暇と見えて、三人尋ねて三人ともいらっしゃいませんでした。
「まぁ、職務怠慢ね。執務中に執務室を離れるなんて」
いかにも呆れた、というふうでディアさまが言われました。
「まあ、それほど重要なことは起こっていないから、かまわないのだけれどね。
さすがにクラヴィスはいらっしゃるわね」
そう言って立ち止まられたのは、闇の守護聖、クラヴィスさまの執務室でした。
ディアさまは特に声をかけられることもなく、ドアを開きました。
「ああディアか。珍しいな、執務室に来るとは」
低い、静かなお声でした。聞き取るのに苦労するほどの。
「あら、私はよく訪れてましてよ? あなたがいらっしゃらないだけで」
「そうだったか? あまり離れているつもりはないのだが」
あまり話されないとのことでしたが、今の会話を聞いている限り、そのようなこともないように思えます。
「誰か、待っているのではないのか?」
「あら、あなたも随分と鋭くなられましたね。ええ、あなたに会わせておきたいと思って」
いつもとかわらぬ笑顔でそう言ってから、リュミエール、と後ろへ
つまり、私に向かって声をかけてくださいました。
「水の惑星から来た、新しい水の守護聖。名は、リュミエールといいます」
ディアさまが紹介して下さっている間、私はクラヴィスさまから目を離せませんでした。
黒く長い髪とアメジストの瞳が印象的でした。
「私は闇の守護聖、クラヴィス。
お前、何か楽器を扱うのか?」
不意の問で、驚きました。誰にも楽器を扱うことは言っていないのですから。
「は、はい、故郷の竪琴を」
焦ってしまったようです。何故でしょうか。
「そうか。
そうだな、そのうちに、慣れたら何か聞かせてくれるか?」
「はい」
私は思わず微笑いました。緊張がほぐれて行くような気がします。
「ああ、私は大概ここにいるから、暇なときにでも訪ねて来るといい」
「ありがとうございます」
今度は落ち着いて、ゆっくりを頭を下げることができました。
ディアさまが不思議そうな顔をしてらっしゃいますが…どうされたのでしょうか。
「ああ、リュミエール」
失礼します、といって出て行こうとしていた私を、クラヴィスさまは呼び止められました。
「お前、幾つになる?」
「一六、です」
「そうか」
それだけでした。
特にその他のご質問はないようでしたので、私たちはそのままお部屋を出て行きました。
「ディアさま?」
ディアさまは、クラヴィスさまの執務室を出られてからも不思議そうな表情のままです。
「ああ、いえ、なんでもないのですけれど
クラヴィスが他人に関心を持つことが、久しぶりなものだから」
何があったというのでしょうか、クラヴィスさまには。
そのとき、執務の終了を告げる鐘の音が聞こえて来ました。
「あら、もうこんな時間になってしまったのね。
リュミエール、よければ私の家へ来ない?
今日は何人かの守護聖と、一緒に食事をすることになっているのですよ」
特にその夜に予定もなかった私は、断る必要もなくお食事に参加させていただきました。
その席には、お会い出来なかった守護聖の方がいらっしゃいまして、この料理のためにいろいろなものを探されていたのだと言うことでした。
そして、それから数週間して
水の守護聖と炎の守護聖の即位式が同時に行われました。
炎の守護聖の名はオスカー。彼はもう数カ月前から一人で執務を取っていたのですけれど、何故か私が即位出来るまで待って下さったようです。彼の衣装は
いえ、衣装とゆうよりも、鎧に近いものですね。
私が選んだのは、白を基調とした水色の衣です。あえて、前任の方とは全く違うものを選びました。
特に緊張はしていないのですけども、まだ、完全に馴染んだというわけでもありません。
他の守護聖も、そうなのでしょうか。
けれどオスカーは堂々としています。緊張することなど、知らないかのように。
女王陛下のお声が響きます。
「新たなる炎の守護聖オスカー、そして新たなる水の守護聖リュミエール、両名の即位を、女王の名において宣言する!」
その日の夜、遅くのことでした。
即位式でクラヴィス様から祝いのお言葉をいただいた今でさえも、私はまだ、戸惑っています。
執務はこなせても、操れない水の力
感じることが出来ない、人々の望み。ほぼ同じ時期に聖地に来たオスカーは、もう、あれほどあっさりと操って見せるのに。
私は…未だに……。
「流星
?」
ふと、見上げた空に。
幾すじもの流星が、落ちていました。
「歌いましょうか……」
そう…久しぶりに。
竪琴を奏でることすらも、ずっと忘れていましたから
音が狂っているかも知れませんね。
そう思いつつ、つま弾いた弦は、それでも狂っている事はありませんでした。
不思議なことですね…もう数週間触っていないのだから、音が狂っているのが普通なのに。
そう思って手を止めて…指先が赤いことに気づきました。そして、その瞬間にいやな音がして…弦がすべて、切れてしまったのです……。
「ああ…やはり
」
私は何の感情も沸かないまま、弦を外しました。けれど、替えの弦をもって来ていないのです。
何故…忘れたのでしょうか。切れないはずがないと思っていたわけでもないのに。
「これが、いるのではないのか?」
目の前に差し出されたのは、弦のセットでした。私はそれを受け取ろうとする前に、その方を見上げました。
「クラヴィスさま
?」
何故ここに、この方がいらっしゃるのでしょうか。
けれど、私がそれをお尋ねするよりも先に、クラヴィスさまは言われました。
「何故、替えの弦を持ち歩かない?」
「あ…いえ…、いつもならば持ち歩いているのですが
」
そう、今日に限って持っていない…。
「楽器を持たずに、弦だけを持ち歩くのか?」
え…楽器を持たずに………?
「この聖地で、お前が楽器を持っている姿など、見かけた記憶はないが」
この、聖地で?
私は無言のままで弦を受け取り張り直しました。
わかりません…持ち歩いていたのかどうか。
思い出せないのです。
「一曲、所望する」
「
御意」
その言葉を聞いたときに、この方も守護聖としての威厳と自信に、満ちあふれていることに気づきました。
そう、ジュリアスさまと同じように。
ただそれが、表に出ているか、出ていないか
それだけの差なのに、なぜこうも、お二人は違うのでしょうか。
その身に宿すサクリアは、こうも人を変えてしまうのでしょうか。
そう思いながらも、私は曲を奏でていました。静かな曲を…そう、先程見た流星を思い描いて。
「え」
気のせいか、頬に濡れた感触を感じて、私は思わず手を止めてしまいました。
「やっと、落ち着いたようだな」
涙を拭われて、私はやっと気づきました。自分が、泣いていたことに。
「泣くことすらも忘れてしまったのかと思っていたが
そうではないようだな」
そう言ってからクラヴィスさまは私の隣に座られました。風が出て来たと呟かれて、その大きなケープ
というよりローブですね
で私をくるんで下さいました。
「クラヴィス…さ…ま…」
「ああ、そのまま泣くといい。私がお前にしてやれることなど、このくらいのことでしかない。それでお前の気が楽になるなら、容易いことだ」
そして、まるで子供にするように、涙の止まらなくなった私の背を、優しく撫ぜて下さいました。
多分、ずっと。
私は、ミントの香りで目を覚ましました。
でも、ここはどこなのでしょうか。
寝台の回りは厚めの布で覆われています。それに、寝台の模様も色も、私のものではありません。
「リュミエール、目覚めたか?」
覆いを退けつつ中を覗いたのは、クラヴィスさまでした。
「クラヴィスさま…なぜ?」
「いや
お前の屋敷へ行くには、遠かったからな。私の自邸へ連れて来たまでだ」
いとも、あっさりと、クラヴィスさまは答えて下さいました。
「まだ、さほど日は高くない。起きるか?」
そう言いつつ、クラヴィスさまは覆いを全て退けられました。かなり薄暗いと思ったら、この部屋には窓がないようです。
「朝食が用意してある。食べられるようなら、食べて行け」
はい、と私はうなずきました。
久しぶりに何かが
、そう、もやもやしていた何かが、すっきりしていました。
ああ、そうそう、言い忘れるところでした。
なんと、その日の朝食は、クラヴィスさまの手作りだったんですよ。