堂本剛と Fashion & Music Book
bayfmをお聞きのみなさん、こんばんは、堂本剛です。 堂本剛と Fashion & Music Book、はじまりました。
まず、しずかざくらさんです。 剛君のラジオ毎週聞いています。剛君の優しさにいつも共感され、癒されています。ありがとうございます。 私は職場での辛辣な環境の中、メンタルが凹みそうになりつつも何とか頑張って過ごしています。最近、職場であった出来事ですが、剛くんならどう思うかを聞きたく投稿いたしました。ある日、Aさんが私の悪口を言っていたと、Bさんに伝えられたとします。剛君だったら悪口を言っていたAさんを軽蔑しますか?それともそれを伝えてきたBさんを軽蔑しますか?そしてAさん本人に本当に私の悪口を言っていたのかを確認しますか? まあこれは、僕は、どうでもいいなと思って過ごしますかね、まずは。で、もちろんAさんに対して、そっけなくなっていくかもしれません。そこでAさんが「え、どうしたん?」ってなった時に「あーいやなんか、悪口言ってるみたいなこと聞いたから、なんかそんな態度んなっちゃったんかなぁ?」みたいな感じではじめていくか?ってとこかな?「え?誰が言ってたん?そんなん?」ってなってって「うん、Bさんが言ってた」「はっ?」ってなって、それでようやくわかりますもんね、どうなんかっていう。それこそAさんがほんまに悪口言ってんのやったら直接言ってくれたらいいのになって思うけどな、そもそも。その人がどういうAさんでBさんなのか分からへんから、何ともちょっと言えないですけど、だいたいって人って見てたら分かりますからね、こういう性格なんやなとか、こういう時にこういう選択するなとかって言うの分かるから。うん、だいたいどっちがほんまか嘘かはなんかわかるけどね、顔見れば。まあなんかここでほんまにAさんに「なぁなぁなんかさぁ自分さぁ悪口言ってるみたいなこと聞いてんけどさなんか言いたいことあるの?」って言いに行くほどAさんに興味あるかやな〜うーんどうやろな?そもそもやっぱり興味がないかもな〜その悪口言っててんて〜へ〜で終わるかな?
ちょっとうまくまとめてあげることができなかったけれども、うーん、パニック症になった原因もこういう感じって言うかさ、気いついたら僕のことになってたりとかさ、することもあったのよ、なんか。いや俺じゃないねんけどみたいなこと。「でもお前やったやん」みたいなこと言われたりとか、「えっなんで?」ってなんねんけど。そこで言い返せるほど強いメンタル持ってなかったりとかして。なんて言うのかな?そうすると「えーあいつそう言ったんや」みたいな感じで大人もなぜか信じてくれなかったりとかして、どんどんどんどん一人で孤独になってくみたいなね。っていうのもあったから、なんかその時の記憶が蘇ってきて、頭が回らなくなんねんね、こういう時。脳が停止しちゃってなんか考えないようにしようとするみたいな。あ、そんな状況にさせちゃってごめんなさいと思う必要性は1ミリもなくて、これぐらい苦しかったってことやねんなんか。考えられへんなんか。考えるとまた傷つくかなとか色々思っちゃうようで、なんか頭が、ごめんね、回らなくなっちゃったけど…
でも、うーん、なんかBさんに「え、どういうこと?」って詳しく聞くのはいんかもなと思うけどな。なんかほんまなんかなんなんかもわからへんな、うーん。ま、どっちでもええわって思って最終的に僕は過ごしてるとは思う。Aさんのことが好きっていうかなんかちょっと好意が人間としてあるならば気になるけど、どうでもええわと思ってたら「はいはいどうぞ」で終わってまうから、なんかもうふーんと思って過ごしてるかな〜ぼくは多分なんもせへんやろな。はいはいと思ってる感じかなぁ…ほんまに何か誤解もあるようなのであればAさんが悪口言ってなかったのであれば「ちょっとどうしたん?最近何か冷たない?どうした?」みたいな話になっていくと思うしな、うーん。まぁ普通にしてればいいんじゃない?なんかあの、そのまんまっていうか、あるがままに普通にしてれば、それであれっ?と思ったらAさんは言ってくるだろうし、ほんまに悪口言ってたら、なんかまた違うアプローチでくると思うけどね。
でもなんか悩む必要ないよ。たぶんほっとけばいいかなっていう結論に私は今至りました。
それではですね、こちら「あなたへ生まれ変われる今日を」聞いてください。
♪ あなたへと生まれ変われる今日を / ENDRECHERI
堂本剛と Fashion & Music Book
ここでみなさんにいただきましたメールを紹介します。 今夜はですね、あなたが持っている年代物のファッションアイテムというテーマ、こちら 募集いたしました。
ぼくもね、以前からというか、若い頃から母親が使ってたアクセサリーもそうだし、スカーフ、ストールみたいなものとかも、使ったりとかしながら、たまに付けたりとかしてやってますけど、現在使っているものの中で一番付き合いのあるファッションアイテムってなんでしょうね。まぁでもお母さんのやつじゃないかな?自分で買ったやつとかは意外とね、気分が変わって処分したりもしてるし。でもその、お母さんが若い頃に使ってたものとかっていうのは、なんかやっぱりこう…そういうタイミングで処分するっていうことにならないからずっと残ってるなって印象ですけどね。
まずですね、青りんごさん15歳の方で。 私が持っている年代もののファッションアイテは母が若い頃に来ていたジャケットです。そのジャケットはバブル期ファッションのように大きい肩パットが入っていて、最初は着るのが気恥ずかしかったんですが、肩パット外して普通のジャケットとして着るようになりました。今年はコロナでどこかへ出かけるという機会がなく、まだ一度も着られていないんですけれども来年はそのジャケットを着てお出かけができたらいいななんて思っています、と。
でも家ん中で着たらいいやん、無駄に。めっちゃおもろいと思うから(笑)そのジャケット着て。パジャマの上からジャケット着て(笑)ご飯食べてるとか、ゲームするとか、なんかおもろいと思うけど。それ見てるお母さんとか、みんななんか微笑ましいと思うよ、その姿。だからもうそういうなんかエンターテイメントとして、「おはよー」って起きてくるところからもう着てたら面白いからね。「なんで着てるの?」ってなって、「ん?悪い?」みたいな。一日中それで過ごしてたらちょっと面白いですけどね。で、お風呂入ります、で、お風呂入りました、上がってきました、「まだ着てるやん」これもめちゃめちゃ面白いと思います。「なんで今日そんなずっと着てんの」ちょっとおもろいと思いますんで。
そしてね、リカちゃんがですね。 私の 唯一の年代ものが30年前に初めて行ったハワイで購入したシャネルのイヤリング、ということで。 女の子の憧れのブランド滅多にアクセサリーなどつけなかった私も憧れのハワイに行ったら絶対に買うと決めていました。金額とか細かいことを覚えていないけれどもとにかく嬉しく当時よく鏡の前でつけては女優さんにでもなったような気分でうっとりしていました。若かった私には普段つけるのがなんだかもったいない気がしたのか照れくさかったのか、友人の結婚式にしかつけて行かなかったと記憶してます。その後、この憧れのイヤリングは結婚出産子育ての生活の中で縁遠くなってクローゼットの奥で眠っておりましたが、このメールテーマのおかげで思い出しました。ありがとうございました。久しぶりに鏡の前で女優さんにもなった気分を味わいます(笑)ということで。
いいですね。そういうちょっとこう。ぼくもお母さんにハワイた時に買ってあげたペンダントとかネックレスとかなんか色々あって、それをお母さんにあげてたけど、なぜか今ぼくの家にあったりとかして、たまにぼくがつけてとかしてるんですけど、なんかね、そういうこうプレゼントを誰かにしたり自分にしたりするっていう中で、あの頃買ったなーっていう、なんかいいよね、いろいろ蘇ってきてね、アクセサリーとかもね。その質感とかフィット感とかがまたこう歳を重ねると違って思えたりとかして。まあなんかこういうのはずっと持っててあげたらいいなぁなんて思いますね。
そしてね、みえちゃん。 上海の方ですね、27歳の方で。 ヘアドライヤーということでお父さんとお母さんが90年代、平成になったばっかりの日本に留学した時に買って、国内に連れてきた物の一つだと。それは私が生まれる前のことだからそのヘアドライヤーは私より年上のお姉ちゃんです。お姉ちゃんは今でもちゃんと働いてくれています。すごくありがたいです。自分より年上のものを拝見すると不思議な感情が湧きますね。神社とか大仏とかそうだし、今のような更新が早い時代にこんな小さな時代遅れのものを使うっていうのは小さな幸せになります。こんな些細な幸せですけど剛くんにも伝えて幸せをシェアしたいです。今日も自分らしく生きていますよ。言葉で伝えきれないですけれど色々とありがとうございます。
もぉなぁ、そんな風に言ってくれるのが、とっても嬉しいなぁ、ぼくも。 ありがとうございます。 こうね、海を渡ってね、うーん。メッセージが届いてるっていうの、とっても幸せですよね、うーん。 なんかこうやって送ってくれたりとかさ、色々して。 ほんとありがたいなぁ。
いいですね〜このね〜ビジュアルがまたいいんですよ。自動電圧切替。海外、海外旅行用700Wっていうね。国内は500W。新商品ってシールまできれいに、きれいに貼ってます。すごいね、普通シール取れそうなものをそのまんま綺麗に貼ってるから、物を大切にする子なんだろうなと思ったりしますけれども。
そして、たまみさんが私が持ってる年代物のファッションアイテム。 母が二十歳の時、成人式で使用するために編んだストールです。50年前のものになります。ウールなのでとてもあったかくて毎年冬に使用しています。母親はファッションの学校を卒業しており、私が子供の時に来ていた洋服ニット類はほとんど母親が作ってくれた洋服です。そんな母は2年前にクモ膜下出血で突然倒れ、倒れてから5時間後には亡くなりました。看病すらさせてもらえませんでした。でも、母の器用な遺伝子は私に受け継がれていて、私も同じようにファッション関係のお仕事を続けています。ストール以外にも着物などもたくさん残してくれたので仕立て直して大切に着たいと思います。コンサートが大好きだった母親ですのでいつか母の残してくれた着物を着てコンサートに行きたいと思います。
いいですね。 僕もお母さんが編んでくれたりとかして、いっぱいあの残ってるんですけれどもね。今も使ってるしね、うーん。まぁでも、こうやってね、看病すらさせてもらえなかったっていう、この気持ちっていうもの。これと共に生きてるのは、すごいことやなーってやっぱ思うよね、うーん。このコロナ禍の中でも色んな経験された方、いると思うけれども。 僕の友達もそうね、二人いらっしゃるな。突然お母さんが倒れちゃって、同じような状況、うーん。まぁ、その時の友達をどう抱きしめてあげようと思って、でもなんかちょっと色々言うのもね、あれやから、ふざけたことばっかり言って、少しでもなんか楽になってくれたらいいなぁなんて思って、寄り添ってたけどね、うーん。なんかすごく不思議やねんけど、そのお母さんにもね、お会いしたことなかったり、友達のね、するねんけど、なんかこうお母さん感じたりしたりするのもあって、今たまみさんのお話読まさせてもらったけど、お母さんをなんかこう感じるそんな感じもあって、また本当にコンサートとかライブとかが再開するような時が来たら、是非お母さんといっしょに来てくださいね。
そしてマリーさんですけれども。 私が持っている年代もののファッションアイテム腕時計です。元々は母方のおじいちゃんがずっと大切にしていた腕時計で譲っていただきました。おじいちゃんは48歳の時に亡くなってしまったので私は会ったこともお話ししたこともないんですが、この腕時計をするとすぐそばで見守ってくれている気がしてなんだか不思議な感覚ですが安心します。おじいちゃんの手首は細かったようでサイズ感もちょうどいいです。今は電池が切れて時計の針が止まっています私にはもったいないとても高価なものだから宝箱にしまっては時々出して腕にしてまた眺めてを繰り返ししています。おじいちゃんはお医者さんだったんですがこのコロナ禍におじいちゃんが生きていたらきっとお医者さんの目線で色々なお話をしてくれたのかなぁとか考えたりもしました。やっぱり会いたくなってしまあって寂しくて胸が締め付けられもしますが、おじいちゃんが大切にしていた腕時計をこれからもずっと大切にしていきたいです、と。
そしてね、えー、おもちさんもそうなんですけど、25歳の方ですが。 今回初めてメールさせていただきます、と。 私が持っている年代もののファッションアイテムはおじいちゃんのシャツ。7年前大好きだとおじいちゃんが天に昇ってしまった時に形見としてもらいました。しろくま三頭と幾何学模様がプリントされた変な柄のシャツなんですが、おじいちゃんは昔からよくそのシャツを着ていました。何故だったのか母に聞いてみると、クマのぬいぐるみが好きだった幼い私が喜ぶと思ってよく着ていたとのこと。シャツにプリントされているのは可愛らしいぬいぐるみとはちょっと違うリアル寄りの白熊ですが、おじいちゃんの気持ちが嬉しくて温かい気持ちになりました。コーディネートは難しいですが、おじいちゃんを近くに感じられるアイテムなのでたまに着ています。私の大事な宝物です、と。
まぁ、このマリーさんもそうだし、ね、おもちさん、たまみさんもそうなんだけど、僕もあのね、亡くなったおじさんとか、お世話になったおじさんとか色々いて、うーん、形見もらったりとかしてますけれども。 なんかやっぱりこう、マリーちゃんに関しては本当におじいちゃんっていっても48歳の時だから僕の7個上で、会ったこともないし話したこともないのに、そばで見守ってくれてる気がするっていうのは本当にそうだろうし。見守ってくれてると思うしね。こんなに嬉しいことある?と思って、もちろん48歳の若さでお亡くなりになった苦しみ、辛さってのものもあるけれども、こうやって自分のことを知らないのに、ここまで思ってくれてるっていうのはすごく嬉しいやろなと思って、やっぱり会いたくなってしまうとか、そこまで思える存在というものが、自分の中に宿ってるっていう事は、とっても心強いことだし、これからもずっとずっと大切にしていける気持ちだと思うんですよね。それをおじいちゃんがくれたんだろうな、マリーちゃんにと思うし。 そして、おもちさんもそうだけど、おじいちゃんの優しさっていうものがなんか感じ取れるもの。コーディネート難しいなぁなんて言いながら、でも着る。なんかそのシャツを着てるというよりかはそのおじいちゃんのぬくもりを、全身で抱きしめるような感覚なんだろうなぁ。おじいちゃんも嬉しいだろうなぁって思ってさ、うーん。
あのう、ちょっとぼく今から言うことがうまく言えるか自信はないけれども言うんだけど。 そこにその人がいなくても、そこにその人の存在がなくても、その人がそこにいるっていう強いぬくもりみたいな絶対的な安心感みたいな、うーん、そういうものが何かこう理解できるはずの今なんです。 で、その人が生きていても生きていなくても、その人をそこに強く感じるとするならば、その人はそこにいるという、たまにラジオで言ってきたけど、そういう概念、感覚というものが主流になるっていうか、こういう時間を経験したことによって、主流になっていくっていうか。 だって冷静に考えてね、パソコンでスマホで繋いで、あ、元気してる?って、これ冷静に考えたら、機械に向かって喋ってるわけでしょ?その機械の中にその人は存在していますか?していませんか?っていう概念ね。 実在してるのは、その人が今いる空間ね。お家の中やから、とか、出先とか、いわゆるパソコンとかスマホというものを起動しているその空間にその人いるけれども、実際に自分が手に持ってたり見てる物のスクエアの中にその人の存在が映っているという…冷静に考えるとそれだけじゃないですか。 でも見ると、動いてるし喋ってるしもちろん。うぉ〜元気?って。普通にしてるけど、この感覚って、客観的に見ると、すごいことやなと思うんですよ。で、これをもっともっと料理でいうと、あのう、出汁をもっともっとこしてこしてこしてこしてこしまくっていくと、ていう感覚なんですけど、亡くなった方が今どこにいるか、どの空間にいるかっていうのは、自分は理解できないかもしれないんだけど、あれ?今おじいちゃん隣にいるな?と思ったらおじいちゃんがそこにいるというような解釈をしてても僕は不思議な話ではないなとなんか思ってるんですね。 お母さんが残してくれた形見に宿ってたりとか。お母さんはそのもの自体には宿ってなくて自分の体の中に宿ってるとか、うーん。なんかそういう風にして、自分が そう思えばそうなんだろうなっていう概念。これは今あの答え合わせができないからなんか不思議なこと言ってるよなあいつとかいろんな解釈になっていっちゃうけど。
今日読ませていただいた人たち、ほんとに一瞬一瞬を大切に生きてて素晴らしいなって思った、うん。 きっと天に昇った人たちがすごく喜んでくれてると思うし、今ラジオ聞いてる方々の心のつながりの中にある天に昇っていった人たちや命、それを思い続けてあげてほしいなーってすごく思いました。 そういう人たちがたくさんいて、そして今の自分たちがあるっていうことだから、この現実を優しく強く生きていきたいなーってなんか、いただいたお便りを読まさせていただいて思いました、うん。
さっ、今週はこのままエンディングにいかせていただきました。 本当にめまぐるしく変わっていく今ですけれども、前にもお伝えしたけど、自分の心というものを生きていくということで、たくさんの人を救っていけたり優しくしてあげれたりするといいですね。 なかなかそれも難しい今なんでしょうけど。 でもそういう気持ちで生きていきたいなとみなさんの優しいお心に寄り添うことによって、また、たくさん気づきましたし、学ぶことをさせていただいたなという風に思います。 本当にありがとうございました。 さ、それでは今夜はですね、「瞬き-涙奏」を聴きながらお別れします。
堂本剛と Fashion & Music Book
お相手は堂本剛でした。 それではみなさん、またお会いしましょう。 おやすみなさい。
♪ 瞬き-涙奏 / 堂本剛
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2020/11/14
by ちゅら [612]
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