++堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオレポ++
毎週土曜日 22:00〜22:30 bayFMでオンエア中の
堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオ のレポです
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#498

bayFMをお聞きのみなさんこんばんは、堂本剛です。
堂本 剛とFashion & Music Bookはじまりました。

え〜、今日がですね風呂敷の日という事らしいんですけれども。

まあ、風呂敷は1270年以上の歴史があるという事で。
え〜風呂敷に描かれている紋様にはね、色々な意味があると、ん〜。
例えば二枚貝ね、ん〜、あれは他の貝とけして合わないという事から、え〜夫婦和合の象徴であったりとか。まああとは、あの〜奈良にちなんだ紋様というところでは、正倉院紋様というね、え〜模様が有りますけれども。

まあこうゆうあの〜風呂敷ってゆうのもねぇ、まああの〜いろいろまあ、巻き方があったりとかね、ん。
まあ昔の人々は、もうほんとに多くの人が多用したというか利用した物でありますけれども。
今〜なかなかね、風呂敷を使う機会ってゆうのは、まぁこの生活上無いとは思いますけれども、ん。

まあ難しいよね、こうゆう物があの〜、ん〜、今必要か必要じゃないか、みたいなね、議論って難しいなって。文化とか伝統みたいな物、ん〜、まあそうゆう物が消えていってしまうってゆう事は、まあ悲しいな、寂しいなってゆうのは、まあ1つあるとしてもね、ん〜。なんかそれが無くなる事が、全てがね、悪いって事でもないなぁ、とも思ったりもするなって思って、ん〜。

でも、なんかこう、残せるならね、残してあげても良いかなぁ〜って思ったりもするよねぇってゆう、ん。

これが、風呂敷じゃなくて、え〜違う物に、この紋様が使われてゆく事で、風呂敷が結果的に歴史の中で残るという、残り方もあると思うんですよ。風呂敷自体がもし消える時がきてもね、ん。
でも、風呂敷の本来の形ではないけれども、布のカットの仕方で、風呂敷が姿かたちを変えて、何年頃からは、この形で利用されるようになりました、みたいな事が出てきても良いような気もするし、という。
だから、そのん〜先人たちの、ん〜古来だったり、古代の人達が、あ〜発展させてきた文明とか伝統みたいな物ってゆうのは、今の僕達がどんなふうに乗りこなすかによって、ん〜、またこれぐらいの距離、旅出来るなってゆうものに変わるかですよね、ん〜。

何かやっぱりそこに、気づき、ヒントってゆう物は、とても多いから、そうやって遡って戻る事によって、未来に進む事ってゆうのは、僕らはとても得意な気がするしね。そうゆう先人が教えてくれる、様々な事ってゆうのは、これからも学べるようなね、そんな国であれば良いなぁとか、んー。
もう平成が終わってゆくしね、んー。また新たな事が始まってゆくからね。だからそうゆう時にまた心改めるってゆうかな、んー。

あとは、変な言葉ですけれど、脳を改めるというか、ん〜、脳ミソ改める事も、一つ僕らがやらなきゃいけない事なんじゃないのかなぁ、とゆうふうな事を、こうゆう風呂敷1つ取ってみても、何かこう思うなぁ、というふうになんか思いました。


はい、それでは、え〜こちら、『 I gotta take you shamanippon 』聴いて頂きましょう。



   ♪  I gotta take you shamanippon



堂本 剛とFashion & Music Book

え〜今日はですねぇ、まあ泣きたいのに泣けなかった瞬間について、え〜メールを皆さんに募集さして頂きまして。

まあ僕がね、ちょっとその〜、ま、愛犬が亡くなった時の話しもさしてもらった時あったんですけど。
すごい泣きたかったけどねぇ、家族に泣かれちゃったら、泣けなかったんですよね、自分は。で〜いつ泣くかな僕っと思ってたら、そのまま泣けないまま来ちゃったりしてね、んー。だからケンシロウの時は、なんか泣けなかったんですよね。
でぇ〜そうね、なんかタイソン亡くなった時に家で一人でめっちゃ泣いたけど、その時のなんか、ケンシロウの時のが溜まってた様な感じってゆうかね、ん〜。
だからやっぱり、こう何てゆうのかな、ん〜、泣きたい時に、なんか泣けなくて、泣こうと思ってない時に不意に涙がこぼれて、涙が止まらなくなって、とかね、んー。
やっぱりこう、涙を流すとか、それを堪える事とかって人間ね、誰しもいろんなタイミングである事だと思うんですよね。


まあ、こうゆうテーマだったんで、あの〜やっぱり、あの〜家族だったり、知人とだったりの、え〜別れのメールが多かったですね、んー。

その命という、もの、体を失い魂になった大切な人への想い。
だからそれをこう、受け止めて、いつ自分が泣くんだろうという、ん〜。
悲しみが大き過ぎて泣けなかったとか、まあそうゆうお便りがほんと多かったなぁというふうに思うんですが。


え〜その中で、ちえさんなんですけど、宮城県の方で、
「え〜東日本大震災でね、津波に故郷を流された今、故郷も復興に向けて日々変化をしています。」と「私は、故郷が大好きなのですが。え〜失われた故郷を見て泣けず、そして変わり行く故郷を見ても受け入れられずにいました。
母にだけ、今の町はまだ受け入れられないなと言いました。母も同じ気持ちだと言ってくれました。
現実に起こった事、日々変わり行く町を受け入れられないでいた私ですが、つよしくんの『街』を聴き、え〜心の中で少し変化がありました。
私の町は変わってしまうかもしれないけれど、私の大好きな町は、今色々な方々から力を借り、一生懸命に呼吸をし、新しく生まれ変わろうとしているんだなと、思えるようになりました。
全てを受け入れる事は出来ないと思いますが、今はまだ変わり行く故郷を見守って行こうと思います。」と、んー。

あの〜〜〜そうね、何かこう、ん〜故郷ってゆうものが、大切な人もいれば、そうでない人もいたりね、故郷ってゆう物もまた、色んなドラマが、色んな思いがある場所だなと思うんですけど。
ん〜、まあこうゆう震災の話しじゃなくてもね。

例えば、久しぶりに奈良に帰ってね、あれって、景色変わってる事まあ多々あるんですよね、この10年15年の中で。
あぁ何か僕が知ってた景色じゃなくなっちゃったなぁって、思うんですよ。で、すごく悲しくなるんですよね、なんか、あの頃の記憶全部持ってかれた様な気がして。
だってここ良く歩いたな、のここが無くなるんですよね。そのここはもう家が建ってたり、道路になってたり、車が走ってたりする。昔はここを歩いたのに、今はここが無いってゆう。
そうゆう物に出会った時に、やっぱり悲しくなってね、寂しくもなる。

でも、今この状況で、生まれてくる命もあって、その子達からすれば、僕にとってのここは道路で車が走ってる、だけの話しだったり、その子にとっての僕でゆうここみたいな場所が、ま、作られてゆくわけじゃないですか。
だから、自分の故郷に対しての理想とかねそうゆう物をあんまりこう、強調して、故郷を、に、たたずむ事はしないでおこうかなってゆうような、あ〜事も思ったりして、帰る様に何かなったなって、ゆうふうな自分がいるんですよ。変わってあたりまえってゆうか、歴史は進んでるから、変わってしまうんだとゆうね。

でもこれは、あの〜人の力で変わった話しなんですよね、ん〜。
でも、天災だったりすると、自然だったり、人の力ではないという所に、またいろんな感情がはしる理由になるなと、ん〜。

こんな事をするのであれば、神様仏様なんている訳は無いというね、え〜、ゆうふうな思いに至る人も多かったと僕は伺いました。
あの〜現地に行かれたお坊さん、何人か、あ〜お話し聞いたんでね。その〜、その土地に行くお坊さん達から、まあいろんな意見を聞いて、あ、そうゆう風な事を仰ってた方もいたんだなと、ん。
仏様のお世話をしているお坊さんに対して、そうゆう事を伝える人がいる様な状況なんだなと、ん。

お坊さん達も言ってましたけども、自分達の祈りが足りなかったのか、とか、誠心誠意込めて、世界平和を願っていた、祈っていたのに、こうゆう様な事が起きてしまった、自分達の祈りがまだまだ足りなかったのか、本当に申し訳ない。ま、そんなふうな事、言ってるお坊さんもいましたね、んー。

ま、色んな人達がやっぱりこう、何てゆうのかなぁ、いろんなその自分の答えに対して向き合って行く日々ってゆうのはね、多くあったし、今もあるなと。

ま、こうゆう色々な天災が起きる国だからね、ん。そうゆう事は、あの〜常にこう肝に銘じながら、ちゃんと心の中で考えながらね、物造りってゆうものをしてゆかなきゃいけないな、とゆうふうに思ったというか、ん。
やっぱり自分はこうゆう場所で今生きているんだってゆうのを、こう、ちゃんと理解するってゆうかね、ん、そうゆう時間ってゆう物が、ん、この数々この国で起きてる天災を通して、ん〜、色濃くなってゆくというか。

その一人一人の悲しみとか、痛み、苦しみというものに対して、向き合える程の力は僕には無いけれども、そんな中途半端な僕だけれども向き合っていたいなと思う事が、ま、多々あるから。
自分でん〜、そうゆう向き合うには未熟だなぁと思ってしまうから、あまり発言はしないし、そうゆう行為も控えたりはするけれども。
でも、その行動ってゆう事がね、現実を動かすのに、とてもん〜直接的だと思うんですよ。行動を起こすことで現実を変えて行くってゆうね。直接的な、例えばそうゆう感じを過ごす事が、ん〜未熟であれば、止めた方が良いなってゆう。

だから、かといって何もしないってゆう事が、もう僕に中には無いから、選択肢としてね。だから思う事を僕はずっとやってきてるんですけど。その思うという事が、ん〜どれだけね、この今現実と戦っている人達に光を与えてるのかと思ったらわからないけど、でもその思うってゆう事を止める理由が無いんですよね、だからずっと思ってるんです。

で〜、それをこう今みたいにね、あの〜あからさまに話しする機会があれば話ししてるけど、そうゆう機会じゃ無かったとしてもね、んー、思ってるからね。
だからあの〜何てゆうのかな、ん〜苦しくもなる事が多いですけど。
皆もっと、もっともっともっと何か、こうゆう色んな話し一杯すれば良いのになぁ〜って、皆がね!ん。皆でする事が良いのになって。なんか一人一人が話しするんじゃなくてね、皆で何か話し出来たら良いのになぁと思ったりするんですけど、ん。


まあ、あの〜、このちえさんのお葉書、メール以外にもね、やっぱりこう人との別れってゆうものに対しての涙をん〜流すはずが流せなかったってゆう、ん〜ま、そうゆう感じを過ごしましたってゆうお便りもすごく多かったんですけど、ん〜。

町もそうだし、人もそうだし、動物もそうだけど、やはり何かこう、思う事とゆうのは、誰でも出来る事かなぁと思うし、才能が無くてもね、なんかこうそう思うって事がん〜、とても大切な事だなぁって皆さんのメールを拝読してなんか思った事かなとゆう今日、ん。
だからこのちえさんのメールの中にも、いろんな思いあるから、これでも言葉をね、あの〜厳選して自分の中でね、この文章にして下さったんだと思うんですけど、ん。
まあ、あのこうゆう話ってね、何かこうゴールも無いし、ずっと話ししてられる話ってゆうか、ずっと話したくなる話しではあるんですけれども、ん〜。
まあ今、僕もね、あの〜取り留めも無くね、いろんな話ししてますけれども。

ま、この僕の会話の中でね、ん〜、色んな何かこう、その聴いてくれてる人にとって、良い感情に繋がる何か物があれば良いなぁと思って、まあ話しちょっとしてみてる所ではあるんですが。
これも僕がね、一人でただこうずっと話ししてるってゆう事じゃなく、この部屋に5〜6人いて、その5〜6人に喋っているのをまた聴いて貰ったら、また違うものになっていったりもするし、んー。
でも何かこうゆう話ってゆうのは、一人で話しするよりも、いろんな人と話しを出来たら良いのになぁってゆうか。

そして、あの〜大切な人だったり、大切な命だったり、場所だったりする、ま、そうゆうん〜、人や場所とお別れをするお別れの仕方と、お別れをした後の過ごし方ってゆうのも、これ、後100年経ったら、また随分変わってくると思うんですよね、んー。
『いや悲しんでる場合じゃないよ』とかね『悲しむんじゃないんだよ』だったりね、『ありがとうって思って生きるんだよ』だったりね、んー。何かそうゆうふうにして、ドンドン変わって行くんだろうなぁって思って過ごしてます、んー。

でもやっぱり会いたいなと思っちゃうし、んー、するのは変わらないですけどね。
まあん〜、ちょっとこう人の命や、出会いや別れに、とても小さい頃から敏感だから、んー。敏感で疲れ過ぎる事、いっぱいあるけど、いやまあそうゆう感じで育って来ちゃったからね、ん。そうゆう自分で色々な物事を受け止めて今日までいますけど、ん。
でもなんかこう思う事ってゆうのは、自分が出来る事やから、これからも色々な人や、色々な場所に思うってゆう事を続けてゆけたら良いなぁってゆうふうに、何か思いました、ん。


皆さんの、まあ今日は、ちえさんのえ〜メール読まさして頂きましたが、他にも色々と胸の内を明かして下さったね、いろんな文面がありまして、んー。ま、読んでるだけでね、何かこう、とても切なくてね、苦しい気持ちにもたくさんなりましたけど。でも、それだけ皆さんがあの〜ちゃんと文章の中にね、ん〜、思いを込めて書いて下さった、自分の気持ちを素直に書いて下さったという事だなぁと、ま、そうゆう思いをね、文章で綴って下さった事も、心より感謝申しあげます、ありがとうございました。


え〜、とゆう事でございまして、え〜皆さんの様々なメールを、お〜今日はご紹介は出来ませんでしたが、え〜ちえさんのお便りの中で感じた事を、お〜言葉にさせて頂きながら、え〜お便り送って下さった皆さんの、お〜命との、お〜お話しを、お〜一緒にお話ししてる様な感じとゆうか、すごく表現としては難しいんですが、皆やっぱり、こうん〜、何てゆうのかな、ん〜それぞれの命とか、あ〜場所とのお別れとの向き合い方ってゆうのかな、まそうゆうものがあって、それを自分が読まさして頂いて、ん〜胸が潰れそうになるなぁとゆう中で、潰れながらも、色々お話しをさして頂いたというところでございます。

ただ取り留めも無く、僕が色々話しをしているだけの時間だったかもしれませんが。え〜その中でいろんな方々にね、何かこうん〜、良い未来に繋がる何かきっかけの時間が、あ〜生じてればなんか嬉しいなぁとゆうふうに思い、ん、色々話さして頂きました。

どうしても、やっぱりこう、答えがこれだとゆうのが無いお話しだなぁ〜とゆうふうに、いつも思うんでね、ん〜色々長く話さして頂いてしまいますけれども、お〜皆さんと少しでも何かこう強く繋がれた時間になってれば、幸せだなぁというふうに思います。



さあ、今夜はですね、あの〜先程、町のお〜お話し、ちえさんのお便りの中にありましたけれども。
自分自身が、あ〜ほんとに、何故このフレーズなんだろうとかね、何故この曲を書いているんだろう、このメロディーなんだろう、いろんな何か事があの〜不思議に思えた1曲、『縁を結いて』という曲ですが。

この曲は何なんでしょうねぇ、何かこう、ん〜、悲しみと、そっと向き合っているかの様な気もしないでもないけど、ん〜思う事、とゆう事を歌ったのか、自分でもいまだに、あの〜ハッキリとした理解が、あまり出来てない、まあ1曲だなとゆうふうに思ってうる訳ですが。

皆様の1度きりの人生がね、今よりもっともっと素敵なものになるよう、素敵な時間へと繋がる様にね、え〜全身全霊で思いを込めて、え〜こちらの曲をお届けしたいと思います。


え〜今夜はですね、『縁を結いて』を聴きながらお別れです。

堂本剛とFashion & Music Book、お相手は、堂本剛でした。
それではみなさんまたお会いしましょう、おやすみなさい。


♪  縁を結いて
2019/02/23 by いちご姫 [518]

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* 02/23 #498

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