++堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオレポ++
毎週土曜日 22:00〜22:30 bayFMでオンエア中の
堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオ のレポです
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#496

bayFMをお聞きのみなさん、こんばんは。堂本剛です。
堂本剛とFashion & Music Bookはじまりました。えーと今夜はですね
あにたろすさんなんですけど
「『one more purple funk』購入しました」というメールをいただいてですね
「わたしは『神機械』がだいすきなんで毎日リピートして聞いていますが、気になったことがあるんですけど
『funkyレジ袋』のイントロで指パッチンのような音がずれているのはどうしてですか」
とすごいシンプルな質問があったんで、まああのーこれを機会になんとなく答えといてもいいかなぁみたいなことで、あのー
たとえばドラムのスネア「ズズタ」の「タ」のやつ(ドラムの音を声で再現)こういう、その、「タ」の部分を、あのー、えーと、スティック2本でハイハットでチチチチて叩いてて、その「タ」のスネアに当たる時に、えー
ハイハットの、右利きの人であればたとえば右手のスティックもスネアに落とすんですけど、そうすると
「タタタラッタタタタラッタ」ってなるんですけど、ま、「タタタタタタ」ではなくて「タタタラッタタタタラッタ」っていう
こういうのでわざとその、レイドバックっていう、うしろのほうに、えっと、3拍目だけとか、あの、それはひとそれぞれいろいろあるんですけど、その、「ツツパツツツパ」の「パ」のときに、ちょっとだけレイドバック、うしろのほうにする、わざと、「ツツタツツツツタ」っていうのを「ツツタツツツタ、ツツツ」、その「タ」のあとの「ツ」がちょっと早くなるっていうんですかね。おそくしちゃうんで、「タ」を、
「ツツタツツツタ、ツツツタツツツ」ってその、というグルーブをわざとレイドバックしたグルーブ、うしろのほうでえーとリズムをとる、ていうのをなんてんですかね、もう、リズムこねてくかんじなんですけど、スクエアにほんとにテンポに忠実にツツタツツツタツツタツってやるのももちろんあるんですけど、なにかひとつの楽器だったりなにがひとつのポジションがレイドバックしてるいうことで、異様なグルーブを生む、っていう方法があるんですよね。だからえーと、たとえばー、競技でも何でもいいんですけど、ちゃんと的確にやるタイプの人と、まあ、ルーズに、その真逆の、「感覚でやります」、みたいな人と、両方をどっちもいけちゃうような人とか、いろんな人がいることで、そのチームの、なんか、こう、
うーーん、空気っていうんですかね、それがこう変わってくるっていうか、もう、ほんとに緻密な人ばかり集めてしまうとほんとにこう、カチカチしたものになるし、うーん、ルーズすぎるひとばかり集めるとめちゃくちゃルーズで自由すぎるものになるっていう、すべてがその、自由になることでいいときもあるけどね、でもやっぱりなんかこう、道筋というか道順がちゃんとみちしるべがある状況の中でだれかがひとりちょっとこう好きなことをしてるみたいなのが、見えるっていう
だからあの、こういう指ならすやつとかも、(指を鳴らす音)ちょっとだけ、ずらす
そうするとあの、よくもたるっていう言い方するんですけど、この一個だけで、やってるとその、おんなじことが羅列てくるっていうのはそれはそれでループで気持ちいいですけど、こういうとこに、こういうのがたまに入るだけで、あの、グルーブがちょっと変わってくるっていうか。で、それはもうなんか、なんていう、ちょっとずれてるカッコよさっていうんですか?うーん、
それがやっぱあの…ブラックミュージックはやっぱ多いかなって言う。うん。で、ブラックミュージックにそれが多いから、それを真似してるていう方法論ではなくて、そのなんていうのかな、ルーズさっていうんですかね、
そのルーズさがファンキーと言われたり、ブラックミュージックって言われるようなものにつながる
だからそういうルーズさだったりちょっとこうなんていう、おおらかとか自由とか適当とか、いろんな言い方あるとおもうんですけど、そういうものがやっぱ日本人には少ないと思うんですよ。
ちゃんとこの仕事やんないと、まじめにここまで合わせないと、みたいなことで音楽つくる傾向があるというか。でもそのファンキーって言われたりファンクって言われたりソウルだねみたいなブラックミュージックみたいなこと言われてるひとつのポイントっていうのは、日本人にはもう到底むずかしい、ナチュラルに自由だったり適当だったり、みたいな感覚だったりみたいな、そういうのがDNAにはナチュラルにはないから、それをこう、めざさなきゃいけない、人もいるだろうし、日本はそういう社会ではそもそもないから、ちゃんとやりましょうみたいな感じになっちゃうから、
だからファンクとかは売れない、とかね、そういうふうなことにつながってるだろうなと僕は思って分析してるんですけど、社会とかやっぱり日本人の考え方として、なんでずれてんの?になってきたり、ずれてるから合わせた方がいいんじゃないですかね、になってちゃうって
ずれてるっていうか、かっこいいやんこれ、っていう、そういう概念が少ない国やから、やっぱり列から乱れてるから、列にちゃんと入ってくださいっていう国やから、なかなかむずかしいですよね、そういうこうファンキーとかブラックミュージックのなかでかっこいいとされるポイントっていうのが、
ドラムのスネアもハイハットも、ジャストタイムではあるけれども、キックだけレイドバックしたりとか、「ド、ドド」ってもうキックだけがすごいうしろ「ツツツツツツツドドっツツツタタ」
キックだけがすごいうしろでもたったりするだけでもまた変わってくるし。それに合わせてベースもちょっともたってたりとか、ベースもこの拍のここの瞬間のこのフレーズだけもたらせるとか、みたいなことをなんかこうやることで、無意識の中で意識的に楽しんで、でも最終的に無意識でそれを楽しむみたいな
音楽を聴く聴き方としてとてもむずかしいことかもしれない、気になることを気にならないようにするていうかね。僕は別に気にならないけど、そういう音楽の聴き方とか作り方とか主張の仕方っていう風に聞いてるだけなんで、すげえずれてんなぁ。っていう聞き方はしたことないですけど、むしろずれてたり、レイドバックしてたりする感じの演奏とか聞くと「おおー、かっこいい」と思っちゃうから。だからそういうところが、たぶん、この国で住んでる人たちがホント少ない感覚なんだろうなとずっと音楽やってて思いますけどね、どっちがいい悪いの話ではなくて、なんでずれてんのかなと思った時にそれを探究心でこうさぐってってみるみたいな。ほかの曲聴いても、あ、この曲もなんかあ、この楽器だけずれてんなとか、あ、こういうわざとずらすことでグルーブってできてんのかみたいなことだったりね。そうすると昔にさかのぼって行って楽曲を聞くとベースが大きい楽曲が多いなってことに気づいてったり。ベース、最近の日本で出てる音楽のベースってめちゃめちゃ小っちゃいねんやってことに気づいたり。ベースもっと聴きたいなって思う人がいたり、いろんなことにつながっていくっていうか。だから音楽を、いまはいろんな形で聴けるから、便利ではあるけれど、それは便利なだけであって、音楽を聴いてるかっていえば聞いてないなって感じるね。自分の過ごしてる空間にただ漂わせてるだけというか。うん。もっとだから音楽と向き合って音楽を聴くっていう状況がまた戻ってくるといいなとは思います。
えー、ということでございまして、『funkyレジ袋』聴いていただきましょう。

♪funkyレジ袋

堂本剛とFashion & Music Book、えーとですね、たまに「1行しtuもん」、というものを募集したりするんですけれども、そちらのほうちょっとご紹介させて頂こうと
えー、いろいろまあありましたけれども、
りゅうゆさんなんですど、ランドセルに着けていたお守りをなくして落ち込んでいる娘にいろいろと言葉をかけても元気を出してくれないと。剛君ならどんな言葉をかけてあげますかってことなんですけど、まああの、もうおかけになったかもしれませんが、ぼくはだいたいこういうときはね、あの、助けてくれたんだねっていうことに、してます。
自分の大切なものが壊れたり、傷ついたり、あるいはなくなったり、あーなんか守ってくれたんやろなって。感謝しないとなとか、気を付けないとな、とか、そんなふうに切り替えるようにしてますね。
だから、うーん、むずかしいとこなんですけどね。ただたんにほんとふつうに、ひもの劣化がすすんで、切れてなくなったっていうだけのはなしでもありますからね。で、あるいは、その工場で、結んだりしてる結び目がそれだけほんとにゆるくなっちゃってて、とか。それでなくなっちゃった、しゃあないな、っていうただそれだけのストーリーもあるやろうし、最初にも話したようになにか、守ってくれたってことがあるかもしれないしっていうところですよね。だから、僕なんかはでもそんな感じできたかなー、ですね、そうすることでもう、プラスに変えてかないと、何も始まらない、進めなかったりするからね。
でもいちばんいいのは、なんかこう、どっちでもあるって言い方へんですけど、ぐらいにしとくと、あのー、たとえばそういうこう、目に見えない話ばかりをしちゃうと、現実がみえなくなっちゃうから。いやきっとこれはこういうことなんだっていうことをずっと言い続けると、現実的になにも動いてないからね。だから、いやもう現実的に考えるとこうだし、そういうちょっとこう夢のような話で考えるとこうなんだろうってていう両方持ってた方が、旅がらくっていうかね。うん。だからこういうものをなにかなくしたりこわれちゃったなのときには守ってくれたんかなーと思いつつ、まあまでも、ちょっと運悪かったのかなぐらいの、せっかくあれやったのにみたいな、でもお守りっていうのはとくに、なんていうのかな、守ってくれたって思えばいいと思いますけどね。
で、なくて不安だったら、また買いに行けばいいかなとも思ったりもしたりしますけれども。うん。ま、どういうふうにゆってはるかわからへんけど、おばあちゃん守ってくれたんちゃうとかおじいちゃん守ってくれたんちゃうとかご先祖様守ってくれたんやろなとか、そういうようなことで、ぼくはなんか、小さいころは、親からなんか、そんなこと言われてたんで、それできもちをちょっと、あ、そうやったんかって、守ってくれたやったらありがとって言わないとって思って、で、夜眠る前に手あわせてありがとっていうたりとか、そんなふうにして小さいころ過ごしてましたけど、いまもそういうふうな感覚をだからもってるかなというところでありますね。

でそして、みゆきさんが手のケアなんかしてるんですか、っていうことで、なんかマイクもつ手の動きとか、ギターとか演奏する手を見るのが好きなんですって。指先とか爪とかきれいだなって思います。なんかしてますかって
とくにしてるかっていうとしてるわけでもないし、あのたとえばじゃ、ネイルサロン行って、みたいな人に指を預けて、ずっとやるみたいなありえへんしそんな、何時間とか何十分も、
で、それで、ぼくはギターをやっぱり弾くから、爪の感覚っていうんですかね、ちょっとだいじはだいじなんですよ。
で、家に爪やすりとか、あとメイクさんが爪やすり持ってたりとか。ていうのんで、テレビみながらしゃーってやってひまつぶしに爪はなんかやって、自分でやって、これぐらいやったらギター弾きやすいなみたいなのを保ってるっていうイメージなんですけど、で、たまに、そろそろやらなな、みたいになったりするんですけど、あのね、なんていうのかな、きれいなカーブ描きたくなるんですよ。で、もうその、ちまちました職人みたいな仕事がすきやから、ほんらい。もうなにかを削る職人になれたらよかったなってさえ思うぐらい、このちまちましたこと好きなんで、テレビとか見たり、しながら、なんかテレビを流してるだけの状態で爪をこうやってぱーーーーって、なんか、けずって、一人の時間過ごしてるみたいな。なんか、このぐらいでえっかってやめるっていうのを、なんかね、ひまーなときにやってますね。指。気ついたら。で、きれいな円を描くみたいな。へんなこだわりが途中から出てきて、もうちょっときれいにせめれんなみたいな。なんか感じになってくるっていう。これは陶芸やってても何やっててもそうなんですけど、けずったり、カタチととのえるみたいなの結構好きみたいで。うん。なんか削る仕事やったらもっと楽しく人生送れたかなとさえおもうぐらい、無心になれて没頭できるっていうね。感じがちょっとあって。

さ、続いてはラジオネームまりあさんなんですが、剛さんの英語が好きなんですけど、また「Say Anything」のようなすべて英語の曲を作ることはお考えですかっていうことあるんですけど、まあ、歌ってもいいなと思うんですけど、英語がね、得意じゃないから、あの、わかんないですよね。なんか、発音いいよとか、いいよ、うまいよって言われても、実感がないからね、
「やあそうなんすよ、おれ、そこそこいいんですよ、発音」って、本気で思えたらいいけど、わからないから。でも「めちゃめちゃうまいね、英語やばいね」、ではないわけやから、作る必要あるかっていう感じなだけで、「いやもう、留学してんのかと思った。」とか、「あれ、英語って話せなかったっけ。」みたいなリアクションやったらやるけど、そういうわけでもないから。全部英語でやる必要性があるかっていう。ところで、うーーーんって感じ。日本語で考えた方がらくだから。当たり前やけど。まあなんかの機会があったらね、いいかなあと思ってるぐらいで。うーーん、ですかねえ。

はい、ということでございまして、今夜はですね、「1行しtuもん」、いろいろ答えさせていただきましたけども、いろんなメールあったんですけれども、その、かよさんがね、つよさん、しあわせですかっていうすごいストレートな質問をいただいたんですけど、
うーん、大きく分けたらどっちかなと思った時に、ま、しあわせというべきなんだろうな、みたいな答えになっちゃうなっていう。うん。なにをもってね、しあわせでふしあわせかっていう、自分で決める幸せ不幸せがあって、第三者が決める幸せ不幸せがあるから、うん。これはもう幸せというべきなんだろうなっていう、のがぼくの人生かなぁうん。
あの、自分のその、これはえと、わがままとか子供っぽいっていうことの話ではなくて、自分は将来こういうことしてみたいなとか、いわゆる社会でるまえに自分がおもうことだったりね、夢ですよね、それを現実にしたいなという、こととか含めてですけど、これがやっぱりかなったかといったら、かなったわけではないのでね、そういう意味ではしあわせというべきなんだろうなということになってちゃうっていうか。
これはやってはいけないっていうことの方が多かったですからね。それを守りながら人間らしくいようっていうことがまずむずかしかったりね、自分の夢とか、かなえることとか、できなかったし、可能性をつぶす毎日、そんなイメージしかないから。でもそんななかでもやらないと人生やってられへんなみたいなところもあったり、それで今があるみたいな。そこには多くの人がかかわり、助けてくれたことによって今があるからね、うん。そこにはとてもとてもとっても感謝しているけれども自分一人の話、自分一人たった一人にピント合わせた時に、ま、しあわせっていうべきなんでしょうねって感じになっちゃうから、
これだけ多くの人々の前に立ちなにかをする人生っていうのが僕がのぞんでたものでも別にないからね。でも、そういう、うーーーん、役割を頂いて、今になる、ま、自分がこれにほんと向いてるなこうだなああだなっていうふうな気持ちを持続させてできてる仕事かっていったら僕はそういうのではないからという意味で、幸せというべきなんでしょうねになっちゃうのかな。でも今言ったみたいにまったく幸せじゃないということではない。けどね。あの日は楽しかったなぁとか、あのときは愛に満ち溢れてた一日やったなとか、そういう日もありますからね。でもそういう日があったということが、とても自分を強くさせたり優しくさせたりもするんですよね、だからそういう日があったということは、ま、幸せだというべきだなって。うん。
みなさんもね、いろいろなみんなのいろんな質問に対して僕がこう答えることによって何か思うことも増えたりするとは思いますけれどもね、うん。なんかこう自分の、思うことそして誰かが思うこと、どっちが正しいのか、正しくないのか、いろんなことをね、当たり前ですが、みんな、ああだこうだやりくりしてね、一日一日過ごしてるんですけど、やっぱりこう自分が、自分らしくいれることが、ひとつ大きいことだと思うんでね、まあ、僕がラジオでこうやっていろいろお話しさせていただいてること、それがすべてではないから、みなさんがなにか考えるきっかけに僕のこういった言葉や思いが使っていただけたらいいななんて思ったりしていつもいろいろ話させてもらっています。みなさんの人生もね、自分らしく、そして幸せだなと少しでもいえるね、そんな人生にもっともっとなっていくべく、このラジオでいろんな話を皆さんと共有できたりすればいいなというふうに思っております。

宛先

さ、それでは「Say Anything」で今日はお別れしたいと思います。堂本剛とFashion & Music Book。お相手は堂本剛でした。それではみなさん、またお会いしましょう。おやすみなさい。

♪Say Anything
2019/02/09 by discus [516]

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* 02/09 #496

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