堂本剛とFashion&Music Book
BayFMをお聴きの皆さん、こんばんは、堂本剛です。 堂本剛とFashion&Music Book始まりました。
えーと、ま、平安神宮さんの感想なども届いているんですけれども ヒロさんがですね、えー、2日の平安神宮さんにいらっしゃったみたいで えー、
夕方の雨が嘘みたいに晴れた空の下で聴いた剛くんの歌声がほんとに心地よかったです。
と。 今回は水の演出を、まぁ、スタッフがしたいということだったので えー、後ろは20m上がる噴水で。手前はまぁ、10とか7とかぐらいのレベルにしたりとか色々調整したりとかしたんですけど。 あの、筒状の噴水が何本もあるというようなイメージなので、あの、色々こう、えーと、マニュアル操作もできますし、打ち込んでやることもできるんですけど。 僕ら基本的にあの、クリックってやつを聞いて演奏することがまぁ少ないので、あのまぁ、VJみたいな感じ、噴水の人もその場で音を聞きながらまぁ、噴水を操るっていうような、状況のライブだったんですが。 ま、そういうことも、平安神宮さん側の了承してくださったんで、もちろんできることではあるので、そういうところ、非常に感謝したいなと思う。 とてもあの、今回スタッフがやりたかったことをね、叶えてくださったので、とてもあの、スタッフもあの、有意義なライブになったんじゃないかなという風に思うんですが。えー、ま、僕がですね、
皆さんが求めている自分には戻れないかもと仰っていましたが、 私は剛くんにこうしてほしい、あんなことやってほしいなと思ったことはなくて 今までも、今も、きっとこれからもありのままの堂本剛を好きでいたいなと 応援したいなという風に思っております
と、いう風に言ってくださってます。 えー、まぁあの、新しい新曲を歌ったりとかもしたり。 ま、色々あったんですよ。 あの、ずっとライブでお世話になっていた宮司さんが天に昇られたので。 ま、そんなこともあったりしながら、ま、あの、僕自身はその、退院してから、どのイベントもすべてなんですけど、自分の意思としては「出たい」という意思があったんですよね。 当たり前ですけどね。 で、ただ、状況というのが、月日がたてばたつほど違くて。 えー、退院してすぐであればこれだったらできるけど、ここを求められてもできないっていう、そのできないっていう分量が多いんですよね。 で、今年、新しく宮司さんになられた方ともお話をして、亡くなられた宮司さんのお話をしたりしながら、周りが、うーん、去年の、僕の意思を尊重してくれていたとしたら、最期に宮司さんとお会いできてたのかな?と思ったりね、うん。 なんか、そういうようなことを考えれば考えるほど、ちょっとこう、悔やまれるというか、うん。 切ないなぁという想いがちょっとあった、そんな今年の平安神宮さんだったんですよね。 ま、平安神宮さんで、あの、毎年のようにライブをね、させていただけるっていうようなことは、本来は難しいんだよっていうようなことをね、あの、京都に住んでらっしゃる方とかも、色々お話されていることが多いようで、ま、そういうことを、ファンの人が耳にされることが多いようなんですが、ほんとにあの、亡くなられた宮司さんをはじめとして、平安神宮の皆さんがほんとに快くね、色々なことを、あの、手助けしてくださっているおかげで、ま、今年もこうしてライブ、またねステージ立たさせていただきました。 ま、ほんとに色々な感謝の気持ち、色々な想いをこめて立たせていただいたなぁという、えー、ほんとに感動の3日間でございました。 ほんとにありがとうございました。 それではこちら、ライブでも、平安神宮さんのライブでも奉納させていただきました“Be grateful”聴いてください。
♪ Be grateful
堂本剛とFashion&Music Book、ここでですね、皆さんの、ま、ちょっとその、ユニフォームについてちょっと聞いてみようということで。今年サマソニに出させていただいた時に、あの、メンバーのキーボードのGakushiくんがあの、なんか皆お揃いのユニフォーム着ませんか?みたいな、うんいいよ、みたいな。 で、なんかこうベースボールシャツとかどうですかね?っていう話になって、うんいいよって言って、で、紫のベースボールシャツを着て、皆それで出るっていうことをしたんですけれども。 えっと、僕はあの、天川さん、行った日が9月の9日だったんで、なんか“9”がいいかなとか、出席番号12が多いねんけどな、12もいいけどなぁ、まぁでもなんかうーんって言いながら、まぁじゃあ9でって言って、で、それで、えーっと、ま、“CHERI”って背中には書いたんですけど。 まぁほんとは“Mr.HotCake”って書きゃよかったなって思って、でもそれも、時すでに遅しだったんで、発注しちゃってたから。 で、Gakushiくんとか“Mr.Rice”って書いてて、お米好きなんでね、うん。 で、たけちゃんは“Mr.WHO”とか色々書いて、で、十川さんは“Mr.CarryBag”っていう状況なんですけど、まそういう色々皆で遊んだなっていうのがあったので、ということで、あの、皆さんのユニフォームの思い出何かありますか?ということでちょっと募集しましたら、まずツタンカーメンノリコさんが
30年前くらい前なんですけど、短大生だったころにガソリンスタンドのオープニングのバイトをしました。
と。で、
道路の脇に立って旗を振るだけの仕事でしたが、その時のユニフォームがピエロの衣装でした。 確か白くて赤いボタンがついたダボダボの服で三角の帽子もかぶってました。 当時はなんの疑問も持たずに着て旗を振っていましたが、今思えばなんでピエロだったんでしょう? もうちょっとかわいいユニフォーム着たかったなぁ。 かといってレースクィーンみたいなユニフォームって言われても無理でしたけど。 剛さんならピエロとレースクイーンとどちらのガソリンスタンドに入りたくなりますか?
正直言うとどっちも入りたくないですかねぇ。 うん、ちょっとこう、信用ならないっていうか。 ピエロってやっぱりその、いたずらするイメージですもんね。 サーカスとかでね。 レースクイーン立たれてても「あ、おねえちゃん立ってんなぁ、じゃ入ろう」にはちょっとならないですよね、うん。 なかなかちょっとね、うん。 だからその、F1やってる人とか、その、レースやってる人は反射的に入る可能性ありますけどね。 なんかこう、いつも見ているような人達が立ってると、すっと入っちゃう可能性あるけど。 まぁでも、そうね、どっちかって言ったら、まだピエロになるかもなぁ、うん。 あの、情けで入りそう。 大変やなぁ、頑張ってんなぁ、ピエロでって、かわいそうに旗振って、入ろうみたいな。 同情、同情入りする可能性もありますね。
えーとねぇ、ユーパピヨンさんがね
小学校の時に一度体操着を忘れたことがあって、慌てて1年上の先輩から体操着を借りた
と。
胸には私の苗字とは全く違う「ヤハギ」と書かれた体操着を着て体育を受けたのが今でも強く印象に残っています。
と。 これは強烈でしょうね。 自分じゃないからね、うん。 だから、先生もなんかこう、なんかゴモゴモするし、周りもなんかゴモゴモするよね、なんかこう、お前違うやん、ヤハギ違うやんみたいな、うん。 うん、そやねんけど、みたいな。 なんか、どっちで行くん?ヤハギでいくん?みたいなことやから。 なんかこう、お前の本来の苗字でいくんか今日はヤハギでいくんか、どっちかはっきりしてもらったほうがやりやすいねんけど、みたいな、ちょっと喧嘩になる可能性もあるからね、うん。 おいヤハギ、ヤハギちゃうし、みたいな、いやお前着てるやん、みたいな、ややこしいねんもうそれみたいな、いやだって忘れてんもん、いやめっちゃややこしい、どっちでいくん?みたいな。 あの、子供のころって、こういうひょんなとこからものすごい喧嘩になるときありますから。 で、何もろうてんねん?大人がきたら、なんかもうユニフォームがヤハギなんで、みたいな。 どうでもええみたいなことを、子供はもえますからね。
そしてね、モフモフさんがね、えー
中学時代に卓球部だった時に着たユニフォームで、練習の時はいつもジャージだったんですが、大会に出るときは皆でオソロのユニフォームで出たのが懐かしい。 しかもユニフォームの丈が膝上20cm以上のめっちゃ短くて小さいパンツでピチピチだったので本当に恥ずかしくて試合に集中できませんでした。 最近はかわいいユニフォームが色々あるみたいで羨ましいです
と、うん。 なんかあの、あるよね。 その「今はいいよね」ってやつ、うん。 この、試合に集中できないユニフォームっていう、ちょっと問題ですよね。 あれ?パンツ出てんちゃうか?みたいなことでしょ? なんかこう、やってるときに。 出てた今日?みたいな、いや大丈夫だったと思いますよ、みたいな。 後輩にチェックしたりして、いや出てたら言ってよ。 でも、出るかもしれへんしと思ってちょっと1枚下にかまそうか、薄いのかまそうかってやったとしても、それがまたちょっと動きが変わってきたりとかして でも、結果またなんかそれがまた出てることが気になってきたりとか。 ちょっとあかんユニフォームですね、うん。
えー、そしてね、えー、モピモピさんですね、さっきモフモフさんやった。 モピモピさん、違う方ですけど。 えーと、
思い出のユニフォーム、陸上のセパレートです。
と。
陸上の女子のユニフォームは上下分かれていて露出の多いものになっている。 私はどうしてもそれを着て広い競技場を走り抜けたいという想いがあって、 高校では顧問に頼んで新たにセパレートを作った
と。
今では部員皆で着ています。 現役の時にはユニフォームのために体をしぼり、腹筋を割っていました。 割れた腹筋、日焼けしすぎた小麦肌、そして汗に濡れ色が変わり、体と一体化したユニフォーム、本当にエロティックで美しい。 私は引退したのでもう着る機会がありませんが、今も部屋の一番目に付くところに飾ってあります。
と。 ちょっと不思議な、あの、エロティックで美しいから、えー、腹筋を割り、うん。 ちょっと日焼けしすぎた小麦色の肌で。 いやなんか、そういうことを考えて走り抜けてたっていう。 珍しいなじゃないですかね、なんか、うん。 でもあの、女子の子の、引き締まった身体っていいですね、うん。 でも僕が筋トレがほんっとに嫌いやから。 あの、偉いなって思うよね、皆、絞っていく感じ、うん。 だって筋トレしててもホットケーキ食べるもんね、うん。 ほんとに、ほんとにやってる人はホットケーキ食べちゃだめでしょう? でもその、ホットケーキを我慢してまで、みたいな話でもないのよね、その、感覚として、うん。 でも、ホットケーキやめてないし、なんかこう、バキバキになるんかもしれんけど。 バキバキになりたいわけでもないのよな、みたいな、うん。 ちょっと代謝あげようと思ってね、筋トレ始めたぐらいやから。 だから、ホットケーキはちょっとやっぱりやめれないよね、うん。
そして最後に、えー、ザジーさんですね。 えー、あのザジーじゃないと思うんですけど。
私の思い出のユニフォームがですね、キャンペーンガールみたいなことをしたときのバドワイザーのピチピチワンピです。 あの当時ははやっていたんですよね。
確かに、なんかバドワイザーはやってましたよね。 で
それを借りてもいいって言われたから、それを着てSMAP兄さんのコンサート行ったのが思い出です。 恥ずかしかったけど楽しかった。
SMAP兄さんのライブで、なんか、なんやろね、印象にやっぱ残ってるのが、お客さんが結構攻めた服着てたり、っていうイメージがなんか多いですね、うん。 なんか、なんとなくそういうこう、水着とか上だけ水着とか、下デニムでとか、夏とかね、なるとそういう格好でライブ来てはるファンの人のイメージが、なんかちらちら焼き付いてますね。 多分、幼少期からすると、なんかインパクトがあったんでしょうね。 今の年齢で見て、あー皆楽しんでんなぐらいが、10代とかやと、わーすげー、みたいな。 水着で来てるやんとか、多分そういう印象がなんか残ってるのかもしれない。 もしかしたらほんとに、数回なだけかもしれへんねんけど、なんかそういう、全体的にそうやったみたいなイメージにやっぱなっちゃってるっていうのは、若いころの、なんか衝撃が大きかったのかもしれないなと思いますが。 まぁね、こういう、皆さんバイトしたり色んなことされてる中でね、うん、色んな思い出がやっぱユニフォームってものにはあるなぁという、うん。 最近では、なぜあの、皆ブルマを穿いていたんだろうという疑問にぶち当たってますけどね。 スタッフと喋っててもなんか出るんですよ。 あの、ブルマって何なんですかね?みたいな。 最近の学校はみたいな話とか皆がしてる中で、うん。 最近知ってます?みたいな、女の子のブルマ、もう穿いてないですよ、え?そうなん?っていう話で、あーでもそもそもブルマって何なん?って話になって、いらんくない?ブルマみたいな、みんなパンツスタイルでいいっちゃいいよねみたいな、いやそうですよねみたいな。 だって冬は長いの穿いてんのに、長いの穿いて、でなんかこう、グラウンドまで行ってグラウンド行ったら脱ぐっていう、あれ何なん?あれ、穿かしといたりーや寒いのにみたいな、女子ブルマになって、ブルマって何なん?みたいな。 冷静に考えるとね、うん、ぼーっとしてるとさ、うん、あれやけど、冷静に考えるとブルマって何なん?って話になって、こないだ。 何なんすかね?みたいな話でまぁちょっとこないだもね、うん。 ちょっと議論になりましたよ、ブルマはいらないんじゃないかみたいな話でね。 まぁそんなこんなでございまして。
まぁ今年のその、サマーソニック、フェスに出させていただいた時にね、同じユニフォームで楽しかったなぁという思い出も僕にはまたひとつ刻まれまして、でーその時にもね皆さん汗だくになりながら、あの、見てくださってた方、大阪の方ね、特になんですけど見てくださってた方も色々いらっしゃいますので、こちら“Crystal light”聴いてください。
♪ Crystal light
堂本剛とFashion&Music Book 今夜の放送いかがだったでしょうか? 今日は皆さんのね、ユニフォームにまつわる色々なお話をちょっと募集しまして聞きました、うん。 まぁ、やっぱりありますね、人それぞれね。 このユニフォーム、あの時の体操着―とかみたいな色んなやつあるなぁと思って聞いていました。 ま、まだまだね、あの、読めていない皆さんのメールもありましたけれども、皆さんほんとに色々あるんやなぁって感じでした。 ま、なんかこう、同じ服を着るって、ちょっとこう、気持ちが繋がったりもしますしね。 不思議なもんなんですども。 これが、学校の時と社会に出てからとって言うとまたちょっと感じは違うんですけれども、うん。 まあの、色々ね、今年の東大寺さんのライブも皆、ユニフォームではないですけど、うん。 ま、あの、同じスタイルで、えー、衣装を皆、あの、作って、うん。 でもあんまりこう、仰々しくしたくもないなっていうことで、うん。 あのー、東大寺の管長さんも「君の庭やと思ってやればいいよ」って言うてくださったんでね、うん。 「やりたいようにやりや」って言うてくれはったんですよね。 「君はちょっとどっか真面目なとこあるから、色々気にするような気もするから、ま、そんなんも、とにかく気にせんと好きなようにやりやー」っていう風に仰ったんで。 でまぁ、僕自身色々考えたんですよね。 平安神宮さんでの奉納演奏もありますけれども、東大寺さんの奉納演奏どういうスタイル、どういうテーマにしようかなと思った時に、平安神宮さんでは自分を愛することの大切さとそして難しさというものをテーマにし、そして、その果てに人を愛するということ、ほんとにもっと難しいことである、なんかそういうテーマにしたんですが、東大寺さんは、あの、大仏さんが昔の奈良を、うん、見てるような、なんかそういう音楽をプレゼントしようかなと思ったんですよね。 色々考えたんですけど、あの、バラード歌ってみようかなとか、それこそ“街”を歌ったり“縁を結いて”とか“空が泣くから”とか色んな曲ありますが、バラード歌おうと思ったんですけども。 なんかこう、リハで音を詰めていくにつれて、バラードはちょっと今回は合わないなっていう、まぁ、判断をし、えーいわゆる、うん、昔の奈良っていうのはたくさんの、まぁ、うん、くにの人々が、ま、そこで集って、で、そこのくにの人達がまたくにを動かしてたりとか、うん。 やっぱりこう、日本の人間ではないだけ、大和の人間だけではない状況だったりで物事やっぱりずっと動いているから。 やから、色んなくにの人たちがやっぱりいた、すごく賑やかやったりとか、すごくまぁ、サイケデリックやったり、まぁ、極彩色豊かやったりっていう、ちょっとその、うーん、入り組んだ感じも含めて、あの、癒しにならないかなぁと、うん。 だから、すごく洗練されたきれいなもの作ろうとか色々考えたりはしましたけど。 なんかそんなことじゃなくて、ま、大仏さんに見守られながら、あー、皆でこういう風な演奏をすればいいかなとかって頭で考えて最初やろうと思ったけど。 やっぱり、大仏さんが、なんかこう、すごい長い間奈良を見てきてはるわけですから、うん。 そこに僕らは遡ったりしながら、なんかちょっとこうペルシャに匂いもあったりシルクロードの感覚があったりっていうところで、えー、そしてその、仏教っていうものであったり、えー、人は生きて死んでいくっていうことであったり、まそういう様々なことをですね、ちょっとこう音に変えて。 だからすごく歌はめっちゃ少ないんですけど、少なかったですけど、うん。 いや、まぁあの、東大寺さんでライブさせていただくってなった時に僕が選択したのはなんかなんかちょっと、うん、あんまり歌じゃなかったですね、うん。 まぁ、音を、あの、プレゼントしたいなぁっていうか、ま、実際、歌プレゼントしてもいいなと思ったけど、なんか、そういうことじゃないなみたいな。 昔の奈良というものを大仏さんにプレゼントしたいなって、なんか思って。 そう思った時に、なんかしっくりきて、うん。 で、音なんでそれがどこまでね、あの、見に来てくださった方に伝わってるかわからないですけど。 ま、大仏さんには伝わってるだろうなという風なことで、時間を過ごすという、うん。 そういう選択をとったという形なんですけどもね。 ま、あの、ほんとに色々な機会をね、今年は設けていただいてるなぁという中で、えー、9月の24日にイナズマロックフェス、出させていただきます。 えー、西川さんが、平安神宮さんにもね、お花いただいて、うん。 ありがとうございましたって連絡したんですけど、雨をね、降らせるタイプでしょう?と思って。 うーん、僕もどっちかっていったらそっち寄りなんですけど、今年の平安神宮さんはほんとにあの、宮司さんが晴れ男だったっていうことで、宮司さんに守っていただいた感じがすごくあるんですが。 ね、無事にやりたいですね、せっかくやから。 行くだけ行って、琵琶湖眺めて帰るっていう、それだけは避けたいですね。 せっかくね、ま、去年もね、あの、出させていただくってなってたけど、ま、ぎりぎりまで、西川さんにはちょっと「すみません。ほんとにご迷惑おかけして」っていうような話をしてね、うん。 辞退させていただかなければいけなくなったんですが、うん。 今年はちょっと何が何でもね、ちょっとご一緒したいなと思ってますので、えー、皆さんいらっしゃる方、そして、西川さんはじめ関係者の方々よろしくお願い申し上げます。 それでは“Rainbow gradatioin”聴きながらお別れです。。 堂本剛とFashion&Music Book、お相手は堂本剛でした。 それでは皆さん、またお会いしましょう。 おやすみなさい。
♪ Rainbow gradatioin
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2018/09/22
by さなぶ [494]
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