堂本剛とFashion&MusicBook
bayFMをお聴きの皆さん、こんばんは。 堂本剛です。 堂本剛とFashion&MusicBook始まりました。
えー、今年のね、流行語大賞なんかも発表されてたりしているんですけど、まっ、大賞っていうことで、こんなんあんねんなぁ~っていう、こんなのあるんだ大賞2016(年)っていうのがあるんですけど。 奈良の柿バターがね、最優秀賞を受賞したということで、全国の地方新聞社が地方の知られていない名産を推薦してね大賞を決めるという。 食べ物以外にも工芸品などもあるということなんですが。 まあ、僕はまだ柿バターいただいたことがなくて、ちょっと今度、西に行くときにでもゲットして食べてみようかな?というふうに思いますけど。
で、その奈良の話でね。 さくらさんなんですけど、あの~、 『現在中学校1年生の息子さんが将来、宮大工になりたいと言っている 。と、で、昔から伝統を受け継ぐ職人になりたいと思っているということで、宮大工になるには若いうちから弟子入りすると良いと聞いたので息子が中学を卒業するタイミングで奈良に移住しようと考えている。と、で、奈良には昔、中学の修学旅行で訪れただけなので全く分かりません。 奈良で生まれ育った剛くんのオススメはどの辺りでしょう?また奈良はこんなところだよという情報をいただけると助かります。』
というメールをいただいたのですが、 まあ宮大工さん自体も減っては来てると思うんで。で、 最近の悩みは国産では、なかなか間に合わないというところですね。 大体、台湾からの杉でお堂建て直したりとか、色々されているというふうに聞いております。 ん~、やっぱり、あの~、その土地の木で、まあ、土地のクセを知っている木の方が耐久性があるということで色々と皆さん、あの、頭を抱えてらっしゃるところがあると思うんですけども、なかなか国内でも、う~ん…木が育たないということで、海外に頼りざる得ないというところもあるんですが、まあ、宮大工さん。 奈良市の中心部に住むということもありですけど、ほんのり離れても良いのかなという感じもありますけどね。う~ん。 まっ、兎に角、夜の9時ぐらいには大体の店が閉まるんで、うん、気持ちの良いものですよ、なんか。うん。 今まで、その自分がこだわっていたものが全くいらなくなっていったりします。うん。 何でこんなんに時間費やしていたみたいな、あるいは、何なんこの感情いらんかったやん、みたいなこととか、まあ、奈良が削ぎ落としてくれるというようなイメージなんですけども。 まあ、中学校から高校になった時点で、まあ、その奈良に行かれるということで、どういうエリアにお住まいになって、どういう高校にお子さんが行かれるか、分からないですけど、う~ん、やっぱり宮大工になりたいって言ってて、で!それで「奈良行こうか」って言って奈良に住めたとして、で、本当に宮大工さんに弟子入りって出来てってなったら、お子さんにとっては凄い幸せな人生かなと思いますよ。 おっきな決断をされるんだなぁっていうふうに思っているんですが、 何か、そのおっきい決断をさえも受け入れてくれるのは奈良だなという感じもするので僕は意外と安心していますけども。 で、奈良はですね、えーと不思議なもんなんですが、ガイドブック要らんのにって思っている奈良人なんで。 というのは、自分で、いざ足を踏み入れたら、自ずと、まあ、縁と縁が繋がっていく感じがある場所なんで。 それで自分が辿り着いた場所が縁のある場所だというふうに考えるという、これも奈良人ぽい考えなんですけれども。うん。 取り合えず足を踏み入れてから始まることも一杯あるのででね、頭で考えても無理、脳ミソの中だけで考えても無理で脳ミソの外で考えることで辿り着ける答えも場所も人もあるよっていうのが奈良なんでね。 あの~、自分でガイドブック見たり、ネットしているうちに気になる場所が出て来るんで、それを信じて。 あの、決めはったら良いと思いますよ。うん。 まっ、これは絶対楽しいやろうなぁ~良いなぁ~って思って。 俺も高校ぐらいから宮大工さんか、仏像修復師みたいなこととか、なんかそういうのに成っていたかったなぁ~って思う時が一杯ありますよ。 なんかこう、やっぱあれやねんなぁ… 自分が奈良を離れたことによって見えて来た奈良っていうのがね、あってね。う~ん。 で、ほんま極端な話、自分の人生、奈良で終わって良いと思っている位やからな。うん。 でも、やっぱりこう、東京知ったことも良かった思うし、ね、うん。 や、でも、東京を知ることによって海外を知るっていう興味も出てきたりもするっていうのも凄くあると思うねんやけど。 でも、ずっと奈良に居続けて、その1つのことをやり続けている職人の人生っていうのは格好いいじゃないですか。 なんか、そういうものにもこう憧れることがあるのかな。 色々なお仕事をさせて貰っている自分だからこそ。うん。 なんかこう思う1つの夢っていうか、我儘っていうか、うん。 そういうことなんだと思うんですけれども。 まっ、ぜひ自分で、あの~、 自分の力で何かこう調べたりしていく内に辿り着く場所。うん。 何かそこに良い巡り合わせがきっと必ずありますので、色々と準備、自分のペースでされたら良いと思います。 まっ、そういう色々な想いを込めまして、こちら聴いていただきましょう、縁を結いて。
♪縁を結いて
堂本剛とFashion&MusicBook えー、ここではですね、今年どんな事で涙しましたか?っていう事をちょっと募集させていただきました。
みよさんですけれども、 『私の人生の中で1番泣いた年になりました。ということで、今はもう元気になったのですが、母が病気になってその時一瞬にして全てが真っ暗になって病院では泣けなかったけれども、何度もお爺ちゃんお婆ちゃんの墓に行ってそこで一方的に話をしながら、ずっと泣いていました。というね…うん。 毎日辛くて、本当に自分が消えちゃいそうだった。と、 でも何人も友人に助けられて。 そして、その中の1人には唯一気を遣わず泣かせてくれる友達もいた。と、すぐに電話で話を聞いてくれて、一杯泣いた。ほんとに有り難いなと心から思いました。と、 来年は悲しい涙じゃなく嬉しい幸せな涙が流せると良いなぁっと思っています。』
と、まっ、30代の方ですけれど、 まっ、こういう年齢に入ってくるとね、あの~、自分体の家族というところで、あの~、体を壊したりする機会が多くやっぱりありますよね。う~ん。 とても不安になるよね。う~ん。 どうかどうか上手く進みますようにと、こういう時ばかりは本当に、あの、う~ん。 手を合わせて祈ることとかをいつも以上により自然に出来るなぁ~っていうふうに思います。 まっ、自分自身も、あの、母が体を壊したりとか、色々したりしますんでね。まっ、本当にあの~、手を合わせますね。 わざわざ、あの、奈良に行ける機会があったりすると、奈良の神社さん行って手を合わせて、ちょっと神さんと話してお母さんの事お願いしますって、言って。うん。 そういういうような事したりとか、あの~、病院に詳しいお友達とかね、そういう人に、ちょっとお話聞いて貰ったりとか、アドバイスいただいたりとか、 ほんとに色んな人、あの、助けてもらいながらね。うん。 まっ、時間過ごしたりして、うん。 で、じゃあ、ここの病院しようかなぁ~とか、こうかなあーかな~とか、うん。 で、先生とお会いしてお話してとか、色んなことをやっていく中でね。うん。 何かやっぱり、こう、う~ん。 自分が気を張ってなければいけないから、気を張って普通にやろうとすればするほど、なんか家に帰ってから、ちょっとこう、う~ん…ってなったりしてね。なんかこう何とも言えない気持ちになったり、やっぱり家族が体を壊すと、そりゃあ誰だってね、不安な気持ちなるだろうなって思って。うん。 なんかこう自分の事のように思えるのでね。 お爺ちゃんお婆ちゃんにも、そうやなぁ~お墓行ったもん。で、お爺ちゃんお婆ちゃんにもお願いしたりしたしね。うん。 そうやって、あの~、みんながお願い事聞いてくれてたすけてくれてね。 で、今もお母さん今も元気に過ごしている現実があるからね。 なんこ、良かったなと思えたりするんですけどもね。 やっぱりこう家族が体をちょっとこう壊したりするような年齢になってきているよね~。なんて、でも、あの~、 みよちゃんがまあ、家族にとって本当に必要だろうから、あの~、 ちゃんと支えてあげてくださいね。
そしてね、さとっちんさんですけれども。 『私は10代で結婚した。ということで、30年が経ちました。今年の5月、29歳の娘が初めて彼氏を家に連れてきて紹介されました。そして結婚させてくださいという申し出があって、10月6日に入籍、来年2月に新婚旅行、4月に結婚式、順番は色々違っていますが、主人と2人嬉しい涙を流しました。 先方のお母さんが病気で車椅子という事もあり!同居という形になりました。 自分で選んだ道なので、旦那様との、あちらのご家族に可愛がって貰えるように幸せになってくれれば良いという気持ちで送り出したそうです。 娘は18歳から一人暮らしをしていたのでほんとに短い時間しか私達と暮らしていませんでしたが、いざ、結婚することになると淋しいですね。 でも、今年一番、優しく温かい涙でした。』
と、いうことですね。 まあ、僕なんかもね本当にそうやね。 10代で東京出てきて、お母さんと一緒に過ごしたり、お父さんと一緒に過ごしたりしている時間っていうのは、本当少なかったなぁ…と思ってさ。うん。 一人暮らしもその時位から、どんどん始めて来ましたしね。 だから必要以上にちょっとこう会う回数を凄く増やしたりとか、その昔の会えなかった時間とか過ごせなかった時間を必死に取り戻そうとしていてね。 一緒にいる時間多くなったりしている時期も、今もよく会うようにしていますけれども、まあ、やっぱり、なんなんやろうな~ちょっと考えちゃうよね。う~ん。 だっていざ自分が結婚するってなった時にさ、どんな気持ちなんやろうお母さんって思って。う~ん。 まあ、こないだのミニカーの話じゃないけど、色んな想いがそこにあんねんやろうな母親としては、と思ってさ。うん。 なんかまあ、こう、人のね、結婚の話とかね、 こういうお母様、お父様の話とか聞くとね、胸がなんとも言えない状況になるなと思いますれども、まあ、あの、ほんとにまだ自分が体感してないとこですけどね。 想像しただけで何とも言えない涙が流れるんだろうなぁ~っていうね。う~ん。 色々な気持ちに気付かされる気付かせてくれるお便りでした。
そして最後、さんたさんなんですけど。
『私が今年、流した涙ということで2月の剛さんのライブを拝見し、I've found my voiceを初めて聴いた時です。自分の事も大事にしてあげてというメッセージに込められていると、説明してくださり!演奏が始まりました。 CD発売前で本当に初めて聴いた曲でしたが、歌詞のメッセージが不思議とスッと沁みてきて知らない間に泣いていました。今までもこの曲を聴くとあの時の光景が浮かびます。 歌い終わった後、小さく「ええ歌やねぇ」って涙するファンをかばってくれた剛さんの優しさも凄く嬉しいかったです。』 と、綴ってくださっております。うん。
凄くあの、相談を受ける事も多いのでね。 その中で生まれた曲ですけどねぇ。 みんな、やっぱり悩んでいるんだなと簡単な方へ流れて行っちゃうからさ、やっぱり世の中はさ、そう思っていなくても、そう思っているって言った方が、イジメられないから、そう思っているって言っちゃうしさ。うん。 だから、なんかこう自分というものを生きる事を諦めた人が多いようなイメージっていうか、でも、そんな中で自分はこうしたい、ああしたいんだっていう想いがある人の相談を受ける事が多いんでね。 だったら自分の為に捧げる未来を生きるっていう、そういう強さをとか他人に対して優しさを与える事も大事やけど、自分に対しても優しさを与えるっていう事はもっと大事な事なのかもしれないねっていうような、なんかそういうような曲が書けたら良いなぁ~っと思って書いた曲なんですが、皆さんの、う~ん。 人生がね、思うようには全てはやっぱり行かないと思いますが、でも自分の声を自分に聞かせてあげる機会、それを一杯作ってあげて欲しいなと、そして何か立ち戻ってみたり、立ち止まってみたり、そのまま突き進んでみたり、色々することが自分が求めているんじゃないかなぁ~っと自分自身にさえに思いながら書いた曲です。こちら聴いてください。
♪I've found my voice
堂本剛とFashion&MusicBook 、 今夜の放送はいかがだったでしょうか? まっ、皆さんのね、あの~、息子さんとかね、そういう話もちょっとあったり、自分自身の話もあったり色々ありましたけど、何かこう、今日帰ってからも、また寝る前に色々と考えんなぁっていう1日ですね。 ま、でもこうしてね皆さんの色々なエピソードということでね。 あの~、とても自分に力を与えて貰っているなと、いつも思っています。うん。 やっぱりこうやってエピソードを1つ1つ聞くという事はね、 このラジオをやらささして貰った時と、やらしてもらなかった時と随分、違うもんです、本当に、これは。うん。 このラジオを通して色んな方の人生っていうものを自分が体感することが出来てね、それと向き合って、色々、お話させていただけるからこそ作れる曲も一杯あるなぁ~って思ってね。 ほんとに感謝しかないなと思いながら今日も色々読まさしていただきました、ありがとうございます。
〈宛先省略〉
どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、え~、まあ今日はちょっと、あの~、結婚のね話ありましたね。 見送ったって話もありましたし、 まあ、以前にもね、あの、オカンのミニカーの話とか色々したりもしました。 で、え~、このタイミングで、見逃すとかけないんじゃないかということでありまして。 まだ見ぬ最愛っていう曲を聴きながら、お別れしたいと思います。 俺の奥さん、どこに居(お)るんねんっていう曲でございます。 それでは堂本剛とFashion&MusicBook、お相手は堂本剛でした。 それでは皆さん、またお逢いしましょう。 おやすみなさい。
♪まだ見ぬ最愛
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2016/12/03
by ☆ike☆ [392]
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