++堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオレポ++
毎週土曜日 22:00〜22:30 bayFMでオンエア中の
堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオ のレポです
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#381

bayFMをお聞きの皆さんこんばんは。堂本剛です。
堂本剛とFashion&MusicBook始まりました。11月19日でございますけれども、もうちょっとですね、今年も、みたいな感じで。

このラジオで何回も言ってるけどほんと、早いなーって感じですね。うん、まそんなことも思いながら、まあいろいろ過ごしておりますが。

ゆうこさんがですね、「剛くんの歌声大好きです」って言ってくださっていて、「ビブラートがうまくなりたい」と。「何度もリピートして聴きながら勉強するんですけど、難しいです。どうやったら剛くんみたいにビブラート出せますか、練習方法とかありますか?」

というふうにおっしゃってまして、ちょっと、まあくせ、もともとはくせなんですよね。のどがばーって揺れちゃう、それをちょっとしつこく感じるなみたいな楽曲のときは、ちょっと力を入れてのどをそんなに震わせないようにして歌うとかいろいろやっては来ているんですけれども。

最近というかここ何年ですかね、アーティストの人にも結構相談を受けるんです。受けるんですけど、僕がいかんせん、人に教えたこともないし、「こうするとああで、ああするとこう」みたいな話がいろいろありまして、具体的に言うと、「マイクを何を使ってますか」、みたいな使ってるものの話ですね、どのへんの周波数というかどのキロヘルツを歌ったときに出やすい人なのかとか、どこを引き立てたいのかとか、どういう声が理想なのかというのを聞くとだいたい何キロあたりをあげてということで自分の声の質をコントロールする、自分がいちばん歌うときにコントロールし易いところの周波数をエンジニアさんにあげてもらったりとか、歌番組やるときにそこの相談をして本番に挑んだりとか、まあ自分の声を知るってことも技術の前に大事なこともあって、どういうマイク使ってるのかとか、自分の声をどう理解してるのかみたいな話をよくしたりとかね、そういうのもいろいろしたりするんですけれども。

その次に「自分が歌いたいと思って今の歌歌ってるんですか?」というこの2つですかね、うん。この2つは僕が聞けることというか、自分の言葉なのか、自分の想いなのか、というのも聞いたりしながら、やっぱり自分で作っているとか、自分の言葉であるとか、自分が作ってないけど想いとはずれてませんという歌を歌えているのかって結構重要だと思うんですよね。

例えば自分が有名になりたいから歌っているのか、歌が好きだから歌っているのか、も大きい違いでしょうしね。歌はお金につなげるために歌っているのか、人につなげるために歌っているのか、も大きい違いですし、このバランスがどれくらいその人の中にあるのかなとかあるいはその人の中にはあるんだけれども、その人が住んでいる環境がそうさせないようにしているのかっていうそういう話も含めていろいろ聞いているという感じですね。

ほんとにねミュージシャンの人に結構相談受けるんですよ。なんか「どうしたらいいですかね」とか。なんか「いい先生知りませんか」とか。よう聞かれるんですけど。なんかやっぱり自分が楽しいと思って歌えてないといけないなというのもひとつあるんですけれども、あるいは「緊張するな、毎回この歌」、って思いながら歌える歌だったりとかね、いろんな、簡単に言うと心の部分がどう整っている状況で歌えてるかっていうの結構大きいなと思うんですけれども。

いくら音程が正しくてもビブラートがパァッと出て綺麗だなと思っていたとしてもですね周りが、そう思ってくれてて音程が届くことが歌がうまいという言う人もいれば、理由があって歌っている人の歌をうまいという表現ではなくて、「素敵な歌を歌うんですね」という表現にする人もいたりとかそれぞれなんで、何がいい歌なのかうまい歌なのかということを考えるときりがないんですよね。だから歌を上手く歌をうまく歌いたいということよりも歌いたいと思う気持ちにたどり着いた方がうまく歌えるようになると僕は思うんですよね。

あるいは自分の理想の声が出せるようになるとか。後はもうすごい簡単な事で、ものまねから始めて行けばその人の声には近づくけど、ただ残念ながら声帯だなんだ色々含めて骨格も違うので限界はありますよね。後は最近のマイクの性能がいいから、僕はほぼそんなに口を開けずにポイント絞ってマイクの点に向かって歌ってるって感じとかはありますね。

だからあんまり口を大きく広げて呼吸をいっぱい吸って呼吸をすごい早いスピードで吐くこともしないので、ブレスする回数も少なくて良かったりとか、なんかそういうのは色々なやってくうちに勝手にそうなっただけなんですよ。それがいいか悪いかは別です。僕が自分の歌を歌うための方法論を自分で探して手にしているだけだけなんてね。

でもマイクがすごく古いものになってくると口を大きく開いて圧のあるボーカルをバンと出さなきゃいけないなみたいな感じがあったりとか、マイクによってとか環境によって歌い方も変わっていくんで、ということは自分はこうだみたいなことを一切決めつけてない歌ってことだと思うんですよね。マイクが変われば、状況が変われば自分はこう振る舞えばいいのかなっていう感じだから。

お付き合いする人によって自分が変わらない部分もあれば、変わらない部分っていうのはさっき言ったように骨格は変わらないとかそういう部分ね。変わらない部分があるけれどもこういう女性だったら自分はこんな風にアプローチしてあげれば優しさなのかな、愛なのかなーって言う感覚というか、歌を歌うってなると、テレビで歌うのとね、ライブで歌うのとね全然勝手が違うんでね、テレビって言うのはどうしても下の音が削られてしまうから、皆さんが聞いてくれるくれてる音っていうのはローの部分が削れた意外とすっきりとしたボーカルがパーンってとんでっちゃったり、カラオケのオケ自体も下が切れちゃってたりするから、なんか本当に聞いていただきたいものかどうかっていうのは難しいところではありますけれども、たぶんおそらくきっと下が削られるからこんな風な歌を歌っておけばいいかなとか、なんとなくそういう計算もしてテレビでは歌ってたりとか、後はもういい意味で諦めを持って歌ってる感じですかね。

特に技術のもちろんいろいろやってるんだと思うんですけれども、あんまりかたくなに俺は歌にこうでああでそうでみたいなことはもう考えてないですね。「喉に対してのケアは何かしてますか」って言われたら「何もしてないです」っていうのが今の答えかな。気にしたら喉に全部意識いって筋肉やし、固まって余計枯れてくるみたいなだから、ちょっとストレス溜まって話ししてる時とか急に喉枯れてきたりとか、この季節は勝手に乾燥して乾燥しちゃうから枯れちゃうんですけれど、でも枯れてる、やばいをあんまり思わないようにてるって言うか、まあ冬だし枯れるはな、そりゃと思ってたら意外とダメージ受けなかったりももしますしね、そういうような感覚で物事考えてやってるってところですから。

どうやったら剛くんみたいにっていうことももう考えずに、剛くんぽく歌えたらいいなぁみたいな感じで歌ったりとかしているうちに、うん、体も楽器ですからね、どういう風に首を僕は結構細かく首の角度で音程とってたりもするんで、首の角度変えると「あぁここは出やすいな」とか、「息が続くな」とか「吸いやすいな」とかそういうのは自分の体で結構あるんですよ。そういうイメージで丸めて歌うと声が太くなってなってったりとか、胸を張って歌うと細くなってたりとかそういうのを自分の体を使って遊びながら歌う歌を歌うと楽しくて自分的に納得できる歌、それを探せるんじゃないかなっていう風に思うんですけれどもね。

本当に不思議なもんで自分がそんなに「今日いいうた歌えてないかなあ」と思う時ほど「今日の歌よかったですね」って言う人の数が多くなったりとかね、ほんと不思議なもんでね、ということはもう考えない方がいいいいんですよっていう。そういう結論を自分の中に僕は出している出してるんですよ。演奏も含めてね、芝居もそうですけど。「お芝居いいですね」って言ってくださることも多いんですけれども、「いや俺ほんとにめっちゃいい芝居したなぁ」とかあんま思ってないんでね、僕自身はね。

「今日は楽しい芝居ができたな」とかね、「楽しい歌が歌えたなあ」「楽しい演奏ができたな」っていう『楽しい』と思うことはありますけど、「今日の俺、めちゃめちゃイケてたな」みたいな感覚はあまりないないんでね。で今日ちょっと逆に、「あんまりやったな俺」って思う時に「良かったですね」って言われることもあるから、不思議やなあと思って。

だから本当に世の中にある色々なことが自分的にはいいと思っている、自分的には良くないと思っているってものが人にとってはその逆やったりもするって言う。だから人のことどうこう言うことではないんです。本来はね。「自分はそう思う」っていうだけであって、それを別に口にする必要もないのにな。みたいなこととかね。

いろいろあるな、なんて思いますけれどもでもせっかくですからね、歌に興味を持ってくださってたり、何か自分自身で歌を歌いたいと思っているんだったらその素直な気持ちをそのまま膨らまして将来ミュージシャンになったりとか、歌を教える立場の人になったりとか、音楽に関わってもらえたらなぁという風に思います。今日の一曲目はですね、こちら聴いていただきましょう。Be Grateful聴いてください。

♪Be Grateful

堂本剛とFashion&MusicBook、ここでメールご紹介させて頂きます。

みきおさんなんですけれども、「先日のラジオでミラノの楽曲、そしてラカチノトヒのインストに触れられたのを聞いて書いています」と。仙台に暮らしていて震災に会いました。

剛さんの音楽をいつも聴くようになったのは、その後なので先日のラジオの内容で震災時には剛さんがどんな想いでいたのかを改めて知ることになりました。もともとインストというものは好きで、さらにめくるめく感じ、繰り返される感じ、ループですね、ループ的なものが好きで、ラカチノトヒのインストの曲や映像を流しています。

またインストではありませんが、ラカチノトヒのsunとmoonをよく聞いています。震災の時、その後に他の地域の人たちは、自分たちと被害のあった東北を別物のように考えているのではないかと思ったことがあった、と。すっとラインを引かれてしまった感じ、苦しみやつらさは直後ではなく時間が経ってつのってくることだってあるのに、過去に一部の地域で起こったことだと簡単に片付けられてしまっているように思えたことがありました。

私はそうした考えではいたくない。だからその後奈良も含めて、災害にあう地域が少なからずありましたが、全く同じ思いを持つことは当然無理だとしても、その地域の人々のことを想像しようと、区別せずに思い合える自分でありたいと思ってきました。でもラジオを聴いていて、今その人の思いが私の中で薄くなっている感じがしました。あーこんなんじゃダメですね、大切なことを見失っているのかもいう。

自然には人の力が及ばない力がある中で、確実に人間力ありそれが集結する方向を見失わないようにしたい、人間の中で区別し合うのではなく想像し合えるように今回改めてそんなことを考えました。

本当にあの区別し合ってますよね、だから想像し合えるような世の中がいいのになって。だからシャーマニズム、シャーマンという言葉をあえて入れながらのShamanipponみたいなプロジェクト、やったらいいんかなーっていうようなね、なんか目入ってくるもの、言葉にすごく引っ張られてね。

で、集団の力っていうのは怖いものでね、皆が「集団はこうだ」といえば「こう」は正解になってゆくっていうね。本当は普通に考えるとそれは傍から見たらいじめに当たらないんですかとか、差別にあたりませんかとか、それ一方的すぎませんかとか、それ脅迫なんじゃないですかとか色々な概念があると思いますけれども、それが何か集団になることによって正解になっていくって、正しいことになっていくと言うということもあるし、その逆もあったりしまして、非常になんか変な世の中だなぁという風に思います。でもでもこの変な世の中だなぁという声をあげればいいだけなのになととは思います。でも僕には関係ないし、私には関係ないし、でも気になるなあみたいな半端な感じなんで、関係ないのであれば気にしないでください、みたいなことも大いにあると思うんですよね。

例えばお肉を頂く時もね、牛さんの命をいただくわけですよね。でもその、自分は牛さんがお肉になった状態でいただくからあまり気にせず食べられるんですよね。でもなんかふとした時に都合よく、かわいそうやなあと思ったりするんですよね。だからそれをやってくれている人、その命と向き合う時間を体現して僕たちにつなげてくれている人がいるからお肉食べられてるですけど、その体現してくれてる人の中にある悩みっていっぱいあると思うんですよね。苦しいこといっぱいあると思うんですよね。でもそこにラインを引く必要があるかなって気はしますよね。自分には関係ないことやし、みたいな。でもそれでお肉食べて美味しかったらええねん、なんかそう生きたい人は生きればいいですけど、これがいろんな立場の人に置き換えたときに、自分には関係のないこと、だって別にそんなこと考えんでも生きていけるんで、みたいな開き直りも怖いし、そこを考えないようにしてるって言う人間も怖いというかね。

やっぱりなんかここで綴ってらっしゃるように全てを理解してもらえるとは思わないとか全てを理解しようとも思わないという思いがあってこそ、書ける感情だなとは思うんですけどね。だって人一人の人生が全く違うように、理解できないですよね、やっぱりね。自分のことは自分しか理解できないだと思うんですよ。家族ですら理解できないとこあると思います。という所を何か知った上でね、相手のことを理解しようとする力というもの、理解しようとする力っていうのはやっぱり想像の力と思うんですよね。きっとこうなんではないかと、言葉ではこう言ってるけどきっとこういう事情もあってこうこうこうでこう言わざるを得ないのかなとか、そういう気遣いとかそういう風な愛情とかぬくもりみたいなもの持ってたいなとは思いますね。

震災の被害に遭われた方々も、例えばテレビが来て「コメントして下さい」の時に本当の思いを綴ったとしますよね。でもカットされてしまったら本当の思いは綴られてないですよね。電波に乗らないですよね。我々に届いてこないんですよね。その連鎖がその区別みたいなものを作っていることもあるかもしれないですね。やっぱり尺というものがあったり文字数というものがあったり色々な都合がある中で、どんな風にまとめてらっしゃるか僕はわからないけれども、僕は画面を通して飛んできたものとか文字ベースで飛んできているものはきっとこうなんじゃないかなと言うところまで想像して鵜呑みしないように全てを僕は見て生きているつもりで。

で、+αネットでいろいろ情報を収集したりしながらやってるって感じですけれどもね、どうしても自分の想いがね、すべてがね自分の想い全てがきちんとした形で相手に届くなんてことはなかなか難しいですけれども、届け続けることとか思い続けることは大事だなと言う気がしますね。

震災を離れた場所で、もちろん僕は大きい揺れの中にいましたけど、僕なりの体現した中で命のことすごく考えたなと、本当にその時期にね、結婚される方も多かったですしね。一度きりの人生、生きてく中でのパートナーという意識が強まった人も多かったでしょうしね。いろんな今までは触れなかった感覚っていうものを自分が気づいた瞬間でもあると思うんですよね。

だからそこから気づいた事っていうものをやっぱりこう続けていくことはとても大事だと思いますからね、うん。僕は僕なりの力でしかありませんけれどもね、何かできればいいななんて思いながらやってますし、恋の歌を歌ってはいけないと思いませんが、恋よりも命とか愛というものをさらに歌いたいなって思った時期でもありましたしね。今もその気持ちは変わりませんが、でも恋の歌も全然いいものだともちろん思いますけれども。

そういうような最近の世の中のちょっと見失いがちなところをもう一度人一人一人がね「自分はこう思うんですけれど」とか「それっていじめとは何が違うんですかね」ととか「差別と何が違うんでしょう」というそういうような区別はつけてた方がいいような気がしますけれども。何か都合のいいところは線がぼやけたりするのでそういうようなことも一人一人が争うわけではなくて意見として声をあげあうという世の中になればいいのになってなんてことをこのお便りを通して改めて感じたなという風に思います。

ということでございましてちょっと色々と長く話してしまって申し訳なかったんですが、堂本剛とFashion&MusicBook今夜はこのままエンディングの方に突入させていただきたいと思います。

皆さんからの様々なメールお待ちしております。
メール: tsuyoshi@bayfm.co.jp
FAX: 043-351-8011
はがき: 〒261-7127 bayFM まで。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

さあそれでは、今夜はですね、現実を変えるのって本当にすごい難しいなみたいな中で、でも自分というものが変われば、映る世界というものも変わって行くんじゃないかとかね、そういう自分の、自分に対して希望持って書いた曲っていうのかな、なぜ世の中の人々はこうなんだろうというなげきも入っているんですけれども、「ある世界」という曲を書きましたので、こちら聴いていただきながらお別れしたいと思います。

堂本剛とFashion&MusicBook、お相手は堂本剛でした。それではみなさんまたお会いしましょう。おやすみなさい。

♪ ある世界
2016/11/19 by こさかママ [390]

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