++堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオレポ++
毎週土曜日 22:00〜22:30 bayFMでオンエア中の
堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオ のレポです
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#344

bayfmをお聴きの皆さん、こんばんは。堂本剛です。

『堂本剛とfashion&music book』、さぁ3月。ねー、入りましたね。

まぁー、皆さんはあれですか、お雛さん的なことやった方もいるでしょうね、うん。まぁ何度か話したと思うんですけれども、僕はお雛さんはもう完全にオモチャやと思ってたんで、あれをあのー…何ていうんですか…米を一粒一粒ちぎってですね、なんかままごとをして怒られた記憶があります、うん。高かったんだと思います。あの…かなり立派なものやってましたから。で、うちのお姉ちゃんは残念ながらその雛人形は怖いということで、あんまり見なかったですね、その辺にも行かず。僕だけ行って、なんか遊んでましたね、うん。あの馬車みたいななんか…何ていうの、なんかついてたりとかするような車、あんなんとかを牽かせたりとか、うん。なんか時代劇みたいなことをやってたと思うんですけど。うん。「そなたも食べるか」みたいなことをたぶんやってたと思うんですけど。それでまぁ、お父さんよく怒ってましたね。ちょっとオモロイけど、子供のやることやからオモロイけど、ちょっと…親からしたら「何してんねん」とたぶんなることやと思うんですけど。まぁもう雛祭りとかその辺の話をすると、その思い出しかなくて、うん。東京出てきて、だってやってないですもんね、そんなん。当たり前ですけど。寮生活してとかやってて、ね。だから、「娘できました」みたいな時にならへん限り、そんな話絶対ないでしょうしね、うん。いやホントに3月入ったなというところでございますけれども。



ナナさんがね、剛さんが横浜のみなとみらいにTANKを建てライブを行っていた時から、この春で10年が経とうとしていると。10年という月日はホントにいろいろなものを変えてしまうな、変わっていくなと実感しておりますけれども。私は地元で就職して会社の先輩との人間関係に悩んで辞めたいけれども、辞めたところで特別やりたいこともない状況でどうすることもできない、現実逃避するように横浜へと足繁く通っていたと。でもそのライブを通して現実と闘うことを剛さんに教えてもらって、また何度も通ううちに好きになって横浜という土地で働きたいと思うようになって、えー翌年、天職活動を始め働きながら天職のための勉強をしていたために、何度も行き詰まったり投げ出したくもなったりしましたが、そんな時にはThe Rainbow Starの歌詞に励まされ、もう少し頑張ろうと勉強を続けて無事に採用試験に合格し、翌年から横浜で働くようになりましたと。あれから丸8年、今も横浜であの時始めた仕事を続けています。剛さんと剛さんの音楽に出会えていなかったら、今の私はありませんでした。感謝してもしきれません。えー、本当にありがとうございましたと綴って下さってます。

まぁあのー、みなとみらいのWATER TANKが始まった時っていうのはすごくムードがよかったですね。僕の周りのムードは…うん…とてもよかったです。まぁ、今とてもいいかっていったら、素直にウンとは言えません。あの、嘘ついてもしゃーないんで。ホントにムードがよかったですね。で、みんながやっぱりこう幸せに満ち溢れてるっていうか、なんかそういうのすごくありました。まぁ、というのも、その幸せとは何なのかっていうのが、ま、今はその安らぎみたいなものが幸せだという感覚もあるんですけれども、その当時っていうのは、いわゆるその挑戦的なものですよね、チャレンジとかね。えー、未来を想定した今とかね、なんかそういうようなこと。で、人は無謀だと言うけれども俺にとってはこれは輝きなんだみたいなことを、あの1人1人がなんかこうスタッフさん含めて持ってた、なんかそんな場だったと思います、うん。それがもうとてもとてもありました。で、まぁ僕自身もあのー、拙いいろいろな、まぁそのスキルでFUNKっていうものをやりたいなと思いながら、いろんな人のお力添えをいただきながら、ただただあそこにいることが楽しくて幸せで、みたいな。なんか僕自身もそんなムードにすごく包まれていましたからね、うーん。やっぱりこう…うーん、何ていうのかな…自分の中のものを解放した…で、その自分の本当の声を受けとめた、なんかそんな時間だったかなと思いますね。

でまぁ、10年前からホントに自分が10年後どうなるのかという想像もなかなか難しかったですけれども、あの時はホントにいろんな人に出会っていろんな人に助けていただいたな、いろんな人に刺激をいただいたなという、そんななんか…時間ばっかりでしたね。うん。よく覚えてますけれども、えーホントにFUNKのベースラインのイントロが始まったら、みんなオーディエンスの人たちはポカンとしてるみたいな、うん、それすごく覚えてますね。うん。で、だんだんだんだんとみんながこう…何ていうのかな、ジャニーズっていう中の音楽…以外のそのグルーヴ…グルーヴっていうものをなにかこう体感した時の喜びにみんながどんどん気づいていくっていうか、なんかそういうのがすごく楽しかったですね、うん。やっぱグルーヴこそ、何ていうのかな、人生っていう感じもするし、うん。やっぱグルーヴしていくべきたと思うんだよね。で、グルーヴしようと思ったらやっぱり自分の演奏も重要ですから、うん。自分の生活を支えてくれてるいろんな人のグルーヴと自分のグルーヴがいい具合に混ざりあって人生楽しくなっていくわけですからね、うん。だから人に「これ弾いて」って言われたものを弾いてるグルーヴじゃなくてね、自分が弾きたいグルーヴ、自分の弾きたいリフ、いろんなものがあって、それをなんかこう…みんなでステージに上がってセッションする、そのセッションしている人たちを見ながらオーディエンスの人たちもグルーヴしていくっていうね、自分なりの乗り方が始まっていくってすごくいいなぁって、こういうのが社会全体にあるといいなぁとか、そういうことを思いながら生きてたような、そんな記憶がすごくありますね。で、小さい子たちも会場で踊ってたりとか、まぁいろんなことあって、見ながらなんか微笑ましかったり、うん、楽しいなぁ楽しいなぁなんて思いながらやっておりました。だからまぁ、この10年前、Rainbow Starとか作ってる時から考えるとちょっとなんかこう頭固くなった時期、心固くなった自分、ホントいろいろある。でもそれはもうホントに人のいろんな意見とか感情に揉まれるがゆえの、いろんなことがあったなって感じですけれども。

まぁやっぱりなんかこう…こないだもふと考えてたんですけれども、たった1人の人を本気で救える曲になればいいなぁ、みたいなことをすごく思って曲作ってきてるんで、あのー…なんていうのかな、もう死にたいなぁって思った人がもう一度生きたいと思えるような曲を作りたいなぁと思ったんですよね。そうやって思って曲作ってたりするんで、うーん…なんていうのかな、あんまりショーアップみたいなことを考えてないんですよね。なんかこう…自分のそれこそさっきの愛の形、をなんかこう…見てもらえるような体感してもらえるような空間を作りたいんだなと思うんですよね、うん。僕の生きるという形とかね、なんかそういうものを体感してもらえるようなものを、まぁ楽曲とか言葉とかいろんなものに込めて作ってきてるんだろうなと。だから簡単に言ってしまうと、すごく超ハッピー元気な人が僕のリリック読んだりとかライブ見た時に、うーん…ホントにそのコアの部分が震えるかっていうと、たぶん震えにくいと思いますね。どっかなにかこう…逆境に立ってたり闘ってたり孤独を抱えてたり、みたいな人に見てもらえると、コアな部分、こう…手で鷲掴んでゆっさゆっさ揺らせると思うんですけど。で、その揺らしてあげることで、その…最初は僕が揺らしちゃうけど、コアの部分を。でもそれをだんだんだんだん右左上下にこう…コアの部分が動いてってグルーヴしていって、自分のグルーヴが始まってって、自分の何か未来に繋がっていく、みたいなこととかを、何かこう…出来たら、なんかそれが一番やりたいことなのかなと思って、うん。なんか僕がカッコイイと思われることとかなんかそういう話はまぁ、もうどうでもよくて、なんかその人と出会った意味がより強くなるよね。だからナナちゃんとかもいろんなことあってふらっと来てくれて、なにかいろんなコアの部分を動かし合うことができてね、今このお便りをまたくれてるわけでしょ、うん。僕もあのWATER TANKがあったことによって横浜が好きになりましたからね、うん。不思議なもんですね。なんか横浜って奈良の人からするとわからない、ピンとこない、奈良は海がないから。「海、こんな近くにあんねや!」みたいなこととか普通に驚いてたりとかするような、そんな奈良人が横浜いいなって、なんかこう…思うきっかけになりましたもんね、うん。なんか一瞬住みたいとさえ思ったりもしたもんね。それだけやっぱりこう…自分の、うーん…まぁ20代の、なんていうのかな、いろいろな葛藤、闘いがあった中で、まぁ生きてましたから、うん。だからまぁこのThe Rainbow Starっていう曲こそ、このリリックこそ今の自分に「お前、ちょっとこの曲聴いてみろよ」みたいな感覚もあるのかもしれませんねっていうぐらい、うん、いろいろな思いがつのるエピソードでしたね、ええ。それではThe Rainbow Star聴いていただきましょう。



♪The Rainbow Star



『堂本剛とfashion&music book』、ここで皆さんからのメールをご紹介しますけれども。土曜日何して過ごしてんの?ということでね、ちょっとお便りを皆さんにいただこうと。

えー、ゆきこさんがですね、土曜日は午後に上の子の英語の塾があって、それに連れていくと。朝早く起きて、前日の金曜日に幼稚園で2人の息子が上履きやら体操服やら手提げやら何やらいろいろ膨大な洗濯物を持って帰ってくると。なんで朝から洗濯をしていて、それで上の子の英語の予習をして英語に連れていって、英語終了後は友達の家に行ったり家に遊びに来たりして夕食を一緒に食べる。で、片付けて7時ぐらいにお風呂に入って8時には子供たちを寝かしつけて、その後洗濯物を片付けて、えー…ファイナンシャルプランナーの資格の勉強をしたりして、22時には毎週の楽しみの剛くんのラジオをイヤホンをつけて電話してる気分に浸りながら、前に剛くんが言ってたようにそのまま寝ますと、うん。大変やね、これはなかなかの運動量というか、うん。ま、でも資格の勉強したりとかなんかそういうのが間に入ってるのがいいですね、うん。お子さんと共にちょっとね、英語勉強したりとかしながら自分の資格の勉強したりして。でもこれホントにどんどんどんどんとスケジューリングがタイトかもしれへんけど、すごくあの…上手く土曜日の時間を過ごしてはるんだろうなという感じがします。ダラダラダラダラいくよりかは、何かこうきっちり目標をつけながら、その10時ぐらいに向かっていくみたいな、うん。1日の予定を何かこう立てて生活するってことがホンっト難しい人生をずっと生きてきてるのでね、うん。だっていつ休みかわからへんもん。そんな中仕事してるやん。で、急に休み。え、どうしよってなんねん。急に休みやから、友達つかまえられへんで。なんとかつかまえられたとして、ごはん…で、それで終わりやん、休み。だから、なんか休みがもうちょっとこう定期的にあれば、ここでちょっとどっか旅行いこかーとかそんな話になるけど、まぁないもんね。だから急に友達つかまえて急に友達集まってくれて急に友達とごはん食べるみたいな。そんな感じやもんね、うん。今はお休みいただく機会多くなったけど、まぁその…詞書いたり曲書いたりしてるんで、内職ばっかりですけれども。休みはそうやって消えてっちゃうんやけど、スタジオに対しての準備とかするから、消えてくんやけど。ホント忙しい時ね、年に3日しか休みがなかった時とかは、寝るで終わるもんね。うん、眠いから。だからもう寝て終わり。寝ないと体が動かない、頭回らない、そんな感じでやってきてたから、なんかこう…1日の過ごし方が相当下手ですね、うん。だって休み方がわからない。友達と予定立ててごはん食べに行くねんけど、「あ、今書けそう!」みたいな時が出てきた時に、帰られへんやん。「ごめん、俺帰るわ」ってすごい失礼やから。で、また外出ちゃうと誰かが集まってきてくれんねん。「あ、剛くんといるの?じゃ行くわ行く。行くわ、俺も行く。俺も行く」ってなって、結果、なんかすっげぇ十何人とかなっちゃったりとかした時に、「じゃ、もう一軒行く?」ってなんかなんねんね、みんな飲みたいから。僕飲まへんけど。で、「じゃ行こかー」ってなんかキャッキャキャッキャしゃべってたら楽しいんやけど、「ヤバい、詞書いてへんや」みたいになったりするから、結構下手くそなのよね、そのなんか休日の過ごし方みたいなのが、うん。



キノコさんが、職業がね清掃業のシフト制なので、土曜日は仕事やったり休みやったりするっていうね。休みやったら駅前をプチぶらして夕食の買い出しに行って、なんのこっちゃない休日を過ごしてますと。今日は家でゆっくり過ごしてました。でもじっとしてられへん奴なんで、台所の掃除とかなんやかんやしてましたよと、うん。そうね、この休みやったり仕事やったりすると、こんな感じになるかもね。まぁちょっと駅前行こかー、ふわぁー、ごはん買おかーで、帰ってくるみたいな、うん。これはこうなるやろなぁ。僕も、だから休みがわからへんから、急に休みになった時に予定立ててないのよね。どうしよっかなってなって、うん。無理になんか友達に連絡して、もうちょっとそれも大変やなってなるんでね、うん。だからあのやっぱそのドラムとかベースとかギター、鍵盤とかいろいろやりたいことがいっぱいあってさ、で、こないだもライブでドラム叩いたけど、もう膝痛なんねんな、これな。だからキックがもう甘くなるしさ、踏んでても。で、キックが甘いとグルーヴしていかへんしさ、ちょっとこれなんやなーと思って、今その…キック左に変えよかなと思って、サウスポーの人のドラムセッティングでなんかちょっとやってみようかなと思って。意外とそっちの方がグルーヴする可能性もあるしさ、うん。全部逆になるけどさ。意外ともしかしたらあのー…できるかも、うん、昨日シュミレーションしてたんやけど。でもなんかその…うーん、なんやろ、やりたいことがあるから休日にはそういうのにこう…ぶっ込めばいいんやけど、急過ぎるからなかなかね、スタジオも急に空いてたりもせーへんしさ。難しいところなんですけれども、うん。ま、ちょっとね、そんなことを僕はね最近ちょっと考えて、膝ね、筋トレとかしてても、まぁホンっトにおじいちゃんの膝になってるなって思って、うん。これはもう考えなあかんなーと思って。やりたいことあるけれども、なんかこの「ざーひー」がね、うん、「おーじー」になってますからね。これちょっともう考えた方がいいなぁなんて思いながら。まぁちょっと1回サウスポーに切り替えてやってみるみたいな、えー、もがきをやってみて、ちょっとやっぱ無理かなーと思ったら諦めた方がいいのかなとか思ったり。うん、しますけれども。それではこちら、『きみがいま』聴いてもらいましょう。どうぞ。



♪きみがいま



『堂本剛とfashion&music book』、今夜の放送はいかがだったでしょうか。ま、今日はあの、ちょっと過去のね、えー、いろいろな思い出というか、まぁそういう思いをなにかこう…自分に対して語った感じもあったり、皆さんに対して語った感じもあったりした、そんな時間になりましたね。やっぱ横浜WATER TANKみたいな名前が出てくると、もうホントに一気にあの時のね、えー…なんか全てがよみがえってきちゃうんですよね、不思議なもんで。それだけ楽しかったんですよね。で、それだけ、うーん…ホントにコアな部分が動いたなって感じがします、あの時は、うん。今はホントにまぁ、それこそケンシロウがいなくなった時もそうやったけど、自分がホントに孤独で苦しい時、しんどい時に、まぁ窓開けて空見て、「ああ、ファンの人たちと繋がってんのよな、この空は」って、ホントにあのー…純粋に思えちゃう自分がちょっと怖いぐらいやけどね、うん。なんか…なんていうのかな、それを「ふーん、純粋にお前思えんのや」みたいなのがちょっと面白いなぁと思って。そんな未来になんかこう…立ってるんだっていうか、うん。なんかうまく言われへんけど、なんかそれを自然と思って自然とアクションに起こし、窓開けて、なんか空見てそんなこと自然と思った自分がいたっていう事実が、あのー…幸せやなと思った、うん。幸せやな、幸せもんやなお前と思った、うん。だから、そういうことがなんかこう…事実としてあるんでね、うん。これからも、あの…自分を生きていくっていうことなんですよね。で、皆さんも自分を生きていくってことなんですよね。その「自分を生きていく」ってことが、常に繋がり合ってるっていうのかな、なんかそれが幸せやなーって思う、うん。なんか優しくて柔らかくていいなぁって思う、無垢でいいなぁって思う、うん。なんかそんなふうに、まぁこれから更に年重ねていけたらなぁと、うん。まぁいろいろなことを考えさせられる、やっぱりそのWATER TANKとか横浜みなとみらいみたいなものって。まぁ戻ることが未来じゃないけど、ホントにいろいろなこと考えるなと思いますね、うん。今日はいいお便り、またいただけたなというふうに思います。まぁ皆さん、いろんなね、思いが今日よみがえったりした人も沢山多いと思いますけれども、なんかそのよみがえった感情に素直に従っていろいろね、過ごしてみるのもとても幸せなことだと思いますので、えー、是非皆さん、それぞれ各々のね、えー、このラジオ終わってからの時間、まぁちょっと過ごされてみてはいかがでしょうか。えー、メールの方はtsuyoshi@bayfm.co.jpです。Faxの方は043-351-8011まで、ハガキの方は〒261-7127 bayfmまで、どうぞよろしくお願い申し上げます。

さ、ということでございまして、今夜はですね、えー『I gtta take you shamanippon』、こちらを聴いていただきながらお別れしたいと思います。

『堂本剛とfashion &music book』、お相手は堂本剛でした。それでは皆さん、またお会いしましょう。おやすみなさい。



♪I gotta take you shamanippon


2016/03/05 by のりぴー [352]

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* 03/05 #344

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