++堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオレポ++
毎週土曜日 22:00〜22:30 bayFMでオンエア中の
堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオ のレポです
レポをしてくださる方の負担を軽減するためにレポのお手伝いをしてくださる方募集中です。mailtoこさかママ
レポの無断複写・無断転載を禁止します。

#124

堂本剛とFashion & Music Book

Bay FMをお聴きの皆さんこんばんは。堂本剛です。さあ、堂本剛とFashion & Music Book、今週も始まりました。

えー、12月10日でしてですね。うーん、もうあと、もう、ちょんちょんで終わりますね、今年も。うーん、まあ、今年そうですね、まあまだ振り返るのもあれかもしれませんけど、まあー、やりたいことがやれたようなやれなかった年みたいな雰囲気ですかね、厳しく採点しますとね、うーん。


まあ、その、物事ってね、ここまでできて初めてやり切ったって言えるラインってあるじゃないですか?まあ、そのラインをですねー、やっぱ、いつも超えれないなんやかんやがあるなというね、えー、まあこれも大人のどうこうですけどもね、うーん。

えー、今日はですね、韓国に住んでいるリ・ヘジョンさんという方が、その、ヨーロッパ版のあのCDね、『NIPPON』、こちらをあの英語の歌詞を入れさしていただいたんで、まあ英語ではなかなか僕の言っている日本人の、日本人のその言葉の意味とかね、なかなかこう伝えるには難しいんですけれども、一番近いニュアンスでまあ、英語で訳したものがありまして、それを今読んでいただいていていると、日本語よりかは英語のほうが今の私には理解する力があると、だから、日本語の本当の意味を理解できるように、また、日本語をもっともっと勉強しますという風にお便りいただいてますけれども。でも、これで剛君の歌の世界がね、なにを言いたいのかっていうのが、少しでも理解できていることにすごく嬉しいです。というお便りとですね、

まあ、こういうプロセスはすごく美しいですよね。その理解しようと考えようとして、一度英語に変換しても、それで終わらすのではなくて、やっぱり日本語を勉強したいというようなこのプロセスが凄く美しいなと思いますが、えー、佐賀県のですね、kiiroさんという方が、ヨーロッパ版のその『NIPPON』でのCD音源の中に、ライブ音源をね、いくつか入れてらっしゃる、と、それになにか想いがあるんですか? ということなんですけれども。

いわゆる、僕がそこにいたこと、皆さんがそこの会場にいたことであったりとか、そこの時空間、まあ空間ですよね、それってもう二度とないものですから。そのなんか、二度とない物をいま、こう、コンプリートできる時代なんですよね。うん。昔から、ライブ音源と言うものは存在しますが、やはりそのCD音源というスタジオの中でとったものすらも僕は、空間をコンプリートするように努力いつもしているので、だから、わざと天井の近いスタジオをちょっと選んだりとかいろいろして、その、僕たちの配置とかいろんなものを見えてくるような感じで、マイクを立ててサウンドをつくったりしてますので、ただこう音楽を聴いて欲しいわけではなくて、その時間軸を聴いて欲しい、体感して欲しいみたいな、そういう想いのすごく強いアーティストなんで、まあ、京都の平安神宮さんで歌ったライブ音源だったりとか、仙台で歌ったライブ音源だったりとか、様々入れさせていただいたというところですね。やっぱり、二度とない音っていうものが、より、あの、わかりやすく飛んでいるものだと思うんですよ。スタジオで皆でせーの、で演奏したものもエネルギーはあるんですが、やはり、そこにたくさんの人が居合わせたと、その事実の中で演奏されている音って言うのはまた説明する力って言うものが大きくありますから。うん。

なにか、今、僕たちって言うのはそういうことを感じる商品が本来なら羅列することが大事なんですけれども、どうしても、大量生産、ショートカットというか、うーん、そういうニュアンスのものがすごく多いじゃないですか? そうではなくてやっぱり、なにかこう、そこに込めた意味みたいなものをね、うーん、そこに表現したかったっていう。

で、京都とか、その、ライブ音源で演奏している自分の音源って言うものは、より、その、海外の人にも理屈抜きでなにか感じてもらえるんじゃないかなと、まあ、そういう想いも込めて。でも、いずれにせよ、この『NIPPON』というアルバムの中には、まあ、僕の大好きな日本と言う国、自分の生まれたふるさと、そこへの感謝というものを込めたアルバムだったので、まあ、ライブ音源も含めてファンの方にも感謝しているとか、親に感謝しているスタッフに感謝している、色々その感謝って言う気持ちとかありがとうっていう想いをこめたらば、こういうものになっていったというかんじでございますが。さあ、それではね、今、話にも出ておりましたので、そのヨーロッパ圏でリリースしました、ライブ音源、京都の平安神宮さんで演奏しました『時空』というライブ音源を聴いていただきましょう。どうぞ。

♪時空♪

改めまして、こんばんは、堂本剛です。さあ、堂本剛とFashion & Music Book、えー、今日はですね、お便りをいただいているものをまた読まさせていただこうと思いますが、兵庫県のですね、20代のユウコさんという方ですね。お若い方ですねー、まあ、僕ももう32なんでね、まあ、二十歳あたりになると若いですねといってしまうんですけれども、まあ、おっさんになったということで。

えー、わたしは『ROSSO E AZZURRO』以来、自分の生活に一杯一杯で剛さんの歌に少し離れていました、と。最近やっと自分の時間がとれるようになって、剛さんの歌声を聴きたくなって『NIPPON』を買いました、と。凄く嬉しいです、ありがとうございます。久々に剛さんの曲を聴いてすごい心が震えました。えらそうに聞こえたら申し訳ないんですが、剛さんの進化に驚き、めっちゃ興奮しました、と。どうしてもライブも見たくなってDVDも入手してめちゃめちゃ今はまっています。長い間剛さんの音楽に触れれなかったこと凄く後悔をしていますが、これからの剛さんの進化とても楽しみにしています、と。

この若いね、世代の方からね、おっちゃんに向かってのエールですよ、これ。おっちゃんがんばってやっ、ていうて、言うてもらってることですけれども。

『ROSSO E AZZURRO』っていうのは僕が、そうですね、ほんとにもう、精神的にも、なんかこう、芸能界、世の中、大人、黒い世界みたいなね。なんか、こう、色々なものに疲れ過ぎてた時代ですね。それで、僕が純粋になれば、正義感燃やせば燃やすほど人が叩いてきてですね、えー、なにまじめぶってんねん?ボケ!見たいな感じでですね、もう、凄かった時代ですね、そんなときに、なにかこう、一人の純粋な少年が非行に走ったようなね、そんな気さえした瞬間もなんかこう、あったっていう、なんかそんな、奇抜なファッションやって、髪の毛もいっぱい色々変えて、ほんとに、なんていうか自虐的といえば自虐的なんですけど、人を殴るよりも、なんか、自分の髪の毛の色を変えて、少しでもなにかこう発散していくみたいなね、それで、そうですね、当時たばこを吸ってましたから、ステージの上でもタバコを吸ったりとかしながら、パフォーマンスいろいろしました。でも、なんかこう、ああいう道って言うのもね、あの、社長がやりなさいって言って、はじまったものであって。で、それを、社長が見て何か言うかなと思ったら、すごく良いっていったんで、うん。ああ、じゃ、良いのかと思って、まあ、やって来ているわけですけれども。まあ、わざわざ楽屋に来て変化球を投げ続けなさいっていうメッセージをほんとに、ほんとに、酸っぱいくらい言って帰りはりますから、いえ、投げてますよっていうんですけれどもね。あの、絶対投げ続けなさいよってことをおっしゃるんで、わかりました、投げ続けますねっていうことで、まあ、投げ続けていくことになりますけれども、でも、ほんとに、そのー、『ROSSO E AZZURRO』の頃から、今の僕の音源をまた聴いたら、まあ、色々感じるでしょうね、おっさんもずいぶん年くってますからねー、うん。それなりに、やっぱ、それなりに成長してやんとあかんでしょう。おっさん、ぜんぜん成長してへんていうのも、こりゃまたまずいですから。またライブにもぜひ来ていただけたらなと思います。

さあ、つづきまして、ラジオネーム、すみれさん。78歳の方ですよ、ね。えー、最近リスナー同士の微笑ましいニュースをお聞きしますが、実は私もみなとみらいのときに知り合った友達に命を助けられた、と。3年前のコンサートに向かう途中、軽い脳梗塞で、知らない土地で動けないとき、飛んできて病院へ。手当てが早かったのでおかげで奈良、京都のライブにも行けました、と。今も私の命の恩人と、そして会わせてくださった剛さんに感謝を申し上げたいと思います。
嬉しいですねー。毎週のBayFM 楽しみに聴いています。いつまでも続きますように。生きている限り剛さんのファンでいます、という。泣いてまうなあ、こんなこと言われたら。どう?この、二十歳から78の振り幅。凄いねー、我ながら。どういうことやろね、これ。78歳の人が、このラジオをね、聴いてくれてるっていうのはさー、これひとつの売りじゃないですか?これ、この、ねー、番組の。78歳も聴いてますBayFMっていうね。いやー、これはありがたいですね。

まあでも、ほんとにあの、うちも母が年重ねてますから。
あの、最近僕ね、一個気付いたことがあるんですよ。その、あの、自分がね、恋とか、のー、歌を歌わなくなった理由。ね、なんか、リアリティーがないとか、なんかいまいち歌っててもピンとけーへんていうことば、結構言ってたと思うんですけど。これね、やっぱね『ソメイヨシノ』っていうねー、曲を作ってね。で、あのときにね、ただなにげなくお母さんと桜を見に行ったときにね。「この桜あと何回あんたと見れんのかなあっ」ていう、このひとことからたぶん始まったと思うんですよ。母の一言から、恋の歌を書かない、命の歌を書こうっていう。なんかその、命っていうものを意識する機会がすごく多くなったんですね。

僕自身もさっき言ったみたいに、精神状態がね、色々こう、悪くて、生きるっていうこととか死んでいくってことを、なにかこう、すごくリアリティーに感じた時代だったんですよ。その『ソメイヨシノ』のときには、お母さんがね、死と言うものを意識して自分と言うものをとらえているんだな、僕の芸能活動っていうのをとらえているんだね。じゃ、この人が長く生きるためにも、あるいは、この人の世代に響くような歌を作りたい。うーん、すごくね、孤独で淋しく感じたんですよ、なにか。そういう死と言うものを意識した女性がね、すごく切なく感じたんですよ。だから、この人を励まそうという意味もあったり、あるいは、お母さんと同じ世代の人たちが少しでも生きることに、うーん、明るい気持ちになれたり、あるいは強い気持ちになれたり、まっすぐな気持ちになれたり、あとは若い世代の人でも命のことを考えながら生きている人たちがたくさんいるから、僕はやっぱり、世の中には恋愛をしている人がたくさんいるのと同じで、僕たちは、命がなければ恋愛もできないから、じゃあ、その恋愛とかの恋の歌を歌うんじゃなくて、恋の手前の、命あるからこその話をしようと。それをやっぱり僕は歌おうと思ったのは、その母の一言だったんだなっていうことがね、最近、あのー、宮根さんと話してて、感じたんですよ。なんか宮根さんとなんか、色々話をしたときに、その『縁を結いて』をね、どんなときに書いたの?とか、歌詞ってどうやって書くの?とかって、まあ、そういう話を宮根さんとしてたときに、僕はこのはなしをしたんですよね。その、母がこうでああでってことを。そのときに命と言うものをすごく意識したって。だから、ああ、俺、ここでそう思ったんやっていうのを、この間、再認識しましたねー、うん。

だから、やっぱり命の歌っていうものは、これからも作って行きたいなと。この、78歳の方にね、応援して頂いているっていうのは、これはもうほんとにありがたいね。78歳の人がライブ来んねんで!すごい話やなー、これなあ、うん。もう、ほんとにこの国の色々なこの変化を一番見てるんじゃないですかねー、このインターネット社会に行くまでの。うーん、だから、たぶん色々感じること多いと思いますよね。こういう方には、やっぱり、僕の作った歌のメッセージたくさん届かせたいなというふうに思います。これからもどうぞよろしくお願いします。ファンでいてくださいね。

さあ、最後にですね、えーと、らいあんさんと言う方が、今、私は東北に来ています、ということで、きょうは石巻を少し歩きましたよと。まだ手付かず状態の場所がたくさんあって、ただ呆然と立ち尽くすしかできませんでした。友達にいろいろ教えてもらってから行ったんですけれども、ほんとに被害がひどくて、沿岸近くの地域は歩いてはいけない場所だとか、まあ、色々なものを感じてきました、と。剛君はそこを見てきたんですよね。ということで、そのあとライブで歌ったんですよね、と。私は今日、石巻に行ったあとはショックでしばらく何も出来ませんでした、と。祈ることとか、願うこととか、東京に住んでいる自分はその資格さえないのではないだろうかと、そんなことさえ思った、と。剛さんは強い人ですねと、東北ライブのあとにそのお友達が言った言葉の意味が今日わかりました、と。私は東北ライブには参加できませんでした。ラジオで言うのは難しいかもしれませんが、もう少し時間がたってからでも良いので東北ライブではどんな気持ちで歌ったのか教えてください、と。

まあ、今日は12月10日ですから、えー、約9が月、えー、12月10日ですから、ぴったりですね、ぴったり9ヶ月経ったというとこですね。僕はちょうど半年、6ヶ月経ったときに行ったんですけどね。うん、まあ、9ヶ月経ってもそうなんだなと。僕はあのー、東北行った後は、自分の地元の奈良の天川とかまでも行ったりして見て来たんですけど、むこうは土砂災害も多くて、道もほんとに全くなくなってましてですね、まあ新しい川ができていたりとかまあ、色々なことをほんとに地元を通しても感じましたね。地元のほうは報道ほとんど行っていないので、うーん。なんかこう、経過もわからず、うーん、っていう気持ちがすごくありますね、うーん。東北のほうはねー、すごく連日のように、まあ被害も大きかったですから、ありましたけれども。
でも、行って見ないとわからないことも、あれだけ報道されてても行って見ないとわからないことがあるならば、報道が少なかった奈良は、もっとわからないベールにつつまれたことが一杯あるんだろうなと言う風に思います。奈良のほうもね、なんか、支援をしようと言うことで、奈良のアーティストさんとかが東京の駅でちょっとこう音楽やったり、募金活動集ったりしているという情報として入ってきていて、でも、大体の意見として、奈良って何かあったん?みたいなつぶやきが凄く多かったですね。だから、やっぱり、そういうことなんだなあって思って読んでたんですけれども。まあでも、ほんとに、その、両極端な気持ちで立った感じかな・・・。人間って美しいものなんですけれども冷たいものでもあるっていう。ちょっと『十人十色』っていうライブタイトルで、まあ、あの、行ってましたので、うん。

ほんとにそう、なんか、人事と考えている人と、自分のことのように考えている人の真っ二つに分かれたって言うかんじがすごく。東京で何日間か生活して、あのほんとに大変な、一番大変だった時期とかでさえも、良くそんなこと言えるなあ、この人はーっていうのも一杯聞きましたから。うーん、人を信じることがすごく難しくなる時間も過ごしましたよね。だからこそですね、だからこそ、自分がこれから作っていくものと皆さんに感じてもらいたいものとやっぱプロセスが大事かな。どうしても。

簡単な気持ちで恋の歌どうぞって行くのがちょっとやっぱり難しい、うーん。これからも命の歌歌いたいなあっていうふうに、確信した時間だったかな。まあ、言い出すときりが無いって言えば、きりが無い、うん。だって答えは自分ひとりでは見つけられない傷跡だなとさえも思ったし。でも、それを愛することが出来るって言う確信もすごくあったっていう感じかな、んー。また行けたら行きたいなってすごく思ってるけどね、僕は。まあ、そのときに、ほんとにね、いろいろな想いでリリースした、この『Nijiの詩』っていう曲があります。傷を愛するっている強さ、美しさを歌った歌ですのでこちらぜひ聴いていただきたいと思います。それでは『Nijiの詩』聴いていただきましょう。どうぞ。

♪Nijiの詩♪

堂本剛がお送りしてきました。堂本剛とFashion & Music Book、そろそろお別れのお時間です。えー、まあ、今日の放送をね、振り返りますと、まあ、今もその、78歳のね、このファンの方にメールいただいたことによって、ちょっと、あの、ラジオ以外のね、いろんな話ちょっとしてたんですけれどもね。うーん、やっぱりこの、メール一枚でね、一通でね、うーん、ぼくたちがいろいろ考えること、を与えてくれたことにすごく感謝をしなきゃいけないなと今ほんと思ってますね。なんか、こう、考えることはやっぱりねー、僕らにとって幸せな時間なんですよね、人間にとって。もっともっと考えてね、生きていくべきだなってほんと思ったな。だから、これからもやはり僕にはね、その、若い世代のファンの方々も勿論大切ですし、僕がステージで言っていることをね、あのー、ちょっと年寄りくさいですけど、あのー、後世に伝えていただきたいというね、未来に伝えていただきたいし。
で、人生を重ねた方が僕のそばで見守ってくれていると思うと心強くもあるしね、うーん。だって、二十歳から、ねー、78、80歳位までの方がですよ、ファンだって言ってくれている、この人生ってなんとしあわせなんだろうなとまた思いますよね。うーん、はたまたねー。あのー、外歩けば、なんか、カップルでは、男の子ばっかりが気付いてくれるから、なんか、女の子にモテへんなと思いながら過ごしている、この何年間でしたけれども。完全に彼氏のほうが、すみません握手してくださいっていう率が半端なく多いんで、どんだけ男にモテんねんって思ってたんですけど。いやーこれ、今日のメールを読んでね、モテてるなっていうね、そう言うのも感じながら。
まっでも、これだけ、ほんとにね、世代の広い方に応援してもらってる人生をやっぱり、うーん、自分らしく生きたいなというふうにやっぱ思いますね。今日は改めてね、なんかこう、いろんな不安も取り除いていただいたなって、すごく感謝申し上げます。これからもぜひですね、応援よろしくお願いしたいと思いますが。引き続き色々なメールも送っていただきたいなと言うふうにも思っています。ほんとにありがとうございました。さあ、それではですねリスナーの皆さんからの様々なメッセージお待ちしておりますよ。私はいや90だ、いや、わたしは100だ、いやわたしは200歳だ。色々な方々からですね、メール楽しみにお待ちしていますので。

メールの方は・・・略。

さあ、ということでございまして、来週が、パワーウィークです。パワーウィークですから、ほんとにスタミナをつけた状態で、このラジオに挑みたいと思いますんで。皆さんもぜひですね、パワーをつけた状態でラジオの前にちょこんと座っていただき、放送を最後まで楽しんでいただけたらなと言う風に思っております。

さあ、ということでございまして、堂本剛とFashion & Music Book、今夜はですね、『縁を結いて』この曲を聴いていただきながらお別れしたいと思います。お相手は堂本剛でした。また来週お会いいたしましょう。さよなら。

♪縁を結いて♪
2011/12/10 by MIKI [126]

No. PASS
<<2011年12月>>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

* 12/10 #124

記事検索

OR AND
スペースで区切って複数指定可能
レポ投稿
PASS
++HOME++

[Admin] [TOP]
shiromuku(fs6)DIARY version 2.06