bay-fmをお聴きのみなさん、こんばんは。堂本剛です。 さあ、「堂本剛とFashion & Music Book」今週も始まりましたけれども。えー。 前回ね、あの、パワーウィークのときにですね、プレゼントさせていただいた、あの「奈良の昔ばなし」という本があるんですけれども。そちら当選しましたよ、という方…。
ラジオネーム 剛くん大好きreiさんからですね、いただきました、おたより。えー、 「全部読んだら、また感想メールをお送りしますね」ということで、「本当にありがとうございます」いうことでね、うん。まーあのー、これもご先祖さまのおかげで、頂き物は、まずお仏壇に…ということで、お仏壇にお供えをして、ようやく落ち着いたという流れがあるんですけども(笑)いや、すごいですね、この本、仏壇に一回、お供えされてますから。 うちの、お母さんなんかも、仏壇、毎朝、あのーご飯炊いて、ご飯をかえて、と毎朝やってましたから。うーん。今思うと、大変やよね。でもちょっと僕、手伝ったりした記憶があって、で、何よりも、仏壇レジェンド。レジェンドオブ仏壇。っていうのがあるんですけど。 これはね、僕が、あのー足の裏にたこができたんですよ。で、子供の時、たこわからへんから、「これ、なんやろな」ってとろうとするんですけど、全然とれん。なんぼやっても。で、お母さんに、「これなんやろ?」「あんたそれ、たこやん」っていうて、で、「これなんなん?」っていったら、「それ、病院で切ってもらわなあかんなぁ」って言われて、絶対嫌や、と思って。切りたくない!と思って、泣いてたんですよ。で、泣き疲れて、僕、仏壇の前で寝てたんですよ。そしたら、担架のストレッチャーでばぁーって運ばれて、でー暗い廊下、運ばれるんですよ。夢ん中で。 で、お医者さんが、「痛くないですよ、大丈夫ですよ」なんて言いながら、なんかこう麻酔みたいなのを、口にふーっとあてられて、で、ふわぁって、目が、意識が遠のいていく、みたいな夢をみたんです。で、ふって目覚まして、怖い夢やったな、思って、で、すいぶん気づいてなかったんですけど、起きてから。でー嫌やな、たこ切らなあかんのかな、思ったら。 そのたこが全くなくなっていたんです。 信じるか、信じないかは、己次第です!(強調!?声大!) や、ほんまになくなってたんですよ、たこが。まっっったく、つるつるになったんですよ。 こんな話ないでしょ?で、お母さんに「お母さん、たこないねんけど」って言うたら。 「あ、あんたが、日頃ええことしてるから、助けてくれはったんやな」って。 それで、終わりましたけど。 今考えるとちょっとびびって、俺やったら、えっ嘘?そんな?って言いますけど、 普通にしゃべってましたけど、お母さん。 うーん。もうね。仏壇はね、レジェンドを生む場所でもありますから。 よう、金縛りおうたりするでしょ?仏壇で寝たら…ない?金縛りとかないですか?(みんなに聞いてます) スタッフ「??」 僕も金縛りか、単なる疲れかの、このジャンルを分けて、知ることもできますから。僕は。 えー。これは、もう金縛りだ、とか、オレこれ、確実に疲れてるだけやね。とか。 うーんて、頑張ったら、動けたりするっていう。でも金縛りはね、動かれへんからね。 何やっても。うん。そうそう。 や、ま、ちょっとね、仏壇の話から、たこまで飛びましたけれどもね。 でもあのー、今回のパワーウィークのプレゼントに関しては、すぐお便りきましたから安心しました。3Dめがねに関しては、ほんと、めっちゃ怒ってんちゃうかな?思って、ちょっとびくびくする毎日を過ごしてましたから。 ほんと、即、送ってくださいまして、ありがとうございます。 あなたには、ノーベル賞捧げようかと思います。(reiさんおめでとう!!) 今日、あの、そういう制定記念日だということもありますんで。僕のノーベル賞ね、捧げたいと思います。 それでは、えー、今日はですね。その「奈良の昔ばなし」の本のお話から入りましたので、えー奈良をイメージして作ったインストなんですけれども、こちら「美我空」聴いていただきましょう。どうぞ。
♪「美我空」
改めまして、こんばんは。堂本剛です。 さ、「堂本剛とFashion & Music Book」 えーみなさんから、いただいたメール、ご紹介していきますが。え、まず ラジオネーム ひろさんですね。 「先日、注文していた「奈良旅手帖」こちら届きました。」ということで、「剛さんもご存知かと思いますが、この手帖ひとつあれば、奈良のすべてが網羅できるという、とても便利な手帖です。今年の「奈良旅手帖」には、奈良のおいしいコラムと題し、奈良の食に関するお話も載っています。剛くんの大好きなそうめんも紹介されていますよ。来年もこの手帖を片手に奈良へ旅したいなと思っています。」と。 いろいろ載ってるんですよね。あの、奈良のね、あの、宣伝がヘタなんですよね。奈良の人も言うてましたけど、うーん、ちょっとまあ、広告代理店さんとかいろいろ入って、いろいろやったらしいんですけど。やっぱこう、奈良人から言わせるとですよ、奈良の人みんな言うてますけど、もっとやっぱ奈良を理解すべきだと。 そして、その理解した人が、やっぱ奈良とタッグを組んで宣伝していくべきだと。やっぱ、ちょっとどっか、なんていうのかな、奈良ではのね、あのーものでなくなっちゃってるっていうか。宣伝はされてるけど…、奈良イズムがまったく見られない。というか。 それちょっと、ちゃうなぁ、みたいな、感覚が、奈良の人には、多かったように思いますね。実際奈良の人と結構話しましたから。そこに関わってる人とかに、うん、「もうちょっとこうして欲しいねんけどな」とか。「ああやねんけどな」とか。結構聞きましたね。 それは、やっぱり奈良を愛するが故に出てくる、うーん。ま、意見なんでしょうけど。 僕が 広告代理店さんやったらね、よかったと思いますけど、本気で。うん。だってもう こうしたらもっとみんなに伝わんのに、とかっていう、のってやっぱありますから。うーん。 までも、ホントに、この1300年祭ね、そしてせんとくんの問題から始まりまして。いろいろありましたね。うん。 ホントに、せんとくんのツイートおもしろいですから、ぜひ見ていただきたいですけれども。 「ぼくは仕事かぁー」とか言うてますから。(笑) 「みんなは今日は休日でしょ?」みたいな。「僕は今日どこどこに行かなきゃいけないんだ…。僕は今日も仕事か…」 でも彼は奈良の1300年祭を盛り上げるために、いるべきなわけですから、「仕事」って言っちゃだめですし、うん。ちょっとグチっちゃだめなんですよね。ほんまはは…。 ほんまは、「みんな待ってるよ!」っていうね。「僕にあったら、声かけてね!」とか。「手振ってね!」とか。 うん。『僕はいつも奈良のことと、みんなのこと愛してるよ!』みたいなこと、言うといいてくれるといいんですけど…。また気抜いて、ちらっとツイート見たら、「花瓶割っちゃった」って言うて悩んでたりですね…。なにしてんねん?お前っていう…。(笑) この結構ね、うーんやっぱちょっと憎めないキャラとして成長しましたね。うん、ま、ホントに、このですね、奈良なんですけども。 もう一枚、興味深いメールいただきまして。 りえさんがね。 「あのー、私の故郷ですね、堂本剛の故郷。えーネットニュースで知ったんですが、JR東海のリニア中央新幹線のルート。こちらがですね、東京、名古屋を直結で結ぶ「南アルプスルート」に決まった。で、その際に東京→大阪間で通過する場合は、神奈川、山梨、長野、岐阜、三重、奈良の6県、と。うーん。この山梨、長野、岐阜、三重、奈良。このへんちょっとこうなんでしょ。うん、奈良のなんていうんですかね、それこそ、仏教、−神道もそうですけども、結構繋がりがあったりするんですね。この県はね。神奈川もそうですけれども。 えーま、この奈良の発展のためにはいいこととは思いますが、奈良の何かが変わってしまうような…。そんな気もすると…。 確かにそれは言われますね。え、そして、リニアは地下40メーターを掘るんで、地中駅が必要だと。で、その設備の費用が1駅で2200億円ですよ。ね、現在は目標で、品川、名古屋間が、2027年。へー。え、ちょっと早くして欲しいな…。品川、大阪間が、2045年。という、ことなので、たぶん私はその頃この世にはおりませんが…(笑)かっこ、笑い。って。 笑たらあかんですけど。時の流れの中で、変わって欲しいものと変わって欲しくないものがある。奈良は変わって欲しくない。と、いつもつい思ってしまう、と。 剛くんニュースご存知でしたか?」 あのー今、これ聴いて、はじめて僕知ったんですけど、なんせ、家、僕、テレビないんで…。 うん。あの自分がアクセスした時だけ見るっていうことにしたんです、テレビは。 一方的に情報が入ってくるんで…。で、ずいぶん変わりましたからね、楽になったし。 うん、自分で何か知りたいものをアクセスするっていうのが、一番、、ま、これからのいい生き方なんじゃないかなと思って。やめてみたんですよ。 だから今、初めて知りましたけども。 まー、そうですね。 奈良ってあの、さっきの、仏教の神道の話じゃないですけど、お寺さん、神社さんが一個一個、めっちゃ離れてるんですよ。その、わざわざというのがあるんですね。奈良自体に、足を踏み入れるのも、わざわざなんですよ。京都でわざわざ乗り換えて、奈良まで行くという。 このわざわざが守りぬいてきたものがあるので、まあ、ここがこのような形でね、ダイレクトになるとすると。何が起こるかといくと、やっぱり、そこの、えー、地中の駅を開発する所から回りが変わっていくということでしょうね。 いわゆる、東京で言うと、スカイツリーがね、建って、その下町がどんどん変わっていくんだと。 そこに参戦すれば、儲かるんだというふうに、足を運ぶ企業がどんどん増えて後を絶たないというわけですから。うん、ま、でももしかしたら外国の方も足を多く踏み入れる機会も増えるんじゃないかな?とか。 うん。でもそうすると、やっぱり、えー奈良がいつも守りぬいてきた、あの京都さんとはまた違う、観光地っていうスタイルはどっか消えていってしまう気がしますね。うん。 世界遺産とかも、結構、ざらに、普通にある、みたいなところがよかったんですけど、 なんかこう隔離がはじまったりセパレートが始まったり…。とかいろいろこう、 なんか、起こりそうな気がしますけどね、あとは、鹿さんがあれだけ、人に慣れて、今はもうね、奈良公園に住んでますから、その辺の形態とか、生態とかなんかいろいろなことを考えていかないとならなくなるような気がしますけど。うん。 でもやっぱり、世界各国の方々に奈良の持ってる空気感とか、ちょっと見て欲しいなとか感じて欲しいなとか、と思う気持ちもありますしね。うん、まーでも、奈良は最後まで不便だった。 っていうのもいいですよね?うーん。「不便やなー!」いう感じが…。 だから、東京から名古屋に行って、名古屋からこう線が変わってくるってことか。これみると…。 うーん。いやでも、これはいつになるかね? ま、これからもですね、さまざまな形で日本は発展していくと思いますけれども。 うーん。ちょっと今のままの日本で行くと、ほんとにこの発展とは別にですね、発展していない中でも、ま、異国の方がこの土地にどんどんどんどん住みはじめて、日本人の形見が狭くなるようなことが起こり得るような今ですよね。うん、ま、日本もたくさんの国の方々に知ってもらいたかったり、まーアクセスしてもらいたい気持ちもありますけれども。あまりにも簡単にアクセスが始まってしまうと、その土地のいいものが消えていくっていうか…。たぶんハワイもあんななる予定なかったでしょうしね。 うーん。今もすごいでしょ?もう日本人の方が多くて、ハワイ。 行ったことが…ない、っていう顔でしたよね? 女性スタッフ「ない」 ごめんなさいね。うん。(笑) 今、仲間を作ろうとした、仲間を作ろうとしたけど…。隣の人は行ったことがあった、と。うーん。いやもう。 行ったら、日本語がもう基本通じるんですよ。日本語しゃべれるガイドさんとか。それこそね、高級ブランド品のところには絶対いるし。 うん。絶対いるんですよ、日本語しゃべれる人が。だからもう英語覚えようとしないですよね。 うん。「Can I help you?」(うーん剛くんの英語かっこいい!) とか言われないですもん。「ナニカオサガシデスカ?」言われる。「あ、すいません」 「あの、なんかちょっと赤いのね、かばん探してるんですけどね」って言うんですよ。 「アカノカバンデスカ?」 「ショウショウオマチクダサァイ」って言われるから。 うん。で、何や言うも、何言ってるかわからない人からは、更にホントの日本の人が、でてきて「すみません。お待たせいたしました。」 これ普通に行けるんですよね。ごはん屋さんとか、そういうところ、さえも日本語メニューとかありますから。 そうなってくると、とうとうね、ここどこ?ってなるでしょ?うん。ハワイの人からしたら。なんでこんな日本語あるねん?みたいなことなっちゃうし。 だから、日本で言うたら、韓国料理屋さん行ったら、韓国の人が読める字を羅列してるとか、というふうに、どんどんなっていくと、日本人すら、もうここ何処なのかわからんなってくるやん。うん。 でも、韓国の人とかってさ、すごいからさ、もう、日本語覚えちゃってるし、英語おぼえちゃってるから、別に関係ないみたいな。な。 んーいやーこれからどんなふうに発展をしていくかっていうのは、本当、わからへんし。 総理大臣の方々とか、ホント大変ですね。これからもっと大変になってくるでしょうね。 えーぜひともほんとにこの日本ね、なんとかして頂きたいと。今でも十分日本らしい、日本であると思いますけど。僕たちが更に考えていかなきゃいけないってことがあると思うんですよ。 だから、ま、政府はやっぱり国民に対して、今、こうなんですよということをやっぱり、認識を得るべきですね。うん。でないと日本は変わらないですし、僕らの意識は変わらないでしょうから。ぜひね、ほんとにこれからも数々の、うーん素晴らしい歴史をですね、この日本で作れたらなと僕自身も思っていますのでね、ま、そんな、いろんな思いもこめて作った曲もありますんで、こちら「NIPPON」聴いていただきましょう、どうぞ!
♪ 「NIPPON」
堂本剛がお送りしてきました、 「堂本剛とFashion & Music Book」 そろそろお別れの時間ですけれども。最後にですね。 めなさんから頂きましたメール読ませていただきますが。 「え、剛さんは、今の自分にほめてあげたいことや、自信を持って誇れることはありますか?と。悪いことは目立ちやすいですが、自分のいい所をちゃんと自分にも人にも堂々と言えることは、素晴らしいと思います。決して自慢ではなくて…。と。私もいくつか胸をはれることがあります。これからもそんな自分で剛さんや剛さんのまわりの人を大事に思っていきたいです。」というふうにね、綴っていただいておりますけれども。 ま、オレってこうやねん、ああやねん。っていうことを、そもそもあんまり考えたりしないのでー、うーーーーん、ちょっとピンとこうだっていうのは来ないんですけれども、 なんか、いつも僕が感じるのは、たくさんの人に守られてるな。ということなんですよね。 うん、そこをあの自分が見失わなければ、自分を見失うということも、ないだろうという。 なんかね、あのーやっぱね、ご先祖様とかっていうね、まー思想があるじゃないですか?感覚も。でもそれはやっぱり思想と片付けてしまうのは、違うんじゃないかと思うような出来事をやっぱ若い頃からしてるのでね、うん。夢に出てきたりとかね。よくあるんですよ。うーん。お母さんに伝えなあかんこと、っていうのが、おばあちゃんが夢に出てきてね、伝えはるんですよ。僕に。「お母さん、オレ昨日、こんな夢見てんけど」っていうたら、「え?お母さん、今、お墓の前におんねんけど」とか…。 「あーだから、なんか、こうやって言ってるから、お母さんの中でなんか気づくことない?」っていうたら、「あ、いや今たぶん、これがな水浸しなってて、こうやってあーやから、っこれたぶん、直せなあかんねんなぁってことやな〜」って。 「あーじゃあ、そうしたりぃな」 みたいななんか時間とかなんかいろいろあるんですよ。実際行ったらそうやったとか。 でもこれって、あの特別なことでもないのかなとも思うし。だって朝起きたときに夢覚えてる、覚えてへんで全然違うやん。おばあちゃんが夜に出てきてて、一生懸命な、言うてても、全然覚えてへんの夢。それで一日過ごして、二日過ごしてたら、それは伝わらへんけど。 僕はたいがい、覚えてる人やから。気になるからお母さんにすぐ電話するとかっていうのが、そういう直感が働くから。物事進んでいくんやろけど。でもなんか、そういうことも含めてね。なんかこう、自分がやっぱり一生懸命、自分として生きることを諦めなければね、うん。なんかいろいろな、あのー人のぬくもりとかそういうものを、こう感じられるっていう時間をいっぱい経験できるんだな、とすごく思うんですよね。でもやっぱり、こう、なんていうのかな、自分も人を全く傷つけずに生きていくっていうことは、到底無理なんじゃないかなって思うんです。なぜならば、自分というものを持っているということは、他者からすると、あの、嫌な気持ちにさせる理由、でもあるんですよね。うん。唯一だから、そこで相手の嫌な気持ちを、想像してあげることと、汲み取ってあげることと、あとは、相手の意見を一回聞いてあげることですね。 で、それで自分をちゃんと持っていれば、間を取ることができたり、いろいろなことを探せるんじゃないかなと思うんですけれども。なかなかそうするためにも、時間っていうものが必要で、コミュニケーションを何回もとらへんかったら、ちゃんとそこまで至らへんかったり最終的に笑顔に至らへんかったりする。でもこれは、時間のせいにしたくもないから、一生懸命やんねんけども、でも結局、あーちょっとね、嫌な思いさせちゃったかなとかね、うん、そういう時間も経験してきてるんで、なかなかこう自分が誇れるというところ、うん、明確にはまだちょっと出来ないですけど。うん、でもやっぱり、あの自分を一生懸命生きているということが、唯一誇れると言ってもいいかな、思いますけれども。 うーん。ま、あのみなさんもですね、えーま、今日は奈良の話もいろいろしましたけども、奈良ってやっぱりこう、んーー僕たちはあの生きてきた場所っていうのかな、実際、その奈良時代とかに居てへんねんけど、なんか、やっぱそういうメッセージとかって残ってるんですよね。手があまり入ってないので。だから人間たぶん、こういうことを考えてこうしたんだろうな、みたいな、あの軌跡っていうのが、残っていて、これを一個一個パズルのように拾っていって、自分の胸の中にある、からっぽの部分にはめ込んでいくんですよね。そうすると、パズル完成したりするんです。あっ、自分ってこういうものを描きたいのか、あっ、こういうものを自分は見たいと思ってるのか、っていうそういうパズルが完成するんです、勝手に。うん。で、そこからまた、はじめられるっていうかね、なんかこう、そこからまた、始めるっていうことができるんだっていうような勇気をもらえる場所だったり僕はするなと思うんで、ぜひみなさんもね、えーー、奈良を、んーーなんかこう自分の人生の中でね、主要な場所としてね、感じとってもらえるような時間、この人生の中で、もっともっと、なんか増やして欲しいなというふうに思います。 えー、リスナーの皆さんからのメッセージ、ファッションそして音楽に関して、そしてさまざまな、今のようなメッセージ、なんでも構いませんので、自由なメッセージどんどん送っていただきたいなと思っております。 メールは…。 FAXは…。 はがきの宛先は…。 (省略ですみません) までで、お願い申し上げます。 そして堂本剛情報配信サービス。こちらもですね、ぜひたくさんの方に登録していただけると嬉しいです。登録料は無料となっておりますので、え、登録方法などは…。ですね。 Tsuyoshi.in こちらでチェックしていただけたらなと思います。 さ、えーま、今、奈良の話をしたりね、まー自分の人生の話、少しさせていただきましたけれども、今日は「空〜美しい我の空」という曲を聴いてお別れしたいと思いますが、 この曲も本当に自分が50歳、60歳くらい、歳を重ねたときに、奈良のですね、平城宮跡。昔のいわゆる平城京ですね、日本の中心だった場所。そこに、ステージがあるんですけどそこにたって、空を見上げて、僕はこんな想いに胸をつぶされるのかなぁ、なんていう想像も含めて、え、書いた曲なんですけれどもね。うん、今のこの31歳という年齢でも、やっぱ、命という、ま、テーマそして愛というメッセージっていうものから逃げずにえー、一秒一秒生きていこうと思ってるんですけれども。歳を重ねると、たぶん守るものも変わるし、関わるものも変わるんですよね。そのときに、なんか、うーん、たぶん笑顔だけでは、やっぱりないだろうなとかいろんな想像して作った曲でございます。 ということで、「堂本剛とFashion & Music Book」 今夜は、「空〜美しい我の空」を聴きながら、お別れしたいと思います。 お相手は、堂本剛でした。 それでは、またみなさん来週お会いしましょう、さようなら!
♪ 「空〜美しい我の空」
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2010/11/27
by pure [75]
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