++堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオレポ++
毎週土曜日 22:00〜22:30 bayFMでオンエア中の
堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオ のレポです
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#064

堂本剛とFashin & Music Book

bayFMをお聴きのみなさん、こんばんは、堂本剛です。
さぁ、「堂本剛とFashin & Music Book」始まりましたけれども。
いやぁ、もうほんとにえー、今日もねうん、頑張っていかなあかんな言うてと言うとりますけども。
えー今日はですね、藤の木古墳記念日ということで、奈良県の斑鳩地方のふじのき古墳の石室などが発掘されましたよ
という日なんですよ。
えー、ふじのき古墳はですね、直径が約50mで高さが9mという円墳ですね。
で、この円墳は古墳時代後期の6世紀後半に作られたものというふうに考えられてるということなんですが。
ま、場所を、奈良人の人はまぁまぁ知ってるか。
ま、わかりやすく言うといわゆるその法隆寺の西、西の方向350mのところに、まぁ位置するわけですが
まぁ、奈良に住んでる人にとって古墳て言うたらもう、まぁ古墳ですね。
うーん、ようあるもんですね、イメージ的には、チャリで走ったら「あーあれ古墳や」みたいな感覚ですね。
あとはまぁ歴史の教科書に載ってる古墳がすぐそこ、「こふん?」みたいなことですよ。
めっちゃすぐそこに、うん。ちょろっと歩いたら、うん、古墳ですよ。
古墳まで5分みたいな(笑
ほんとそうなんですもん、うーん。
だからそれと同時にやっぱり建造物もそうですからね。
お寺さん神社さんもそうですけど、うーん。
だからなんかこう、まぁいわゆるタイムスリップしてる中に入ってる感じっていうのかな。
まぁ、不思議な感じですよね、今考えたら、うーん。
ちいちゃいころはもう何もかんがえてなかったですけど、うーん。
「昔の人のお墓やろ」みたいな、まぁそんなぐらいの感じでしか捉えてなかったですけどね。
子供だったんで、うん。
まぁでもほんとにこれから日本の歴史というものは、うーん、また新しい発見もどんどん出てくるでしょうしねー。
うーん、いろいろあると思いますけれども。
まーこれからの日本、NIPPON、いやぁこれもうどないなるかね?
ん、言う今ですけれども、まぁ、絶対に日本はあのーNIPPONは輝かしくこれからもっとなっていくと僕は信じてますんで。
まぁそんな希望も込めて「NIPPON」っていう曲がありますんでこちら聴いていただきましょう、どうぞ。


  ♪NIPPON

堂本剛とFashin & Music Book
さて今週もお届けしますけども。
えーファンの皆様への突撃インタビューさせていただきました。
先週に引き続きましてENDLICHERI☆ENDLECHERIライブCHERI E国立代々木競技場第一体育館ですね。
ライブ、みなさんきてくださいまいした。
こちらの皆さんにま、ちょっと質問なげかけておりますが
まずひとつめが「今 世の中にある音楽に対してどう思いますか?」という質問を、えーぶつけてみました。
うーん、これはもうほんとに難しい質問だと思いますけれども。
まー質問されたファンの皆さんも悩んでいたということで。
で、マイクを向けたら考えながらも素直な気持ちを話してくれたということですんで
えーその、音楽について会場に来てくださった皆さんどんな風に思っていらっしゃるのか聞いてみましょう。
どうぞ

 「東京から来ましたナギサ21歳です。
  私が思う世の中にある音楽に対して。
  ありきたりなラブソングが多いと思います。」

(おぉよう言うた)(剛)

 「ありきたりな失恋ソングばっかだと思います。
  私は愛についてその意味っていうか、それを人に伝えられるような
  音楽を聴きたい」

(いいですね〜)

 「人のことを本当に愛せてないなって感じた人をみた時に
  そういう愛のある歌を自分が聴いて共感してそういう人に
  教えてあげたいと思います。」

 「東京都からきました。ショウゴです。19歳です。
  やっぱり最近の歌手っていうのは、現代っぽいって言うのか
  mailの返信がこないとか
  なんかそんな浅いというか、そういう感じじゃないですか。」

(MAILの返信がこないね)

 「そんな中で堂本剛さんの曲って言うのは、
  自分は個人的に歌詞が好きなんですよ。
  っていうのは、愛がテーマになってるじゃないですか。
  それっていうのはなんかやっぱり深いじゃないですか。
  なんか歌詞を見てると深いと思いますし
  ま、今あんまりそういうのが減ってきてるなぁって言うのは感じます。
  で、それに惹かれたってのもありますし、ま、これからなんか
  こういうのもあり続けていってほしいなぁと思います。」

(うれしいですね〜)

 「好きな歌ですか?いっぱいあるんですでお「Panic Disorder」が
  パニック障害のことについて書いてるじゃないですか。
  あれだけもう、自分のことを公の場に出せるっていうのがすごいなぁと
  思いますし」

(うん)

 「東京都のカヨです。年はとりあえず30歳です。」

(んふふ、とりあえず・・)

 「なんだか昔聴いていた曲のほうが、なんか心に残る曲が多かったって
  いう気がします。
  なんとなく流れてる曲というのが世の中すごく多い気がして、
  最近心に残ったとか、あーすごくいいなぁと感動した曲というのが
  今ぱっとおもいつかない。っていう。
  あとやっぱり出てくるのは、昔、なんか思い出とともに
  残ってる曲だったりとか
  すごく大好きだった曲っていうのがいくつかぱぱっと出てくるのは
  あったりするんですけど
  やっぱりそういう曲が少なくなってるっていのがちょっと悲しいなぁと
  思いますけどね」
 
 「19歳です。東京からきましたジュンです。
  歌詞が愛してるだとか会いたいとかそういう単純なことしか
  言ってなくて本人のメッセージ性とか社会について自分がどう発信して
  いきたいのかがまったくわからなくて
  あんまりおもしろくない

(レコード会社に対してのメッセージですね)
 
 「みんな自由に生きててとても面白いです。
  自分もバンドをやってて普段から歌詞を書くんですけれども、
  やっぱり愛は大事だけど
  ただずーーっと愛してると書くだけじゃつまらないし、
  会いたいのはそうだけども
  それをただ会いたいと書くんじゃなくて、もっと難しいいいまわしを
  してでももっとわかりやすく
  幻想的にとか抒情的にとかそういうもっと頭をつかってとか
  自分の本当に伝えたいことが
  深くまで伝わるような歌詞を書いていきたいですね。
  友情も大事ですけど、やっぱりどっちかって言うともっと広くもって
  希望とか社会風刺ですね、戦争とか、そういうの書きたいです」

いやぁ、語るね。
最後の彼19歳ですよ。
語りますよ、うーん。
まぁあのー、あれですよね。単純なことしか言ってなくて
本人のメッセージ性、社会について自分がどう発信していきたいのかまったくわからない
これはレコード会社さんに伝えてるようなメッセージでもあるような気がしますね、うーん。
だってあの、いわゆるこういう曲を歌え、こういう曲をかけというものがちょっとこう見えすぎちゃってるんですよね、うん。
昔もそれはあったはずですよ。
やっぱりあのー、赤と青があるようにですね、あのー自分から生み出せる人と生み出せない人もいるんですよ。
でもアーティストになっていくって人がいて。
でー昔ってのはやっぱりアーティストがどういう風に見えていくことがいいのかってことを
たとえば発想力のないアーティストさんに対してはスタッフ側が考えてやっていく。
で、プレゼンしていく、マーケティングしていく、宣伝していく、だからこのアーティスト何を考えてるとか
の前に、このアーティスト、こういうアーティストですというのがちゃんと伝わるんですよね。
で、アーティスト性がある人、自分からどんどん出せる人って言うのはそのアーティストに対して
まわりの人がマーケティングをしていくから、何を言いたいか何をやりたいかてことがわかるんですよ。
だから昔っていうのは、えー音楽っていうものがいわゆるわかりやすかったんでしょうね。
でもいまはものすごく、携帯で聴くとか、パソコンMP3で聴くとか、ものすごく、音楽っていうものが
ものすごく手軽になったんですよね。
ジャケ買いとかそういうのじゃなくて。うん。
ということは、あのー、手軽すぎるからこそ、その手軽なシステムにアーティスト性というものがあったほうが
ほんとはいいんじゃないかなぁと思います。
やっぱりアーティストが何を考えているかというっていうことよりかは、組織が儲かる中のシステムに音楽入っていくので
そうすると音楽っていうものがすごく軽くなっちゃうんですよね。
メッセージが、うーん。
だからなんかこう、世間様はやっぱりそういうものを求めているこの若い世代の人に聞いても
求めているものやから、やっぱ人生の僕よりも先輩の仕切ってる方ってのは、組織化したものもをもうちょっと
元に戻してほしいなっていうのはありますね。
うーん、まぁ、だって僕が今やっていることが主流になったら、みんな何も言わへんでしょう。
でもこれが主流じゃない段階は「あいつ何やってんねん」「かわったことやってるな」とか「めんどくさいな」って言うのが
人なんですよね、うん。
でも僕はとにかくそのー自分が生きているというただそれだけですよ。
僕、だって1回死にたいと思ってますからね、うーん。
でもそこから音楽とうものに出会ってもう1度生きたいと思った、このふり幅ってものすごーくすごいことだと思うんですよね。
だから、この生きている自分が、この今目の前にいる人とか、この、たとえばマイクを通して届くその先にいる人たちっていうのを
現実逃避じゃなくてね、ちゃんとした現実の中でひっぱっていく力を何か持てるような自分でありたいと思って。
まぁ、生きていく、物を作っていく、生み出していくっていうことなんですね。
死んでしまったら、ね、音も出せない、歌えない、作れない、うーん。
生きているからできることであり、うーん。
ならせるものである、っていうことを常に感じながら歌っているんですよ、僕は。
で、詩を書いているし、音を出している、うん。
でも、人それぞれね。いろいろやっぱり今の音楽業界あると思いますけども。
でもやっぱりこういう、あの、メッセージがあるっていうことは、うん、すごくうれしいですね。
まーこれもちょっともらっていこう。いつかの自分を突き進ませよう、うーん。

じゃ、続きましてですけれどもねー。
えー、もうひとつの質問でね、人生これからどうやって生きていきたいですか?という
僕はもうこれ明確にあります。
うん、言いませんけど、明確にありますね。
僕はこうして生きていきたい・・・って思ってますけど。
でもそこにいくまでには相当はてしないまた山を登らなければいけないなと思ってますけど。
でも人生1回やで。やりたいことやろうぜっていうか、自分の思い描く場所を思い描いてるだけじゃなくても
描こうやっていう感覚にどうしてもなっちゃうんで、うーん。
今、だから僕全然怖いものなんもないですよ・・うーん。
どうなってもええんちゃう思います、いろんなことが
僕はなんかもうそういう風にやると決めてるんですけども
皆さんはどういう風に思っていらっしゃるのか、将来の夢、未来の自分
どんなヴィジョン描いているのかさまざま聞いてみました。
聞いていただきましょう、どうぞ。

 「茨城県からきましたキムラミカです、19歳です、あ、20歳です(笑」

(んふふふふ、んふふふふ)

 「人生これからどう生きていくかってことなんですけども
  実際に今携帯ショップで働いていて過去今まで3年間働いて
  いるんですけども過去1年間、研修があって地獄のようで覚えるの、
  契約内容とか手続き内容って
  やっぱりお客様に直面して対応するのがすごく難しくて難しくて
  それに対して先輩とかの扱いとかもすごく怖くて
  すごいつらい時期だったんですけども
  実際にお客様と対応していって、ま、すごい怖い人もいるんですけども
  やさしい人も逆にいるので  そういうやさしい人たくさん
  対応していきたくさんのありがとうをもらえることに
  すごく嬉しいってことを今までに気付きました。
  で、今後、あのー、「キムラさんのとこにくるよ」って
  たくさん言ってくれるようなお客さんを増やしていきたい」

 「千葉県から来ましたスズキカスミ、19歳です。
  今、歯科助手をやってるんですけど、将来の夢が芸人で」

(すごいね)

 「自分、いろんな人から面白くないって言われてるんで、
  スベリ芸でもいいんで
  とりあえずまぁ、売れて今まで言ってきたいろんな人を、
  夢を否定され続けてきたんですよ、19年間。
  親はいいんですけど、親戚がほんと否定的だったんで
  「もうそんな女の子なんだからやめなさい」とか
  言われ続けてきたんですけど。
  でもやっぱ夢なんで諦めきれなくて。
  なんでその人達をぎゃふんと言わせるくらい
  もう血を吐いてまでもがんばって芸人目指して、
  いずれ剛くんと共演できたら嬉しいかなと思いながら
  人を笑わせて元気にできるっていうのはすごい仕事だなと思って、
  一緒にやってくれないかという話から
  誘いました。コンビ名は「2×4=8(ニシガハチ)」という。
  2番目の兄貴と、私が4番目なんで「2×4=8(ニシガハチ)」という
  すごい単純なコンビ名なんですけど」

(おぉ、いいじゃん)

 「埼玉県からきましたユウサク19歳です。
  なんか今大学とかで、なんか一緒に楽しんでるのかな?
  と思ってなんか気持ちここにあらずという感じで
  というか、なんか皆楽しいんじゃない感じに思うんですよね。
  だからなんか、自分だけはなんかその都度なんかやっぱり楽しんで、
  なんか、周りに流されないで
  生きていきたいなぁと思って。大人になってからも思います。
  親父がよく夢を作れと、とりあえずいつも言ってきますんで、
  目標ないと、なんか、つまらない人生だろうみたいな
  ことはよく言われますね。でも1回も作ったことないんですけども。 
  おとうさん、ほんと面白い人なんで親父みたいになりたいと思います。」

 「東京でーす。20歳です。アサミです。
  人にやさしく生きていきたいです。
  人に優しくすると自分も優しくなれるし、
  なんか誰かに優しくするとなんかやっぱりいろいろ返ってきたりして
  自分も優しい気持ちになれるし、怒ってばかりだと人生つまんないから
  楽しく生きたいんで
  なんか20歳でもー、人生なんか短いなって感じてきちゃってんで
  楽しく生きたいです。
  人に何か残したいです。なんか私の記憶とか。
  なんか昔小学校の時とか、自分がすっごい怒ってて、
  もう怒りん坊って皆から言われてて
  でも、中学とかになるとやっぱり、人から言われたりすると
  わかるじゃないですか。
  怒りん坊みたいな。で、むかつくって感じだったけど、
  あー自分もそういうとこあるから
  なおさなければいけないところがあるからそう言われるんだなって
  思うし、人に優しくしたときに「ありがとう」って言われたときに
  嬉しかったりするんで 「ありがとう」って言われたいから
  「ありがとう」って言われることをたくさん残していきたいです」

うん、やっぱりこのー最後の彼女なんかは20歳でも人生短いと感じてきてるっていう
うん、俺もなんか20歳くらいのときそう思ってたからね、人生って短いねんなーって
だってあと80年生きることはできないのかとかね。
100まで生きる気せーへんもんなぁ、自分とかやっぱいろいろ考えたり
そういう視点で考えてたりもしたし。
うーん、夢をつくる・・・まぁなんか自分の人生こういう風にするんだっていう
まぁ、夢とかさ目標っていうとさー、あのーちょっとこうわからなくなっちゃう人もいるのよね、うん。
じゃなくてまぁ、自分がどういう風に生きていきたいかってことをうーん
まぁ楽しむってことやね、何歳くらいにこうして、何歳くらいにこうして、なんかその都度作っていくと
それはそれで面白いと思うので、うん。
まぁあとは、そやな、血を吐いてまでがんばっていきたいって芸人さんお知り合いいっぱいいて
芸人ってやっぱり、ま、ミュージシャンでもなんでもそうやけど簡単にはいかへんものがあるよね。
でも、これね、運をつかむとかね、これもまた才能なんですよね。
どんなに頑張っても運をつかまれへんかったらやっぱり光輝いていけないとか、うん。
やっぱあるよね、華がある・ないとか、うん。
でもね、なんかうーーーーーん、やりたいことはまずやったほうがいいと思う。
うん、だって血を吐いてまでやりたいんでしょう。
って言うそんな強い思いがあるんやったら、絶対やったほうがいいなと俺は思うけどね。
まほんとにこうやって若い世代の人たちが夢に向かっていたり、でも夢をね、こう出る杭は打たれたりとか
いろいろしながらとか、まぁそうですね、命の問題だったりとか教育の問題だったり、
いろんな問題っていうのが、まぁ、日本のメディアを通してどっと出た。
ま、そん時に僕ENDLICHERIというワンダーランドを考えたんですけど、
でもそのENDLICHERIというワンダーランドの中で本当はシングルを切りたかったって言う曲がね
「ソメイヨシノ」ではなくて「これだけの日を跨いできたのだから」という曲が
ほんとはシングルを切りたかった歌なんですよ。
これを言いたかったね、世の中に。
だから、その悲惨な出来事っていうね、ものすごく、もう頭では考えられへんくらいの出来事がいっぱい起こったんですよね
僕からしたらメディアからどわぁっと飛んできて。
これからどう僕たちは生きていくんだろう。
どうやってよくしていくんだろう。
どうやって優しく人にしていくんだろう。
どうやって愛というものをわかちあうのだろう。
この人に愛はないのか?
いやぁ、そんなことはない、絶対愛があるからこうなっていくんだと。
でもその愛の探しどころとか、愛を自分が理解する場所とか、方法とかってことを見失っていてこんなことが起きてるいるんじゃないか
やっぱり皆愛がほしいな、愛が必要なんだ、愛のもと生きているんだ。
ね、おじいちゃんおばあちゃんがいる、お父さんお母さんがいる、僕がいるということなんですよね。

愛のはてにやっぱりあるんだ、自分の場所
その愛が愛じゃないというならば、自分から愛をはじめればいいということなんですよ、ね。
自分から愛をもう1度はじめればいいじゃないかと、その前が愛じゃないともし思うのならばね。
っていうようなことをいろいろ思いながら、うん、悲惨な出来事なんてあるのが当たり前なんじゃないって。
だってこれだけの日を跨いできたんでしょって、これだけの愛を跨いできたんでしょって、うん。
なんかそう言ってあげないと・・・もうつらいんじゃないかって言うようなね。
なんかそんなフレーバーが日本中にすごくあった、うん。
そこに悲しいバラードとか歌うのすごく嫌だったんで、僕の好きな60年代モータウンサウンドみたいな感覚の
ソウルフルな感覚の愛を歌いたいなっていうか、うーん。
まぁ、このとき作ったこの歌が、まぁいっときのものなのかなとかいろいろ思ってたけど
時代を超えてもやっぱり言いたいことって変わってないなぁってすごく思いますね。
この歌をステージで歌えば歌うほど、うん、ほんと変わってないですね

さてこのままエンディングに突入していこうと思いますが、
堂本剛とFashin & Music Book、今夜の放送、皆さんのね、会場にきていただいた皆さんの人生観だったりとか
音楽についてどう思うかとかということ、うん、お伺いしました。
なんか、僕自身というよりか、やっぱり僕の音楽にね、携わってくださる
レコード会社の方もそうやし、ミュージシャンの方もそうだし、あとステージいつも一緒に作ってくれるスタッフの人だったり
まぁそういった人たちに対して、まぁ、聞いてもらいたいメッセージでしたね。ものすごくこれは、うん。
まぁこうやってファンの皆さんからいただけるメッセージがほんとにダイレクトに聞けるっていうのは
ものすごく僕にとっては嬉しいことですね、うーん。
あぁ、皆こういう風に思ってんだなぁって思います。
まぁ僕もこれからどんな人生にねなるかわからへんし、今日メッセージくれた人たちもどんな人生になるかわからないけど
でも意見にあったように人に優しくしていきたいなとか、人になんやねんあいつって言われるってことは何か自分にも理由があるんだなと
いうことに気付きたいと、うーん。
ものすごく素晴らしいなと思います、うん。
これからもね、皆さん、そのままありのまままっすぐ生きてってほしいなって思いました。

さ、皆さんからのメッセージね、まだまだお待ちしております。
mail:tsuyoshi@bayfm.co.jpです。
faxは043-351-8011
はがきは郵便番号261-7127 bayFM
まで、どうぞよろしくお願いします。

さ、そして詳しい最新情報とかはtsuyoshi.in、tsuyoshi.inこちらのほうにアクセスしていただいきますと
さまざま詳細載っております。
まぁ堂本剛の最新情報の配信mailの申込方法であったりとか、その申込方法かつわたくしが10月の6日・7日
もうすぐなんですけどもね、来る10月の6日・7日にですね、京都さんの平安神宮さんで公演をやるという
細かい詳細だったりとかチケットの応募方法だったりとか、いろいろ載っております。

さ、ということで、今夜は皆さんの、聞いていただきました皆さんのねきっかけとなれるように
そして皆さんの未来、そして今が、今以上にすばらしくなっていくように
ま、そんな思いも込めて「これだけの日を跨いできたのだから」ね、こちら聴いていただきながら
お別れしたいと思います。
堂本剛とFashin & Music Book、お相手は堂本剛でした。
それではまた来週お会いしましょう。さよなら。

 ♪これだけの日を跨いできたのだから

2010/09/25 by さなぶ [66]

No. PASS
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* 09/25 #064

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