どうも今晩は、堂本剛です さあ本日も始まりましたよ、堂本剛とFashion&Music Hallでございますけれども 第62回ということでございまして、え〜「継続することの力と難しさ」というね、タイトルがついております 何事もね、あの続けていくということはものすごく大変な事ですよ、うんほんとにね でも、う〜ん続けていくって、あの〜二通りあると思うんですよ もうほんとにその愛の力だけで続くものもあるんですけれども、それだけでは続かないものもあるんですよね で〜その時何をするかと言うと、う〜んやり方を変えるんですね うん、あの、先方だったりその何かこう関わるものに対して好都合な自分に変わっていくということなんです そうすると物事って続くんですよ 向こうにとったらメリットがある自分になるのでね でもそれって、あの〜続けていくだけなんですよね 何かを残していくということなのかとか、いろいろ考えていくと難しいものだなという風に思うんですけれども
まあ今日はね、あのホームランの、そのホームラン記念日というね日なんですよ 読売ジャイアンツの王貞治選手が後楽園球場で通算756本目のホームランを打って世界記録を更新したことによってできた日だと、う〜ん これも世界記録ですから、う〜ん なかなかこの世界の記録に残るなんていうのはね〜難しいことですよ でもこの時代王さんも長嶋さんも、もうスター選手ですよね いやほんとになんかこう今も日本にもスター選手数々いますけれども、日本はこれからもっともっともっともっとそういう人が増えていくでしょうし、日本人の中にそういった記憶とね時間というものはほんとに残っていくと思うんですよ
まあこの王さんも、このホームランを打つ、ね、記録を塗り替えるまでに妥協した部分も多かったと思いますけれども、でも妥協していないことのほうが多いんだと思います、ぼくは そうあって欲しいですよね 妥協していない部分が多かったゆえに、その〜世界の記録を塗り替えるような、そういう日に立ったというね うん、これやっぱり周りに合わせて都合のいいね、王貞治というスター選手になっていたんでは、この記録はなかったんだと思うんですよね いろいろこう貫くということであったり、その自分の想いを継続していくっていうことね、うん これもうほんとに、あの〜今の時代ほんとに大事なことだと思います あきらめたら終いですから
まあ想いというものは目に見えない、だからこそ安心感がないものも多いですけれどもね でもあの〜続けていく、続いていく、繋がっていく、うんこういった事っていうのは自分が信じればそこに必ずある強いものですからね 皆さんぜひいろいろ生活の中で悩むこと多いと思うでしょうけれども、そんな想いでね、え〜いろんなもの乗り越えて欲しい塗り替えて欲しいなあという風に思います
え〜そしてですね、まああの〜皆さんに愛してもらっていたこの番組なんですが、今も話しした話しにも繋がりますけれどもね、9月いっぱいをもって終了することになってしまったんですね ですので、9月いっぱいで終わってしまうんですけれども、まああの〜自分というまあ想いというかね、ぶつけることができたラジオなんですよ なかなか雑誌出ればカットされてね、テレビ出ればカットされるんですよ 「もうちょっとアホなこと言うて下さい」「もうちょっとおもろいこと言うて下さいよ」「適当なことやって下さい」「ルーズな感じでお願いします」「こここうやって編集するんで、こここんな風な言葉言うといて下さい」 できますけどね でもそれやってるとね、継続するんですよ 先方的においしいネタなんで、継続するんですよ
でもね、それやってるようじゃね、見てもらってる人とかね、読んでもらってる人とか、聴いてもらってる人にうそついてることになるから この人にとって都合いいかもしれへんけど、皆さんにとって都合いいというわけではやっぱなくて うん、おもろがってくれるかもしれへんけど、本当の自分ではないから、歳重ねた時にこれガタ来んなと思ったんですよね、なんか自分がいややな〜と思ったんです 「あん時言ったことうそですか?」「はい」って言うのもめんどくさいじゃないですか うん、だからなるべくほんとのことを言えるようになろうと思って だからテレビとか雑誌とかっていうのは、今ではあのそういうシーンも多くなってきたんですよ そういうお仕事も増えたんで
でもそれってやっぱりラジオの力もあるなと思ったんです、ぼくね で、このラジオでファンの皆さんにほんとのことを伝えることができて、で、ステージでもほんとのことを伝えることができる そのライブのステージに来てくださったテレビの方や雑誌の方がこんな特集を組みたいと言ってくる だからテレビでも真面目な話しができたりするようになる瞬間も出てくる ま、いろいろね、やっぱ繋がっていくんだなと
うん、だからこのラジオが終わったとしてもですね、自分がまあ違う場所でほんとのことを言える場所っていうのはもうあの確実に守っていこうと思うんですよね で、まあぼくはやっぱり大阪が好きなんで、あの大阪でなんかやりたいということは非常にやっぱり強いのでね、また機会があったら、うん大阪でなにかできたらなあという風な想いもあります まあそんな想いを胸にこうさげながらですね、今日も残りわずかの収録していくわけでございます
ええ、ということでございましてですね、この番組はアーティスト兼プロデューサー堂本剛のセルフプロデュースによるレディオプログラムです 愛する関西、そして愛する故郷奈良のことを考えていきながら、音楽やFashionのことなどをざっくり話す穏やかなラジオ番組でございます 愛すべき関西の皆さんと一緒に作っていきたいと考えておりますので、どうぞ皆さん最後まで聴いていただけたらなあという風に思います
さあそれでは、じゃあここで一曲「街」こちら聴いていただきましょう、どうぞ
♪ 街/堂本 剛 ♪
FM大阪さんからお送りしております、堂本剛とFashion&Music Hall オープニングでもね、え〜ちょっとお知らせいたしましたが、え〜堂本剛のレディオショーがですね、今月一杯をもって終了させていただくこととなりました ほんとに急なお話で申し訳ないんですけれどもね まあこれ言われた側は、ね、そうなんですかと言うしかなくてね で、聴かされた側はもっとね、どうしたらいいかわからへんっていう状況になるかもしれませんけれども、物事ってこんな急に終わんねんなあっていうね、う〜ん
急に終わることって、なんか今多いですね〜、う〜ん ほんと急に終わっちゃうんですよね まあそこに対して順応できる人とね、できない人もいるんでね できない人のことを考えてあげたいなとやっぱものすごく常々思うんですが 物事始まりがあれば終わりがあるという風に、よく言ったもんですけれども、うん〜 ま、でも、あの〜皆様の中で思い続ければそれはずっと続いていくわけでございますし、まあまたね、皆さんの前に登場する時が来るかもしれませんのでね 皆さん、念じていただけば、以外にすぐになんか始まったりするかもしれませんけれども
え〜このラジオはですね、記念すべき第1回目というのが2008年の3月4日なんですね 番組のタイトルが「244ENDLI-x BOOTLEG RADIO」ということでスタートしたんです であのステッカー作ったりとかね、なんかこういろんなことあったんですけれどもね なんかこういうところから始まっていきながらね、ほんとの事がこう言えるようになっていったっていう またこの244ENDLI-xってね〜、ちょっと遊んだだけなんですけどね〜 「改名」みたいなね、えっらい騒いでくれはったなと
でもこれもね、「堂本剛で何故いかないんだ?」という意見が出てきたんですよ、内部から 「いえ、堂本剛ですよ」と、ね 「堂本剛がクリエイティブしているENDLICHERI☆ENDLICHERIというワンダーランドですよ」と説明したんですけど 「堂本剛はいないじゃない」と 「いや、堂本剛が作った」って言うてんねんけど回りはやっぱりENDLICHERIさんとか呼ぶんですよね、なんか、知らんけどね これぼくが呼ばしたんじゃないですよ で、ケリーっていうニックネームがついてね 「あれはなんなの?」って言われたんですよ 「いや、なんかニックネームです」と 「堂本剛はどこいっちゃったの?」って言われて 「いや、いますやんか」と「ぼくは紛れもなく堂本剛です」と、「ケリーはニックネームです」と 「ENDLICHERIはワンダーランドの名前です」と 「ぼくがプロデュースしている、想像の思想の世界ですよ」と 「考えることじゃないですよ、感じることですよ」と 「私が堂本剛です」と何度も言ったんですが「わからない」ということで なんかめんどくさくなってきまして、じゃあ取りあえず「244ENDLI-x」ってことでよろしいかな? みたいな感じでやったら、なんかウェ〜なったんですよ まあいろいろやっぱりこう人っていうのは難しいなあっていうのはね、こういう時学んだんですね
まそっから自分はやっぱりほんとのこと言っていくべきだなと もうファンの人が混乱していくだけやからねそんなん 「あれ、改名したの剛くん」みたいな 「いえ、改名してまへんがな」っていう「遊び遊び」っていうね でも「この遊びも何で生まれたかって言ったら今みたいなことがあって生まれたんですよ244ENDLI-xって言葉って、ハッハッハッ」でいいねんけど、まあそれがな、まあちょっとなんやかんや言われるなあいうところでございましてね
そしてそのままいきましてね、2008年5月2日9日の放送では、第9回と第10回放送分、これがですね、ライブ終了後、ツアー先のホテルで収録したという これね、おかきとか、ちょっとこうね、しばきながら、うん〜やりましたね や、まそんなこともあったなあと今ね、ふとよぎりますよね こん時に2008年3月29日から「244 ENDLI-x LIVE TOUR '08 “I and 愛”」というこれ27公演、そしてそのあとに5月26日に赤坂BLITZで「WATERIZE」というね、え〜イベントやりました これリアライズっていう言葉の逆の発想でまあ「WATERIZE」っていう、水化という、まあこういう英語はないんですけれども、ま、水化していくという、固体ではなくて水のようにこう受け入れていくとか漂っていくみたいな意味合いで「WATERIZE」っていう、うん、まあものをやったんですけれども このときはライブハウスでね、その〜白いペンキに手を付けて、白い虹をみんなで作ろうみたいなイベントやったりとかしてたんですけれどもね
なんかこ〜、このツアーもね〜なんか、いつもこのライブのツアーとかもそうなんですけど、急にね、おっきなこと決まっていくんで、そこに対応していくっていうのがものすごく大変なんですよね う〜ん、今回のENDLICHERIのライブもそうなんですけれども ま、鍛えられますけれども、でもやっぱり物事ってね、ちゃんとしたいことってあるじゃないですか そこの度を越えちゃうとちょっと疲れますけれども、うん〜 ま、でも、いろいろな勉強はしますよね、そういう中で そして2008年6月からちょこっとリニューアルいたしまして、番組タイトルがですね「ENDLICHERI☆ENDLICHERI プレゼンツ BOOTLEG RADIO」に変更し、まあずっときたということでございますけれども そしてまあ今あるかたち「堂本剛とFashion&Music Hall」というかたちもございます
なんかこうぼくん中ではね、もう音楽とFashionというのが一つのものだったんで これってねぼくがの話しじゃなくてね、もう昔っからそうなんですよね うん〜でも音楽やっぱりわからへん人っていうのはFashionだけになっちゃうんですよね 音楽好きな人は音楽もFashionもグラフィックもなんでも一緒やと思っちゃうんですけど、でも音楽を知らない環境で育った方っていうのはやっぱり分けていっちゃうんですよね う〜ん、Fashion、アート、音楽みたいななんかね でもアーティストにとってはやっぱりね、ジャケットが大事やったり、そのジャケットで着るFashionにメッセージがあったりとかっていう連動するじゃないですか、ヘアスタイルの色が何色っていうことが大事なんだとかっていうの だからミュージシャンとか表現者にとっては全部一緒なんですけれどもね
うん、それがどうしてもセパレートされてしまうような、日本であったり、「なぜ髪の毛はその色なんですか」っていう余計な質問飛んできたりっていうのが日本なんですよね そうしていくと、非常にそこだけの話しになっちゃうんですよ 「え〜髪の毛を赤に染めた理由はですね・・・」みたいな え?そんなん話しせなあかんの、そんなん別に聞きたないねんけどっていう おそらくミュージシャンがこういう人でこういう歌でこういうタイトルやから多分赤になったんやろなでええねんけど、それをわざわざ全部説明する? 赤の髪の説明が終わったら「このジャケットで着ているFashionはいったいどういうメッセージが込められているんですか」って一個一個いくん?みたいな うん、「ええやんもう、感じてぇさ」っていうね ま、そういうのがどうしても、日本ものすごくすさまじくあるよなと思うんですよね
まあでもほんまにね、ま、いろんなこと世の中、あの変わってきましたよね、この2年半の間でですよ だって今やもうスマートフォン主流ですよ アプリケーションアプリケーション言うて、iPadとかね出てきたりなんかもう、いろいろ変わってきたじゃないですか 伝えるということの、このコミュニケーションの形っていうのが変わってきたんでね もうすごくそれによって、あの〜失っていくものもおっきいですよね、今 うん、その失っているものに今気付いてるんですけど、なかなかそれを止められないというような時代だと思うんですよね そんなときに、ラジオが終わるんですよね ものすごくあの考えることかもしれないですね
こういった内容の話しをね、あのラジオでするっていうのは、なかなかこう他のパーソナリティの方もなかなかしないと思うんですよ やっぱりちょっと楽しい話ししようかなとか、最近はやっているのはこうやなああやなと言ってあげるほうがね、情報があるほうがいいんじゃないかっていうのがなんかこうラジオの感覚ってあるんですけれども うん、でもこういったなんかこう時代とか社会とか命とかって言う話しを、なかなかこうするね、ラジオ番組というのはなかったですから、うんそういった番組が一回終わるということは、いいこともあるし悪いことあるような気もするし、まあいろんな形でこう時間を経てね、まあ今日という答えに今たどり着いたということですけれども
まあでもほんとにいろんなあの〜時間を過ごしましたよね、このラジオのなかではね それではですね、じゃあですね「The Rainbow Star」とあとは「傷の上には赤いBLOOD」こちら聞いていただきましょう、どうぞ
♪ THE RAINBOWSTAR/ENDLICHERI☆ENDLICHERI ♪ ♪ 傷の上には赤いBLOOD/ENDLICHERI☆ENDLICHERI ♪
さあFM大阪さんからお送りしております、堂本剛とFashion&Music Hall、堂本剛のレディオショー今月いっぱいを持って終了することとなりました ねえ、何度も言いますが、ほんとに急な話で申し訳ございません え〜〜〜そうでうね、もうほんとに・・・思い返せばいろんなことがまあ数々ありましてね でもみんなほんまにおもろいメールいっぱいほりこんでくれたなとかね、ほんと感謝感謝でございますが 2008年の8月31日ね、東京国際フォーラムで、スライが36分間ステージに立って、さらに9月2日には東京ブルーノートでライブが行われて、番組でもね堂本剛ライブレポートと題してこのスライの特集とかあの〜特集させてもらって、私は生スライを体験するわけですけれども まあこのころはあのFUNKアーティストの特集なんかもやってったり、ブーティーコリンズとかグラハムセントラルステーション、ジミーヘンドリックス、JBまあ様々いろいろありました
なんかねえやっぱ、このスライの話しもね こないだもベースのRIZEのKenKenとも話ししてんけど、KenKenはもうスライがもう好き過ぎてね彼は、う〜ん で、なんかもうスライに入りたいと、「おれが全然ベース弾くのに」とか言うてたけど で、ぼくもね、スライと一回一緒にやりたいんですけどね、う〜ん、なかなか上層部の人はもう「誰それ?」っていうので終わっちゃったりするんですよ、悲しいですけれども、うん〜 おれにとっては神様ですけどね、誰かにとっては「誰それ?」やんな〜そらな〜って話しですけれどもね
でもその、こないだもライブの後にKenKenとかスティーブとか話しをしてね、スライの話しとかもしながらね やっぱこう、なんかこう音楽っていうもの、が、まず楽しめるという人生で良かったなっていう話しをしてたんですよ で、「あなたが今やってることを・・・」スティーブさんがね 「あなたが今やってることを、10万20万30万40万とたくさんの人に伝えたいんだ」と 「ここだけで今だけでやってるの、ほんとにもったいないことだ」と 「こんなことやってる人いない」と「音楽業界で」 「こんなことやれてるミュージシャンもいないんだ」と 「あなただけなんですよ」っていう話しをね、してくらはってね で〜「あなたが、あなたはほんとにうまくやってる方です」と 「いろんなこと、いろんなしがらみがある中でうまくやってる方だと思いますよ、立派なもんですよ」と 「だからあなたはもうこれから自分の道を信じてね、もっと自分に自信を持ちなさい」と言われたんですよ 「そこに対して私が必要な時はいつでも呼んでくれれば私はそこにいますよ」と でKenKenも「そんなときにおれのベースのリフが必要になればおれはいつでもベースのリフを弾く」と 「だからあなたがその突き進んでいく中でね、ぼくらは常々一緒にいるよ」っていう風な話をしてくれたんです、こないだライブ、地方でね で、なんかそういう話しをすごくしてくれるんでね、うん〜あの救われる瞬間も多いんですよ、いろんなことありながらも でもそれはね、そんな話しになったのはね、スライの話しをしたりしながらそんな話しになっていくんですよね だからそういった意味でもほんとスライに感謝だなと思って ひとりのアーティストがこれだけのなんかこうね、たくさんのミュージシャンを救ってるんだなあっていうのは、素晴らしいことだなと
で、その〜行った店もあの〜FUNKもんばっかりかかってる店だったんで、そこでFUNKナンバーバリッバリにかけて、もちろんスライもかかってたし、そっからなんかもうノリノリになって、KenKenはそのまま壊れていっちゃったけどね KenKenはその飛行機に乗るまで飲んでた、うん で、ぼくはもうさすがに付き合われへんって言って「おれ帰るね」って言って「大丈夫だよ、おれは大丈夫だよ」って言ってめっちゃ酔っ払ってたから なんかこう、なんやったかな「ぼくはなんとかをしたい〜♪でもそれを〜どうしていいのかわからない〜♪でもそれでもいいからそうしたい〜♪」みたいな歌をずうっと、んふふ、歌ってんねんKenKenが で、ぼくそれに付き合っていく感じやんねんか スティーブさんは眠そうな顔してさ飲んでて 「じゃあちょっとスティーブさんそろそろぼくら帰ろうか」って言って「じゃあそうしますか」って言って、んでスティーブさんを送り届けて、で、KenKenはとりあえず酔うたまま飛行機に乗ったという情報が入ったんですけれども、スティーブさんの情報がなかったんですよ 「スティーブさん、あれ昨日大丈夫でしたか?」って言ったら 「うん、期待通り乗り遅れました」っていう、んっふっふっふっ、スティーブさんは乗り遅れて、うん、ぼくはちゃんと乗って帰りましたけど、そんなんとかあったりね、うん〜
まあみんななんかこう その日はね、あの楽しかったんですよ、めちゃめちゃ楽しかったんですよ 音楽って最高やな、生きてるって最高やなって、捧げるって最高やなみたいなね その中で、わーっていうなんかこう高揚感がありまして、なかなかおれも寝れなくて、でスティーブに電話したら「どっかいこか」って言ってくれて、でKenKenと合流して で、KenKenは行ったところから「ぼくがなんとかしたいから〜♪」みたいな状況になっててんけど、うん
ま、でもほんといろんなことあったなあというね そこに来るまでに「美我空」というねツアーやりましたよね 「my beautiful sky 」 もうこんときはね、誰の意見も欲しくなかったんですよね いろんなこと言ってどんどんどんどん汚されていくっていう、政治的なものとかいろいろとにかく汚されていくから、もうちょっと一回白に、真っ白になりたいと思って だって自分は、そのたとえばえ〜凛と張った湖のような水面であるだけであって、そこに風が吹くから自分は動いていくし、そこに石が落ちるから自分に波紋が出てくるってただそれだけなんだと ぼくは水面なんだよっていう
でも結局人ってほんとおかしなもんで 「剛くん、これなんかいい方法ないかな」って話ししてくるでしょ 「あ、それを伝えるんやったら、それを伝えるのであれば、あなたのその意見を伝えるのであれば、こういうような形でこういうものを用意してこういう風に伝えれば伝わるんじゃないですか」って意見を出すやん この意見が時間を経ていくと『剛が言った』ってことになるんですよ 「いや、おのれが言うたやないか」みたいな話しも『剛が言った』っていう風に第三者にはなっていくんですよ、物事って そうするとそれを叶えるためにいろんな作業が必要になってくるんですね、犠牲も必要になってくるよね 「もう剛がまたややこしいこと言うてる」と、っていう空気感がいつも起こるっていう で、めんどくさいから「おれのせいにして済むんやったらそうしいや」と思って生きるじゃないですか でもそうするとぼくのイメージが「また剛がなんかややこしいことを言ってる」って言えば自分のせいにはならないという風な、知恵をもつような人間もでてくるんですよ
で、そんな中で音楽とかいろいろなもん創られてきてたんで、もうちょっとぼくは30歳になる前に、ちょっとなんかもう一回真っ白になりたいと断捨離(だんしゃり)じゃないけど、全てのものをゼロにする、捨てていく、捨てる勇気を持つ、優しさも含めて捨てる、そして今の自分をちょっと考えさせてくれと、いう風なことをやって、え〜まあこの「美我空、美しい我の空」というね、プロジェクトが始まっていったんですけれども で、まあこれはまあ自分の中で、また何か見つめなおしたい時にやろっかな〜と思ってるようなぐらいのもんであって、う〜ん また自分がなんかイッライラすんな〜と思ったときに、なんかこうシンプルな世界観をやりたいと思った時にこの「美我空」ってことはやろうかなと思ってますけれども
まあそれを経てですね、まあ7月の10日11日、これ2009年薬師寺さんでライブをさせていただいて、で、そのあとに8月15日からENDLICHERIのライブ「CHERI 4 YOU 」これ4公演ですね うん10月3日から追加6公演っていうのがあったんですけれども これもまた急に決まったライブでしてね、「CHERI 4 YOU 」も 急なわりには物販をね、出したいねんけどって言ったら「ちょっと物販はなんや、こーやあーや」言うて、えっらい大人、もめ始めてどこから出すねんみたいな、えっらいもめましたね えっらいもめて、結果ファンの人ね、代々木とかあんな大規模なとこ来てて物販がないっていうね、うん、そんな時間を提供してしまうことになったという で、これの謝罪を誰もしてくれないというね え〜みたいな感じの中、またなんやねんと過ごしながらね
ほしたら2010年の5月14日に飛鳥の石舞台でライブやらへんかという話しが、これまたレコード会社さんから来たんですね でまあ、事務所だったりいろんな方々が「いんじゃないですか」って言ってくらはったら自分の地元なんで歌いたいですよと ただまあ、それがアカンと言われたらぼくはそこまでして歌おうとは思いませんと、うん それは流れに身を任せますので、ま、結果お願いしま〜すみたいな、ていう話しをして、結果まあやっていいよっていうことになりましたので、やってくださいということでわかりましたと決まったのが奈良の飛鳥の石舞台のライブでしたね まあこれはもうほんとに寒い中皆さんね、5000人近く来ていただきまして、いや〜ほんと、あの〜感動いたしました この奈良の奥地にどれくらいの人が来てくれるのかなぁと思ってましたけれども、ま、結果ほんとにたくさんの人が来てくれたなあという風に、うん、そういう印象がございますね
さ、そしてその後に、2010年の7月の9日と10日に、薬師寺さん、またライブさしていただきまして2年連続、う〜んさしていただきました これあの薬師寺さんのご住職、様々な関係者の方々にも言っていただいた言葉なんですが 「や〜2年連続でやれるってすごいね」って「2年連続でなかなかできないよ」なんて言ってくださって ここでもね、ぼくねやっぱり思ったのは、なぜ2年連続できたんだろうと 仏様とのご縁もそうなんですが、ファンの人が礼儀正しくて、う〜んそこがねやっぱりね、あの〜関係者の方々から出てくる言葉でした 「あんたはいいファンもってんな」って 「あんたのファンはほんっとにマナーがちゃんとしてる」と もうほんとに、いいファンを持ってるから、またこういう時間が繋がったんやっていうようなね、そんな話しとかもしていただいて
ぼくどこ行っても言われんねんな〜「剛くんのファン、礼儀正しいですね」言うて、うん〜 めちゃめちゃ嬉しい、だから で、「あなた自身が徳を積まれてるから、こういう人徳でねなんかみんながこうで・・・」いろいろ言うてくれはんねんけど、いやってか、みんなにぼくは伝えたいことを伝えてるだけであって、でもそれをみんながちゃんと吸収してね、実行してくれてるから、嬉しいなと思いますよ、いう話ししてね でも、お店に来てもね、お店の奈良町のお店の人とかね、お店に来てもね 「もうねえ、剛くんとはこんだけ素晴らしんだということを切々と我々に伝えてくれるんです」と 「でも正直テレビのイメージしかないから、そんなイメージないねんけど」って 「『命とかなんやこうやとか言うてる?あの子』みたいな感じやねんけど、いざあなたと今日しゃべったら、ファンの子がなぜそう言うかわかりました」って言うて うん〜、それからねライブ来てくれはったりとかね、奈良の人たちとも仲良くさしてもらったりして
だからファンの人たちがね、う〜ん、ぼくの様々なご縁というものを支えてくれたり、導いてくれはったりしてるなっていうのを実感しながら、やっぱりぼくは生きることができるんですよね ですからこれからもね、まあこのラジオも終わってしまうんですけれども、終わるからといってまあ切れるようなものじゃないじゃないですか、ここで得たものというようなものはね う〜ん、だから何かにまた繋がればいいし、確実に何かに繋げる気でぼくはまあこのラジオを終わろうと思っておりますけれどもね
まほんとにいろいろ思い出は語りだすと尽きないものでございまして まあじゃあその薬師寺さんのお話も出ましたんでね、薬師寺さんの去年のライブ音源から「空が泣くから」と、え〜あと「春涙」これちょっとメドレーになってたりするので聴けるところは、流せるところまで、流させていただきいたいと思います それでは「空が泣くから」と「春涙」in薬師寺、これ聴いていただきましょう、どうぞ
♪ 空が泣くから (薬師寺Live ver.)/ENDLICHERI☆ENDLICHERI♪ ♪ 春涙(薬師寺Live ver.)/244ENDLI-x
さ、堂本剛とFashion&Music Hall、今夜もエンディングのお時間になりましたけれども え〜今日はね、ちょっとあの〜先週ですか、え〜急なインフォメーション、番組が終わるんですという告知をさせていただき、その後の放送ということもありまして、まあぼくの思い出ですね、ええちょっとまあ語らせていただきましたけれども なんなんでしょうね、この世の中のいろんなもんていうのはね 納得できるもんと、できひんもんとあるじゃないですか でも納得ができなかったとしても、受け入れる、そういうことってものすごく大事でね
ぼくね、こないだも母とちらっと話ししたんですけど 「自分はこの人生の中で、何を欲しがってんのやろ」って話しをちょっとしたんですよね そしたらね、やっぱりなんかこう光り輝くようなものっていうね、「愛」が欲しいっていうか「愛」を信じたくて、「愛」を育てていきたくて、「愛」をもっとこう膨らましていきたいというか だから物事はなんでもいいみたいなんですよ、まあ今は音楽が一番適切なんでしょうけど やっぱり、ぼく世の中を救うのは「音」だと思いますよ やっぱりミュージックっていうのはものすごく、あの振動とかもあるからね 目で見ても楽しめるし耳でも楽しめるし体感することもできるし 音楽って音っていうものはものすごく力をもっているものだなと思うんですが なんかこうとにかく今は手段として音楽ってあるんですけれどもね
なにかこう「愛」なんだなあってやっぱり思ったんですよ、もうストレートにね で、とうことは、何かをするために、やっぱり財産とかお金っていうもん必要なんですけど、地位も名誉も必要なんですけど、この今言った地位名誉財産、まお金みたいなものが全く意味を持たない時代に立ったときに、何が残ってるって言ったらやっぱり「愛」だったんですよ 今の自分がそういう時代にポンと入ったときに、自分には何が残ってるんだろうって思ったらやっぱり「愛」だったり「仲間」なんですよね 「そんな時代くるはずないやんけ」って生きることもいいし、ま、そんな時代が来やんでも、やっぱ「愛」や「仲間」が居てくれること、あることっていうのは、なかなかつくれるものじゃないと、縁とかね
だからそういうものやなと思った時にね、だから自分は何かこうラジオがたとえば終わるとか、急にライブ決まるとかね、誰かなんかもめてるなあとかっていうことに対して、あのいい意味で無関心なんですよね 大人でいれるというか、受け入れるというか 「はい、わかりました、あなたがそうしたいんであればそうしてください」 あるいはそうなることの事情っていうのは様々あるので 「わかりました、了承いたしましたと」いうことで、受け入れるという強さをやっぱ持ってるんですよね
だって〜自分死ぬ時に、何欲しいですかって あともう何秒で死ぬなと時に何欲しいですかと お金欲しいですか?要らんでしょって話しですよね そんなことよりもやっぱり「愛」なんですよね、「仲間」なんですよね 「ああもう自分もこのまま死んでしまうのかなあ」という時にね、奥さんなり子どもなりにね、仲間なりがね、こうやってそっと手を握ってくれる 今までありがとうって、ほんとにありがとうって自分も心から思って、深く息を吸って深く息を吐いて亡くなっていく、ね、なんか自分のその最後の時を感じた時に、やっぱり「愛」が、ぼくは自分の欲として「愛」が欲しいです これが自分の欲ですね 最後に何も要らないという強さはぼくまだ持てていないのでね 「愛」が欲しいんだなという風に思ったんですよね
だから人生の中で、ま、これからね、結婚もしたり子どもができたり、どんな風に自分が進んでいくかわかりませんけれども、やっぱり「愛」というものを感じれるようなそういった教育を持っているような女性と結ばれたいですし、その中に子どもに対してそういう教育を与えたいなという風に思うし、そんな環境の中で、家族という絆を深めていきたいな、そして対社会であったりとか対世界であったりとかっていうところで生きていく時は生きていくし、馴染んでいけるとこは馴染んでいくしっていう、なんかそんな風にしてぼくは生きたいんだなあと 何かを成し遂げたいとかじゃなくて、生きたいんだなあと思いましたね
だからまあほんとにこのラジオがね、急に終わってしまうってことは、まあ簡単に言う人もいるじゃないですか まあまあラジオなんてと言う人もいるんですよ だってテレビの方が影響力あるやんけと片付ける人もいるし でも、ラジオやからこそ、言葉やからこそ伝わる想いとかっていうものは確実にあるんですよっていうことを、やっぱりそういう人たちには知ってて欲しいなという風に思いますよね だってこれだけの絆を作ったんですからね、うん〜
まあいろんな想いはもう尽きないんですけれどもね 今月いっぱいでこのレディオショー、終了いたします え〜ここではですね、残りわずかなんですが、皆さんからですね〜、まあこのラジオで得たもの、こんなことあったなあ、あんなことあったなあ、こんなこと言ってくれて私の今の人生は救われたんですとかね なんかこのラジオをやったことによって皆さんの生活が、どれほどぼくたちが彩ることができたのか、輝かせることができたのか、なんかそういった答えなんかもね、ちょっと欲張りなんですけれども、なんか伝えてもらえたら、もっともっとなんか嬉しいなと思うし、ま、このラジオをね、もしかしたら今日初めて聴いてる人もいるかもしれないので、その人たちがじゃあ残り何回やったら最後まで聴いたろか、でもその残り何回でもその人の人生を覆すくらいのね、絆関係とか「愛」とかなんかそういったものを伝えられるような放送にもしたいなと思いますので、皆さんいろんな意見を送っていただければなあという風に思います
fmosaka.net fmosaka.netからリクエストそして番組名を選択してメールフォームから送っていただければなあという風に思います どうぞよろしくお願い申し上げます
さあということでございましてね、今日はこのへんでお別れしたいと思いますけれども まあ今ほんとにあの〜命の話しとか、う〜〜〜ん、ま、受け入れるとかいろんな話しさしていただきました まあ自分がその60歳ぐらいになった時にこんな想いに胸をつぶされながら空を見上げるんだろうと、そんな想いを込めて作った「空〜美しい我の空」という曲があるんですがね なんか自分が歳重ねてこういう気持ちに所詮なってしまうのかな〜とかね やっぱり人生というものはね、これから出逢うものも多いけど別れるものも多くなってきてね 歳を重ねるとね、別れるものの方が多くなってきたりするんですよね やっぱりお母さんと話ししてても「また何々さん亡くならはったな」とか「あ、あそのこ奥さん亡くならはってん」とかね「入院しはってん」とか、うん「だからお見舞い行って来るわ」とかそんな話しものすごく多いんですよね やっぱ人間というものは歳を重ねていく生き物ですから、ま、そこで学ぶこと出逢うもの別れるものほんとに数々たくさんあるわけでございますが、え〜ま、ほんとにいろんな想いという中で人間というのは生きていくから、ま、だからぼくが作る音楽っていうのは「命」だったり「希望」だったりそういうところを震わせるような言葉だったりメロディーだったりというものを目指して、いつも皆さんに提供さしていただいてるんですが、まあもっともっと自分も成長して、そして自分が成長もっとできて、環境ももっと整えられた上で、もっともっと素晴らしい音楽を作れたらなという欲は一向に尽きません まあこの欲だけはですね、う〜んぼくが死ぬ時に「愛」を欲しいという欲とともにですね、絶えることなく続けていく欲なんだと思いますが この欲がもしかしたら消えた時が自分の最高な音楽ができるのかもしれないし、その辺はわからないんですけれども、まあいろんな願いを込めて創った「空〜美しい我の空」という曲がありますので、こちらを今日は聴いていただきながらお別れしたいと思います
それでは今夜はここで失礼します よかったら来週金曜21時も聴いてください それでは皆さん良い週末を お相手は堂本剛でした、ほな
♪ 空〜美しい我の空/剛紫 ♪
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2010/09/03
by よっち [70]
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