28日夕方の回は沙亜里さんがレポしてくださっているので、夜の回をできる範囲でレポさせていただきます。 mamiuwaterizeさんと重なる部分も少しカットさせていただきました。
抜けている部分も多々ありますし、うまく伝えられない部分もありますが、少しでも剛さんの想いを伝えられればと思います。
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去年、奈良に帰ることが多くて、ライブのこともあったが、昨年一番最初に故郷を深く感じたきっかけは東北の震災だった。
個人的、組織的、何も考えずに動くことはできなくて、一社会人として、一個人として、堂本剛として動くことも難しかった。 なかなか組織的な動きが始まらなかった。 だから故郷に行って傷や痛み悲しみに手を合わせることから、向き合う時間を過ごした。
昨年は奈良、京都でライブをして、東北でもライブをした。東北の様々な場所に行き、目で感じ、五感で感じ、0(ゼロ)感で感じて来た。奈良の土砂災害の所へも足を運び、吸収しリリックを書き、音や映像にした。
あの頃は部屋で作品を作っていると、建物も揺れた。 (震災前の話です)今はいろいろな情報が飛び込んでくる。メディア、報道、紙、客観的に見て政治もそう、己の想いが飛んでこない。そういうことにお金を払うことが面倒になり、しょうもないこと、いいところが見えた。だから一時的にテレビを見るのをやめて(断舎利だと言っていました)自分の調べたい時にネット等で調べるようにしていた。どうでもいいことに時間を使うのはもったいないと。
でも震災が起きて家族、友人を守るために、ファンの安否を知るためにテレビが必要になり、設置した。
キーワードは「命」今回それが体中を駆け巡った。 恋の歌は否定はしない。すばらしいものだと思う。でも歌を歌う、リリックを書く時にリアルティ、意味がないと書けない。
今回思ったことは「人ってこんなもの?」ということ。「こんなにすばらしい」ということと両極端に感じた。 悔しい、悲しい、イライラしたりした自分があった。 組織で動く、いろいろな時間があった中で、「そんな言葉をはく?」とか「そんな態度でとりくんでる?」という人がいて、腸が煮えくり返るシーンもあった。 一生懸命になれない人もいた。苛立ちやむなしさを抑えて過ごした。
自分自身がShamanipponをひらめいた時、明確には出てこなかったが、何かを始めようと思った。 人のいいところ、悪いところ、それぞれ過ぎる今、Shamanipponをやるべき、やりたかったんだろうなということにたどり着いた。
「くに」を作りたい。「Country」でも漢字の「国」でもない、ひらがなの「くに」 真ん中にリーダーがいて、周りがリーダーを慕い、リーダーも周りを慕い、円で結ばれた「くに」 そこには権力もない。自分と自分たち、そういうものを作りたい。
今はコミュニケーションがとれているようでとれていない。本当のことを言っている人は切られてしまったりする。そんな変な力が働いている。 あるドキュメンタリーでお年寄りが「テレビがそう言っていた」と言っていた。テレビだから本当のこともあるが、そうでないこともある。 物事を作っている人が本当のことを言うか言わないかに分かれる。言わないで良いような物ができる、そんなことが日本にあふれている。
恋の歌、「会いたい、愛してる」そんな気障なせりふは今でも書ける、 でもそれを書くために僕は生きていない。生きていることに感謝して、強く優しく、自分をしっかり持った上で、アルバムを作ることに向き合った。
アルバムは全て震災に向けた曲ではない。土砂災害にあった地域や世界で苦しんでいる人がたくさんいる。ここだけの話で作ってはいけなくて、自分の周りに起こっていることを感じながら作らなければいけない。 命を意識した曲を作り、歌っていきたい。感じながらテーマにしていきたい。
ミュージシャンが自分にとって家族みたいな人ばかりで、デモテープを持って行ってスパイスを加えてくれることもあるし、1フレーズだけ持って行ってジャムセッションをして曲を作ることもある。でもその作り方はレコード会社の人はヒヤヒヤする。できるかどうかの賭けになる。でも僕は皆で作る、円(縁)の中で作る。一人一人が体感して自分一人で作ることもできるけれども皆で作る。
竹内君(笑ってるだけで職務質問されたそうです)、彼はあるフレーズを全然違うフレームで弾いてくれる。 「せいの〜」で録った時に竹内君が「ごめんなさい、チューニングがごめんなさい」と言ってがむしゃらに録りなおしていた。他のミュージシャンと近くのホカ弁屋さんでお弁当を買って彼を見ていた。
思いつきや違うことから始まってもつきあってくれる。 豪太さんが「ここはタンバリンでは?」を提案したことがあってスティーブさんにやってもらおうとしたけど、豪太さんのタンバリンが上手かったのでそのまま使った。
当たり前のことがなかなか無くなってしまった。 レコード会社には制作、宣伝、そんな垣根を作っている社会があって、「うちの管轄じゃないんで」と言われることがあるけど、「かかわっているんだからええやん」と音楽ではあるべきだと思う。 今回そんな垣根を飛び越えて作ってくれたスタッフもいて、物事が良くなっていくのを目の当たりにした。
僕が救えることもあるが、管轄外の人が救えることもたくさんある。 奈良の土砂が除けられない場所がある、今も行方不明の人がいる。 奈良の人が奈良でできること、奈良の人が東京でできること、そういうことがたくさんある。 これから「組織」は少なくなっていくと思う。
100人にOKと言われたら大丈夫な時代、それだけでまかなえる。 コミュニティが多くなり、コミュニティ同士で争ったり競うようになる。 全ての人が納得する、これだけの人が納得する、その2つがあると思う。 例えばあるアニメが世界に広がっていくとか。
何が大事か自分を持っていない人がやっかい。 Shamanipponのシャーマンは憑依してお告げを言うイメージだが、あえて使った。 そして大好きな日本。 最大の力は当たり前の事、想うこと。 ちなみに当たり前という言葉は宗教用語。宗教を嫌う人はいるけど、宗教用語を使っていることは多い。知らないことがいっぱいあるよね、ということ。
原子力、太陽光エネルギーも力だけど、1番は人の力。何とかしていくのは人の力だと思う。 自然と向き合って制御していくことが最大のテクノロジー。 想う・・例えば家族が旅行に出かける時に「無事に帰ってほしい」と願うこと、誰でもできること。 宗教の本当の形は「ありがとう」と感謝することから出発し、音を鳴らす、歌を歌う、舞うこと。それがいつしか人を促してお金を取るという宗教のイメージがついてしまう。 本当は大自然に対して感謝することが、人が人を崇めたりするからややこしくなる。
自分はお坊さんや宮司さんの話をよく聞く。聞いて疑問に思ったことは「へ〜」と言ってしまう。「わかんない世界」と言う。 否定はしないけど、細かい話は興味が無いと言ってしまう。 (お坊さんに対して何ですけど)話は聞く。
日本にはいろいろな国から来たものがあって日本のオリジナルはどこにあるのか疑問が湧く。これが日本だと思えばそれでいい。日本のオリジナルを作ればいい。
皆さんもShamanipponに依存しないでほしい。 そこは輪郭を作る場所、疲れた時に帰ってくる場所を建国(けんくに)する。 戻ることが未来、人の力。それがShamanippon 過去に戻る距離は人それぞれ。未来に進むための人の力、想の力。 人間の想の力は過去に振り返りながら自分にとって扉を開ける鍵を取りに帰ること。
ライブも時間に限りがあってどこまでできるかわからないけれど、アートや描写がステージの中で繰り広げられれば。 懐かしいものを感じたりできればいいと思う。
iPad、これも依存したら終わり。遊ぶ物。いつもそればっかり、そういう友達はひいてしまう。それも宗教みたいなものになってしまう。 「今、どうしてる?」のメールに急いで返事を書いている人、依存してる。 ニュース、新聞に依存するのではなくて「ふーん」と自分自身を持って聞く。
ロボット技術、日本は発達しているというけれども、第一原発、福島にロボットは入らない。津波は「想定外」で片づけた。機械のデータを信じていた。 何が本当で嘘かわからない。自分がどう思っているか。
グルメ番組で皆がこぞって「美味しい」と言うのはどうか? 本当のことで世の中が成り立っていく、自分たちでなりたっていく。
自分より皆、隣の人がそう言っているから私もでは困難や傷は1つの色にならない。 皆の悲しみ、喜びにならない。 いろいろ歌詞を書いては消して悩んだ末に最後にできた「I’m you You’re me」 差別、セパレートし過ぎ。比べたり視界が狭い、比べないと自分の居場所や気持ちがわからない。 「人がこう言っている」それを気にする。そういう人が増えてきている。 人生1度きり。好きな人を他人が決めるわけではない。
伝えなければ何も始まらない。 これが好き、嫌い、意見を言えない環境が多いと思う。 会場に集まった人同士がライブのこと以外でも将来の自分を話し合う、語り合う、そんな場所になればいい。 1個人が大勢を救うことができる。 自分は「出る杭は打たれる」瞬間も経験してきている。 僕は知らない人にまで向かって歌おうとしている。感謝を添えて歌う。 人の痛みを理解してあげることは難しいけど、理解してあげようとすることはできる。 例えば震災に向き合えない人もいる。それを否定する人間もダメ。
僕は高所恐怖症だけど、違う人は理解できない、それでいい、しゃあない。
日本に住んでいる人、世界に住んでいる人がいる。奈良から東京に出てきてわかることもある。
18の頃に死にたいと思ったこと、「言うな」と言われる。 今でもあの時のことを思いだすし、今も涙が流れるほど苦しかった。 それを救ってくれたのは音楽、そしてファンの人だった。 本音を言うことで離れて行った人もいる。本音を言って残ってくれた人に向き合っていきたい。 離れた人にも歌い続けたい。自分にかかわってくれた人全てに。 道端で「剛君のペースで戻ってきてください」と言われ救われたこともある。 ファンに救われる瞬間がいっぱいある。 本当の自分で、自分の人生を支えてくれる人に対して感謝。 昔の人は自然に対して感謝している。
母に「あなたとあと何年この桜をみれるんだろうね」と言われた時に切なくなって人生1度切り命の歌を歌おうと決意した。 今は恋の歌を歌う気にならない。
「きみがいま」という歌。 自分に対して書いたんだろうなと歌っている時も胸が熱くなった。 毎日が悲しかった。人のいいところもあったけど、「こんな人もいるんだ」「こんなこと言うんだ」と胸が苦しくなった。正直者が馬鹿を見るんだと悲しみを感じてしまう。その中で書いていく。 自分にも歌っている。たくさんの人に、目の前にいないファンにも、亡くなったファンにも、光になればいいなあと。
インストルメンタルを作った。徹夜徹夜ですごい時間を過ごした。 ドイツにマスタリングを依頼した。 徹夜が続いてこうなった(ふつうよしのイラストが出ました)
初回盤とか誰が決めた?誰用?と言う話になり、レコード店の為と。 ファンの人が面白がれる物ということで仲間が「ふつうよしどう?」と。 「とくべつとしちゃん」「どうもとくべつよし」と案がでた。朝方6時ぐらいの悪乗りでキャッキャッ言っていた。 「これで行きたい」と言ったらレコード会社の人は苦笑いしていた。 1回寝て起きて笑えたから採用したいと何とかお願いしたいと頼んだ。 よくこんなのが通ったなと。
(インストの映像をちらリズムしながら・・・) ・石清水くん イギリスの方に作ってもらった。水のサイクル。 ・新しい鼓動 自分の意見を持って向き合えればいいなあと。 僕は会社のルールは守って何かをやる時は納得させている。 人間を想定したロボットのやりきれない感情を表している。 ファンのことを想って過ごすことは温かいそんなシーン。 ・人間力 想の力。宗教的に信じるのではなく当たり前のこととして。 実際の気の後ろにグラフィック。 ・くにのうた 光と影がテーマ。 能の面を使っているが、これは芸能という意味と生きている人のストーリーと死者のストーリーを含んでいる。
インストはリリースする感覚なく作っていた。出した方がいいと周りに乗せられて出す。 今回も制作していく中でいい友達と出会った。楽しい思い出がいっぱいある。 悲しいこともあった。 今まで作ったアルバムの中で一番素直に書いた。
写真を見ながらの話 (くにのうたのPV最中にとった写真にいろいろお題をつけていました。 子供さんとのレコーディングのお話もありました。)
ジャニーズで講演会は僕だけ。 若いお坊さんの前でしゃべってくれないかと言われることもある。
意見を持っていかないと守れない。 勇気を持たなくてもいいけど、自分の人生を自分で決めなかったら失礼。 そんな力添えができればいい。
長期のライブ。足を運んでいただければ。 こういう機会(講演会等)またある。 真面目な話、ふざけた話。笑いも取れる。 難しいことを考えられる時代。考えればいい。時々息抜きもできれば。
******** 新しいアルバムは剛さんの想いがたくさんこもったアルバムで、ファンを信頼しているからこそ、今回の紅縁会という場を設けて「どんな想いで作ったのか」を話してくれたんだと思います。 私たちファンは本当に幸せだと思いました。
28日、29日と参加させていただきましたが、本人確認等見ていてスタッフや関係者の方々も本当に大変だったと思います。そんな中で28日より29日の方が受付等もスムースにできました。いろいろ考えてくださっているんだなと思いました。 剛さんにはもちろんですが、事務所の方、関係者の方にもとても感謝しています。
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