レポというより感想になってしまいますが、少しでも様子が伝われば。
10時半には奈良に着いていたのですから、時間はたっぷりだったはずなのに、薬師寺に着いたのは時間ぎりぎり。
TVで放送された春日大社の万葉植物園で時間を使いすぎたせいです。
雨が降ると思ってビニールのかっぱを着たけれど、途中から脱ぐことができました。 風が心地良い。近鉄電車の音、せみの声(照明が明るいからかな)、選挙の車の声・・・野外を堪能しました。 薬師寺のお堂や塔はどれもおごそかな魅力にあふれ、目を横にずらすと、そこにある確かな歴史遺産に心が落ち着くのを感じました。 人間の時間の短いことよ。でも、すべては人の気持ちがつないだ結果。
そんな風に、穏やかに明るく、薬師寺の剛さんを見ていました。
剛さん。おめでとうございます。この場所に立てて。
自然にそんな気持ちになって、晴れやかでした。 セットリストにも書きましたが、懐かしいやさしい曲も歌ってくれて、「ああ、取り戻しているんだ」と胸が温かくなりました。
街 が始まりました。自分でも意外でした。嗚咽をもらすほど号泣する自分がいました。あのころから、願っていた場所についに剛さんが立ったという気持ち、よくここまでがんばった、たいへんだったんだろうな、とか。 正直に言うと、ただただ心配だった日々など、以前のことを思い出してしまいました。 また聞けてよかったなー、いい歌だな、って思いました。
今日は初めから、剛さんは空に向かって歌っているように私は感じました。 剛さんが空に投げた歌が空から私たちに落ちてきて、私たちは剛さんにその歌からもらった想いを投げ、また剛さんが空に上げてくれるようでした。 愛の循環とよく言いますが、空がまるできれいに浄化してくれるようで、
天井のふたがない、どこまでも広がる空は剛さんに合っていると思います。
汚れた空でも、日比谷の野音が気持ちいいのを思い出しました。 まして、奈良の薬師寺の上の澄んだ空、人智を超えた守りの入っているような会場はすばらしい舞台でした。
ふところが深い、心の広いふるさと。
こんな場所で、何度も何度も剛さんに、歌ったり音楽を楽しんでもらって、私たちもいっしょに楽しめると幸福な瞬間が増えるなー、機会を作ってほしいなーって思います。
後半のセッション、東儀さんの笙は湿気を含んだ奈良の空をかけめぐりました。すごい楽器だな、東儀さんのパワーに圧倒されました。「つよー、がんばれー」と声を出しました。それぞれのメンバーは全員、ここぞとばかり、大人の演奏をぶつけてきて、その中で自分のありのままを出しているような剛さんは、とても楽な感じがしました。
剛さんは最後にすごく長く、お辞儀をしてお礼を言ってました。
彼の感謝の言葉や深い礼が、目の前にいる人たちだけではなくて、空でつながっているたくさんの味方につながっているのを、もうしっかりと知っているので、安心して薬師寺を後にしました。
街であんなに泣いた自分。あの涙は自分に向かってだったのかもしれないな、なんてこれを書きながら想っています。
いろんな現実の中、純粋なものは絶えず、汚され傷つけられるけれど、強くなって、生き残って、集まっていたい。音楽を、早く聴く人のもとに取り戻したいなーって、やわらかく想っています。 剛さんの奏でる音は繊細で柔軟だと私は感じています。そのまま、進んで行ってほしいな。
少しでも、今夜の音を伝えられていたらいいのですが。
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