「さらば不沈艦」     カウント2.9(第十八回)  
 人生ルチャリブレ、自由なる闘いに明け暮れるハマッ子エストレージャ・三遊亭遊史郎です。先日は闘龍門JAPANのSUWA選手とお会いして名刺交換をさせていただき、超うれしかったです。その際、師匠ウルティモドラゴンと戦ってみたいとの熱き思いを語っていただきましたが、芸人遊史郎としてはそのお気持ちとってもよく分かります。何しろ十二月四日の私の独演会「遊史郎の会」では、師匠小遊三に出演をしていただき、師匠と同じ番組でしゃべっることの恍惚と不安、恐ろしさと誇らしさを思いきり味わったばかりでしたから。それはもう貴重な体験でした。SUWA選手の思いもいつの日か叶ってほしいです。十五日は川崎体育館で生の闘龍門を体験いてきます。
 十二月十六日(ちなみに私の誕生日です)から来年一月十四日まで両国の江戸東京博物館で開催しているイベント
『大江戸落語展』に於いて、遊史郎が会場ナビゲーターのお仕事をしております。私の担当は十二月二十一日、一月八日、一月十二日の三日間です。興味のある方はどうぞ遊びにいらしてください。江戸東京博物館で、きみと握手!ってカンジです。
 今年読んだ本で面白かったのが吉川潮先生の『浮かれ三亀松』とスタン・ハンセンの『魂のラリアット』です。吉川先生には落語芸術協会の七十周年記念パーティーの際に著書にサインをしていただきました。師匠小遊三から、パーティー会場の吉川先生の前で新内流しのパフォーマンスをやるように言いつけられ、果敢にも試みてはみたのですが、私が「唄います。」と言うと先生が強く拒絶なさったので、大人しくサインだけいただいて帰ってきた思いでがあります。
 スタン・ハンセンは一月二十八日の東京ドームで引退します。ブルーザ・ブロディーとのコンビで暴れ回った雄姿は、今も脳裏にしっかりと焼き付いています。
 スタン・ハンセンのように、柳家三亀松のように、強くたくましく、しなやかに格好よく、力いっぱいおもいきり生きていくつもりです。2001年は夢を実現させる年なのです。おかげさまで国立演芸場の独演会には、九月の広小路亭の倍の人数のお客様がいらしてくれました。来年はさらに活動の幅を広げていくつもりです。どうぞ今後共、あたたかいご声援をいただけますよう宜しくお願いいたします。(2000年12月14日、 川崎体育館ってどこ?)
「もう一丁!デカビタC」   カウント2.9(第十七回)

   『地下室に、散らばる注射器、みた佳子』
 お元気ですか、遊史郎です。昨年の十一月はこのコラムで幻想の崩壊について書いてみました。(リカちゃん読んでくれたかな?) この一年はますますその傾向が強まり、何かもうアナーキーというか、訳すと無政府状態というか、ダメだこりゃ by長介みたいな、なんだばかやろう by 注フロムヘブンみたな、そんなベリベリデンジャラスなミレニアムイヤーだったように思います。プロレス幻想も跡形もなく崩れ去りました。デカビタCの宣伝に出てた向井亜紀のだんなことアイアムプロレスラー高田延彦さんのおかげで。もう一丁もう一丁っておまえは豆腐屋か!ってつっこみたくなりますよ、いくら温厚なぼくでも。桜庭や藤田の活躍を見て、思わず「やっぱプロレスラーって強ぇよ!」と甘い幻想を抱きたくなる少年少女の純なハートを、次々に片っ端からずたずたに引き裂いていくドリームクラッシャ−延彦兄さんは、ある意味世紀末のこの時代により選ばれし者であるかのかもしれません。犬や猫にもできる電流爆破デスマッチに何万人もお客が集まるというのも、異状な時代の象徴です。かくしてプロレスリングの灯はひっそりと静かに消えていくのでした。まあ、いいか。プロレスなんざぁ元々幻想だ。もっと言やぁ世の中全てが幻想だろう。所詮この世は『マトリックス』『トータルリコール』、現(うつ)し世は夢、夜の夢こそ真って乱歩も言ってました。
 古くなった価値観やリアリティーを失った幻想に固執することはない、また新しくそれをつくりだせばいいのです。人はリアルだけでは生きていけないからね。DNA調べて生きる前から一生が分かっちゃったらやってられませんよ。ぼくなんか独演会のお客さんが三十人の時に国立演芸場押さえたんですから。そう、実はこの文章は国立の独演会のあおりなんです。いっしょに新しい夢を見ましょうよってことなんです。どうです、一口乗ってみませんか?  (2000年11月9日、明日はディズニーランドだ、わーい)

「ランナウェイを聴きながら」    カウウント2.9(第十六回)

 九月十八日上野広小路亭での『遊史郎の会』、おかげさまで大入り満員となりまして、ご来場いただきましたお客様には改めて厚く御礼申し上げます。私生活の充実が芸の向上につながり、最近とってもイイカンジです。十二月四日には、なんと国立演芸場での独演会も決まっています。座席数は広小路亭の約五倍ですが、今回ご来場のお客様がそれぞれ四人づつ連れてきていただけるとあら不思議、満員になってしまいますので、どうかご協力をお願いいたします。全日本プロレスの東京ドーム興業に負けぬくらい、遊史郎も気合いが入っております。
 十月九日全日本VS新日本頂上決戦では、川田が新日流の「攻め」のプロレス見せるのではという予想は気持ちよくはずれ、デンジャラスKは新日マットでもいつもどおりの言い訳の効かない全日流「受け」プロレスを展開し、新日のドームを川田の色で塗りつぶすという偉業をやってのけました。東京ドームは巨大なる「陽」の空間であり、川田の持つ個性は凄まじいほどの「陰」、この二つの陰陽が合体して、その場が一つのまとまった世界となるのです。ドームの似合う男、川田利明完勝、だけど新日本の人達は喜んでいるでしょう、ドームが満員でまたボーナス出るぜって。デリカシーゼロ、ウェットな感情まるで無しというのが新日本の恐いところです。前回のドームで涙の引退をしたレスラーが、今回は千羽鶴と共に帰ってくるなんて、田代まさしのダジャレ映像もびっくりのインパクトです。言い訳は聞きたくねえんです。己のあやまちから「ランナウェイ」はいけません。マーシーはしばらく謹慎して映画でも見てりゃいいんですよ、『パンツの穴』かなんか。どんなに言い逃れをしようとも自分自身をだますことはできないのです。生者必滅会者定離(せいじゃひつめつ・えしゃじょうり)、言い訳はもうやめにして、今よりも大きく強く成長しようではありませんか。恥かいて恥かいて恥かいて見えてきた本当の自分ってアントンも言ってたじゃありませんか!
 さて、私三遊亭遊史郎は落語家として生涯を通じてお客様に心を尽くすことを、唐突ながらここに宣言いたします。どうか叱咤激励、そして末永いご贔屓(ひいき)の程、よろしくお願いいたします。国立ぜひ見に来てください。  (2000年10月11日)
「ドリフとひょうきん族」      カウント2.9(第十五回)

 九月二日、全日本プロレス武道大会、冷房が効かぬ程の猛烈な残暑の中、旗揚げよりのライバル団体新日本プロレスとの対抗戦の幕が遂に切って落とされた。両団体の歴史は興業戦争企業戦争を繰り返す、正に闘いの歴史であった。例えて言うなら新日本が
ひょうきん族であるとすれば全日本はドリフだ。豪華な顔ぶれで安定した試合内容の全日に対して、アイディアと話題性のインパクトで勝負する新日。アントニオ猪木はビートたけしでありジャイアント馬場はいかりや長介、ピンクレディーがザ・ファンクスならば横澤プロデューサーは新間寿である。
 日本武道館横のグッズ売り場には、Tシャツにサインをする馬場社長の姿は今は無く、ファンの一人一人にインビテーションチケットを手渡している小柄な女性、ミセスババが今の全日本の代表だ。
 七時三十分、渕正信入場、全日ファンの祈りを込めた声援がリングへと降り注がれる中、いつものようにコーナーで両手をトップロープに掛け、片足をサードロープに軽く乗せたたずむ静かに燃える渕。そして次の瞬間全日本の武道館に蝶野正洋のテーマが流れた。この時の場内の興奮を何と表そう、一万六千人の感嘆の声で天井の玉ねぎがぶっ壊れたんじゃないだろうか。
 今から十年程前、白タイツの蝶野を見て「この人は全日向き」と思った僕としては感慨もひとしおだが、現在の彼は黒いサングラスに黒のロングタイツのロッキー・メイビア風キャラクターで、何だかガチャガチャとした落ち着かないプロレスをしているという印象だ。
 開始のゴング、渕の技を全て受け切ってしまう王道全日スタイルの蝶野。相手の力を引き出し、観客の感情を自由に操って最後に敵を仕留める、パーフェクトな試合を蝶野はやってのけた。新日本育ちの王道継承レスラー、蝶野正洋は上がるべくして全日本のマットに上がったのだ。
 十月九日の東京ドーム、この日の川田利明は、きっと攻めのインパクトで勝負する新日ストロングスタイルの試合を見せてくれるだろう。大人のプロレスをする蝶野は全日本のリングに、激しいプロレスをする川田は新日本の風景に、不思議な程違和感無く溶け込み、
なおかつ強烈な印象を残してくれるに違いない。                   (2000年9月9日)

「今日の新曲」     カウント2.9 (第十四回)


  暑中お見舞い申し上げます。突然ですが、俺の魂の叫びを歌にしてみたのでどうか聞いてください。曲名は
「リングにゃお米が埋まってる」です。オーケー、レッツゴー三匹!


 
「リングにゃお米が埋まってる」
                                      
作詞 ユウシロウ  作曲 テキトウニ
   一、 
        ラッシャー木村はエ・ラ・イ!
         
全日本に雨が降りゃ、方舟目指して雪崩れ込む、
       兄貴が死んだら三沢が兄貴、昔金網 今は金
       俺のマイクで吉本の、客も陽気に笑いだす、あーこりゃこりゃ


  
 二、
        大仁田厚はエ・ラ・イ!
        電圧アップでギャラアップ、真鍋とからめば
        数字もアップ、三番煎じのグレートニタで、
        毒霧吹けばホラも吹く、長州・永島 俺を見ろ、
        金が欲しけりゃ恥捨てろ、ちょいなちょいな


   三、
        橋本真也はエ・ラ・イ!
        正直者の破壊王、ばつが悪くて戻れない、
        おっちょこちょいの破壊王、うっかり引退賭けちゃった、
        焼肉大好き橋本ちん、肉体改造出来ゃしない、
        車に“小川”と書かれても、ローンが有るなら帰ってこいよ、
        のんきな高田を見習えよ、はーどすこいどすこい

   四、
        桜庭あつこはエ・ラ・イ!
        桜庭和志に触発されて、負けじとあつこもリングイン、
        とっくに体は張っていた、ちょいと寝技にゃ自信があるの、
        格闘経験ないけれど、私は人生バーリトゥード、
        巨乳揺らしてリングに上がりゃ、NEOの社長もガブリンチョ、
        はーぷるるんぷるるん


     歌って暑さを吹き飛ばそう!     (2000年8月3日 引越しの途中。)

「キレイ」    カウント 2. 9 (第十三回)

 
 
「If you smeeeeeell what the Yusiroou is cooking !」 俺様の魂の叫びがきこえるか?というわけで エディゲレロ&チャイナのようにラブラブな遊史郎です。眉毛を片方 への字に持ち上げて、ピープルズエルボーを炸裂させながらこの原稿を書いてます。升男さん、WWFのビデオ楽しく見させてもらってます。アメリカのプロレスというのは日本の歌舞伎ですよ。今月は猿之助の千本桜を観に歌舞伎座へ行って来ます。おもだかやさんも体力の限界に挑んでいます。
 竹内さん、「粗忽拳銃」読みました。やっぱり人生楽しまなくっちゃいけませんよね。可奈の発砲シーンはエロチックでようござんしたよ。また落語聞きに来て下さいね。すばる新人賞おめでとうございます。
 ホームページの方でお世話になっている植田さんにはマーフィー(ジョセフ・マーフィー)と老子の本を頂きました。あ、そうそう「マトリックス」もういっぺん見ましたよ。心の持ちようで自分の人生を切り開き、進んでいけるんですよね。変化し、成長してマトリックスから抜け出しましょう。でもこの話、銀河鉄道999みたいだなあ。弾丸を素早くかわすシーンはサイボーグ009の加速装置で、赤い薬と青い薬はふしぎなメルモじゃないですか。そらぁ面白いっすよ。
 松尾スズキ氏の「キレイ」は戯曲を読みました。過去に縛られず、未来に捕らわれず、今をしなやかにたくましくキレイに生きたいと思います。今がキレイなら未来もキレイ、そして過去だってキレイなんだって思ってます。涙の出るラストシーン
でした。
 全日本プロレス中継が最終回を迎えてしまいました。始まりがあれば終わりもあるんだなあと改めて感じています。
川田選手には、くじけない強い心をたくさんもらいました。ジャイアント馬場社長の目の前で、一貫してアンチジャイアント馬場プロレスを続けていた川田さんだからこそ、全日本の看板を背負い、全日本プロレスを変えることが出来るのです。
ピンチの後にチャンス有り、七月二十三日は川田利明の全日本プロレスを観に日本武道館へ行って来ます。新しいスタートをお祝いしようではありませんか!以上  とみさきじゅうろうの日記。 (2000年7月4日、明日はすごい日。)



「寄席の日」  カウント2. 9 (第十二回)

 
 
こんにちは、遊史郎です。
川原乞食になりたくて、気がついたら芸人になっていました。ドリフターズに憧れて、いつのまにやら落語家になっていました。ロックミュージシャンに魅せられて、三味線を弾くようになりました。プロレスラーに触発されて、いつもこんな文章を書いています。
 学生の頃によく行った立川藤志楼こと高田文夫先生の落語会は、新日本のリングで闘う小川直也のように刺激的でした。遊史郎という芸名は、実は高田先生への憧れの気持ちがあったからなのです。
 ひとり会での談志師匠の高座は、四百戦無敗の鉄人ヒクソン・グレイシーのように観客を圧倒していました。グレイシー死すともヒクソンは死せず、これからは個人の時代ということなのでしょうか。
 タイガーマスク佐山聡氏からは、己の信念を貫く生き方を学びました。元、新加勢大周こと坂本一生は掣圏道のマットでのデビューを目指しています。
 「格闘技には答えは無い、ただ闘い続けるのみなのだ」こう言って船木選手はリングを去りました。芸の道にも同じことが言えるのではないでしょうか。そして人生そのものが闘いの連続であるのだと僕は思っています。
 朝起きてトイレに行くように高座に上がり、トラ猫があくびをするように落語をしゃべる、そんな芸人でありたいです。常に自分自身であり続けることが大切です。このことを教えてくれたのは、今や時代の寵児となった新プロレスの旗頭、
桜庭和志選手です。
 うんざりするような事件が毎日起こっています。どうぞ皆様、落語でも聞いて豊かでのんびりとした時間をお過ごし下さい。お会いできる日を楽しみにしております。
                                  (2000年6月5日、 ちなみに寄席の日)



「真夜中のカーボーイ」 カウント2.9(第十一回)
 初夏です。
「初夏になると悪い奴が動き出すんですよ」
「誰ですか?」
「ショッカー」(笑い)
「山田くーん、全部持ってけ」(大爆笑)
 やー、いいですねえ笑点は。お客様からよく言われるんですよ、「遊史郎くんも早く笑点に出られるようにがんばってね」って。そんな時は心の中で「何を言ってやんでえべらぼうめ、笑点に出るだけが噺家じゃねえぞこのすっとこどっこい」などと反発する気力はまるで無く、「そうだよなあ、笑点に出てるのと出て無いのとじゃ新日本プロレスの獣神サンダーライガーと正体不明どころか存在すら誰も知らない惨殺超人ヤプール位の差はあるよなあ」と素直に思ってしまう、風に戸惑う弱気なこのぼくを皆は「貧弱な坊や」とバカにするのだろうか。
 前座の頃「爆笑しながわ寄席」というプリンスホテルでのイベントがありました。出演が三遊亭小遊三爆笑問題海砂利水魚というまるでアブダビコンバットのような普段有りえない組み合わせの会で、当時三遊亭おたくというちょっぴりお茶目な芸名だったぼくは、袖から舞台へと熱い視線を投げかけていました。そしたらまあ海砂利、爆笑何をやっても反応ゼロのバカ蹴られ(受けないって意味でーす)師匠小遊三のみが大爆笑の一人勝ちという何ともエキサイティングな結果であったことをよく覚えています。古典落語が本来持っているパワーと、高視聴率番組笑点の威力をまざまざと見せつけられた夜でした。師匠と比べると、爆笑さん海砂利さんは当時は余りにも洗練されていなかったのです。降り注がれる大量のまなざしが芸人を磨きます。お客様が芸人を育てるのです。大衆を甘くみてはいけません。
 四月七日、新日本のドーム大会が生中継されましたが、橋本が小川に勝つというようなシナリオは、やはり電波にのせるべきでは無いのです。画面に映った二人の肉体からは努力の差、意識の差、能力の差がはっきりと、あるいはイメージとして見る者に伝わって来るのだから。まぬけなアナウンサーが泣こうが騒ごうが聞くことはありません。橋本選手に関しては小川のアキレス腱を極めたシーンだけでぼくはもう大満足です。第二の人生をがんばってください。いえ、決して嫌いで言うんじゃありません。彼は主人公でしたよ。橋本真也主演の映画、それはアメリカンニューシネマの傑作『真夜中のカーボーイ』です。テンガロンハットにウェスタンブーツで大都会ニューヨークへとやって来た主人公、田舎じゃ「最高の男」だった彼も都会ではそうも行かず、都会で出来たたった一人の友人、ダスティンホフマン演ずる「どぶねずみ」と供に助け合い、夢を語りながら暮らしている。憧れだったフロリダ往きのバスの中で夢叶わずに死んで行く「どぶねずみ」が、いつも橋本の世話をしていた福田選手です(福田選手は谷津嘉章も認めた本当に強いレスラーでした。ご冥福をお祈りします)。カウボーイ橋本は挫けても、悲しむことはありません。彼の分まで小川が、藤田が、桜庭が「新プロレス」の世界で活躍してくれるのだから。
 さて、落語芸術協会代表三遊亭遊史郎(俺の中ではね)としては、秋山準の如く二十一世紀に向かってバクシンすることを胸に期しつつこの稿を終わりたいんでありんす。どうぞまた読んでくんなまし。(二〇〇〇年五月三日)


『演藝ノススメ』
 落語協会が四百万の経費を掛けてホームページを開設したそうだ。それに呼応するように我々落語芸術協会もHPを開設し、立上げに尽力した桂歌助師には、大宮の暴れん坊こと芸協事務局長、田澤祐一氏よりポケットマネー四千円が謝礼として渡された。まあどっちのページが良いかはご覧になった皆様の判断を仰ぐとして、今回のテーマは『寄席をお客で一杯にしよう!』という事なんですよ。
 寄席演芸の世界を分かり易いようにプロレスに例えてみましょう、まあ返って分かりにくいかもしれませんがそこはご愛嬌。遣り手の大企業新日本プロレスが落語協会、少々じれったい位に堅実な全日本プロレスが落語芸術協会、カリスマ前田のリングスが立川流、円生スタイルを追求、継承する円楽一門がパンクラスです。ついでに金は無いが体を張ってるみちのくが大川興業、アレクからマッハまでのバトラーツがキッドからジョーダンズまでのオフィス北野、ジョビジョバはDDTでしょうか(どっちも見たこと無いけど)。そして今注目すべきリングと言えばPRIDEです。団体の垣根を取払い精鋭達がしのぎを削る場、これを演芸界で探してみると、国立の花形演芸会が当てはまります(国立はギャラもいいし)。優秀者には賞金も出るので出演者も観る側も自然と力が入ろうってものです。まあ花形に限らず、各流派、団体の枠にとらわれない顔が揃う興業は、演者と観客の双方に程よい刺激と緊張、そして期待感を与えるという意味で大いに意義があると思います。お客様のニーズには応えようじゃありませんか。どーですか、お客さーん!
 円楽一門の両国寄席は、芸協、落協、立川流の助演があります。ぼくも毎月出演させてもらってるので是非観に来て下さい。広小路亭のしのばず寄席には芸協、立川流、円楽一門の他に講談、浪曲、漫才の方々が出演しており、前田隣先生のような大物まで何気なくブッキングされているので目が離せません。その他にも個人レベルでの交流はあるようですが、残念ながら定席での交流は、今のところ全くありません。ちょっと想像してみて下さい、小川直也が全日本のリングで闘い、秋山準がPRIDEでグレイシーと相まみえる姿を。興奮して翌朝夢精しちゃいますよ!自力でやるべきことはやる、業界発展の為に手を組むべきところは手を組んで協力し合う、こういった姿勢こそが、明日の寄席演芸繁栄の礎となり、延いては落語人気再興への力強い第一歩となることを、信じてるっちゃよ、ダーリン。(二〇〇〇年三月二十九日)


燃える芸魂、三遊亭遊史郎先生に励ましのメールを送ろう。
アドレスはyusirou-3ut@docomo.ne.jpです。待ってまーす。

ビバ!末広会』
日ごとに春めいて、桜の便りがあちこちから届き始める今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。今日も日本のどこかで、こんな挨拶をラッシャー木村はしているのでしょうか。二月二十七日、東京は九段下の大きな玉ねぎの下で、ベイダーと小橋が歴史に残る名勝負をやってのけたその一方、目と鼻の先の神楽坂の鰻屋『志満金』では、端唄『末広会』の第十回目のおさらい会が賑々しく開催されていた。二ツ目になって端唄を習い初めてかれこれ五年、当時十二人だった門弟も今や二十九人となり、末広会の勢いは年々増しているようだ。今回は第十回のお祝いとして、端唄青葉流の雪二三師匠とお弟子さんにも参加していただき、演奏曲数なんと七十一曲というボリュームのある会となった。司会は私、三遊亭遊史郎。いつもの調子でやらせて頂きました。会の進行をやりながら、私の弾いた曲が「二上がり甚句」「男なら」「うつぼ猿」「梅は咲いたか」「四丁目」長唄の「小鍛冶」と「夜桜」の弾き唄い、唄ったのは「づぼらん」と、気が付けばかなりの登場回数であった。十二時に始まった会もおしまいの「梅は咲いたか」の時には五時ちょいと前、この後がお待ちかねのお料理と宴会の時間だ。この宴会が盛り上がるのがまた末広会のいい所、踊りを披露する方あり、白波五人男の稲瀬川の勢揃いの場を演じる方もあり、私は二人羽織をやり、宴会でも三味線を弾いていた、今度は背中越しに。司会、演奏、余興とこの日の活躍ぶりは、まるで一日のうちにリングの設営、後楽園ホールでプロレスの試合、東京ドームでのバーりトゥードと三つの仕事をしてしまったアレクサンダー大塚のようではありませんか。ちなみに私の出囃子は「AOコーナー」ではなく「TOMOヤッコ」だ。(正式には供奴)本気で遊ぶ大人達、そんな言葉がぴったりくる末広会、志満金のお料理、美味しかったです。今私が思うのは、ビバ!末広会、ということです。