『年越し』
一九九九年十二月三十一日、師匠小遊三宅にて年越しそばをご馳走になると、新幹線で静岡へ向かった遊史郎、この日は喫茶ういんなでの年越しライブイベントがあったのだ。四組のバンドに混じって、僕は落語で参加させてもらった。出番はトリの前、楽屋の符丁で言うところの「ひざ代わり」だ。バンドがメインなので落語は「色もの」ということになる。上がり時間は二千年目前の午後十一時、ネタは「六尺棒」をやった。うーん、九九年最高の高座ではなかったろうか。亡くなったやなぎ女楽師匠のような、完璧な「ひざ」の芸であったと自ら言ってしまおう。ちなみにかっこいいおじいちゃんナンバーワン、女楽師匠の着ていた角袖は僕の宝物だ。トリのバンドKONORI
sp.でめでたく年が明け、そのままみんなで初詣でへと出かけた。こういう楽しい日々が続きますように、てなことをお祈りして僕の二千年は始まった。
『ご挨札』
元気ですかーっ!心配されていたコンピューター二千年問題も大きな事故とはならず、一まずほっと胸をなで下ろしている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。Y2K対策にご尽力下さった方々にはこの場を借りてお礼を申し上げます。「あおるだけあおっといて何も無かったじゃねえか」などと文句を言う方もおりますが、一人一人の分別ある大人な対応や行動によって大きな災いを退けることができたのだと僕は思います。いかなる時も冷静さを失わず、突破口を見いだすこと、これがサバイバルのキーワードです。ナイマンに勝った藤田は快進撃を続けるでしょう。遊史郎は今年も表現者としてのバーりトゥード(何でもあり、又は実力測定)、そしてルチャリブレ(観客を巻き込んでの闘い)に果敢に挑みます。金網でも異種格闘技でもどうってことねえよ、です。道はどんなに厳しくてもも笑いながらあるこうぜ!本年も三遊亭遊史郎をどうぞ宜しくお願いいたします。
西暦二千年目前、時代の代わり目。人の気持ちや価値観も変わり、いくつもの幻想が崩れていった。教師の淫行が相次ぎ、学級は崩壊、女子大生はAV女優で、タレントを覗き触る早大生。JCOは臨界事故で、警察は犯罪を連発、官僚はノーパンしゃぶしゃぶで、横山ノックは選挙カーでセクハラを(これは幻想を守った事件)。前田日明は安生に殴られ、グレイシー一族は桜庭に敗れ(あつ子じゃないよ)、お笑い芸人は酷く退屈で(ON AIRバトル見てつくづく思いました)、爆笑会見のライフスペースは人の死生観をも崩しにかかった。銀行は潰れて、ノストラダムスはどこかへふっ飛び、大仁田は何故か人気で(サラリーマン金太郎って何だか大仁田とよく似ている)、ジャニーズ事務所は告発された。演歌はさっぱり売れず、テレビはやらせで、大相撲にお客が入らない。そして落語家。落語家は面白いという幻想はとうの昔に打ち砕かれ、落語家イコールつまらないとのイメージを持つ者も少なくない。今、そんな我々を支えているのは、この商売で飯を食べているのだという現実、『リアル』だ。リアリティーを失った幻想がバブルとなってパチン、パチンと弾け飛んだ九十年代もあとわずか。私、三遊亭遊史郎は、新しい年もシビアな状況をくぐりぬけ、逞しく生き残ることをここに宣言いたします、何故ならそれが落語家だから。(一九九九年十一月二十六日、親愛なる皆様へ)
十月は格闘の季節、藤浪辰彌社長就任後初の新日本東京ドーム大会は、久々にぐぐーっと来る良い興業だった。小川、天龍、キモ、藤田、忘れちゃならないドンフライ。強い者が勝つという勝負の論理が興業の論理を打ち負かし、むき出しの闘いが観る者を圧倒する。強さは善だ。強い者は弱い者を守ることができる。強いレスラー、強い人間をぼくは尊敬して止まない。
十月十九日、東京大田区体育館にてみちのくプロレスを観戦。サスケの試合はルチャというよりは無茶といった感じだが、決して自虐ではない。生き残りへの執念で飛びまくるサスケはインディーズの王様でプロレスの代表選手。K−1チャンピオンよりも力強く存在するのがグレートサスケだ。北の地にひっそりと咲く雪割り草のように、ちっぽけでも逞しく美しい、それがみちのくプロレス。映画のようなプロレスがしたくてデルフィンは大阪へと帰った。みちプロは今日もサーカスのようなプロレスでお客を楽しませている。
お知らせ
格闘技ファンの遊史郎は日々闘っております。十一月三十日、シンプー第三部は遊史郎の会です。今回の演目は「湯屋番」と「明烏」、ゲストは太神楽曲芸の鏡味正二郎、前座が春風亭鹿の子、予約・前売りが千八百円、当日は二千円、開演は七時です。詳しくは03−5966−2069遊史郎へお問合わせ下さい。ご来場心からお待ち申し上げます。
九九年九月五日、静岡の舞台芸術公園にて開催された「野外劇場フェスティバル」に、おもいっきり参加してきました。劇団水銀座の一員でもある私が、野外で芝居をやるのはこれで二回目。又しても貴重な体験をさせて頂き、座員の皆さまやスタッフの方々、そしてご来場のお客様には感謝の気持ちで一杯です。落語と演劇という異なるジャングルを、おっと間違えたジャンルを、垣根を乗り越えて往き来することにより、芸人としてのダイナマイトキッドじゃなくてダイナミズムが生まれるのだ。私の今回の役は「噺家、三遊亭遊史郎」そのまんまだ。よし、PRIDE7のアレクサンダー大塚の如く、ありのままの自分で勝負をしよう。語りの場面はアレクにとってのジャイアントスイングであり、桜庭にとってのダブルアームスープレックスだ。映画「妖怪百物語」の林家正蔵のイメージで演ることにした。『女絵師のお朱鷺といえば、当代きっての無惨絵の名手。なかでもさる武家屋敷に納めましたる地獄絵図、信心無き者が不用意に眺むれば、たちまち魑魅魍魎に取り憑かれ、一族郎党ことごとく、祟りがあると言われる程の傑作。そのお朱鷺の家の戸口が、音もなくすうっと開いたのは、水無月六月、梅雨の小雨のしょぼしょぼと降る、陰気な宵でございました』奇談を語る遊史郎。高さ六メートルの橋の上から宙乗りで現れるお朱鷺。亡者菊次郎は高所作業車のゴンドラに乗り、更に橋の上空から台詞を叫ぶ。サックスとドラムによる即興生演奏に和太鼓がからみ、照明に浮かび上がった森の中の舞台は、正に劇的であった。『お気をつけてお帰り下さいまし。今宵は、月の無い夜でございますがゆえ』遊史郎の最後の台詞の後に鳴る追い出し太鼓。沸き起こる大きな拍手がこの上無くありがたかった。次の公演は来年の一月、また東京と静岡を往復する日々が待っている。
夏の涼みは両国の、出船入船屋形船
上がる流星星下り、玉屋が取り持つ縁かいな
俗曲「縁かいな」の粋な歌声に誘われて、屋形船での夕涼みとしゃれこんでみた。前に仕事で乗ったことはあったが、今回のは全くの遊び、心持ちは天と地程も違う。麻の着物に麻の帯、素足に細身の桐の下駄をつっかけると爽やかに浅草へ。演芸ホールに程近い、「翁そば」にてざるを一枚たぐってから、吾妻橋の船宿「網清」へとやってきた。ここで静岡の道楽者グループ「千代乃会」の方々と合流して船に乗る。高速バスで静岡からやって来た一行は、もうすでにほろ酔い加減でいい調子だ。船の中では闘龍門のアラケンに似たお兄さんがせっせと揚げたての天ぷらを運んでは盛り付けてくれる。川の向こうでは花火が上がり、船内のあちこちで歓声が沸き起こる。お台場の観覧車の無限に変わるイルミネーションを眺めては飲み、食べ、歌う。芸者のやよい姐さん(千代乃会会員)は東京音頭の替え歌、エロチックバージョンを披露して、盛り上がりは最高潮に達するのであった。やー今日もよく遊んだ。