ここでは、スパイスの歴史‥‥と思ったのですが、スパイスを一言で片付けるのは無理があるので、今回はスパイスにまつわる小話を少しだけ紹介します。 |
スパイスの名前が登場した最も古い書物は、世界食物百科(原書房)によれば、紀元前2800年頃のエジプトで記されたパピルスなのだそうです。有名なツタンカーメン王が活躍した時代が紀元前1333年ですから、それより遥か昔の話し、時はエジプトの初期王朝時代になります。記されていたのは、シナモンでした。あらゆる香辛料のうち、シナモンが最古のものであると言われる由縁は、この事からきているようです。 パピルスに登場したのはシナモンですが、古代エジプト人はシナモン以外にも、色々なスパイスを使っていた事がわかっています。ナイル川流域では、芳香性の植物(オレガノ、ミントなど)や樹脂(テレピン、ミルラなど)や現在でいうスパイス(カシアなど)が大量に使われていました。これらを使っていたのは、王侯貴族や僧侶など、一部の限られた人々で、用途は「医療」「食用」「宗教儀式」などに利用していたようです。 では、エジプトがシナモンの原産地なのか、と言うと、話は又違ってきます。現在、シナモンはエジプトにも自生していますが、これは、19世紀にパリの植物園から運ばれた2本の苗が根付いたものなんだそうです。 ついでに、我が国、日本へシナモンの樹木が入ってきたのは、亨保年間(1716〜1735年)第114代「中御門天皇」&第8代将軍「吉宗公」の時代です。その頃、清から輸入された樹木が最初のようです。シナモン自体の輸入は更に古くから行われていたようで、何時からという記録はないのですが、中国から輸入されたシナモンは、正倉院(律令時代に中央、地方の諸官司や寺院に設置してあった宝物用倉庫)で大切に保存されていたみたいです。 |
いいつたえによると、中国で薬草(スパイス)が使われ始めたのは、5000年以上前だといわれていますが、薬草をつかった漢方術は紀元2世紀まではヨーロッパには伝えられていなかったようです。しかし、これ以前の時代でも、漢方とエジプトの治療法の間にはたくさんの共通点が見られます。たとえば、アヘンやシナモンなど、エジプトのパピルスに記された薬草の効能と、中国の薬草学に記された効能はほとんど同じことが書いてあります。同じシナモンについて書いてあるのだから、内容が似通っていても当たり前と言えばその通りですが、異なる歴史を歩んできたそれぞれの文明発祥の地で、シナモンは薬に使える事を個々に発見したのですから、この偶然はスゴイ。偶然と言うより、本能で嗅ぎ分けたのかもしれません。 |
ヨーロッパでさかんに研究されていた魔術にも、スパイスは登場してきます。13世紀のスコラ哲学を代表する思想家「アルベルトゥス・マグヌス」は、ドミニコ派の学僧であり、アリストテレスの思想をキリスト教に取り入れて神学の基礎を築いたことで、聖人の1人に数えられていますが、アルベルトゥスは、魔術研究者としての顔も持っていました。これは、彼が悪魔に魂を売ったとかいう話しではなく、当時のヨーロッパでは、医学と魔術は近しい関係だったので、「魔術研究者=医学研究者」というニュアンスも含まれています。そのアルベルトゥスが書いた「大アルベルトゥスの秘法」という魔術本の中で、彼はミントの効用を次のように述べています。 「ミントの新鮮なものを身につけている者は、楽しく、快適で、どんな敵にも負けないであろう。又、この植物を牛の首につけると、牛はそれをつけた者の下僕となる。あるいは、赤毛の男の汗の3分の1とミントの液を混ぜた物に帯を浸すと、帯はたちどころに2つにちぎれる」 読んでみて如何ですか? 冒頭の「楽しく快適」あたりの文面については、ミントの香りはすがすがしいし、そんな気分になるかもしれない、と思いますが、後半の「赤毛の男と帯」の部分‥‥。これはもう、非現実的というか何と言うか。昔の人は、まじめにこんな事を考えていたのかと思うと、ちょっと笑えてしまいます。 |
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作成:2000年6月
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