古くは縄文時代まで遡る事ができる大豆の歴史。今回、納豆を調べるにあたって読んだ資料の中にも、大分県の横迫遺跡から大豆らしい種実が発掘されたと書いてありました。このことからも、日本における大豆の歴史は、今から二千七百年前頃がスタート時点だと考えて、まず間違いないです。となると、大豆なくしては語れない納豆製造の歴史も縄文時代に遡れるのだろうか?という疑問が浮かびます。
大豆から納豆を作るのに必要な納豆菌は、枯葉菌の一種であるため、ワラや草木など、身の回りの至る所で発見できます。これが蒸した大豆に付着すれば、すさましい勢いで発酵して納豆になっていく訳だから、縄文人が納豆を作っていたかどうかの鍵を握るのは、大豆を蒸す製法が縄文時代にあったかどうか、という事につきると思います。
御存知の通り、大豆を柔らかく蒸すためには、強い火力で長時間大豆を蒸してやらねばならない事情があるため、普通に考えれば、煮炊きには問題がなくても強度に不安が残る縄文土器でこれをやろうとすると、土器が壊れてしまうでしょう。従って、縄文時代に納豆があったとすれば、それは納豆を作ろうとして出来たものではなく、土器の中に放置したまま忘れ去られた煮豆が偶然発酵したものだと考られます。
どのような偶然だったかをイメージすると、こんな感じだと思います。
(1)家族で煮豆を夕飯に食べたが、量が多くて少し残った。
(2)捨てるのは勿体無いので、土器にいれたまま堅穴式住居の中に放置しておく。
(3)家の中は炉によって適度に暖かく、日本列島は温暖多湿気候であることから湿度もある。
(4)翌日は別のものを食べたが、再び余ったので昨日の土器の上に重ねておいた。
(5)ある日、すっかり忘れていた土器を開けたら、ネバネバの糸引き納豆ができていた。
なんとなくありえそうな話しでしょう? 偶然だったかもしれないですが、縄文時代に糸引き納豆があったことは確実のような気がします。ここまでくると、それでは縄文人は実際に納豆を食べていたのかどうかという問題にぶち当たりますが、それは記録がないのではっきりした事はわかっていません。ただ、私は好奇心旺盛な縄文人のこと、納豆を食べてみた確率は高いと思うのですが、みなさまはいかが? |