I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

団塊世代vsゆとり世代(ニート)

 両方とも、今更の動画ですが、並べて見てみると時代の違いというものがよくわかりますので、ちょっと採り上げてみます。

団塊世代
(全共闘 東大安田講堂)



ゆとり世代(ニート)
(「WE ARE THE THREE (ONLY!」(高円寺ニート組合によるデモ))



 非合法な手段に訴えてでも、内にあったエネルギーを発散した団塊世代(の一部)。団塊世代で現在でも大活躍している人は、一般学生よりも、この全共闘運動に参加していた人の割合が非常に大きいという印象がある。

 一方で現代っ子はいかにも現代っ子らしく、エネルギーがなく、冷笑的。合法を逆手にとって面白いイベントを起こすところなど、表現のあり方が非常に繊細。
 ネタとしてのクオリティは非常に高いが、あくまでそこまでに過ぎないところが、オタクの欠点でもある(大部分のオオタクは口だけであり、行動はしない)

 一部にはエネルギーを発散させている人々もいるが、DQNなどと罵られるうえ、世間からは冷たい目で見られがち。
 暴力団のマフィア化により、資金源としてのドラッグなどが侵入。エネルギー発奮の方向が、犯罪及び精神崩壊と直結してしまった。
 そうした社会的に孤立しやすい状況に加え、オタク文化に浸食された女性が急増。女性の嗜好もすっかり移り変わり、ツッパってもほとんどモテなくなってしまった。
 髪を染めたり、ピアスを留めるなどのファッションどまりのちょいワルまでは女性からも許されるが、本当にDQN的行動を起こす人間はあからさまに避けられるようになった(あるいは同系統の“痛い”女性しか近寄らなくなった)ため、八十年代にあったような元気はどこにも見られない。
 ファッションとしてのちょいワル男性は多く見られるが、大抵性格は温厚で、何かを突き抜けるようなものを感じさせるヤンキーや暴走族は、本当にいなくなった。

 こうして書いてみると、何が良くて何が悪いのかわからなくなってくるが、それぞれの時代に合った生き方というものがあるのだと思う。
 現代の善悪観を表現する意味では、現在アニメ放映中の「デスノート」が顕著。
 もちろん、作品としては決して善悪観をつきつめたものではないのだが、『DQNは氏ね』という感覚がオタクだけでなく、ごく普通の一般人にも自然と受け容れられるというのは、なかなか凄いことだと思う。
 たとえば、「なめねこ」「ツッパリ」全盛期だった80年代に「デスノート」が発表されても、恐らくは受け容れられなかったろうし、誰も理解しなかったことと思う。

Posted at 2007/01/21(Sun) 08:48:20

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