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文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

5月に買った漫画(荒木飛呂彦『SBR』)

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内訳:
荒木飛呂彦『Steel Ball Run 1』    :210円
荒木飛呂彦『Steel Ball Run 2』    :210円
荒木飛呂彦『Steel Ball Run 3』    :410円
荒木飛呂彦『Steel Ball Run 4』    :410円
荒木飛呂彦『Steel Ball Run 5』    :410円
荒木飛呂彦『Steel Ball Run 6』    :410円
荒木飛呂彦『Steel Ball Run 7』    :410円
荒木飛呂彦『Steel Ball Run 8』    :410円
 
合計8冊               :2,880円


 私が書くまでもない荒木飛呂彦のスティール・ボール・ラン。今月は書籍の方をお休みして、来月二ヶ月まとめて紹介したいと思うので、敢えて紹介することにする。
 読むと最後まで読まないと気が済まないのが荒木作品の特徴。1,2巻だけで済ませるつもりが、最新刊まで買ってしまった。そして荒木作品最大の魅力もここにある。一体何が読者をここまで引きずり込むのだろうか?
 正直言って、3,4巻のデキは悪い。今までジョジョで使い古されてきた展開の他は、ひたすら状況説明に徹していて、倦怠。読むのが厭になる。説明が無くては後々のストーリーに重みが出ないためにやむを得ないのだろうが、純粋に作品の面白さを論ずる場合、“繰り返し”と“説明は要らない”ということになる。これは漫画のみならず、小説でも同じである。同じモチーフでしか書けない小説家は消えていくだけ(これが意外と多いのである)だし、説明が必要最低限に抑えられている小説というのは、それだけ高度で、面白い作品となる傾向にある。
 ところが5,6巻で一気に巻き返してくる(不思議なことに「SBR」では2巻単位で作風及び展開が大きく変わる。週ジャン→ウルトラジャンプへの移行もあるだろうが、何か狙っているのだろうか?)。3,4巻で溜め込まれた設定を、一気に作品として昇華させていくのである。視野が一気に拡がり、『聖遺物』『大統領の陰謀』、そしてDIOの過去からホラー映画のような展開に移り、今までにない『奇妙な冒険』がスタートする。

 しかし連載漫画である以上、説明はまとめて行うのではなく、小出しにすべきだったかもしれない。ウルトラジャンプの編集方針は知らないが、集英社は『週刊少年ジャンプ』に見られるよう、人気投票で作品の展開を左右するような出版社なので、編集方針によって作品を台無しにされかねない(しかも人気投票には少なからず組織票があるようで、いわゆる腐女子化の要因の一つにもなっていると思う。オタク女子の組織票はどの分野でも決してバカに出来ない)。ちょうど4巻が『週刊少年ジャンプ』として最後の巻で、以降はウルトラジャンプでの連載になる。それからの伸び伸びした展開を思うと、どうにも『読者投票』『少年誌』という枠組み、そして週刊少年ジャンプ全体の質の低下も関連していると思う――明らかに最近の週ジャンの中では荒木作品は浮いた存在だった。ジャンプらしい作品よりも、サンデーやマガジン、或いは少女誌に連載されるような『テニスの王子様』や『DEATH NOTE』が台頭をはじめる(デスノはあれでなかなか面白いが)

 話を戻す。7,8巻では5,6巻で拡がりすぎた視野を少し縮めて、突然小さな冒険が出てくる。ホットパンツとのカラミ、リンゴォとの対決、スティール夫人の冒険、これらは皆些細なこと、と言ってもいいほど、スケールの小さな話しである。作品を映すカメラは、作者の都合一つで自由にズームイン・ズームアウトが出来る。これらを正しく扱うテクニックが作者には求められる。小説でもほとんど必須といっていいテクニックである。恐らく次の巻ではまたスケールが大きな題材と格闘することになると思う。

 では最初の1,2巻に戻る。ここは3,4巻以降とは違い、レースの詳細が描写されている。先ほどズームイン・ズームアウトを挙げたが、時間軸が3巻以降と、1,2巻とではまるで違うのである。数時間程度の出来事を、1,2巻ではほど2巻全体を使ってレースの行程を均等に、省略することなく描いている。しかしその数倍は時間が掛かったはずの3、4巻では行程の大部分を省略し、戦闘シーンなど必要な部分のみを描いている。7,8巻では2レース分を消化。ホットパンツ、リンゴォとのカラミ、そしてゴール前の駆け引きにのみスポットが当てられていて、他のことは描写されていない。
 時間の伸縮の使い方は、主に作品のリズム感やスピード感に関係し、読者を飽きさせないことに有効である。スポットの当て方は、もはや作者のセンスと直結していて、読者を引き込む力である。ここの使い方を間違えるような作家は、どんな分野であれ、決して長続きしないだろう。
 これは技術であり、鍛錬を積むことによって習得が可能である。では、どのようにして鍛錬を積めばよいのだろうか? それは読書すること以外に無い。良質な作品を読み込み、そのリズムを身体の中に取り込むことで、身体が自然と反応するようでなければならない。荒木作品の持つリズムはきっと何かのプラスになるのではないか、と思う。

 ところで、ウルトラジャンプは近所では一冊も売っていない。発行部数が少ないために配本されていないのだろう。「SBR」の単行本は入荷しているが、それも即日売り切れである。その割にろくに売れないような本はいつ見に行っても大量にある。これは出版社・配本業者の偏見によるのではないか。

Posted at 2006/06/06(Tue) 21:12:16

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