I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

文化と国家

http://www.cnn.co.jp/world/CNN200511050027.html

 パリでイスラム系移民の少年が感電死したことによる暴動。10日間あまりが過ぎた現在も沈静化することがなく、誰かが裏で煽動しているのかもしれない。
 現在、フランスという国は教育、文化、あらゆる面で格差が酷い。恵まれた学生までもサブカルチャーに走り、まともな文化観を持っているのは極一部知識階級だけである。かつては文学の勃興したこともあったが、現在のフランス文学は地に墜ちており、誰も見向きもしない。そういう文化的な貧しさも事件の発端となったのではないか。

 何世紀も前から理想とされている「多民族国家」「一つの世界(グローバリゼーション)」という言葉は聞こえは良いかもしれないが、その結果は今回のフランスやアメリカ、ロシア、強制的な意味では中国、かつてのソ連などである。異なった観念と文化を持った人間が同じところで暮らしても決して分かり合えない。何百年、何千年と培ってきたものが決定的に違うからだ。現実世界で綺麗事がまかり通ることは滅多に無い。
 民族がそれぞれで集まり、国境線を定めたのは上手な住み分けの知恵でもあった。国境線はしばしば戦争の原因ともなるが平和利用も出来る。何より、国民に“自国”という誇りが出来、一つの“不安”が無くなる。
 もしも家の壁が全て透明になったらどうだろう? とても生活出来ない。風呂屋の壁が無くなったら? やはり問題がある。無闇に国境を失くしたり「世界言語」に執着するのは、あまり良いことではない。文化の質が下がり、ひいては良心の欠如、誇りの喪失となる。それが現在の中国とも言える。彼らは中共によって文化を抹殺されてから、急速に疑ぐり深くなった。

 ただし「国家」や「政府」を理想とするわけではない(それらはまさしく共産主義や帝国主義のシンボルだ)。むしろそれらは失くす努力をしなければならない。大切なことは文化の多様性と高い質を護ることだ。それぞれをまぜこぜにした上で共存共栄など難しい。必ず違う文化を持った民族は対立する。どうにかして、上手な住み分けが出来ないだろうか。
 文化というのは生態系のようなもので、あまりに強力すぎる外来種が入ってくると崩壊してしてしまう。かといって完全に閉ざされていると純化が極端化し、どんどん脆くなっていく。大切なのはINとOUTのバランスなのだが、どういった形態なら上手にバランスをとることが出来るのだろうか。

 私は都市国家型の世界を未来図として描いているが、もし誰かが略奪を始めれば簡単に崩壊する。これは行きすぎた社会の典型だ。きっと完全なんて存在しないのだろうが、それでも人は模索し続けなければならないと思う。

Posted at 2005/11/05(Sat) 20:44:32

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