I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

運と偶然とは別物か

先週ジョナサン・ケイナーの星占いで自分の星座予報を見ていたら

宝くじに当たることが幸運の証だと考えないでください。宝くじの当選については、幸運というよりは「行き当たりばったりの偶然」がものを言います。

 こんなことが書かれていてびっくりしました。

 普通の人は、運を偶然の結果だと考えます。
 努力の結果を幸運の結果と呼ぶ人はいないでしょう。他人の功績について、もし敢えて口にするならば、それは中傷となってしまいます。

 運といえばラッキー。ラッキーといえばラッキーマン。ラッキーマンといえば偶然落ちていたお金を拾って、敵の攻撃を避け、しかも打撃まで与えるのがお約束ですが、そんな偶然は幸運とは異質なものだということでしょうか。

 しかし現実は、ジョナサンの言う通りです。
 宝くじに当選したことが、その人の運命を大きく変えてしまうことはあります。しかし、その人の運命が宝くじの結果を左右するとは到底思えません。
 ある人の幸運と、宝くじの結果は全く別物です。ある人の幸運のために宝くじの結果が変わるわけではありません。それぞれ全く関係のない事象同士を繋ぐことは、原義通りのオカルトでしかありません。

 以前、このブログで曾野綾子『人びとの中の私』中から「ついてない若者たち」というエッセイを採り上げました。
「ツいてない」という科白
 要点を引用します。

 本当に『ついてない』という状況は、滅多に起きない鉄道事故でたまたま事故車両に乗っていたとか、高速道路から車が降ってきたとか、本人の力や判断ではどうすることもできないことをいうそうな。先の尼崎での脱線事故などが思い浮かぶが、確かにあそこに乗り合わせた人達には何んの落ち度もない。
 『運命には変えられる部分と、変えられない部分がある』――予測と努力でどうにかなることと、ならないことがある。『必要な努力をしないで、全てを運のせいに』する人がいれば、完全な努力と予測とをしていても、運だけが悪い人もいる。


意訳 
 ジョナサン:運と偶然とは別物だよ、マジで
 曾野綾子 :当然の結果を運のせいにするなよボユゲ

 曾野綾子の言葉とジョナサンのアドバイスを統合すると
『運は努力で切り開け』
 ――とでもなるでしょうか。

 ついでに曾野綾子のエッセイを見返してみましたけど、この人は本当に慧眼だな。最高に性格悪いけど。
 でもその性格の悪さが、なんとも励まされたり、癒されたりするのですよね。

Posted at 2008/02/04(Mon) 11:58:06

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