I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

ジャンボジェットの死にゆく先は

BBC(uk);Where old aeroplanes go to die
 航空機の寿命は最も長くて三十年ほどと言われており、1970年代にジャンボジェットの爆発的生産があったように、現在使用する機会のない航空機が急増している。
 航空機は有毒な物質を含んでいるため、廃飛行場に打ち捨てたり、海へ投棄することは、明らかに受け容れられない(しかし、ボーイング社によればそれはまさに今まで行われてきたことである)
 そこでリサイクルの必要が出てくる。まず、まだ使える部品は再販のために取り外され、金属は再利用のために分割する。この金属を分割する技術は、後々スクラップを再利用する技術のために役立つかもしれない。
 航空機は次第にカーボンで作られるようになってきており、ボーイング787でも機体の50%を構成する。しかし新しい技術によって、カーボンは僅か20分程度の工程で再利用可能となった。ボーイング社によると、その品質は非常に良いものだという。

 航空機再利用の研究のために3.2百万ユーロ(4.5億円程度)がこの研究に投資される。幾らかの資金はEUからも提供された。

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 あれだけ巨大な塊は、ただスクラップにして固めておくわけにもいきませんよね。リサイクルが一番いいのでしょうが、現代人は生産の技術には卓越していても、再生技術はまだ発展途上段階に過ぎない――あるいは失くしてしまったようです。
 日本では、昔の大工さんといえば、古い家を解体するときには古い釘も全部抜いて再利用していました。材木も綺麗に外して、まだ使えるものについては再利用していたと聞きます。
 しかしバブル時代を経て、そうしたことも少なくなり、巨大な鉄球によって、問答無用で《破壊》するようになりました。世の中はスピードと効率の方を優先するようになりましたが、結局それでは行き詰まってしまったわけです。
 海外でも、田舎の地域では、建物を取り壊した後の古煉瓦などを、新しい家の大切な材料として利用する伝統のあることが多いです。
 昔ながらに一つ一つ分解するという“手間”と“時間”を掛けずには再生なんて不可能だということですね。最後に頼れるのは、いつでも“人の手”なのかもしれません。

 鉄球による暴力的な破壊から、人の手へ。少しずつ時代の加速は緩やかになっていけばいいな、と思うのですが。今は全てがハイペースすぎてついていけないこともあります。私にはさっぱり扱えない電気機器やソフトウェアが次々と登場するだなんて、想像もしていませんでした。
 一度でも「ついていけない」と感じると、私の場合は途端に何もかもがどうでもよくなってしまいます。努力して適応した頃には、もう未知の新しいものが出ているのです。ニートの深層心理にも、そういう「ついていけない」というものがあるかもしれません。

 もちろん、私が子供の頃に夢想していたよりも時代は物質的に進歩していませんが、精神的な面での加速が顕著な時代だな、と思います。十分おきに返事を催促するメールなど、新しい【携帯電話浸け】で育った人達とは、乗り越えられない壁があるように感じています。
 手紙・電話時代から、パソコン通信時代、PHS・携帯電話登場、インターネット普及など、少しずつ加速を体験できたことは、幸いだったのかもしれません。
 話がだいぶ逸れてしまいました。

Posted at 2006/09/30(Sat) 16:55:36

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