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文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

マリア様以外の何か

 近頃は「呪いのビデオ」に慣らされたお蔭で、色々なものが見えるようになりました。(笑) こういうのは「ウォーリーを探せ!」のようなもので、慣れると不可解なものを一眼で発見できるようになります。
 さて、今回は皆んなが神聖なものだと信じているものに、とても無関係としか思えない顔が刻まれているのを発見しました。以前記事にしようと思ってcbsで記事を読んだ時には気づきませんでしたが、今になってやっと気づいたので、記事にしてみます。

cnn.co.jp;チョコレート工場で小さなマリア様出現 米国

チョコレートの搾り滓


 この画像ですが、私には全くマリア様には見えません。むしろ、別の女性の姿が見えます。

マリア様以外の何か


 線で表してみました。もうイエスを抱いている(?)マリア様には見えないはずです。(笑) むしろ古代エジプト芸術にあるイシス神のように見えます。

イシス


 そもそも聖母信仰など、ただの偶像崇拝に過ぎず、全く意味がありません。聖書を素直に読み解くなら、イエス・キリストは母マリアを不信心な者だとバカにしていました。イエスからすれば、自分を理解できない、無知な一般民衆(ことによるとパリサイ人に対するのとと同じくらい、軽蔑の眼差しで見ていたかもしれない)と同じ者達に過ぎなかったのです。
 しかし後世の一般民衆にしてみれば、厳格な唯一神や、貧しい救世主を崇拝するよりも、豊かで大らかな、土着の地母神信仰に近いマリア信仰の方が受け容れやすかった――ただそれだけのことでしょう。現に貧しい生活を送っている人々ほどマリア信仰が多いです。

 キリスト教の教義の上でも、マリア様をどれだけ拝んだところで、決して救済などしてくれないと思います。ただし、祈ることで自分自身と精神を集中させて対話することが可能となります。これは有意義。もちろん、祈る“だけ”で自分で何も行動を起こさない人は、何も報われませんが。

Posted at 2006/08/22(Tue) 13:00:11

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