I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

x51.org;クロニック・デジャヴとは

 デジャヴ=既視感といえば、いきなりトイレから始まるという実話が基のアドベンチャー・ゲームがあるが、あれは薬品を用いた記憶喪失であって、デジャヴとは全く関係がない。

x51.org;すべてが過去になる ― クロニック・デジャヴとは

 ――で、実を言うと私自身も慢性的なデジャヴを感じている一人である。もちろん病院へなど行くほどのものではない。また、リンク先には『鬱症状をもたらす』とあるが、私自身はまったく鬱を感じたことがない。

 私が感じる主な症状は――

1.他人の顔全てに見覚えがある。または区別がうまく付けられない
2.間違いなく初めて来た道でも、ほとんど見覚えがある
3.間違いなく初めて読む本や、絵画などでも、見覚えを感じる

 日常生活に影響はあるか、というと確かにある。特に1の相手の顔に確信が持てないのは非常に困る。とてもじゃないが、自分からは話し掛けられない。実際、私は人違いの数が異常に多い。それも他人にとっては『全然似てない』にも拘わらず、である。
 私はどうやらほんの一部分の特徴を大雑把に相手の特徴として捉えているらしく、それが共通しているだけで同じ者として結びつけてしまうらしい。しかもその結びつけがかなり強引で、全体的には全く異質の人同士でも、同じ場所にカテゴライズしてしまう。
 2は知らない道のはずなのに、なぜか『懐かしいなぁ』と感じたりする。そしてありもしない記憶を辿って、豪快に迷う。(笑) 元々地図の読めない性質と合わさって、地図を見ながら移動をしてもほとんど解決にならない。
 3については、近頃の新しい創作物を眼にしても過去の作品の焼き直しとしか見えない――という人は実際にかなり多いだろうが、そういう皮肉ではなく、本当に『これは昔見たな』という錯覚に陥るのである。ちょっとでも共通した箇所があれば“記憶に引っ掛かってしまう”のである。別に知ったかぶりをしようとしているわけでもないのに、そんな風になってしまうのは残念なことだ。

 ただしこういった症状が多い替わりに、局所的な記憶力は却って高いような気がする。見た映像そのままの形で本の内容を記憶したり、他人の発言を言い廻しから一字一句記憶することも出来る。短編小説程度なら暗誦できなくもない。それもデジャヴじゃないか――と言われれば仕方がないが、実際に確かめてみても、正しい記憶なのである。
 デジャヴが一種の記憶障害であるなら、何んらかの能力の代価として存在すると考えても悪くないかもしれない。
 オカルト的な見解ではデジャヴは“前世の記憶”なのだそうで、事故の被害者しか知り得ない記憶を詳細に語ったりなど、実際そうとしか考えられない例もあるそうだ。文学作品では中島敦「木乃伊」など多くの作品がこうした現象を小説の材料に用いている。
 しかし残念ながら、私の場合は純粋に“頭のネジ釘が一本足りない”タイプのようである。そう書くと味気ないが、私の“一目惚れ”も最初はこうした“逃れがたいほどの既視感”から始まるわけで、そう思えばなかなかロマンがあるかもしれない(要するに“思い込み”なわけで、非常に厄介な惚れ方だが)

Posted at 2006/02/28(Tue) 08:38:05

オカルト・心・科学 | コメント(7) | トラックバック(0) | この記事のURL

この記事のトラックバックURL ->

↑ページの先頭へ

この記事へのトラックバック

「x51.org;クロニック・デジャヴとは」へのトラックバックのRSS