読売online;伊作あて 実篤の書簡 「新しき村」の記述、交流示す 新宮で発見
白樺派の作家、武者小路実篤(1885〜1976)が、文化学院(東京)の創設者で建築家でもあった西村伊作(1884〜1963)にあてた書簡が、伊作のふるさとの新宮市で見つかった。実篤が理想の社会を目指して宮崎県に建設した「新しき村」の設計に伊作がかかわっていたことを示す内容で、二人の交流が明らかになった。
「家のこといろいろ御意見をお知らせ下されうれしく思ひます。御本はたのしみです。御設計もたのしみです。(中略)その内には君の設計の家をたてて見に来ていただける時がくると思つてゐます」などと記され、「新しき村」のあった宮崎県児湯郡の住所と大正10年(1921年)8月8日の消印が押されていた。
武者小路実篤についての知識が全然ないので、さっぱり記事が書けないのですが――
wikipediaより引用
理想的な調和社会・階級闘争の無い世界(ユートピア)の実現を目指して、1918年に宮崎県児湯郡木城町に「新しき村」を建設したが、1938年にダム建設により村の大半が水没したため、1939年に埼玉県入間郡毛呂山町に新たに「新しき村」を建設した。両村は現存する(村民になるには年齢は原則として40歳以下の年齢制限がある)。但し、実篤は1924年に離村し、村外会員(村に居住せず会費を納める)となり、“村民”であったのは僅か6年である。
どう見ても金持ちの道楽とか、飽きっぽいとかそういう、いらん所まで似ているような気がします。
Posted at 2008/01/31(Thd) 08:31:57
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