I teie nei e mea rahi no'ano'a

文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

第1回 ホフマン「牡猫ムルの人生観」

復刊ドットコム;牡猫ムルの人生観(上)(下)

muru1.jpg


 編集者の序文
 本書ほど序文を必要とする本はない。というのは、もし本書の奇妙な組み立て方が説明されないと、本書はごたごたした混ぜ合わせのように思われるかもしれないからである。
 それゆえ本州者は、読者がじっさいに読んでくださることを、つまりこの序文を読んでくださることをお願いする次第である。
 編集者に一人の友人があるが、彼とは至って心やすくつき合っていて、彼を知ること恰も私自身を知るがごとくなのである。この友人が、ある日のこと編集者におよそこんなことをいった。
「君はすでにたくさんの本をだしているし、また出版者の事情にもくわしいのだから、きみの推薦で誰れか親切な出版屋さんを見つけだして、すばらしい才能と優秀な素質とを持つ一人の若い作家が先に書いたものを出版してもらうのは、わけないことと思う。その男のために一と肌ぬいでくれないかね。彼はそれだけの資格があるんだよ」
 編集者は、その作家の仲間のために最善をつくすことを約した。ところで編集者は、その原稿はムルという牡猫の執筆したもので、その猫の人生観が書かれてあるんだよと友人がうち明けたときには、いささか不審に思わないでもなかったが、しかしすでに約束したことではあるし、また、その物語の書き出しが相当立派な文体であるようにも思われたので、すぐさまその原稿をふところにおさめて、リンデン街の出版業者ドゥムラー氏のもとへかけつけて、同氏に猫の本の出版を申しこんだわけだ。
 ドゥムラー氏がいわれるには、これまで当社には猫なんて著者は一人も出たことがございませんし、私の同業者にしましても、これまで猫族のものと関係したなどという話もききませんけれど、まあとにかくやってみましょうと。
 印刷がはじまった。そして最初の見本刷が編集者にもとどけられた。ところが、驚いたことに、ムルの物語がときどき中断されて、楽長ヨハネス・クライスラーの伝記で他の本に属する奇妙な挿入が目についたのである。
 綿密にしらべたり問い合わせたりした結果、編集者は以下のことを知った。つまり、牡猫ムルが自分の人生観を書くときに、主人の机の書物を無遠慮にひき裂いて、それを別段わるいとも思わず、下敷きにするとか吸取紙に使うとかしたのである。それらの紙が原稿の中にはさまっていて――しかも、うっかり間違ってムルの原稿の一部として一しょくたに印刷されてしまったのであった!
 編集者は、猫の原稿を印刷にまわす前に、丹念に眼をとおしもしないで、まったく自分の軽率から異質の材料をごっちゃに入れてしまったことを、ここに神妙に、かつ悲しく白状しなければならない。にもかかわらず、編集者としてなおいささか心になぐさむ所があるのです。
 まず第一に読者は括弧内の注意、(反故)と(ムルは続ける)とに注意してくださるならば、難なくそのわけがお分りになるであろう。それからまた、ひき裂かれた本のことは、だれ一人知ったものがいないから、おそらく店頭には現れなかったのであろう。それゆえ、楽長の友人たちにとっては猫の文学上の野蛮行為によって、さすが注目に値する人物である楽長の数奇をきわめた生活振りに関する若干の報告が手に入ってすくなくも愉快なことであろう。
 最後に編集者は、牡猫ムルと親しく知り合いになったが、感じのよいとてもおとなしい猫氏である。このことは受けあってもよい。彼は本書の見返しに本物そっくりに描かれている。
  一八一九年十一月 ベルリンにて
                         エ・テェ・ア・ホフマン

 作者の序文
 おずおずと――胸もわくわくしながら、おれは閑と詩的感興とのたのしい時々に、奥深いおれの本質からほとばしり出た生活と苦悩と希望と憧憬との幾頁かを、この世におくる。
 おれは批評のきびしい審判に耐えることができるかしら。さりながら諸君よ、感じやすく、子供のごとく純真で、おれのように誠実な心の持ち主である諸君よ、おれがこれを書いたのは、いうまでもなく諸君のためなのだ。されば諸君が眼にたった一滴の涙をうかべてさえ、それがおれの慰めとなり、心ない批評家の冷酷な非難がおれに負わせた傷をいやしてくれるであろう。
  (一八――)五月、ベルリンにて
                                 ムル
                           (文学の一研究者)

 序 文
   作者の禁止されたるもの
 真の天才に生得な自信と落ちつきとをもって、おれは自分の伝記を世におくる。それは、どういう修業をすれば偉大なる猫になれるかということを世人に知らしめるためである。また、おれの卓越性を全面的に世人にみとめさせ、かたがたおれを愛し、重んじ、尊敬し、驚嘆し、少しはおれを崇拝させんがためでもあるのだ。
 万が一無礼にも、この非凡な本のすぐれた価値に多少の疑念を起すものがあったら、その人のお相手としては、才気と理性と、おまけに鋭い爪とを有する一匹の牡猫が控えておることを、とくと考えてもらいたい。
  (一八――)五月、ベルリンにて
                                 ムル
                            (有名な文学者)

――ホフマン著「牡猫ムルの人生観 上巻」石丸静雄訳 角川文庫より抜粋

muru2.jpg


 新コーナーの記念すべき第一回はホフマンの「牡猫ムルの人生観」
 いきなり絶版本というのもなんだが、ホフマンは私の文学の出発点といってもいいので、択んでみた。
 夏目漱石「吾輩は猫である」――の繋がりから興味を持つ人が多いらしいが、作品のベクトルは大きく違う。漱石が軽く書いた一方で、マニアックさにおいては「牡猫ムルの人生観」方が遙かに上である。
 編集者は著者であるホフマン、ムルの飼い主はアブラハム師、ムルによる自伝の合間に、クライスラーの伝記が時折挟まれるという複雑な構成で、今でも珍しいタイプの小説である。
 ムルの自伝はドイツ小説によくある、大学生を主人公とした小説に近い。喧嘩や猫の集会など、まさに学生生活をなぞっていて面白い。他にも迷子や鼠の制圧など、猫主観の小説に必要な要素は全て満たされており、その後の猫文学の礎を築いた作品である。
 古い本なので、訳が少々硬くて読みにくいところが唯一の弱点だろうか。

Posted at 2007/03/01(Thd) 12:17:28

ブック・レビュー | コメント(0) | トラックバック(0) | この記事のURL

この記事のトラックバックURL ->

↑ページの先頭へ

この記事へのトラックバック

「第1回 ホフマン「牡猫ムルの人生観」」へのトラックバックのRSS