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文学・芸術など創作方面を中心に、国内外の歴史・時事問題も含めた文化評論weblog

漫画家 荒木飛呂彦の講演、聴講できた人が羨ましい


@JOJO;サタデープログラム 荒木飛呂彦講演「漫画家という仕事」長文レポート&サイトリンク集
 レポートを見てもタメになる話だったのがよく解るし、ネット上で語られている様々な憶測が、あくまで憶測に過ぎないことがわかって、すっきりしました。
 漫画の分類地図など、面白いものが一パイ書かれていますが、中でもゴーギャンの絵を参考にしているというのが、面白かったし、驚いた。意外だからではなく、私との共通点だったので。このブログのタイトルは長くて不評のことと思いますが、ゴーギャンの「ノアノア」が元となっています。あの独特の塗りが非常に心を惹くのですよね。私には画才が無いので、模倣さえ出来ないのですが。

 パクリ問題についても語られていますが、仰る通りに古典を真似するのはパクリではありません。荒木氏の「死んだ人」というのは表現は微妙過ぎる気もしますが(亡くなって1、2年程度で未だ大きなマーケットを持っている作家から盗んだ場合は、パクリ以外の何物でもない)、森鴎外は古典を下敷きとした作品を沢山書いたし、芥川龍之介「杜子春」『唐代伝奇』の中の『続玄怪録』の「杜子春伝」が下敷き。中島敦「山月記」は同じく『唐代伝奇』の「人虎伝」が下敷き。現代作家なら辻原登「河間女」『捜神記』の「河間の物語」が下敷き。偉大な作家は皆んなやっています。三流作家ほど、古典は無視しているものです。日本の小説、特に純文学といえば日常生活を切り抜くことにばかり専心していますが、それは決して高度なことではないんですよね。

 生で荒木飛呂彦氏の講演を聴けた人は、本当にしあわせ者ですね。まして、質問が採用されたなんてのは……。
 これからも、荒木氏には青少年のために、どんどん講演活動をやって欲しいと思う。小説家が何か言っても、学生はマトモに聞かないものですが、立派な漫画家が言えばまじめに聴くもんですから。

 ところで私は「ですます調」と「だ、である調」を使い分けていて、自分でひりだした思考や文章に重点がある場合は「だ、である調」で、単なるコメントは「です、ます調」で書き分けるようにしている。何より、借り物で語るのに、まるで自分が考えたかのように「〜である」なんて言うのはなんだか烏滸がましいような気がして。

Posted at 2006/06/27(Tue) 11:48:56

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