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3月に買ったCD(野狐禅)


内訳:
野狐禅『便器に頭を突っ込んで』    :1,500円
 
合計1枚               :1,500円 

 ……本当は他にも大量にCDを購入したのだが、それは後々まとめて紹介したいと思うので。


野狐禅『便器に頭を突っ込んで』

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 野狐禅メジャーデビュー以前のCD。
 現在の野狐禅はライブとCDが別物の世界で、ライブでは鍵盤1個とギター&ボーカル&ブルース・ハープの、最大四つしかパートが無い。しかし、心にズゥゥン! と響くのはこちら。一方、CDの場合はドラムやベースが加わって、音楽そのものの質を高めているが、ライブで聴くほどのパンチ力は無い。
 その、ライブそのままの魅力を放っているのがこの一枚。ギターは粒が潰れ、ピアノはボヨンボヨンとふらふらした録音。演奏技術や音質、クォリティといった高級な要素をやたら気にする人にとってはダメな一枚なのかもしれないが、心をぶん殴られる感受性を持った人や、等身大に響いてくるサウンドに心を預ける人などにはお奨め。

「便器に頭を突っ込んで」
 ぐでんぐでんになった時に自然と口ずさんだり。『生きて、何がある? 生きて、何かある……』――もうあかんわ、などと思った時に聴くと、心に沁みます。

「金属バット」
 私はこのCDではこの曲が一番気に入っている。『綺麗事はうんざりだ馬鹿野郎!』って科白――まさに語り倒しなので、歌詞というよりは科白――がお気に入り。
 しかし、なぜかタイトルを見ると「妄想代理人」の少年バットを連想。

「少年花火」
 ライブではなぜか人気のある曲の模様? 『安心してください。僕はもう、彼らの輝きを直視できない、ダサい大人になれましたよ』ってところにジーンと来てしまう。私も大人になってしまったのだろうか。女の子と話す時には永遠のセブンティーンなどと言い張ってはいるのだが……。
 それにしても、野狐禅の歌詞ってのは文学的なものが多い。綺麗事を歌い上げるんでなく、格好悪いことでも、正直に告白しているというか。ストーリー性も強いし――しかも、作り話と感じさせない。

「さらば、生かねばならぬ」
 時々口ずさみます――『見て見て、馬鹿がいるよ!』
 片想いの相手のことを考える時に、よく頭に浮かぶ気が。あと、上野公園で似顔絵描きを見掛けたときも。

「初恋」
 よく、頭の中に反芻されるのは『僕のこの目ん玉は 他人の心の裏側をのぞき込むためでなく、自分自身と正面から向き合うためにあるんだ』というフレイズ。孤独な人間というのは、他人の心の中を覗きまくってしまうもの。
 この歌を聴くと、なぜかカフカのことを思い出す。フランツ・カフカというユダヤ人作家は非常に孤独な生涯だった。恋人(4人ぐらいいたので、誰だったかは忘れたが)によると『彼は他人の心の中が見えすぎてしまっていた』のだという。なるほど。他人の心が見えてしまうからこそ、孤独にもなるわけだ。

「君の瞳は何を見てるの」
 この曲はイイ曲すぎて、陳腐だなぁ。ライブのシメにおあつらえ向きというか。

Posted at 2006/04/11(Tue) 22:22:40

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この記事へのコメント

 このCDはライブハウスを借り切って録音されたもので、PAとか如何にも野狐禅という感じかも。音質がイマイチなのは録音機材の所為か? このCDやライブのように「そこらにあった楽器だけですが全力で殴りこみます」的な音源が楽しめるのはこのCDだけですよね。
 デビュー当時のインタビュー記事などで書かれていたと思いますが、「初期の頃は遺書の朗読のような歌だったが「さらば生かねばならぬ」あたりから歌詞がきちんと完結するように云々」とか書いてあった気がします。楽曲的にも野狐禅最初のターニングポイント(挫折だけど)でもある「HOT LINE 2000」ライブの頃の曲ばかりで、そういった面でも現在の曲とは違った意味合いがあるかも。
 ま、野狐禅はライブによっても演奏スタイルが極端に違うので一概に良し悪しを語れないのですが、良い所も悪い所も詰まっている非常に野狐禅らしいCDだと思います。
>「便器に頭を」「金属バット」
 これに「地獄」を足すと初期野狐禅の代表曲3点セットになるかもしれない。(「地獄」は権利的な諸事情によって(多分だけど)音源化されていない。決して歌詞がヤバイわけではない多分)
>少年花火
 北海道ではヤンキー兄ちゃんに人気のある某ミュージシャンと対バンをやった時にこの曲をやっていて、そういった方々の絶大な支持を得た感じがします(笑)。半数は一過性ファンだった感じですが、ちゃんと野狐禅の魅力を理解した人も多いみたい。
>君の瞳は
 キーボードの人の作詞ですが、初期の頃は密度が高くてピントが合ってなかった感もあります。シンプルな歌詞では「風」という名曲を、ピンボケのまま完成形の極みに達してしまったのが「約束」なんじゃないかと。「約束」とか「君の瞳は」を聞くと、何故か初期野狐禅のギラギラした「抑圧された激情」を感じる気がします。Voの人の歌詞は、最近ちょっと丸くなってきた気がするかも。
 ま、こういった音楽を聴くと、テレビとかで聞こえてくる「音楽」がどれだけ「綺麗に包装された商品」であるかが判るというかね。音楽マニアでないと一聴して「スゲェ!」とは思えないでしょうから、自分の音楽マニア度を測るのに良いCDかもしれない(笑)。

Posted by ス at 2006/04/12(Wed) 03:48:52

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初期の楽曲はもうライブではやらないのかな。
メジャーデビュー後にガラリと変わるバンドなんて幾らでもあるけど、
進歩というか進化というか、伸びしろにも期待出来るバンドですよね。
ギターの人と鍵盤の人のバランスも面白いし。(笑)
あと5年後にどうなってるか愉しみ。

Posted by 紫陽 at 2006/04/13(Thd) 09:52:42

 ほんと鍵盤の人の進歩のしかたは予想外というか、デビュー後から急激に進化したというか(笑)。プレデビューDVDではほとんど映してもらえなかった鍵盤の人が、現在では確固たる野狐禅テイストを進化させているっつーかね。
 ものすごくピーキーなところで闘ってるバンドなので、長く頑張って欲しいなぁと。

Posted by ス at 2006/04/14(Fri) 01:48:49

ギターvo.の人は、このペースで丸くなり続けたら、いつか相田みつをみたいにならないか不安です。さすがにそれは無いか。(笑)
野狐禅は今でも充分芸術してる。
アートを自称する高遠な音楽・詩なんかよりも、はるかに。
本当の芸術ってのはナマのパワーをぶつけることですけんね。

Posted by 紫陽 at 2006/04/17(Mon) 09:30:55

 初めまして、今日はじめてテレビで知りました。
なぜか初めてなのに、松山 千春のデビューみたいに、緊張感と一生懸命さが伝わり、北海道のグループだなと感じました。私も詩集本や作詞などをします、何かの機会があれば、また、道東へコンサートで来ることがあれば、私の書いた好きな曲(未発表)をプレゼントしたく思います。
また、作詞で悩んだ時は、いつでも私がプレゼントしてあげます。健康に留意してこれからも頑張って下さい。
貴方達の曲をこれから沢山聴いて陰ながら応援します。
私は釧路市在住、52才、勝手なこと書いてすみません。

Posted by 根内 博志 at 2006/06/02(Fri) 01:35:49

はじめましてー。
緊張はもう野狐禅のお約束みたいなものですが(笑)、もちろんこれはプロ活動を続けるうちに無くなっても構わない。
 ただ、一生懸命さだけは決して失くしてはならないもの、という気がします。それを失ったらもう野狐禅じゃなくなってしまうような。
 
 そのひたむきさは北海道特有、なんでしょうか。確かに生涯東京のバンドにはなりきれないような感じ。(笑)
 
 松山千春は毒舌のイメージがあるから、どうしてもイメージが一致しないんですが、なんだかんだ言って、他者への敬意は忘れていないんでしょうか。でっかい少年という感じは受けますが、デビュー当初なんて想像もつかないです。
 ただ、メジャーデビュー前の良さを決して失わずに、進化し続ける――野狐禅はそんなバンドであって欲しいです。

Posted by 紫陽 at 2006/06/02(Fri) 07:16:29

>根内氏
 NHKの「トップランナー」ですね。僕は収録会場で観て来たのですが、北海道先行放送は見逃してしまいました(苦笑)。あと2回放送があるのでビデオ録画する予定です。収録時の彼らの緊張は観ているほうにもひしひしと伝わってきて物凄い状況でした。そりゃぁ地元の知り合いと親と美人司会者に囲まれていたら緊張するだろうなぁと(笑)。
 多分、既に公式HPなどは御覧になられている事と思いますが、北海道では6月26日に札幌でライブがあり、現在ローソンなどでチケットが買えます。野狐禅のファンには遠方まで追いかける方がとても多く、それだけ「ライブで体験すべき音楽」だという証明なのでしょう。ファンの年齢層も非常に幅広い感があります。もし御都合がつくようであれば是非とも生で野狐禅を御覧頂く事をお勧めいたします。
 松山千春と野狐禅の一番の差異は「自分の意見発言に対する立ち位置」でしょう。最近の松山千春は詩よりも発言が前に出ているように感じますが、野狐禅はただ自身を曝け出すのみです。だからこそ野狐禅なのだと思います。

Posted by ス at 2006/06/03(Sat) 12:29:15

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